≪PRESENTATION WRIST CUT≫

N side 9


 みつめあった。
 君の瞳の奥に、まず恐怖を見つける。触れ合うことのおそろしさ。
 次に疑問。どうして私の名前を知っていたんですか?
 それから、悲しさ。慰めあうことへの、僕が求めていることへの、君が
望んでいることへの。
 けれど。
 ゆっくりとまばたきをした瞬間、それらは、フッと、黒に消えた。
 見える。奥から。
 キラキラとした、星のような、雪の、ような
「どうぞ」
 あぁ。
 ぜんぶ許して微笑んだ。
 手をゆるく持ち上げて、左手に、触れ、て。
 ――泣きたくなった。衝動が、せりあがってくる。それらをこらえて
誤魔化すように僕は、わざと強く、とても強く、強く、君の手を握り
しめた。
 雪がちらつく。
 もう。
 これ以上のことはなかった。
 終りだ。
 すべて、続かない。
 君の眼がさあっと濡れた。美しい、角度で、
「痛い」
 どうして抱きしめられるだろう!
 偽善的な傷の舐め合いが、心を癒すはずもなかった。緩慢に切り口
は熟れて、上からまた新しい傷ができただけで、しかも、そのうえ僕は
加害者に変身した。
 君の心にひとつ、傷をつけて勝手に
「ごめん」
 手を離した。
 贖罪のように
「痛かった?」
 僕のつけた傷は、痛かったかい?
 雪の結晶がついた髪の毛を少し梳いて、彼女は――僕が生きていると
いう証拠を、傷を、本当の名前を、世界でただひとつだけ持っている
壊れそうな少女は――離された左手を口にあてた。別れの言葉が指の
あいだから、震えて、白い風になる。
「店員さん」
「うん」
「さようなら。ヒラサカさん、」
「うん、」
「すごく痛かったです。カッターよりも」
「バイバイ、ヒミ。きっとまた会えるから」
「嘘ばっかりですね」
 じゃあ、と軽く手をふって、忘れたように振り返らない。
 数時間後には、僕は、父の再婚相手とともに車で空港へ向かうだろう。
 途中で立ち止まり、何度も広げる。
 雪が、
『――痛い』
 融けだした。



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--Presentation by ko-ka--