さんえる 43号から。ほか、紡績時代の写真は宮城県図書館内・宮城資料室、八幡町の有志がまとめた手作り町民氏に載っていたが持出転載禁止。もう一度行く機会があれば冊子の名前調べとく。
明治実業家列伝はダウンロード可能。仙台商工会議所 月報「飛翔」2012年6月号(No.310)
※列伝のほうは実の弟みたいな記述だけど、8代目小西利兵衛の弟・清次が伊藤家復興のため養子へ→8代目小西利兵衛の息子・栄蔵(本編での9代目小西利兵衛)と伊藤清次の息子・伊藤清次郎がいとこ関係。
明治実業家列伝はダウンロード可能。仙台商工会議所 月報「飛翔」2012年7月号(No.311)
大泉屋は国分町で最大規模をほこる一般客用旅籠。
仙台駅前の停車場支店は、最初は和風旅館だったが、周囲に次々と洋風旅館が乱立した事を受けて洋風に改装し「仙台ホテル」という名にした。
経営不振により2009年に閉業。
2024年現在、跡地にあった飲食店街EDENは終了し、その後の計画は発表されていない。
※列伝では大泉が棲み分け発案者だが、実際は才業家・針生庄之助が旅館の用途を3種類にわけて棲み分けしようと提案し、大泉をはじめ大旅館の当主たちはその案に乗ったという形。もちろん針生の義弟・針生久助も駅前に針久旅館建ててる。
明治実業家列伝はダウンロード可能。仙台商工会議所 月報「飛翔」2012年12月号(No.316)
仙台市警察署プラス県警察本部も入っていた。作中では「国分本署」と言わせている。所在地は国分町48。現在だと、定禅寺通りと国分町通りの交差点にあるセブンイレブンの場所。
和洋折衷のモダンなデザインは早川智寛。昭和2年に取り壊された。
明治17年発行「仙台市街絵入明細全図」(※作者所蔵)の中の警察署絵図。
資料提供:仙台市戦災復興記念館「収蔵写真アルバム 7−2−24(明治15年撮影)」
現在の地図に明治26年当時の道(青色)を合わせたもの。
研究の結果、現在の西公園通り(市民会館〜支倉通り手前)が常盤だったと判明。
明治26年の測量絵図は、メディアテーク郷土資料コーナーから用途明記の上コピーしてきた。一応銀華楼は西側中央部に立つ大店(おおだな)という設定
銀華楼のモデルは仙台に実在した遊郭「南幸楼(なんこうろう)」。3階の渡り橋が特徴的な豪華絢爛な遊郭であった。