≪ウィッチーズ・マスター≫

V−2 対決の行方は

 中央部の政府機関として日夜稼働しているボンボンスチューテ城は、中庭を取り囲むような三階建ての四角形が基礎となっており、更に外側は濠で囲まれている。なお、この城でいう「一階」は、日本によくある高層ビル約三階ぶんの高さに相当する。城内はどこも天井が高く開放的に造られており、使用人たちは基本的に各階の間にある専用フロアを使い移動する。
 四角形の南面は正面入り口および公的な謁見部屋や事務室、北面は食堂のほか使用人や軍人らの宿舎、西面は資料部屋や何かのための予備部屋、東面は侯族貴族らが登城の際に使う各自室となっており、東面最上階は王族専用のフロアとなっている。
 その東面三階にあるチェリィの部屋で、もはや入り浸っているといっても過言ではない三賢者リッツ・ブリュッセルとともに彼女は午後の紅茶を飲んでいた。
 しかし今日は、いつものしんみりとした空気ではない。
 時折遠くからわっと響く歓声に、チェリィはそわそわと室内に目を配った。
「……中庭かなぁ…」
 思わず漏れ出た呟き。
 その様子を見たリッツは、メイドたち三人に様子を見に行かせた。数分後、小走りで戻ってきたメイドが告げたのは、四大候族御目付役のサワーク・フォカリア様が、中庭で男と運動対決しているらしい、という事だった。そして、暇を持て余した場内勤務の軍人たちが野次馬として激を飛ばし盛り上がっている、とも付け加えた。
 また一人メイドが戻ってきた。サワーク様と対決している男はどうやらエンコーダらしい、と、メイドが言うとリッツは
「へぇ?! エンコーダぁ?!?」
 素っ頓狂な声をあげた。
「ンじゃ純粋な運動対決ってコトかぁ? モノ好きだなぁ〜クリーム領のお目付け役殿は……、そういやこの前の会合のときもポトフェル相手に鍛錬鍛錬、筋肉は裏切らないぞ〜! とか言ってたっけ」
 ひとりごちているリッツをちらりと見つつ、チェリィは紅茶を口に含む。この紅茶も、メイド長オススメの逸品である。同じくオススメのバターサンドクッキーを食べると、中のレーズンが独特の甘い香りを放った。
 と、遠くの歓声がひときわ大きく響く。
「はは〜ん。決着がついたな」
 リッツが扉の向こうを見やると、チェリィもつられて部屋の出入り口に目を向けた。そわそわと落ち着かない仕草。リッツが「ははは」と笑い声をあげた。
「大丈夫だよチェリィちゃん♪ あと五分もしないでメイドちゃんが戻って来るからさっ☆」
 こんな事は、この城では滅多に起こらない。
 カシ様が常に平静沈着であるように、この城も普段は誰も彼もが落ち着いている。たまに出国審査などで出国希望者と事務員がモメたりもするが、城内警備の軍人たちが冷静に対応し、今まで非常事態に発展したことはない。また、裁判などを他の四つの領にまかせているおかげでもあるが、ことカシ領においては大規模な犯罪など起こったためしはない。ここは極めて平和な……、いうなれば、退屈すぎる城なのだ。
 バタバタと足音を響かせ最後のメイドが戻ってきた。非常に興奮した様子で
「かっ、勝ちました!」
 息を切らしながら速報を伝える。
「エンコーダの……ッ、ヨホスケ・サハクラ様がフォカリア様を……! はぁっ…、手を引いて勝ちました!!」
 大げさな身振り手振りを交えて説明するメイドによると、腹筋や背筋の回数対決ではフォカリアに惨敗、短距離ダッシュも僅差で負け、更に腕相撲でも負けたそのエンコーダが提案した次なる対決は「お互いが触れあえるほどの正面に向かい合い、両手のみを駆使して相手を一歩でも動かしたら勝ち」というゲームであった。
 最初は両者、パンパンと両手をぶつけ合って互角なように思えた。さらにはお互いがフェイントをかけあい膠着状態に陥る。そしてサワークが勝負をつけようと渾身の力で手を前に出した瞬間、そのエンコーダはサッと手を引いたのである――! 結果サワーク・フォカリアは勢いのまま前につんのめって足を一歩どころか二・三歩出してしまった。
「それで! 最後にお二人はかた〜〜〜〜〜い握手を交わしまして!! えぇ!! ヨホスケ・サハクラ様は一週間ほどクリーム領に滞在するそうで! その滞在許可の勝負だった模様です」
「へぇ〜♪ 面白い勝負だったんだねぇ。城内で流行るんじゃない?」
「えぇ、もちろんです! 見物にいらした皆様方も、勝負が終わったあとにあちこちで楽しそうに遊び始めまして……」
「面白いなァ〜そのエンコーダ。会ってみたいモンだねぇ。……おっ、どうしたのチェリィちゃん。…チェリィちゃん?」
 リッツがメイドと話している間、チェリィはぽかんと口をあけたまま固まっていた。
「どーしたー? チェリィちゃんってば、おーい」
 リッツがチェリィの前で手をぶんぶんと振る。
「……よ、」
 ようやくチェリィが発したのは
「…スケ……」
 もう何もかもが懐かしい
「ササクラ…、……ヨウスケ?」
 名前。
 チェリィの瞳の奥から、キラキラとした光がとめどなく広がっていく。
 一言。
 呟くだけで。
 こんなにも――。
「っ、チェリィちゃん??!」
 チェリィはガチャンと音を立てて紅茶カップをテーブルに置くと同時に素早く立ち上がった。扉へ向かって駆けだす。メイドたちが開けようとするより早く、自分の手で強く押し放つ。観音開きになったそこをくぐりぬけ、カンカンとヒールを鳴らし、ドレスをふわりふわり揺らし、チェリィは走った。走って走って、中庭がよく見渡せる位置につくと欄干に手をあててバッと大きく身を乗り出した。
 ――ヨウスケ!!
 中庭は閑散としていた。もう、誰もいない。目をこらして木々の間や小道の影をさがすも、鳥すら見つからずましてや、人など。
「危ないチェリィちゃん!!」
 リッツ・ブリュッセルが渾身の力でチェリィを引きずり下ろす。
 誰もいない廊下にペタリと座り込んだ彼女の、漆黒の瞳。
 何も映っていないような虚ろなそれを、彼女はゆっくり閉じ、また、開いた。
 駆け寄ったメイドの手を振り払い、チェリィ・ソフトクリームは静かに立ち上がる。

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