≪PRESENTATION WRIST CUT≫

N side 3


「コレで鍵をあけて、いつきてもいいから」
 僕は彼女にカードキーをわたした。部屋には、大事なものなんてひとつ
しか置いていない。そのひとつは、他人から見れば大したコトのない
文房具。
 彼女はしばらくうつむいていて、どうしたのと僕が聞く前に、キュッと。
腕をつかまれた瞬間、何を言いたいのか解ったような気がした。
「カッターもあるから」
 君をみつめる。君は、僕なんかよりずっとずっと助けを求めている
ように見えたー……、そうだ。
 僕はきっと、このヒヤリとする痛みから、彼女を助けたいんだ。
 なんて自己満足。なんて、大人気ないんだろう。

     ★

 僕には、親友と呼べる友人が二人居る。
 親友というか、同居人というか、僕はそのうちの一人の家に、ほぼ
毎日寝泊りしている。
 今日もそう。大きめのベッドは、金銭的余裕の証。
「なにかあったの?」
 彼女はカンの良い人で、彼女に言わせれば、政治家の嘘も歯医者の
手抜きも、スグにわかるという。
「なにも」
 僕はベッドに転がった。
 部屋に案内したとき触れたあの子の唇が、手と違って素っ気なく乾燥
していた事は、言わないほうがいいと思って。
「そっか、ならいい」
 彼女は、テレビに向きなおる。わかっていても余計な詮索はしない。
それが彼女らしくて気に入っている。けれど。
「やっぱり帰る」
 僕は起き上がって、放り投げていたコートを取った。
「明日また来る」
「ん、気をつけてね」
 予想はできていたけれど、暗い部屋に戻っても、誰も居なかった。
 そりゃあそうだよ。
 居るわけがない。
 机の上に置いたカッターで、いつもより深く、念入りに、僕は手首を
切り始めた。
 それから、いつも通りの日々が続いた火曜日。彼女が店に入ってきた。
 僕は、本当にドッキリとした。
 一週間ぶり。それは、とてつもなく長いことのようで、実際会って
みると、案外短いことのように思えた。
 パンのコーナーでその黒髪を待ち受け、
「ひさしぶり」
 と声をかける。
 一瞬きらめいた視線。手首をつかまれる。
「……どうして増えているんですか」
 僕は反対の手で、おろしていた彼女の左手首をそうっと、触り、
「君も、どうして増えているのかな……」
 人なんて、だらしない。そんなものさ。
 君もさみしかったんだと思い込んで安心する、嫌な生き物なんだ。



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--Presentation by ko-ka--