「いや、覚えてる」
そぉいえば、そんな約束を、確かに交わしたよ。
殺してあげる。
そんな非現実的な約束を。
「覚えてるんなら良かった。私を、殺して?」
「ダメだ」
僕は即答した。
「どうして?」
君は眉間にしわを寄せた。
「ちゃんと約束してくれたたじゃない、よく思い出して?」
「思い出せって言われても、そんな…もぉ何年も前だし…」
「思い出してくれなきゃ、私が困るわ」
「………」
あの約束を交わしたのは、付き合い始めて…多分二ヶ月ぐらい経ったある日の夜のコト。
死にたい。
死にたい。
死にたい。
そう言って泣きじゃくる君。最初僕は、セックスの後だから興奮しているダケだと思った。君は、そういう行為…初めてだったみたいだし。
でも、違った。君の悲しみはそんな浅いことではなかった。
死にたい。
死にたい。
死にたい。
彼女自身も処理できないくらい、とても深い悲愴の渦。
どぉしようもできないらしく、君は、目に付くものを手当たりしだい傷つけた。そして、その破片で自分も傷つけた。
なんとかして止めなければ、そのうち自殺しかねないぞ。僕は、なんとかして君を救う方法を…その浅はかな頭で考えたけれどイイ案が浮かばない。
…ねぇ、ジュン。私、もぉ死んでもイイ?
君のそのコトバを聞いたトキ、ポツンと僕が言った無責任なコトバ。
「そんなに死にたいのなら、僕が殺してあげる」
瞬間、涙をためた水晶のような瞳で、君は僕を見た。
「だから、もぉ泣かないで?」
「………」
無言でうつむく、君。
僕自身も僕のコトバに驚いて、すぐさま反省して、それから否定して、視線をそらした。
僕が殺してなんになるんだろう。
しばらく自己嫌悪に陥った後、僕はふと考えを改めた。
さやかが死にたいって思ってるなら、いくら恋人でも、僕が止めるようなコトじゃないよね。それに、自殺とか、わざとやった何かの罪で処刑されるよりは、僕がキレェに殺してあげたほうが…とっても、素敵なんじゃない…?
君はしばらくそのままで、やがて
「…ジュン、それ、本当?」
と顔をあげたトキには、瞳に涙の色はなく、そこには…今まで見た中で最高の、満面の笑みがあった。
僕の幼稚なコトバを、君は本気で信じたのだ。
そう確信したトキ、僕は先刻のコトバを肯定した。
「本当だよ、とっても素敵に殺してあげるよ。痛くないように、苦しくないように、キレェに殺してあげる」
「約束してね」
「約束するよ」
その後、一緒にベッドに入って眠った。
そして、その日を境に、君は「死にたい」というコトバを、一切発しなくなった。
それが嬉しいコトなのかどうか、僕には解らなかったけれど。
それから一年後。
僕は東京の会社に就職が決まり、君はこっちの会社に就職が決まった。
卒業式の翌日、君の一言で僕たちは別れた。
理由は、離れるから。
お互い、嫌いになったワケじゃなくて、ただ、離れるから。
声は聞けても触れられない。そんな恋はつらいダケだと、君も、僕も、解っていたカラ。
最後のセックスは、そんなに気持ち良くなかった。
最後の抱擁は、ぎこちなかった。
最後のキスは、そんなに長くなかった。
最後のコトバは、また逢いましょう。
そして今。再会はしたものの、あまり嬉しくない展開に達している。
「思い出した?」
君は聞いた。
「思い出した」
僕は言った。
「ねェさやか、どうしても…死にたいの?」
君はゆっくり頷いた。
キレェだ。
「…いいよ」
「え?」
「殺してあげる…それが、さやかの願いなら、殺してあげるよ。それが…約束だったんだカラ…」
僕は近くの家の軒下にあったツララを一本折った。
それから、少し考えて君の前まで戻った。
つららは、冷たかった。
「さやか、チョット立ちヒザできる?」
「え…あ、待って」
君は上着を下に敷いてから、その上にヒザをついた。
「それから、こっち向いて、あと胸の前に手を組んで。キツいかも知れないけど」
「大丈夫よ。そんなにツラくない」
僕らは、車も人も通らない雪道の真ん中で、告解ごっこのような形で存在していた。
君は、懺悔をする罪人のような形で。
僕は、許しを与える神父のような形で。
「本当にイイの?」
「イイの」
「そっか。…ねェ、キスしていい?」
「え」
君が答える前に、僕は君の唇に吸いついた。
そしてほぼ同時に、君の右目につららを刺した。
「……ッん! んんッ!」
君は叫ぼうとしたけれど、僕が口をふさいでいるから、それも叶わない。
手を組んでいるから抵抗もできない。
手って組んでると、突然チカラが入ったトキに思わず握っちゃうカラ…なかなか離せないよね、知ってた?
僕は僕自身の中に、残虐な気持ちを見つけていた。
それはココ何年間か忘れていた性的な欲望とあいまって、あぁ、勃ってる。
今、すごくセックスしたい。
僕はつららから手を離し、君の頬を両手で包んで、長い…とても長いキスをした。
君はそれどころじゃないだろうね。
痛いだろうね。苦しいだろうね。
でも、痛いのは、人間なんだから、当たり前だよ。苦しいのは、人間だから、当たり前だよ。
あと僕は、君を傷つけるコトはできても、君を殺すコトはできないよ。僕、君が好きだから。
約束、どれも守れなくてごめんね。
だた、こんなになっても君は、きっとキレェに違いない。
それだけは、約束通りだ。
僕は自分の手と頬に、君の体温を感じた。ソレは君の中からあふれ出した涙と、血。
こんなに寒いのに、とてもとても温かい。
君の悲痛な叫びが途切れたトキ、僕はようやく唇を離して君を見た。
君の顔の右半分は、薔薇色に染まっていた。
「…さやか、すごく、キレェ…」
空から降りそそいでいる雪が、涙のふちを白く彩る。
君は、つららで潰れたその瞳で何か言いたげだったけれど、僕は我慢できずに、また君の唇をふさいだ。
今夜は、ずっと君と居たい。
明日の会社は休むことにしよう。
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