≪ウィッチーズ・マスター≫

X−2 忘れる転校生

 加奈子が登校すると、桜田東小学校五年五組の教室は熱気に包まれていた。
 クラスメイトたちは複数人の集団にかたまり、ヒソヒソ話をしている。クラス全体が期待感や高揚感にあふれ、まるで今からサプライズのレクリエーションでもあるのかと加奈子に思わせるほどだった。
「……おはよー…?」
 とりあえず席に近い女子たちに挨拶してランドセルを置くと、早速加奈子を取り囲むように女子が集まった。加奈子の耳にもヒソヒソ話が共有される。
 本日、このクラスに転校生が来るらしい。女子の一人が、昨日まではなかった増えた真新しい机指さした。それを見て、加奈子の中にもワクワクした気持ちが押し寄せてくる。
 チャイムが鳴り、担任の暁先生が教室の扉を開けると、皆は散り散りに自分の席についた。
 いつもは日直の「起立」から一日が始まるはずだが、暁先生は「ちょっと待って」と言い、黒板に文字を書き始めた。しんと静まる教室内に、カツカツとチョークの音が響く。
 甘草由太と書いた暁先生は、パンパンと手を鳴らした。
「みんな〜! 今日は挨拶のまえに、新しいお友達を紹介するわね。甘草くん、入っておいで」
 開かれたままの戸口に、まっしろな手がかけられる。
 ひょこっと顔を出したのは、白い肌に金色の髪、パッチリとした緑の瞳を持つ少年だった。
 予想だにしない外国人の登場に、クラス中が盛り上がる。お祭り騒ぎのような状況は数分間続いた。
 暁先生は皆が落ち着くのを待って、転校生を紹介した。彼の名前は甘草由太くん。海外から来たが、日本語は話せるから普通に会話してほしいこと。親の都合でまたすぐ転校する予定だが仲良くすること。そして、持病のせいで覚えたことをよく忘れるため、サポートが必要なこと。
「みんな、できるかな〜? できないなら他のクラスに移動しますけど〜」
「「「できます!!!」」」
 皆が一斉に手をあげて叫ぶ。
 暁先生は頬に手をそえて、ニッコリと微笑んだ。
「では甘草くん、自己紹介をお願いしますね」
「は……、はいっ」
 少年、甘草由太は甲高い声でこたえた。
「えっと、あの、ボクの名前は……、あ、えっと……」
 由太はちらりと黒板を見てから、前に向き直した。
「アマクサ、ユータです。よろしくお願いします」
 大きな拍手が起こり、由太はペコリとお辞儀をした。だが、そんな中、加奈子は一抹の不安を抱く。
 ――あの子、いま……自分の名前も忘れてた……?
 加奈子の予想通り、転校生の持病とやらは非常に深刻だった。
 まず、トイレや少し廊下に出ただけで、自分のクラスがどこだったかを忘れる。転校して数日は当然だろうと思われたが、一週間たっても同じだった。そして教室の中に入っても、自分の机がどこだったかを忘れる。友達になって楽しく会話していた人の名前を、翌日には忘れる。
 皆、厄介さに気付き始めていた。
 机には名前を掲示するようにしたが、自分の名前も時々忘れる。たまに下校の時間がピークとズレると、玄関の場所を忘れて校内をさ迷う。
 集団で行動している時は忘れていないように見えたが、どうやら、ただ人の波に乗って歩いているだけらしい。
 忘れる頻度は人間関係がダントツで、次に場所、次に自分のこと、その次に勉強や学んだ知識だった。テストで好成績をおさめたぶんだけ、由太に忘れられた「友達」たちは不満をつのらせた。
 暁先生は、由太のことについて話し合う時間を設けてくれた。どうすれば由太も皆も快適に学校生活ができるか何度も意見を出し合った。
 最終的に、皆がローテーションを組み、半日交替で由太のサポートをしようという意見が実行に移された。ここまで由太に対して地味な嫌がらせをした人も、由太に辛辣な言葉を投げつけた人も、サポートの番がくると真っ先に由太に謝ったが、本人はすっかり忘れている様子であった。
 サポートの順番は周り、加奈子の番がやってきた。
 一日の後半サポートは、校門まで一緒に行って左に曲がるまでだ。暁先生によると、由太の住まいは左に曲がって直進すると着くらしい。
 ちょうど加奈子の家も左に曲がるため、自然な流れで一緒に下校する事になった。だが、天気のことを話した後、話題が続かずに加奈子は頭を抱えた。何を忘れていて何を覚えているかが分からないため、クラスの話はできそうもない。かといって、勉強の話などしたくもない。
 しばらく無言で歩いていると、由太は急に加奈子の手を握った。
 ビックリして立ち止った加奈子の目と由太の目が合う。
「あっ……の、今度、ボクの家に遊びに来てよ。約束して。絶対だから」
 急すぎるし、なぜ自分に言うのか、という疑問は、明日にはきっと忘れているという確信にかき消されていく。由太は由太なりに大変なのだと感じ、加奈子は空いているほうの手でランドセルの肩ベルトを握った。
「……その前に、ウチ来なよ。今日お兄ちゃんいるけど」
「!! いいの?!」
「いいよ。お兄ちゃんいるけど」
 手を放す機会を失ったまま二人は歩き続け、交通量が多い大通りにさしかかった。歩行者信号は青で、加奈子は早歩きで渡ろうとした。が、由太が立ち止まったため、手をグッと引かれて加奈子も立ち止った。
「甘草くん?」
 由太を見ると、茫然としたように一点を見つめている。やがて一言
「――危ない」
 と呟いた。
 由太は加奈子の手をグイッと引っ張り、信号を渡らず右に走り始める。加奈子もついていくしかない。次の信号にさしかかったところで、遠くから鋭いブレーキ音。走りながら加奈子は、衝突音と悲鳴をきいた。
 近場の公園まで来たとき、ようやく由太が止まった。
 加奈子が肩で息をしながら
「甘草くん、」
 と言うと、同じく肩で息をしていた少年は加奈子を見て
「誰?」
 と返した。
 直後、繋がれた手を見た由太は、バッと放して後ずさった。
「甘草く……」
「誰!??!」
 おびえたように震えだし、やがて、耐えきれなくなったように涙を浮かべた。まるでこちらが悪者であるかのように。
 踵をかえし、ひとり走り去る由太を見て、泣きたいのはこっちだよと加奈子は思った。

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