≪PRESENTATION WRIST CUT≫

H side 9


 見つめあう。
 店員さんの中に、まず覚悟が見えた。私になにを言われても、そう、
怒ってなじられても、冷徹に否定されてもいいという、覚悟。
 私に触れ、現実を見せてしまったことへの謝罪。最初から名前を知って
いたことについての弁解。望んでいるもの。求めているもの。終りが。
見えて、悲しくなってしまう。
 いいんです。
「どうぞ」
 自分から、触れた。
 彼の冷たいゆびがピクリと動いて、急に強く、握り返された。
「っ、痛い」
 心も、雪も、みんな痛い。やっと私、わかりかけたのに。浮かび上が
る感情をこらえて、変な笑顔になる。
 店員さんはしばらく手を離さなかった。
 苦しそうに細めた目を、そらされた。同時に離れる手。
「ごめん。……痛かった?」
 あなたが?
 私が?
 同罪だというのに。
「店員さん」
「うん」
「さようなら、」
 ふりしぼって笑った。別れを、響かせて突き刺す
「ヒラサカさん」
 こんな気持ちになるなら! もう。本当のコトは、何も言いません。
刻み付けるように、こんなになるまで震えるなら、最初から何もかも
なかったのです。戻れないから。やり直したいなんて思うまでに今、
目の前の心がひらけた。
 私はひどい。
 あなたの心にひとつ、楔を打ち込んだ。氷ったつららを奥まで差し
込んで、それが融ける事のない同じ気持ちだと、知っている。
「……うん、」
 彼は――私がここに生きているという現実を、傷を、鏡を、世界で
ただひとつだけ持っている、儚く立ち尽くしている青年は――淡い色を
した唇で、ぜんぶ受け入れて頷いた。
 私は
「痛かったです。カッターよりも」
 ひどく、意地の悪い笑顔をしているだろう。それがわかったように、
彼の空気がふっとゆれた。
「バイバイ、ヒミ。きっとまた会えるから」
 ほらもう
「嘘ばっかりですね」
 別ってしまっている。
 じゃあ、と言って手をふり見送った。背中が見えなくなると、私は
しゃがんで、少し、泣いた。顔を両手でおおって。
 左手から、あの人の香水が薫っている。傷を。
 抱きしめるように握った。
 通り過ぎた雪が
『―……君が、』
 足元に散った。



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--Presentation by ko-ka--