![]() ![]() |
![]() |
「ねっ……ねこの! くろつき……くんっ!」
声に気付いた少年。道路をはさんで対峙する少女。
車が一台、ブオンと過ぎた。
続く言葉が見つからず、加奈子は焦りつつも叫ぶ。
「あ、っ……。あのさぁ! あのっ、ちょ、ちょっと! あの、えっと、」
「ちょっと待ってろ、行くから」
猫野黒月は通りの信号を指差すと、ランドセルの肩ベルトを両手でつかんだ。半ズボンから伸びる細い足が歩きだすと、上手い具合に信号がパッと変わった。
一分とたたずに加奈子のもとへとたどり着く。
少年は、数回大きく息を整えると首に手をまわし、肩まで伸びた黒髪をさっと梳いた。
「何の用……の、前に、別な場所に移動しないか? クラスの奴らに見られたくないし」
「あっそっ! じゃ、高校に行こっ!」
「は?」
「だーかーら、高校! 桜田東高校っ!」
「はぁ? 何で、」
まったく乗り気ではない黒月の耳元で、加奈子は声のトーンを一段低くした。
「――魔法使いがいるの」
黒月はハッと顔をあげ、加奈子に目を合わせる。と、次の瞬間高く飛び退き、着地と同時にサッと周囲を見渡した。無言の数秒。猫野黒月はヒザを浅く曲げ、両手を開いたまま脇に構えた。
警戒と疑惑の視線が加奈子を包み込む。
「あっ、ちがうのっ! お兄ちゃんから聞いたの! 公園の子がウチに来て……だから! ちがうのっ!!」
手をブンブン振り回しながら弁明する少女。
黒月は大きくため息をつき、警戒を解いた。
「わかったからヤメロ、うるさいよお前」
「うるさくないっ!」
「うるさい」
「うるさくなーいーっだ!!」
「う、る、さい! ……チッ」
少年は、苦々しげに舌打ちをした。
腕を組み、しばらく歩道のタイルを見つめ、考え込む。加奈子が声をかけようか迷っていると、猫野黒月はゆっくりと顔をあげた。
細い睫毛に縁取られた、深い夜空のような瞳がまたたく。
「ササクラヨウスケは、東高に通ってるのか」
「え、……うん」
「ゼルフラッペ家の息子が関わってるんだな?」
怜悧な響きに気圧されつつ加奈子が頷く。と、少年はクルリと加奈子に背を向けた。走り出す。桜田東高校へ向かう道を。
加奈子はあわてて自分の自転車にまたがり、猫野黒月を追いはじめた。少年は猫のように素早く、ペダルを漕ぎだしても中々追いつけない。しなやかに歩道を蹴る足は、淡々とリズムを紡いで続いていく。信号は、待ち構えていたように次々と青に変わり、桜田東高校へ着くまで、一度たりとも赤にならなかった。
「ちょ……まっ…、はやいっ……」
高校の正門前で、佐々倉加奈子は息を切らしながら自転車を降りた。猫野黒月は汗ひとつかいておらず、門の横から静かに校内を観察している。
「――で?」
「……へ?」
「どうやって入るんだよ」
「え……? 歩いて入ればいいじゃん。ってか、ちょっと待って。まだゼーゼーしてる」
加奈子は大きく深呼吸した。数回くり返すと、またもや暁先生の言葉が脳裏に浮かんできた。
『――加奈子ちゃん、もっと先のことを考えてから行動するのよ?』
「あ……。もしかして、中に入るのって理由とか必要……?」
「必要」
「お兄ちゃんに会いに来た、とか……」
「ガキかよ」
「お母さんが危篤でぇ〜…とか……」
「すぐバレるぞ」
「あっ、でも、野球部のグラウンドは外から見れると思う!」
正門を通りすぎ、しばらく道路沿いに歩く。
柵をはさみつつも、敷地内の景色は変化していった。職員駐車場、高校の本館、体育館と思しき巨大な建物、いくつかのプレハブ小屋。そしてグラウンド。二人は立ち止まり、しばらく柵ごしに眺めた。が。いくらグラウンドに目をこらしてみても、活動しているのはサッカー部と陸上部。そしてテニス部だけであった。野球部が見当たらない。
猫野黒月は「やれやれ」と言いたげに首をふり、肩をすくめた。
「いねーじゃん、野球部」
「おっかしいなぁー…、今日は部活やってる日だったハズだけどー…」
と、その時。
グラウンド横のプレハブ小屋から、見知った顔が出てきた。
「あっ! デブ!! ねぇ、あの人知ってる。お兄ちゃんの後輩!」
小太りの男はバットとグローブを両手に抱え、正門の方向へと歩き出した。走って正門前まで戻る加奈子と黒月。門の前で待っていると、男は自転車を押して出てきた。カゴの中にはグローブと、なんとかバランスを保っているバットが揺れていた。
加奈子が声をかけると、男……北条院倉之助はビックリしつつも加奈子の事を思い出した。
「佐々倉先輩に会いに来たの? あぁ、そうか。野球部はねぇ、高校のグラウンドじゃなくて市営球場でいつも練習してるんだよ。すぐそこのね。一緒に行く?」
「行きますっ!」
元気よく返事をした加奈子は、ハッと気づいて黒月を見る。少年は、首をちいさく横にふった。魔法使いではない、という合図に。
北条院倉之助の案内で、市営球場へと着く。
「佐々倉せんぱーい、妹さんが来てますよぉー…」
大声で球場内に入っていく倉之助をよそに、加奈子と黒月はスタンドの陰からこっそり野球部メンバーを観察した。今は皆集まり、談笑している。
「……いた?」
加奈子が黒月を見ると、少年は
「いた……、でも」
理解できないといった様子で、眉間にシワをよせる。
「あいつ、顔を見た事がある……メロン・ゼルフラッペだ。でも何で――、何で……あんなに楽しそうなんだ…??」