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桜田の街に佇む、夜の佐々倉家。
しんと静まり返った玄関がガチャリと開き、佐々倉洋介が帰宅した。
「ただい……、暗ッ?! ただいまー。加奈子ー?」
靴を脱いでリビングに入った洋介はパチリと電気を点る。テーブルの上の置手紙と菓子箱を見ると、荷物をドサリと降ろした。
置手紙は、特徴的な加奈子の字。
「おばさん家でおとまり会する、そっちはフジちゃんのおみやげだって、加奈子……ふーん」
こっちもお土産あるんだよなぁと洋介は思った。
あの後、デリーシャフレア・シチューは折り鶴もいたく気に入り、本当に部屋のものは何でも持って行っていいと洋介に言った。そこで、加奈子へのお土産として、変なお菓子・変な線香・変な象っぽい像を遠慮なくいただいたのだ。また、野球用のバッグの中には、双子からのお土産の硬いパンケーキ・硬いクッキー・クリーム領特産の硬い石鹸・謎のポプリが入っている。
とりあえず全部机の上に出し、着替えは洗濯機の中へ放り込んだ。
財布は……もう二度と戻ってこないため、ポケットの九千円はリビングの小物入れに雑に突っ込む。
こんなところに入れておいても、誰も盗らない。盗るはずもない。
「やべぇじゃん、ジャパン……」
洋介は一人でニヤニヤ笑った。
リモコンでテレビをつける。ジャパンである。
トイレのウオッシュレット。ジャパンである。
叔母さんに電話。もう何もかもがジャパンである。
呼び出し音のあと、洋介の耳に最大音量の『おにーちゃんおかえりぃーーーー!!!!』が突き抜けた。
「うるせぇ!! てか、叔母さんは、」
『いまお風呂。……え〜っとぉ、お兄ちゃん♪ 野球部員とのお泊り会、楽しかったぁ〜?』
加奈子がわざとらしく言った。裏口は合わせておくに限る。
「わりと。フジムネは?」
『いるよー、かわるー』
少しの間のあと、いとこが電話に出た。
『……もしもし?』
「お土産サンキュー。どこ行ってきたの? あ、もしかして最後の遠足? 俺も行ったなー…。そういや志望校は決まった? ウチ? 南?」
電話の向こうのいとこは中学三年生。過去に洋介が通った桜田東中に在籍しており、受験前の最後の遠足は洋介も経験済みである。
『……あ、……えっと…』
遠慮がちな少女の声。
『うん、最後の遠足……。あの…洋介にぃ。相談…とか……いい?』
「ん? 志望のこと? いいよいいよー。役に立たねぇと思うけど」
来週にでも家に来ればいいと洋介は請け負い、叔母さんによろしく言っておいてと電話を切った。
受験……。
本当の本当にジャパンである。
部屋へと行き、久々に自分のベッドへダイブすると、グリロール・ポトフェルの言葉がふっと思い出された。
――我らが主は、こう仰っている――どうせなら救い出す位の気概を見せろ、と――。
あそこで洋介が知ったのは、チェリィは戻りたくて戻ったわけではないという自分の考えが正解だった事。そして、自分が思いのほかヘタレだった事の二点だ。
彼女と対峙したとき。
何も言えなかった。
俺と来てくれ、一緒に日本に行こう、また誰も来ない店で、テキトーな話をしよう。
そう、言えたら。
言えたら――、どうなった?
洋介はゴロゴロと何度も寝返りをうち、やがて全然眠くないことに気づいた。それもそのはず。向こうで渡航専用の扉を開けたのは午後三時頃だったが、それをくぐるといきなり夜の佐々倉家に着いたのだ。心は疲れているが、体はまだまだ活動時間である。
「……時差ボケって、こんな感じか…」
外交官である父親・佐々倉大介も、出張帰りにはいつも時差ボケに苦労していた。その様子を思い出し、明日は眠気との闘いだなと洋介は思った。
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万年雪が支配する山岳地帯の尾根で、防寒具に身を包んだホットミル・フランラは立ち止まった。地図を広げ、方角を確認する。今日は幸いにも晴天で、眼下に点在している村が見えた。
この山岳地帯は裾野までペッパー領だ。ここの雪どけ水からはじまる川は、大きくうねってクリーム領に豊穣をもたらし、最後にはブラックファスト領の巨大湖――水上都市モーニンミルキーまで流れ出る。
情報に間違いがなければ、ここにペッパー家のお目付け役クルミン・スパイシアが住んでいるはずだ。ホットミルは向こうの洞窟だと確信した。
始まりの魔女、火炎の魔女、古き火の源、古典時代の生き証人、ギャドロヴォ殺し……、彼女の二つ名は枚挙にいとまがない。
山の神、冬の魔物ギャドロヴォを殺してこの地に安寧をもたらした彼女は、本来であればこの土地を仕切る役目にあった。が、それをペッパー家に譲り、長い間「お目付け役」という名のもと隠遁生活を送っている。城での会合には水晶玉越しの映像で参加し、気分によっては呼び掛けても出てこない。
たどりついた洞窟にホットミルが足をふみ入れた瞬間、等間隔に配置された蝋燭が奥まで一斉に点火した。炎に従い歩いていき、行き止まりにある木の扉を開ける――。石造りの暖炉。ロッキングチェア。書棚には古今東西の本がぎっしり詰まっており、その隣には大きな壺が数個。編み物を机に置き、ロッキングチェアに座りなおした女性こそクルミン・スパイシアに間違いなかった。
ホットミルを見ると、伝統的な三角帽子で顔を隠し
「おォ〜嫌だ。水の臭いがする、汚らしい。あァ嫌だ嫌だ、帰っておくれ」
シッシッと手で追い払う。
ホットミルは聞かなかった事にして、膝を折り敬服の姿勢をとった。
「元老院長老ローレルカンバキュ・バジリカレールより、耳寄りな情報をお届けに参上しました。不可侵条約締結にてカシ領付きとなられた後も、長老の御心はペッパー領のものだと……」
「はァ〜↓あァ〜↑??! うるッさいね、帰れ!!」
……手ごわすぎるだろうリッツ、と、ホットミルは同僚を恨んだ。