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着物の男が洋介の背中をぐいっと押す。 バランスをくずしながらも前に出でしまった洋介を、冷たい視線で刺すように。
「聞こえなかったのか? 近くに寄れと仰ったのだ。エンコーダごときが御前にまかり出るなど、本来あってはならぬ事。光栄に思え。我らが主は日本の話をご所望だ。何か話せ」
高圧的な物言いにムッとする洋介だったが、デリーシャフレア・シチューが「グリィ、」とすぐさま窘めた。
「この者は我が招いたも同然の客人よ。丁寧に扱わねば、聞くものも聞けぬ」
それを見て洋介はすこし冷静になる。日本の話というのはつまり――。
「えっ…と、寿司とか……」
うんうんと頷く領主。
「富士山とか……」
うんうんうんと頷く領主。
「忍者とか…」
うんうんうんうんと笑顔で頷く領主。
洋介は理解した。ベッドの上でくつろいでいる砂漠の大富豪のような男は、側近に着物を着せるほど日本に興味があるが、実際日本のことについてあまり知らないのだ、と。
振り返って着物の男を見ると、男は洋介をギロッと睨みつけた。
「早くしろ」
中々の態度である。
それを受けてふと、旅の序盤に聞いた話を思い出した。魔法が使えないエンコーダへの差別、奴隷、理解があるクリーム領の領主、領主を尊敬してのんびりパンを作って暮らしている普通の人々……。この男は何か理由があって怒っているのではない。ただ。
蔑んでいるのだ。
「……やっぱ帰ります」
ペコっと軽く礼をして洋介が部屋を出ようとすると、着物の男はあわてて動き、ドアを塞ぐように立ちはだかった。
デリーシャフレア・シチューが「グリィ、」と強めに言う。
男はコホンと咳払いをした。
「自己紹介が遅れた。己は四大侯族御目付役のグリロール・ポトフェル。同じく目付けの、サワーク・フォカリアからの紹介で貴殿が日本から来たと聞いた。我らが主は、日本について話す対価として相応の褒美を授けようと仰っている」
「ほーん」
洋介は完全に白けきって、グリロール・ポトフェルの開いた襟を両手で掴み引き寄せた。
「なっ?! 何をッ」
「うるせーよ。着物くらいちゃんと着ろ」
襟を合わせようとして、単衣が袴にギッチリ入っていることに気づいた洋介は、袴の紐も解いてズルっと下げる。
「〜〜〜!?!!」
加奈子もこんな風に固まってれば着付けが楽なんだけどな、と思いつつ、熟練の浴衣着付けの腕を存分に発揮した。締めようとしても紐が足りず、室内に垂れ下がっている布を拝借する。袴については着付けの経験がなかったが、まぁたぶんおそらくこうだろうと検討をつけ、なんとか見えるような形に仕上げた。
最後にポンと腰のあたりを叩く。
「ホイ、できあがり」
解放されたグリロール・ポトフェルは、襟を見て肩を見て、横を見てくるりとまわりながら後ろを見ようとし、ちいさく感嘆の息をもらした。
その様子をとっくり眺めていた領主デリーシャフレア・シチューは、突如としてクククと笑い出し、ついにはハハハハと盛大に笑いながらベッドから飛び起きた。
「最高にクールな男だな! 気に入ったぞヨースケ・ササクラ」
ひたり、素足が出されるごとに、シャランと細い音が鳴る。
洋介もそこそこ身長がある方だが、シチュー領を取りまとめる領主のほうが数段上だった。正面までくると、陰になった洋介をぬっと覗き込むように
「この部屋にある物は何でも持って行って構わぬ。それとも、またの渡航の口添えがよいか? ん?」
「いえ、帰ります」
「そう急くな……我が領へ招待しようか。血族同等にもてなそうぞ」
「や、もう帰るんで」
「……ふむ。サムライのように強情な男よ。修行僧のように無欲な男、と言い換えた方が良いかも知れぬ」
デリーシャフレア・シチューは顎に手をあてて次の一手を考えた。
「そもそも何故こちらへ来たのだ? ただの阿呆ではなかろうて」
グリロール・ポトフェルが注釈をつける。
「我らが主は、人間界からわざわざこちらへ来るような愚か者は百年に一人いるかいないかだと仰っている。滞在先がクリーム領でフォカリアによる身元保証がなければ、貴殿は一生戻れなかっただろう、とも仰っている」
一生戻れない、という言葉に、洋介の背筋がぞくっと冷えた。
レモンとピーチが楽しそうに案内してくれたため、案外日本と変わらない、平和な場所だと思っていた。だが、財布を盗まれた事やグリロールによるあからさまな差別の視線。主人と従者であろうとする――階級を意識する態度で、全く別の世界なのだという実感がぞわぞわ押し寄せる。
彼女が桜田に逃げ出してきた理由も、わかる気がした。
『――あたし、初めてちゃんとした……、ちゃんと「一人」として見てもらって、嬉しかった。だから、よければコレ、もらってほしいんだ……』
……まただ。
印象深い、最後の言葉が、緑のペンダントを握らせる。
「ヨースケ・ササクラよ。成すべき事はやり終えたのか? え?」
その言葉に、洋介はバッと顔をあげた。
「何もやってねーよ!! 俺は! チェリィに会いに来たんだ。このまま帰れるかよ! 遠くからでもいい……元気なところを見れれば、アンタに忍者手裏剣をプレゼントしてやる! っ、鶴もつける!!」
――折り紙で十個ぐらい作ってやる!!
と洋介は心の中で叫んだ。
デリーシャフレア・シチューは虚をつかれたように目をまるくし、次いで唇を奇妙にゆがめて「んふ、フ、フフフ」と笑いはじめた。しばらく肩をふるわせて静かに笑い続け、抑えるようにはーっと息を吐きだす。
「のぅグリィよ。どうやら「お嬢様」は外側で面白……んふっ、戦士を見つけてきたようだの。しかしどうして、これはこれは……」
襟を合わせたグリロール・ポトフェルが、再度注釈をつけた。
「我らが主は、こう仰っている。貴殿の言う人物は現在西の地下に幽閉されている。ここまで来たのは褒めてやるが、どうせなら救い出す位の気概を見せろ、と」