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紫色だった空は、いつのまにやら濃紺のカーテンが飾られている。
「あたしの名前はチェリィ。チェリィ・ソフトクリームだよ。ココの店のマスター…兼、ウェイトレスってトコかな。ま・入って入って! お店誰もいないカラ」
やっぱり誰も居ないんじゃん。と言いそうになった洋介は、あわてて
「おじゃましますっ」
と、店内に足を踏み入れた。
……遅くなると加奈子に怒られるな…。
そう思いながら、ぐるりと辺りを見回す。
まず目に付くのは、奥に飾ってある長剣のレプリカだ。年季が入っていて、所々変色しているのが本物っぽい。
その次に、壁に掛けてある絵画。貴族のような服をまとった男が、気怠そうに外を見ている絵だ。色はセピアで、紋章の部分だけ濃い赤。
それから、外で見たとおりの黒いイス、黒いテーブル、黒いカウンターを順繰りに眺め、彼は思った。
何か足りない……。
洋介がカウンター席に座ると、彼女はニコニコと黒いコーヒーカップをテーブルに置いた。
――コト。
「ドウゾ! コーヒーだよ」
あきらかに異質な臭いのそれと数分対峙し、洋介は覚悟を決めて飲み干した。
「まずっ」
「〜っ!!!!!!」
彼女は思いっきりショックを受けていたが、どう考えても味がおかしくて飲めた代物ではない。
「そういえば、メニューは?」
足りないモノに気づいた洋介は、とりあえず聞いてみた。
「あ、何か食べるの? えー…っと、あれ?」
少女ー…チェリィは、テーブルを見渡してから棚の中を探し始め、ひとしきり首をかしげた後、頭のうしろに手をあて、笑った。
「メニュー作ってなかった〜♪ あははっ」
客が入らないわけだ。
呆れた洋介は、ガタっと音を立ててイスから立ち上がり、グローブとスパイクの入ったズポーツバッグをかついだ。
「あのなぁ、メニューがなきゃ店やっていけないだろ? しかもお前、初対面の客にいきなりタメ口きいてそうだし」
「うん? 敬語じゃないとダメなの?」
チェリィが不思議そうに聞くと、彼はドアに向かって歩き始めた。
「帰る」
「えっ? ちょっ、まってよぉ!」
彼女はあわてて洋介の裾をつかんだ。
「お店ダメにしたら、あたしまか……」
「まか?」
「いやっ、また実家に帰らなきゃいけなくて……っだからお願い! 敬語使うから助けて!! ここでバイトするとかどう?!」
「………あのさぁ」
洋介はドアを開け、瞬間、冷たい空気が店の中に入ってきた。
「人に頼んでねぇで自分で考えたら? そんななりでも、マスターなんだろ? 甘いキモチで店なんかやってんじゃねーよ」
――カララァン。
洋介は振り向きもせずに、電燈の合間に潜む闇へと走り出した。
チェリィはふてくされたような顔で、喫茶店の外に出て足音を聞き、それからふっと後ろに手をまわすー…と。
「あいつ、誰?」
どこからともなく、一匹の黒猫が手を伝いチェリィの肩に飛び乗った。
猫は、よほど慣れているらしく、バランスを保ちながらチェリィの頬に顔を寄せる。
「………」
チェリィは無言で、足音の聞こえなくなった路地を眺めていて。
彼女が無反応だと、黒猫は機嫌が悪くなるらしい。猫は、肩から緩慢な動作でかがみ、一瞬で開いたドアの上に飛んだ。
「タオル敷いてくれなきゃ、ドロの付いた足で店の中を闊歩してやる」
猫は光る瞳を大きく開き、長い尻尾をピンとたてた。
チェリィはまだ視線をずらさない。
空の上では風が走り始めたらしく、月が雲の陰から飛び出した。
「……ねぇクロッキ」
「何?」
「あたし、怒られちゃったぁ」
「は? なんで?」
「なんか……カクゴが足りないって」
クロッキと呼ばれた黒猫は、しばらく考えたあと、
「フン。青くせぇガキじゃん」
月を見上げた。
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それで結局家に帰ってきた洋介だが、妹の加奈子に何回ハエタタキで叩かれたことか。
この涼しさでハエが少なくなってきて、活躍の場を失ったハエタタキは、今や加奈子の最強武器と化しているのだ。
洋介と加奈子の両親は、どちらも仕事で滅多に家に帰ってこない。当番を決め、部屋の掃除や洗濯は加奈子が。毎日の料理や風呂掃除は洋介がやっている。
「お腹すいたから自分で作っちゃったじゃない! バ〜カ!」
加奈子はまだ小学五年生。目玉焼きをぐちゃぐちゃにした挙句に、フライパンに焦げつかせるようなお年頃だ。
洋介は荷物を置いて、台所に立った。
「わかったからハエタタキで叩くのはやめろ。あーぁ、フライパンに卵が……」
「帰ってこないお兄ちゃんが悪いの。あたしは悪くないもーん」
「ハイハイ」
フライパンを洗いつつ、あの奇妙な少女を思い出していると
「なんで今日は遅くなったの?」
と、加奈子。
「あぁ、バイトの勧誘に引っかかってさ」
まさか、自分から喫茶店に入るような墓穴ほったくせに、少女にキツい一言を放ち帰って帰ってきたとは言えない。
冷静に考えてみて、とりあえず明日にでもまた行ってみようと思う洋介であった。