≪ウィッチーズ・マスター≫

U−7 カナコがめぐる冒険(前編)

「…チェリィ……」
 午後八時を過ぎた佐々倉家に、そっと落ちた呟き。
 洋介は、勉強机の上に開きっぱなしの辞書とコピー用紙の束を見つめため息をついた。
 両親の不在時に家事を手助けしにくる叔母・高遠四ノ二も帰り、広い一軒家には洋介と加奈子しかいない。
 下の階からトントンと、階段をのぼる足音。
 控えめなノックの音。
 洋介の部屋に入ってきたのは、もちろん妹の加奈子だった。慣れた足取りで部屋の奥へと進み、本棚の少年漫画を取る。
 ごろんとベッドに寝転んだ妹を一瞥し、洋介は勉強机に向きなおった。英和辞書をめくってはみるものの、メロン・ゼルフラッペの日記の前半は全て筆記体で書かれている。野球ばかりで勉強そっちのけだった洋介にとって、単語を解読するのも一苦労だ。
 無言の数分。
 しかし、気まずくはない。
 兄妹という何よりの証拠であった。
「……お兄ちゃん」
「んー…?」
「そろそろさぁ、なんか言うコトないの?」
 加奈子の声に違和感をおぼえ、洋介は椅子を回転させた。見ると妹は、漫画など、読んではいない。体育座りでじっと兄を観察している。
 いつもの加奈子であれば、そんな事は喋らない。勝手に机の上を覗いたあげく、コピー用紙を取り上げ朗読しはじめるまでがパターンだ。
 妹にしては、最上級の譲歩。
 いや。最上級の不機嫌表明。
 洋介は更に椅子を回転させ、加奈子に向きなおった。
 ちいさな妹は続ける。
「だいたいさぁ、怪しすぎ。あの外国人の双子の、なに? あれ。協力ってさ。もうこの際お兄ちゃんがロリコンっていうのは置いといてあげるから、全部話してくんない? なんかヤバい事になってんじゃないの??」
「………」
 加奈子の心配も最もだが、洋介には説明できる自信がなかった。
 魔法使い――。
 説明したところで、頭がおかしいと罵られるのがオチだ。そして、頭を診てもらうために総合病院へ連れていかれるだろう。看護士をしている叔母さんにバレたら最後、両親にもバレる。最悪のシナリオだ。
「ちょっと、お兄ちゃんってば!! もしかして、叔母さんに言いつけるとか思ってない?! ンなことするワケないじゃん! とにかく話してよ話してってば!!」
「あーわかったわかった!!」
 結局、加奈子にイチから説明するため、洋介ノートに線を一本引いた。時間軸をつくり、今までの出来事を端的に書いていく。
 五年以上前の魔界……彼女が人間界に逃亡&双子の少年の兄が失踪。
 先月の人間界……甲子園の予選敗退、喫茶店を見つける、謎の男が手紙を持ってくる、魔法使いという告白、彼女が消えて喫茶店も消える。
 今月の人間界……双子の少年が現れる、失踪の兄を探す依頼、野球部の後輩がそうじゃないかという疑惑が持ち上がる。
 ノートを見た妹の反応は、洋介の想像したそれとは大分違っていた。
「フーン」
「ふーんって……。お前、ユメがねえな」
「ハッ! ユメって! お母さんじゃないんだから。ユメなんか追うより公務員になって堅実に生きていくの!」
「そういうユメじゃねーよ」
「同じでしょ。ユメはユメ! ファンタジーだって現実にないじゃん」
 洋介と加奈子の母親・佐々倉叶は、有名なバレエ団のプリマドンナだ。今は海外公演のために出張中である。
 ちなみに父親の佐々倉大介はというと、外務省のエリート官僚。現在は公務のため海外出張中である。
「まー、ヒマだし。ユメの話に付き合ってあげてもいーよ。とりあえず、その後輩が魔法使いかどうか分かればいいんでしょ」
「なんでそんな上から目線なんだよ……」
「んで、確かめるにしても、あの外人双子には会わせらんないんでしょ?」
「まぁな……」
「魔法使い同士は、魔法使いって分かるんでしょ?」
「らしいな。確証はないけどな……」
「じゃあ、アイツしかいないじゃん」
「……アイツ?」
「ねこのくろつき」



 翌日、加奈子は自転車で学校に行った。
 桜田東小学校の裏庭には畑があり、各学年それぞれ野菜や米などを授業で作っている。5年生のカボチャゾーンに自転車を倒して置き、巨大なツルと葉を引きずってかぶせた。
 掃除時間終了のチャイムが鳴っても、しばらくは動かない方がいいと判断した加奈子は、玄関に向かう同級生たちの波をかいくぐり職員室へと直行した。
 担任の暁先生や暇していた教頭先生とだらだら無駄なお喋りをし、頃合いを見計らって裏庭から自転車を引っ張り出す。
 周囲に人気がない事をたしかめると、足をかけ、全速力で県道へ飛び出した。
 向かうは桜田中央小学校。加奈子の計算では、20分もあれば着く予定だった。さくっと商店街を通り抜ける。桜田東小学校は、この商店街までが学区だ。ここから先へは、子供だけで行ってはいけないとされている。が、これもお兄ちゃんのため。素知らぬ顔で交番を通り過ぎ、警察に声をかけられなかった事にホッとする。
 県道を真っ直ぐつき進むと、左手に目的の校舎が見えてきた。
 校門の前で待ち伏せるのはさすがに恥ずかしいため、加奈子は、道路をはさんだ反対側に自転車をとめ、息をととのえた。
 だんだん冷静になってきた頭で、ようやく無謀な作戦だと気付く。
 ――しまった。あたし、こっから先なんにも考えてない……。
 直接学校に乗り込むか、それとも、5時近くまでここで見張っているか……、いや、もしかしたらもう下校してしまったかも知れない。下校済みの可能性に、加奈子ははじめて辿り着いた。
 コンクールで単独行動した時、暁先生に言われた言葉が頭を通り過ぎる。
『――加奈子ちゃん、もっと先のことを考えてから行動するのよ?』
 無駄足だったか、と、唇を噛んだ矢先、見知った顔が校門から出てきた。
 思わず叫ぶ。

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