≪PRESENTATION WRIST CUT≫

H side 3


 店員さんの家は、そのコンビニから歩いて五分もかかりませんでした。
 私と店員さんはただただ歩き、彼が
「ここ、」
 とマンションを見て言った時には、私の左手は、なぜか、なぜか、
大きな右手の中にすっぽりとおさまっていました。
 痛い。
 手首が疼く。
 鎮めるにはどうすればいいの?
 切る以外に、どうすればいいんですか。
 私が店員さんを見上げたとき、彼は私の手を離して、離したかわりに
冷たく平らな四角いものを滑り込ませました。
「コレで鍵をあけて、いつきてもいいから」
 しずかなこえ。
 無表情で。
 私は、痛くて。
 この痛みをどうにかしたくて。
 店員さんの腕をつかみます。眉をよせ、
「カッターもあるから」
 私のことなど何でもお見通しで、大人で。
 そして私なんかより、ずっとずっと痛そうな瞳で、私を見る彼の。
 雨色の雪が降ってきました。

     ★

 私は好奇心の塊のように、はしゃいで彼の家の中を見て回りました。
 よく知らない男の人の部屋。
 ヒゲを剃る用の泡の缶。無骨にたたまれてボックスに入れられている
洋服。難しそうな題名の本が並んでいる棚。
 そして。
 大きなピアノ。
「弾けるんですか」
「弾こうか?」
 同時に言って、二人で、ちょっと笑う。
 彼は少ししてから、知らない曲をひきはじめました。
 ふと、ノートと教科書と鉛筆が置いてある机の上に、ポツリとカッター
が乗っているのに気がつきます。
 手に取る。
 ネジをひねり、ゆっくり、刃を、押し出して。
 私のとは違う。とてもキレイで切れ味の良さそうなカッター。
「――それで切っちゃダメだよ」
 彼はいつのまにか私の隣に立って、いて、
「それは僕の専用」
 優しい仕草でカッターを取り上げました。
「君のは新しく買ってあげる」
 やんわりと口で口をふさがれ、理由も聞けないまま、結局。一人で
家路につきながら思う。
 坂道の途中で、ブーツの角を合わせてから。
 ファーストキスというのは、もっと、大事な人とするものなんじゃ
ないの?
 と。



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--Presentation by ko-ka--