■ 1700アベニュー ■
長万部辰太が住んでいる、1700アベニュー108号室の隣の 107号室には、アスとミライという名の双子の女の子が住んでいる。
長万部辰太、アス・マクドナルド、ミライ・マクドナルドの三人は、幼馴染にして同い年の29才。明日は辰太の誕生日であるため、彼だけ一足先に30才となる予定であった。
まだラックアップには早い午前4時。108号室内に響き渡るインターホンの連打に耐え切れず、辰太は殺意をもってドアを開けた。すると、そこに立っていたのはアス・マクドナルドであった。一体何時に起きたのか、髪のセットも化粧もバッチリ、服装も外行きの山ガールスタイルに身を包んだ彼女は、申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめん、シンタ。お早う」
今にも泣き出しそうな顔である。
弱っている女性に怒鳴るほど、辰太は、ぐれてはいない。さきほどまでの殺意を心の手でギュギュッと丸め、脳内ゴミ箱にポイと捨てた。
「おう、どうした?」
「これ……」
アスは、一枚の板を辰太に差し出す。A4サイズの板にはふっくらとしたオレンジの表紙がついており、そこには大きく「回覧板」と書かれていた。表紙をめくり、中の紙を読む。
「 1700アベニューの住居者各位
15日にエルンストメーターの交換があります。
交換は、無料です。
15日にはすべての電気製品のスウィッチをオフにし
(洗濯機や冷蔵庫はヒツヨウアリマセン)
交換に備えてください。
当日時間が来ましたら係員が案内いたしますので
ガラナ飛行艇のハッチにて待機してください。
交換は十分程度です。
エルンストの計測が規定量を超えている住民の方は
(規定量は2ページをご覧ください)
14日までに205階へ引っ越してください。
当日、ガラナ飛行艇の排気の影響で雪が
降るおそれがあります。
服装には十分気をつけること。
管理人 ケイク・マクドナルド 」
ぺラリと紙をめくると、エルンストメーターの絵と設置箇所、もう一度めくると、セプテン規定量の表が見えた。
「ごめん、辰太。忘れてて……」
アスは責任感からか、プルプルとふるえている。彼女は1700アベニューの管理人、ケイク・マクドナルドの孫であり、管理人の孫がこのような失態をしでかしたという――世間体という名の――別種の責任感があることも、長い付き合いの辰太には容易に見て取れた。
「……いや、別に構わなねー…。や。待て、これよくねーわ……」
もう一度じっくり文章を読んだ後、辰太は訂正した。ふわふわと雲が漂っていた頭の中が、徐々に覚醒していく。
今日は14日。
そして明日は、15日である。
パン! と、アスは両手を合わせ拝みこむように叫んだ。
「ごめん辰太! 辰太んトコのエルンストメーター調べさせて!」
「ダメだ、やめろ! ミライ呼んで来い!!」
「ちょっとだけだから大丈夫! 散らかっててもアタシはヘーキ、オールライト!」
「ムリムリムリムリ!!」
両手を広げて玄関を死守する辰太を押しのけ、わきの下の隙間から部屋に侵入しようとするアス。しばらく「ヘーキヘーキムリムリ」の攻防戦が続いた後、突然、107号室の扉が開いた。
顔を出したのはミライ・マクドナルドである。
黒髪おさげの山ガール風アスとは違い、こちらは迷彩服をカッチリと着込みウェーブのかかった金髪をポニーテールにした軍隊スタイルだ。
ツカツカとブーツを鳴らし近づいたかと思うと、腰に差していた布団叩きを華麗に抜き取り、2人の間をサクッと割った。
「グッモーニン、辰太。回覧板見た? ねェ、アスと2人なら部屋に入ってオーケーよね?」
「……つーか、こっから先にも回覧まわさなきゃダメなのか?」
辰太は左を見る。
暗い中、LEDの間接照明にぼんやりと照らされた廊下が、奥まで続いている。辰太の記憶に間違いがなければ、この廊下は、120号室まで延々と続き、更に右に折れて140号室まで延びているハズだった。
1700アベニューは静止軌道エレベータ用オベリスク「アルハルバ」の中階層住居区にある、正方形の高い建物だ。一辺がゆるい上り坂となって続いており、この階は101〜120号室の辺、121〜140号室までの辺、窓のみの辺、窓のみの辺で構成されている。その次の辺までいくと、上の階となり、通路は螺旋状に続いている。階段はない。そのかわり、四隅にはエレベータが設置されている。
今日中に140号室まで回しメーター確認するのか……とゾッとした辰太だったが、それを見越したようにミライは言った。
「昨日、アンタんとこ以外は全部回しといたわ。アンタ留守だったし」
「さっすがミライ! スタイルもいいし頭もいいし、自慢の妹にゃんにゃんにゃん!」
アスはミライにハグし、激しい音を立てて頬にキス。妹の肩に右手をまわし、左手で、ピッと敬礼のポーズをとった。
「じゃ、おっじゃましま〜す」
「……どうぞ…」
エルンストメーターは、長方形の間取りになっている部屋の真ん中、リビングダイニング部分の天井裏に隠されている。
辰太が必死で隠そうとした部屋の散らかり具合など気にもとめず、双子はズンズンと部屋をつき進み、電灯の横で止まった。ミライが布団叩きでちょいちょいと天井の板をずらすと、視力には自信のあるアスが片目を細くしてメーターを確認する。
と。
唇をとがらせたままのアスが小さく「ありえない」と言った。
「……ありえない、規定超えてる。ミライ、ちょっと、見える?」
「54……、540セプテン?」
「だよねぇ、ねぇ、ねーっ、」
規定量を超えたメーターは完全交換であり、作業には数週間かかる。
つまり、どういう事かというと、辰太は今日中に205階の文化会館へ、簡易引越しをしなければいけない。寝起きの青年は額をおさえ、
「マジか……」
あくびを噛み殺しながらスーツケースの場所を思い出そうとするも、日ごろの思考にすっかり、埋もれてしまったようだった。
とにかく二度寝して9時に起きると、辰太は90階にある人工光栽培の野菜室からほうれん草ともやしを調達し、冷蔵庫にあったバターと卵で適当に炒め物を作った。
4時に無理やり起こされたついでにセットしていた自動ホームベーカリーからは、既にパンの香ばしい香りが漂っている。焼きたてのパンに炒め物をサンドして豪快にほおばる。