Act.3 君の瞳を取り戻す為に


 その日君を見つけたのは、全くの偶然だった。いや、偶然の中の運命とでも言うのだろうか。
 僕はココ数年間、ずっと東京で仕事をしていて、ココのコトなんかすっかり忘れてた。母親の催促にも一度も応じず、というか、もぅ戻る気なんかなかった。
 けれど。
 出張先がたまたま重なって、たった一日だけ帰ってきたこの街。人々は冬の影におびえ、クリスマス用のツリーには早くも雪が降りそそぐ。
 都会を知り尽くしてしまった僕は、あの頃の純粋な僕にはもぉ戻れない。なんともいえない違和感が、僕の芯から湧き出ていた。
 そんな中で、僕の横を通り過ぎた君は、昔と同じ香水の香りがして…。
 一瞬よみがえる、あの日のコトバ。
 ――ワカレマショウ。
 僕は反射的に声をかけた。
「さや…か、田辺さやか!」
 僕の知らない男の、すぐ後ろで振り向いた、君はとても…キレェだった。
「え? あ…ジュ……北沢クン!」
 彼女は驚いた様子で僕を見た。そして
「久しぶり」
 はにかんで笑い、右手を少しあげた。
「久しぶり」
 僕も右手をあげた。
 君の顔を見ると、瞬間的に違和感がなくなる。
 …でも、僕の名前は呼んでくれないんだね。
 僕はそう思い、クスリと笑った。
「…北沢クン、何笑ってるの?」
「あ…うぅん、何でもない。キレェになったなぁと思って」
「ふふっ、相変わらずお世辞好きね」
 君は、人さし指を顎にあてて笑った。
 彼女の昔のクセ。
「なに?」
 変わってない。
「なんでもないよ」
 君は、変わってない。
 そうか、田舎とは…何年経っても変わらないものなのか。
 それだけで笑ってしまった僕は、彼女の次のコトバを聞き逃しそうになった。
「サテンドゥールで待ってて…」
「えっ?」
 さてん…?
「じゃぁね」
 君は素敵な笑顔で、走っていった。
 雪は、白かった。
 さてん…もしかして、サテンドゥール?
 学生の頃、毎日のように通った店。
 そうだね…あの頃は、コーヒー一杯で何時間も居座ったっけ。僕と君とマスターと、あと黒い犬が二匹に白い猫が一匹。
 君と最初に出逢った場所だ。
 そして、君と別れ話をした場所でもある。
 行くべき? そうしないべき?
 答えは…。
 カラン。
「いらっしゃい」
 マスターの声が答えだ。
 今更どうこうなるハズないじゃないのにね…。僕は自嘲したが、足は勝手にサテンドゥールへ向かっていた。
 とうに忘れたと思っていた道順も、すべて覚えていた。
 不思議だ。いつの間にか違和感がなくなっている。
 コートを壁に掛けると、僕は真っ直ぐカウンターに座った。僕の指定席。右から三番目。
「久しぶりだね」
 マスターは相変わらずタバコをふかしている。少し、しわが増えたようだけど、その雰囲気は変わっていない。
 あの頃の僕は、マスターのようになりたくて、同じ銘柄のタバコを…無理して吸っていたっけ。
 店中の煙。ふと思い出した。
「コーヒーを二つ、これだけ」
 指を三本、横にする。
 本当はお酒と水の割合なんだけど、昔の僕は背伸びして、面白がってやって、いつのまにかコーヒーの分量になった、
 そういえば、最初にやったのは君と出逢ったあの日の午後。
 照れ隠しに、背伸びした、暑い午後。
「ほいきた」
 マスターはスックと立ち上がって、バカでかい透明な置物を動かしはじめた。
 ここでのコーヒーは、水だしコーヒー。
 そのバカでかい置物は、マスターが水だしコーヒーの為に、わざわざ外国まで行って買い付けてきた代物だ。しかし、一杯のコーヒーを作るのに、一時間以上もかかる。美味しいものとは、常に時間を浪費するものなのだ。
 ホットコーヒーと注文すれば、普通のドリップコーヒーも飲めるけれど…、ポツンと滴が落ちていくたびに、君も僕も、そっと目配せしあった日々。
 懐かしくて注文したけれど、でもそれはとてもとても昔のコト。とてもとても…。
 いつもどぉりコーヒーはまだできていなくて、ずいぶん長く君との過去に浸っていた僕も、そろそろ帰ろうかという気になったころ。
 君が来た。
 頬が桃色に染まっていて、急いで来たのかな、と、思った。
 君の顔は、僕をココに留まらせるのに十分な効果を発揮していた。
 ありったけの笑顔が、そこにあったから…。
「お待たせ」
 君のその顔、キレェだ。
「そんなに待ってないよ」
 僕はそっけなく言った。いや、そっけなく言うしかなかった。椅子に座りなおす。そして、
「さっきの人は、彼氏?」
 お決まりのセリフを言った。
「うん。そぉ」
 君もお決まりのセリフを言う。
「幸せそうだったね」
 今度は率直な感想を述べた。
「ありがとう」
 君は純粋な嬉しさで応えた。
 そして、話題は尽きた。
 僕らは、あまりにもお互いを知りすぎていた。
 そのコトをこんなに後悔する日がくるなんて、思ってもみなかったのに。
 しばらく何も言わないで居ると、時計が鳴り始めた。アンティークな、振り子時計。
 潮時だと思った僕は、席を立った。
「じゃぁ、そろそろ」
「待って、じゃぁ…私も出るわ」
 え?
 驚いた。
「どぉして?」
 驚きすぎて思わず声に出た。
「…どうして…って…」
 僕のコトバを聞いて、君のほうが驚いたらしい。
 その困惑はマスターにまで響き、彼はヘタクソな口笛を吹き始めた。
 そのまま硬直状態に陥るのもなんだから、僕は壁に掛けたコートを羽織って、振り返らずに店を出た。
 正直、そろそろ帰らないと明日の出社に響く。
 それに僕は、一刻も早くこの街を出たかった。
 純粋すぎて、困る。
「待ってよ」
 店を出て僕を追う、君のコトバが雪に反射して届いた。
 ダメだ。
 振り返っちゃいけない。
 僕は無意識のうちに足を速めた。
「待って…」
 振り返っちゃいけない。
 振り返ったら…
「待ってよ、ジュン!」
「…ぇ…?」
 名前を呼ばれて、僕は振り返った。
 と、同時に衝撃がはしる。
 僕は君に抱きしめられていた。
 瞬間、よみがえるあの頃とか。
 あの告白とか。あの放課後とかコーヒーの苦味とか。あのキスとか。あのセックスとか。あの笑顔とか。あの別れとか。
 そしてあの涙とかー…。
「な…ッ」
 何をしてるの? 彼氏が居るんだろ? と言いかけたそのトキ、君の確かなコトバが僕の鼓膜を振動させた。
「お願い…殺して…?」
 殺して?
「な…にを、言ってる…の?」
 君を押し返しながら、ゆっくりと問う。
「殺して…って、聞こえた…ケド、聞き間違いなら…もぉ一回聞くから…」
 君はもぅ一度言った。
「私を、殺して?」
 見下ろした、泣きそうな顔。
「約束したじゃない…殺してくれるって…」
 僕にはもぉ泣いてるようにも見えた。
「約束…」
 つぶやきながら、記憶をたどる。
 思い出そうとしたけれど、
「覚えてないの?」

「覚えて…」
 そんな約束―…。
 約束?
 僕は君を見つめた

    殺してあげるよ。
     とっても素敵に
      殺してあげるカラ…。
    もぉ泣かないで?

「いや、覚えてる」
 そぉいえば、そんな約束を、確かに交わしたよ。
 殺してあげる。
 そんな非現実的な約束を。
「覚えてるんなら良かった。私を、殺して?」
「ダメだ」
 僕は即答した。
「どうして?」
 君は眉間にしわを寄せた。
「ちゃんと約束してくれたたじゃない、よく思い出して?」
「思い出せって言われても、そんな…もぉ何年も前だし…」
「思い出してくれなきゃ、私が困るわ」
「………」
 あの約束を交わしたのは、付き合い始めて…多分二ヶ月ぐらい経ったある日の夜のコト。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 そう言って泣きじゃくる君。最初僕は、セックスの後だから興奮しているダケだと思った。君は、そういう行為…初めてだったみたいだし。
 でも、違った。君の悲しみはそんな浅いことではなかった。
 死にたい。
 死にたい。
 死にたい。
 彼女自身も処理できないくらい、とても深い悲愴の渦。
 どぉしようもできないらしく、君は、目に付くものを手当たりしだい傷つけた。そして、その破片で自分も傷つけた。
 なんとかして止めなければ、そのうち自殺しかねないぞ。僕は、なんとかして君を救う方法を…その浅はかな頭で考えたけれどイイ案が浮かばない。
 …ねぇ、ジュン。私、もぉ死んでもイイ?
 君のそのコトバを聞いたトキ、ポツンと僕が言った無責任なコトバ。
「そんなに死にたいのなら、僕が殺してあげる」
 瞬間、涙をためた水晶のような瞳で、君は僕を見た。
「だから、もぉ泣かないで?」
「………」
 無言でうつむく、君。
 僕自身も僕のコトバに驚いて、すぐさま反省して、それから否定して、視線をそらした。
 僕が殺してなんになるんだろう。
 しばらく自己嫌悪に陥った後、僕はふと考えを改めた。
 さやかが死にたいって思ってるなら、いくら恋人でも、僕が止めるようなコトじゃないよね。それに、自殺とか、わざとやった何かの罪で処刑されるよりは、僕がキレェに殺してあげたほうが…とっても、素敵なんじゃない…?
 君はしばらくそのままで、やがて
「…ジュン、それ、本当?」
 と顔をあげたトキには、瞳に涙の色はなく、そこには…今まで見た中で最高の、満面の笑みがあった。
 僕の幼稚なコトバを、君は本気で信じたのだ。
 そう確信したトキ、僕は先刻のコトバを肯定した。
「本当だよ、とっても素敵に殺してあげるよ。痛くないように、苦しくないように、キレェに殺してあげる」
「約束してね」
「約束するよ」
 その後、一緒にベッドに入って眠った。
 そして、その日を境に、君は「死にたい」というコトバを、一切発しなくなった。
 それが嬉しいコトなのかどうか、僕には解らなかったけれど。
 それから一年後。
 僕は東京の会社に就職が決まり、君はこっちの会社に就職が決まった。
 卒業式の翌日、君の一言で僕たちは別れた。
 理由は、離れるから。
 お互い、嫌いになったワケじゃなくて、ただ、離れるから。
 声は聞けても触れられない。そんな恋はつらいダケだと、君も、僕も、解っていたカラ。
 最後のセックスは、そんなに気持ち良くなかった。
 最後の抱擁は、ぎこちなかった。
 最後のキスは、そんなに長くなかった。
 最後のコトバは、また逢いましょう。
 そして今。再会はしたものの、あまり嬉しくない展開に達している。
「思い出した?」
 君は聞いた。
「思い出した」
 僕は言った。
「ねェさやか、どうしても…死にたいの?」
 君はゆっくり頷いた。
 キレェだ。
「…いいよ」
「え?」
「殺してあげる…それが、さやかの願いなら、殺してあげるよ。それが…約束だったんだカラ…」
 僕は近くの家の軒下にあったツララを一本折った。
 それから、少し考えて君の前まで戻った。
 つららは、冷たかった。
「さやか、チョット立ちヒザできる?」
「え…あ、待って」
 君は上着を下に敷いてから、その上にヒザをついた。
「それから、こっち向いて、あと胸の前に手を組んで。キツいかも知れないけど」
「大丈夫よ。そんなにツラくない」
 僕らは、車も人も通らない雪道の真ん中で、告解ごっこのような形で存在していた。
 君は、懺悔をする罪人のような形で。
 僕は、許しを与える神父のような形で。
「本当にイイの?」
「イイの」
「そっか。…ねェ、キスしていい?」
「え」
 君が答える前に、僕は君の唇に吸いついた。
 そしてほぼ同時に、君の右目につららを刺した。
「……ッん! んんッ!」
 君は叫ぼうとしたけれど、僕が口をふさいでいるから、それも叶わない。
 手を組んでいるから抵抗もできない。
 手って組んでると、突然チカラが入ったトキに思わず握っちゃうカラ…なかなか離せないよね、知ってた?
 僕は僕自身の中に、残虐な気持ちを見つけていた。
 それはココ何年間か忘れていた性的な欲望とあいまって、あぁ、勃ってる。
 今、すごくセックスしたい。
 僕はつららから手を離し、君の頬を両手で包んで、長い…とても長いキスをした。
 君はそれどころじゃないだろうね。
 痛いだろうね。苦しいだろうね。
 でも、痛いのは、人間なんだから、当たり前だよ。苦しいのは、人間だから、当たり前だよ。
 あと僕は、君を傷つけるコトはできても、君を殺すコトはできないよ。僕、君が好きだから。
 約束、どれも守れなくてごめんね。
 だた、こんなになっても君は、きっとキレェに違いない。
 それだけは、約束通りだ。
 僕は自分の手と頬に、君の体温を感じた。ソレは君の中からあふれ出した涙と、血。
 こんなに寒いのに、とてもとても温かい。
 君の悲痛な叫びが途切れたトキ、僕はようやく唇を離して君を見た。
 君の顔の右半分は、薔薇色に染まっていた。
「…さやか、すごく、キレェ…」
 空から降りそそいでいる雪が、涙のふちを白く彩る。
 君は、つららで潰れたその瞳で何か言いたげだったけれど、僕は我慢できずに、また君の唇をふさいだ。
 今夜は、ずっと君と居たい。
 明日の会社は休むことにしよう。

--Presentation by ko-ka--