店員さんの家は、そのコンビニから歩いて五分もかかりませんでした。
私と店員さんはただただ歩き、彼が
「ここ、」
とマンションを見て言った時には、私の左手は、なぜか、なぜか、
大きな右手の中にすっぽりとおさまっていました。
痛い。
手首が疼く。
鎮めるにはどうすればいいの?
切る以外に、どうすればいいんですか。
私が店員さんを見上げたとき、彼は私の手を離して、離したかわりに
冷たく平らな四角いものを滑り込ませました。
「コレで鍵をあけて、いつきてもいいから」
しずかなこえ。
無表情で。
私は、痛くて。
この痛みをどうにかしたくて。
店員さんの腕をつかみます。眉をよせ、
「カッターもあるから」
私のことなど何でもお見通しで、大人で。
そして私なんかより、ずっとずっと痛そうな瞳で、私を見る彼の。
雨色の雪が降ってきました。
★
私は好奇心の塊のように、はしゃいで彼の家の中を見て回りました。
よく知らない男の人の部屋。
ヒゲを剃る用の泡の缶。無骨にたたまれてボックスに入れられている
洋服。難しそうな題名の本が並んでいる棚。
そして。
大きなピアノ。
「弾けるんですか」
「弾こうか?」
同時に言って、二人で、ちょっと笑う。
彼は少ししてから、知らない曲をひきはじめました。
ふと、ノートと教科書と鉛筆が置いてある机の上に、ポツリとカッター
が乗っているのに気がつきます。
手に取る。
ネジをひねり、ゆっくり、刃を、押し出して。
私のとは違う。とてもキレイで切れ味の良さそうなカッター。
「――それで切っちゃダメだよ」
彼はいつのまにか私の隣に立って、いて、
「それは僕の専用」
優しい仕草でカッターを取り上げました。
「君のは新しく買ってあげる」
やんわりと口で口をふさがれ、理由も聞けないまま、結局。一人で
家路につきながら思う。
坂道の途中で、ブーツの角を合わせてから。
ファーストキスというのは、もっと、大事な人とするものなんじゃ
ないの?
と。
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