≪ウィッチーズ・マスター≫

I−1 佐々倉くんと喫茶店

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 夕暮れのグラウンドは、いつもより眩しかった。
「練習終わり! 各自グラウンドの整備、あとマネージャー! 佳乃こっちにー……」
 少年は手を高く挙げ、ベンチブースにいるマネージャーを呼んだ。
 五分刈りから少し伸びたツンツンの髪。マメのできた土まみれの手。タレ目で優しそうな瞳はただの見せ掛けで、登板になるとデッドボールすれすれの攻撃的なピッチングをみせる。
 佐々倉洋介は、桜田東高校硬式野球部キャプテンとして、この一年間皆と一緒に戦ってきた。先輩たちの夢でもある甲子園に皆を連れて行きたかったが、その夢は惜しくも「県内予選敗退」という結果に終わった。
 三年生はこれで引退。
 洋介は、キャプテン最後の日を、この市営球場で終わらせたくはなかったのに……。
「はいは〜い!」
 マネージャーが、タオルを片手に走ってくる。その様子を見て、ふいに彼は、自分のカラダにポッカリと、大きな穴が空いているような気がした。
 あぁ、自分の役目も、これで終わりなんだ、と。
「佐々倉センパイ、タオルど〜ぞ!」
「ん、サンキュー佳乃、今までご苦労様。これからもチョクチョク来るから、練習をよく見てやってくれ。俺の後任は倉之助だから」
「はいっ! 来年こそは甲子園行けるように、ユニフォームをキチンと洗っておきますね」
 ビッと人差し指をたてた佳乃に、洋介は優しく笑いかける。
「ガンバレよ、紅一点」
「は……はいっ! キャプテンもシューカツ、頑張って下さいね!」
「おう、まかしとけ。……じゃあな、俺帰るわ」
「はい! 佐々倉先輩、お元気で!」
 泣きたいのに、涙も出ない。朱色の光を背に、土の匂い。青いベンチ。愛用していたグローブを持ち、洋介はゆっくりと歩き出した。



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 ……あれ、こんな所に喫茶店あったっけ?
 放課後の市営球場から帰る道は、いつも決まって商店街の裏路地だ。
 見慣れたハズの薄暗い景色の中に、あたかも「昔からあるように」佇んでいる、知らない喫茶店。思わず足をとめた夕暮れの道には、人っ子一人居ない。
 所々にツタがからまり、異国情緒をかもしだしている黒の壁。鏡のように磨かれた黒のドア。制服を着て、今にも消えてしまいそうな表情をした少年が、首をかしげながら立っている。それは紛れもなく、佐々倉洋介という自分の姿だ。
 上を見上げると、木で作られた看板が目についた。
 ヘタくそな黒犬の絵と、大きすぎる三日月の中に描かれた文字。
 洋介は、思わず声に出して読んだ。
「キッサ、クロ・ツキ・ネコ」
 奇妙な名前―…
「……ん、」
 ん??
 名前がクロ・ツキ・ネコって事は、その下手な犬は……犬じゃなくて猫かよっ! すっげー下手な絵。まさか猫が描いてたりしてー…。
「ぉお客さんッ!!」
「へ?」
 カララァンッ。
 いきなりの大声とともにドアが勢いよく放たれた。
 出てきたのは、頬をふくらませた女の子だった。白い肌以外、全身黒づくめの少女。髪の毛や瞳はもちろん、フリフリのついたスカートもリボンで飾られたエプロンも黒。爪も黒いしピアスも黒い。靴も、手に持っている箒もすべて、黒だ。
 仁王立ちをして洋介を睨んでいる。
 何だか奇妙な世界に入りこんでしまったような気がして洋介は口をポカーンとあけて少女を見た。
「そんなトコに立ってたら、コチトラ商売あがったりなんですケドォ。早くどいてくれまセンかぁ?」
「…………、ほぁ?」
 想像していたより声が甲高く、洋介は一瞬、言葉がよく理解できなかった。否、言いたい事はその登場の仕方で十分わかっている。つまり、邪魔だからココを退けと言っているのだ。
 けれど、彼女の後から見える店内には人が一人も居ない。あるのはホコリが溜まってそうな黒い椅子と、黒いテーブルと、黒いコーヒーカップが置いてある黒いカウンターだけで。
 かろうじて白だと思われる壁は、オレンジ色の光でくすんで見える。まるで何十年も時間が止まったかのような内装だ。
「……客入ってねえのに、商売あがったり?」
 口をついて出たのは、純粋な疑問だった。
 彼女はますます眉をつりあげ、無言で洋介を見やる。
 ――客が入らないからって、俺に八つ当たりでもしてんのか?
 こう、あまりにも敵意をむき出しにされると、さすがの洋介でもムッとするものである。
「なンだよ。客商売のくせに、客にケンカ売る気かよ」
 吐き出すように言い放つと、少女は「うっ」とひるんだ。徐々に頬が赤くなる。涙目で、悔しそうなうなり声をあげると、
「フンっ、何よ。愛想悪くたって、お客サンなら沢山来てくれるもん」
 箒をドアに立てかけて腕組みをした。客がたくさんって……絶っ対ウソだな。
「あ、今ウソッて思ったな! 違うもんっ本当だもん! 何よぉ〜…こっち見るな!!」
「……ぷっ」
 彼女の、あまりにベタな反応に、洋介は笑い出した。
「お前、わかりやす……っはは」
「わっ笑うなッ…笑うなってば! 人の作った看板に、散々ケチ付けたクセに〜!!」
「あぁ、その看板、お前が書いたの? 下手すぎ! 俺が描いてやった方がまだマシ……」
 そこまで言いかけて、洋介は自分がとんでもない事を言ってしまったという失敗に気づいた。さっきまで怒っていた少女の顔が、輝く。
「えっ、描いてくれるの?! ホント〜?! ねぇねぇ名前教えて?」
 笑顔の彼女と数秒後、彼はため息をついた。
「……ササクラ。佐々倉洋介」

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