≪ウィッチーズ・マスター≫

V−4 クリーム領・春のパン祭り

 飛竜の魔法使いカムウィンドール・クリームが治めるクリーム領。カシ領の南東に位置し、広大な草原地帯には河川が数本流れている。
 放牧や麦畑・果樹園など農業が盛んな理由は、魔法が使えないエンコーダの人口割合が全体の70%を超えるところにあった。人々は魔法に頼らず、植物や羊などとのんびり過ごしている。
 この地には「風竜教」という他の領にはない独自の宗教が広く流布され、人々は竜の存在を信じている。実際に竜を見た人はいないものの、クリーム家は古くから竜の神託を受けるシャーマンとしてこの地で重要な役割をはたしてきた。当代領主の任命日に、晴天にも関わらず竜の鳴き声のような雷鳴が領内に轟いたという逸話は、今でも子供たちの寝物語として語り継がれている。
 領内を南西にくだると、領都ピノークリッシュに入る。
 魔界の中でも近代的な文化発展が目覚ましく、周辺を円環状に結ぶ蒸気機関車鉄道の駅はその象徴ともいえる存在だ。
 佐々倉洋介は駅を見上げ、感嘆の声をあげた。
「スゲー…! 海外っぽい。レンガとか……、東京駅っぽい」
「まぁ、界外ですからね」
 とピーチ。
「海の外じゃなくて、人間界の外って意味の界外ね」
 とレモン。続けて
「ここからは汽車で移動します。五駅目で降りると丁度家に着くんですが、二駅目でいったん降りて、中央の街も散策しましょう。切符買ってきます」
 窓口へと駆けていった。
 ふと洋介が視線をずらすと、駅の横に売店らしきものを見つけた。横長のテーブルの上に山積みされた、数種類の焼き立てパン。寸胴鍋にはオレンジ色のスープが目一杯、ほこほこ湯気をたてている。
 洋介の視線に気づいたピーチが指さした。
「ヨースケさん! 買いましょう。パン祭り第一号のパンです!」
「……パン祭り?」
「ハイ! そういえばもう春ですよ、春!」
 地元に帰ってきたからなのか、やけにハイテンションなピーチに引っ張られ、洋介は売店のオバサンと対峙した。ピーチに言われるまま緑色のコインを財布から選ぶ。
 売店のオバサンは、洋介が差し出した緑色のコイン=1クウと引き換えにパンを渡し
「お兄ちゃん、旅行かい? 丁度いい時期に来たねぇ、楽しんでいきな」
 と、スープもおまけしてくれた。
 コンソメトマトスープのような味である。パンはもちもちとした食感で、中にチーズが入っていた。
 今回、お金は必要ないと高橋憲太に言われていたが、洋介は念のために一万円を持ってきていた。サワーク・フォカリアに換金できるか訊くと、日本円も扱っているとの回答だったため、クリーム領の通貨に換金してもらったのだ。
 だが、為替レートがどうのこうのと言われても洋介にはよく分からなかったため、とりあえず千円を換金してもらった。財布の中身は残り7リルボン49クウである。
 三人は汽車に乗り、ピノークリッシュの中心街にやってきた。
 駅を出ると、まっすぐ大きな通りが続いており、左右にはレンガ造りの店が立ち並ぶ。カラフルな看板が所狭しと並んでおり、そのほとんどにパンの絵が描いてあった。それぞれの店の行列はもとより、通りを歩いている人やオープンテラスでくつろぐ人も多く、遠くからは楽器の音や歌が断続的に響いている。街全体が、焼き立てのパンの香りとお祭りムードに包まれていた。
「スゲー…、なんっつーか、パリっぽい……!!」
 パンという点だけである。
「洋介さん、あっちのベルーナの店で黒麦の丸パンを食べましょう」
「ヨースケさん、そこのシャリゼリゼはジャムパンが一番おいしいです」
 双子が同時に洋介の右手と左手を引っ張った。
「……ベルーナが先です、シンプルな方から食べた方がいいんです」
「……シャリゼリゼは限定品ばっかりだから! スグ売り切れるから!」
 双子が引っ張る力を強める。
「ベルーナ!」
「シャリゼリゼ!」
「いでででで!!! 痛い痛い、分かったから! 両方な、なっ?」
 まるで加奈子が二人いるようだと洋介は思い、近い方から順番にオススメのパン屋をめぐることにした。
 どのパン屋のパンも美味しく、小さなピザのようなパンや紫色の野菜と肉がサンドされた総菜パン。ジャムやチョコなどをはさんだデザートパン。シンプルなパンとスープのセットなどなどを食べていくうちに、さすがの洋介も腹がふくれてきた。
 ちょっと休憩したいと言うと、双子はそろって
「「じゃあ、最後はファルファルにしましょう!!」」
 と洋介の手を引いた。
 双子が言うには、領内でも一番の美味しさで、領外にも名がとどろくほどの超有名店だという。
 駅から続く大通りの終点にある店舗は、意外にもこじんまりとした木造の平屋建てだった。だが、その外には三十ほどのテーブルと百あまりの椅子が置いてあり、思い思いのパンを食べる人々で満席の状態だった。
「あ、店のほうは空いてる。すぐ買えそう」
 とピーチが呟く。
 レモンが見つけてきた席に荷物を置き、三人は期待をふくらませてドアが開け放たれている店内へと入った。
 が。
 すぐに双子は洋介の腕をつかみ二歩下がってドアをバタンと閉めた。
 ――チリン。
 ドアに取り付けられていたベルが鳴る。
「……ど、う、したんだ?」
 洋介がきくと、レモンは
「後にしましょう」
 ピーチは
「先に席でちょっと休みましょう」
 二人はそろって
「「あの方が買い終わるまで待ちましょう」」
 踵をかえした。
 だが、洋介は双子の行動に出遅れ、ファルファルのドアは再度チリンと開けられた。
 開けた人物はカムウィンドール・クリーム。竜の紋章があしらわれた黄緑のジュストコールにライムグリーンのマントを羽織った、クリーム領の領主である。

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