≪ウィッチーズ・マスター≫

T−4 黒猫の憂鬱に雨が

 違うよと、悲しそうに言った彼女の声が頭から離れない。
「……ちゃん…」
 あのあと、走り出したい気持を抑えて、はにかんだ作り笑いを浮かべながら後ずさりをした俺を、彼女は許してくれるのだろうか?
「お…ちゃん……てば」
 店を出たトキも、ずっとうつむいたまま、一度もこちらを見ないままだった。一体、どんな顔をしていたのだろう。
「お兄ちゃんってば……」
 どんな顔で、泣いて
「お兄ちゃん!!」
「俺はロリコンじゃねぇー!!!」
「何言ってんの?!」
 ――ドカッ☆
 ジャージを着てハエタタキを携えた小学生、もとい洋介の妹・加奈子は頭をかかえて立ち上がった兄に、華麗な飛び膝蹴りをかました。
「あたしの話、ちゃんと聞いてよ!」
「いってー…、なんで俺が」
 ぶつくさと文句を言っている洋介をよそに、加奈子はテーブルの上に置いたままのコンビニの袋から、アップルジュースを取り出した。
「お。俺にも」
「その前にテレビ消してよ。見てないなら電気代のムダでしょ」
「……ハイハイ、お嬢様」
 対になって置かれているリビングソファから立ち上がりもせず、洋介はピッとリモコンのボタンを押した。窓際のテレビは黒く静まりかえり、隣の家から夕飯時の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
 洋介と加奈子の両親は、それぞれに忙しく滅多に家に帰ってこない。いくら洋介が、そこそこ料理ができるとしても、たまには休みたくなる。
 と、いうワケで、本日の夕飯はコンビニ弁当だ。
「じゃぁ、あたしの話聞いてね。お兄ちゃん」
 テーブルの上に並べられた弁当とジュースを前に、割り箸をパキリとしながら妹を見る。
「あのね、今日音楽発表会だったでしょ……」
 加奈子は憂鬱そうな声で話し始めた。



 桜田中央小学校で開催された、市内小学校音楽発表会。加奈子は、桜田東小の代表として参加するため、マイクロバスに乗って中央小まで。
 が。
 ズボラな担任のおかげで、予定より早く会場に着いてしまったコトが発覚。
 音楽発表会と書かれてある看板はあるものの、校内はひっそりとしていて、廊下には誰一人居ない。
「みんなゴメンねェ〜。早く着いちゃったみたいなんだけど……」
 担任の暁先生は、困惑した表情を浮かべながら言った。
「まだ授業中みたいだから、静かにしてね〜。先生はチョット職員室に行ってくるから、皆ココで待ってるんだよ〜。返事は?」
「「「はぁーい」」」
「よし! じゃぁ、先生行ってくるねェ〜」
 生徒を信頼して職員室に行ってしまった先生の影が見えなくなると、加奈子はこっそり集団を離れて、一人、校内散策を始めた。
 発表会の時間や場所は頭に入っているし、まぁ、迷わないだろうと気楽に思っての行動である。
「うわ……広っ…」
 最近建て替えたばかりの校舎は、東小など足元に及ばないほど、光輝いていた。
 加奈子は、白く長い廊下を、静かに歩き続ける。
 時々、授業の声が聞こえてくる。
 中庭には、学年ごとの小さな畑。この教室は理科室。こっちは家庭科室。技術室、音楽室、トイレ……。
 何回か角を曲がり、加奈子はため息をついた。
「ココに比べてウチの校舎といったら、本ッ当、ボロいんだもん」
 木造二階建ての築七十年。
 桜田市内でもレアなボロさだ。
 こんな真新しい壁見せ付けられたら、歌う前に、すでに負け決定じゃんと、天井に描かれてある幾何学的な模様を見て歩いていると、いつの間にか、目の前には「立ち入り禁止」のカンバンが置かれていて。
 奥には、黒い扉が見える。
 何だろう?
「あ、時間ー…」
 加奈子は、はっと気づいて腕時計を見た。時間はまだたっぷりある。
「行こうット」
 ポン。
 一歩踏み出した瞬間、加奈子の肩に誰かの手が。
「え?」
「ナニやってんの?」
「ぅわ?!」
 振り向くと見知らぬ女のコ。笑った。
 と。
「口止め料ね」
 彼女の手には、加奈子のポケットに入っていた飴ー…いつの間に?
「アンタ、誰? 女?」
 おそるおそる聞くと、彼女は「男」と言って、視線をそらした。
 スカートに見えたのは、ダボダボの七分丈ズボンで。黒い髪の毛は首の中ほどまで伸び、つりあがった瞳は、黒くくすんだ青色に染まっている。見ようによっては、女のコに見えなくもない。
「ソコは入っちゃイケナイよ。まだちょっと工事中なんだ」
「……自分のコトは自分で決めるの。名前も知らない奴に、指図される覚えなんかない」
 大きな瞳が、ピクッと動いた。
 しばらく緊張した空気が流れたが、少年は目をそらして飴の袋をやぶいた。窓の外を見ながら、彼は飴を口の中へ運ぶ。
「?! んーッ! 辛っ!!」
「ぷ……ッ、バっカじゃない? それ、韓国風キムチ飴。甘辛党のアタシでも食えない位辛いヤツだよ」
 少年は窓を空け、勢いよく飴を投げた。
 それと同時に雨が天からこぼれはじめ、すぐにさあっと音がなる。
「ボクの名前はネコノクロツキ」
 雨の音が、二人を包む。

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