≪ウィッチーズ・マスター≫

X−1 託された手紙

 サバラン・サラダコーンは、ボンボンスチューテ城事務局にて引き継ぎ作業をしていた。抹茶色の帽子とスーツを脱ぎ、白いワイシャツの袖をまくって書類整理に奮闘する。一息ついたため、懐中時計を取り出して時刻を確認すると深夜二時を少しまわったところだった。
 ――終わらない。
 カシ様の手紙や博士公爵との会話、チェリィの言葉から行き先は決まったものの、すぐに出立できる訳ではない。
 人間界への滞在期間は毎回五泊と決めている。が、五泊している間にこちらでは一ヵ月が経過する。そのため、それなりの準備が必要だ。
 事務局副長のカスタ・カスタードは、裏人格のネット・カスタードと違い指示された物事しかやらないため、指示のメモを随所に貼る。また、事務局員アメリア・ザッハトルテもそう要領の良いほうではない。いざという時のために、メイド長アローズヒップ・ドイツァイスへの根回し手紙もしたためておく……。
 サバランが第二覚醒後に得た「幽月」と名付けられた魔法は、今まで誰も扱ったことのない特殊なものだった。どの属性にも属さない魔法。しかし、草属性とは違い全ての人間、全ての属性に影響を及ぼすほどではない。あくまで個人の範疇だ。有識者が集められ会議した結果「属性なし」という新しい用語が生まれた。
 それまで使用できていた純血水属性の上位魔法適正は消失し、いま使用できるのは、幽月系魔法のほかには一番低レベルな四属性魔法のみだ。風で紙を数メートル先まで運ぶ魔法、百円ライター程度の炎を出す魔法、水の毒素をそこそこ抜く魔法、石ころを砂にする魔法……。
 最初のうちは、強大な広範囲魔法が使用できなくなった事でいざという時の切り札がなくなったような気がした。しかし、そもそも付き人として召し上げられた当初も、カシ様が簡単に広範囲魔法を連発するのを見て自身の存在意義に悩んだサバランである。魔法での貢献は諦め、秘書業務に徹するようになった。成果としての事務局局長という地位は、彼の精神安定に一役買っている。
 と、事務局の開きっぱなしの扉をコンコンと叩く音がした。
 顔を出したのは、四大候族御目付け役のグリロール・ポトフェルである。いつもの、胸板が見えるような着物ではなく、今日はたっぷりとした白布を肩から斜めにかけ、腰ひもでしばって巻いている。シチュー領の伝統的な服装だ。干し草を編んだンダルをつっかけて入ってきたポトフェルに、サバランは急いで敬服の姿勢をとった。
 挨拶のあと、お茶の用意を始めたサバランをポトフェルは手で制する。
「遠慮する。貴殿以外に聞かれたくないのだ。早めに済ませたい」
 ちらちらと周囲を伺うポトフェルに、サバランは「それでは、」と一旦事務室の扉を閉め、早口で呟き扉を開いた。
 さきほどまで廊下があったそこは、窓のない暗い室内へと繋がっていた。城のどの扉とも紐付けられていない、予備室である。予備室内のキャンドルスタンドに火を灯し、サバランは扉を閉めた。呟き、一旦事務室との接続を切る。
 グリロール・ポトフェルは「感謝する」と一礼し、本題に入った。
「我らが主は、人間界日本国への渡航をご希望だ」
 サバランは驚く。
「人間界に……?? どうしてまた…いえ、領主様の日本フリークは存じ上げておりますが、今まで一度も渡航など」
「いや。文献によれば五百年ほど前に日本へ渡航したと、記録が残っている。時間対価は二百年だったと……。もう渡航はできないと常々言っておられたが、貴殿の魔法に乗っての渡航なら対価は必要ないのではという話があがってな。確認しに来たのだ。可能なら是非とも依頼したい、報酬は如何様にも。と、我らが主は仰っている」
「………」
 サバランは長考した。
 魔法使いたちが倍々に膨れ上がる対価を覚悟して外界に渡航しているなか、唯一サバランだけは渡航の対価が必要ない。
 幽月系譜の魔法の中で一番使うのは、現在居る場所と過去に一度行った場所を扉で繋ぐというものだ。魔法の対価は少量の血と数秒の時間だけで良く、城の扉を全部繋ぎ直しても特にどうという事はない。もちろん、過去に行った日本の場所に繋いでも、対価は同じだ。
 しかし。
 ここで肯定すれば、ゲートの意味がなくなってしまう。
 対価が極端に高いからこそ、外の世界への侵略という発想はなく、内輪の戦争で済んでいた。サバランの魔法を通じて対価なく渡航できると分かれば、あの世界がどうなるか―…想像は容易い。
「……残念ですが、城の扉とは性質が違いますので。対価は必要です」
 サバランは言った。
「それより、なぜ急に日本へ渡航したいなどと? 今まで通り、私がお土産として献上している品々でご満足いただけないのですか」
「己もそう申し上げた。だが一ヵ月ほど前、我らが主は日本の渡航者と相対し、情熱と衝動が――我慢と理性を上回ってしまわれたのだ」
 グリロール・ポトフェルは諦めたようなため息をついた。
「己も軽率な行動をした。サワークから聞いた時は、ただ御前で日本の話をさせれば善かろうと、考えもなく。いまは反省しきりだ」
「盛り上がってしまったものは、仕方がありませんからね。私も一時期は実らぬ恋に身を焦がしたものです。今となってはいい思い出ですが」
 遠くを見たサバランに、ポトフェルは「そうか」とちいさく言い、一歩下がってちいさく礼をした。
「時間をとらせてすまなかった。扉を繋げてくれ。貴殿でも駄目なら、我らが主もようやく諦めてくれるだろう」
 盛大なため息をついたポトフェルに、サバランは一つ提案をした。
「お待ちください。私は数日後に人間界へ……日本に渡航します。その際、もしよろしければの話ですが、手紙を持たせていただけますか?」
「手紙? 誰へ宛てるのだ」
「いえ、誰にも宛てません。しかしながら私たる所以の私にかけて、日本に住む誰かに必ず届けます。上手くいけば、手紙での交流ができるかも知れません。私はこの先も数回日本へ渡航する予定ですから」
「言語が違うだろう」
「チェリィに翻訳してもらいましょう」
「……そう上手くいくとは思わない。が、我らが主の気も、少しは晴れるかも知れないな」
 サバランが、扉をポトフェルの自室へと繋げると、彼は礼を言って退出した。
 事務局に戻り引き継ぎ作業を再開したサバランだったが、数分後、パタパタと足音がしたかと思うとグリロール・ポトフェルが飛び込んできた。息を切らしているその手には、手紙が握られている。
 受け取ったそれを金色のアタッシュケースに入れ、今度こそお茶を用意しながら、彼も大概大変だなとサバランは思った。

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