Act.4 エンドレス・キス 
 
 
 ベッドから起き上がると俺は部屋を抜け、階段を静かに降りた。台所の勝手口を開けると、そこには眠る闇が広がり、俺は裸足のままで歩き出した。 
 暑いけれど、昼間の暑さとはどこか違う。冷たい暑さとでも言うのかな…なんか矛盾してるケド。 
 俺の家の裏には、広大な敷地を有する有名な寺「禅祥寺」がある。当然膨大な数の墓もあり、俺の家は、低いブロックベイを挟んでスグ裏が墓場という、最低最悪の立地条件の中にあった。 
 俺は、足をかけてブロックベイを乗り越えた。 
 黒い、墓が。 
 石の冷たい感触はわかっても、意識はまだユメの中で俺のカラダは俺のカラダじゃない。 
 何かに突き動かされるように、墓の間を彷徨う。怖いという感情はなく、ただ、空が動く気配だけに敏感になっていた。 
「………」 
 ふと、誰かに呼ばれたような気がして、俺は一つの墓の前で立ち止まった。 
 ゆっくりと近づく。 
 真っ白な百合の花が、薄い闇の中に、鮮やかに映えていた。 
 突然なにを思ったのか、俺は供物をのせる台を、無理やりどかし始めた。手に伝わる冷たさはハンパじゃないのに、俺は……何をやっているンだ…。 
 意外にすんなり、横にズレた台。次に、その下の四角い石をどかす。 
 何? 
 俺、何やってんの? 
 自問自答しても、カラダが言うことをきかない。 
 そして、ポッカリと開いた四角い闇に、俺は両手を肘まで入れた。 
 ……コッ。 
 何かに当たる。引きずり出す。 
 天まであげてみると、ソレは琥珀に輝くドクロ…いや、違う…そぉだ…愛しいあの人……。 
 キスしなきゃ。 
 誓いのキスを……。 
 俺はドクロにキスをした。 
 とたんに、めまぐるしい恍惚感が…。 
 うぁ…キモチイイ……。 
 俺はあの人にキスをした。 
 何回も、キス。キス。キス。 
 ヤバ…俺、イっちゃいそぉ…。 
 そう思った瞬間――目の前が真っ暗になった。 
 
 
 私は、眠れずに出た柳の庭で「何か」を見つけた。 
 こんなに暑い夜なのに、裸足で触った石は冷たい。 
 見つけたソレはピクリとも動かず、まるで大きな石のようだった。 
 が、寸分違わず「人」の形をしている。 
 まさか…。 
 一瞬期待したが、そんなハズはない。彼女はもぉ「この世」には居ないのだから・・・。 
「もし、そこのお方」 
 遠慮がちに声をかける。が、動かない。 
 飛び石の上を歩き、私はソレに近づいた。 
「もし…?」 
 月の光に照らされ見えたのは、妙な衣装に身を包んだ若者の姿。 
「……っ!」 
 私は、はっと息をのんだ。 
 …そっくりだ。 
 あの人に、そっくりだ。 
 戻ってきたのか? 
 そぉ思うほど似ている。 
 似ている。 
 いや、黄泉の国から戻ってきたのだ。 
 同じだ。 
 あの人だ。 
 愛しい、あの人が! 
 自分のカラダが熱くなるのがわかった。 
 おそらく気を失っているのであろう。力の抜けきった四肢は、月の光に何の反応も示さない。 
 閉じている瞳の上を、雲の影が通り過ぎた。 
 …あぁ、夢でもイイ。 
 夢でもイイ。葉月の夜の、夢幻でも。 
「…もし」 
 もぉ一度だけ、声をかけた。 
 そこで瞳を開いてくれれば、私は思いとどまれる。 
「……」 
 しかし、彼の瞳は開かなかった。「彼女」の瞳は開かなかった。 
 近くに居ながら触れられない…そんな狂おしい罰にはもぉ耐えられない! 
 私は彼女の頬をさらりと撫で、そして唇に…そっと吐息を重ね合わせた…。 
 
 
 その日を境に、俺は墓を徘徊するようになった。 
 一通り巡ったアトは、いつもあの黒い墓の前で、ドクロにキスを繰り返す。いつも、俺のカラダは「何かの意思」に支配されていて、足どりも、キスも、自分のチカラではどぉしようもできナイ。 
 そして恍惚に呑まれ気を失う。 
 しかし、朝になって瞳を開けるといつも、見慣れた部屋の天井が飛び込んでくる。 
 そう、いつの間にか部屋に戻っているのだ。 
 夢にしてはリアルすぎる。 
 夢遊病にしては意識がありすぎる。 
 おかしい。 
 何かが、確実におかしくなっている。 
 でも。 
 そぉ思いながらも、毎晩毎晩キス。キス。キス。 
 ダメだ止められない。 
 それにすごく、キモチイイ。 
「晋! 三浦山晋! なにをボーっとしている?」 
「…え? あ!」 
 いつの間にか机で眠っていた俺は、ガバッと起きあがった。 
「すんません。近頃すっげー寝不足で」 
「弁解はイイ。次の問題を解きなさい」 
「…は……ぁ」 
 分数の式からdを求める等差数列の応用問題を解かされた。 
 黒板に記号を描く。 
 こう見えても俺は、数学「だけ」はイイ点数をとっている。 
 なぜなら数学は楽だからだ。 
 答えが絶対。 
 答えがすべて。 
 だから、何も考えなくても解ける。 
「…できまシタ」 
 席に戻ると、隣のヤツが小突いてきた。 
 無視して前を向く。 
 先生が描いた赤いチョークの丸が見える。 
 俺はそれをボーっと眺めた。 
 そうなんだ、本当は、もぉ気づいてる。いつの間にか俺は、自分の意思でドクロにキスするようになっている。 
 一週間ぐらいは、本当にカラダの自由がきかなくて、俺も何がなんだかさっぱりだった。けれど、だんだん意識を失う回数も減ってきて、でもキモチイイのは変わらなくて、イった後に自分の足で自分の部屋に戻る。 
 自分自身に嫌悪感を抱きながら。 
 今なら、強く「行かない!」って思えばそうできるハズなのに…俺は彷徨う。そしてキスする。 
「…はぁ…」 
 また今夜も…行くのか…多分、行くだろうな…。 
 俺はあの墓とあのドクロ…あの人と、それからあの恍惚感を思いだして、つぶやく程度のため息をした。 
 と。 
 チョークの丸がぼやける。 
 …あ…眠い…? 
 どこかに吸い込まれるみたいだ…。 
 感覚がおかしい。 
 いつもの夜のトキみたい…な。 
 ……。 
 
 
「…んぅ…ッ」 
 彼女の瞳が開いた。 
「…だ…れ?」 
 私はかまわず、彼女の首筋にキスをした。彼女はびくんっと仰け反ると、とろんとした瞳で、 
 
 俺はボーッとした瞳で、誰だこいつ…見ると、え? あぁそぉだ…この顔、あの人だ…。愛しい…あの人…だ…。俺はあの人の顔に手をすべらせて、ほら、 
 
 彼女は私の頬を撫でた。そのあと唇に、感触が、 
 
 ドクロにしたような、キス。キス。キス。ほら…ぅあっキモチイイの、 
 
 私を愛していてくれるのか、この私を。罪が消えていくような…唇に残す御祓の儀式を、 
 
 きっとこの人だ…毎晩俺を呼んでいるのは、 
 
 私の中が狂っていてもイイ、今ココに居るのは紛れもなく、愛しい君、 
 
 …だってこんな感覚…ドクロのトキと同じだ…キスしただけで勃っちゃってるぅ…やべぇ…イっちゃいそぉっ、 
 
 愛してる…愛してる…アイシテル、 
 
 キモチイイ…あッ…うあっ! 
 
 私はいつもそうしていたように、 
 
 イっちゃうぅ! 
 
 彼女をキツく抱きしめた。 
 
 
「晋!」 
「うぁっ!」 
 ガタッ。 
「……いつまで寝ているつもりだ?」 
「は…っぁ……先生…?」 
「なんだ? まだ寝ぼけてるのか」 
 見わたすと、確かに教室。俺の机。 
 ただし、誰も居ない。俺と先生以外には。 
 そっか…。もぉHR終わったのか…。 
 数学は六時間目。担任は数学教師。 
 イコール、俺は寝過ごした。 
「……」 
 あれ、夢だった? 
 ちらっと、下を見る。やっぱり…。 
「どうした? 何かしたのか?」 
 俺は何も言わずに教室を飛び出すと、さりげなくカバンで前を隠しながら家へと急いだ。 
 オカシイのには気付いていたけれど、ココまでそうなら自分が自分じゃなくなる! 
 私服に着替えた後、俺は初めて明るい墓地へと、足を踏み入れた。 
 夜の景色とは全然違う。 
 黒一色だと思っていた墓は、石の材質や色や形も全然違うし、道もそれほど広くない。 
 なるべく夜の情景を思い出し、歩を進める。 
 …確かこのあたり…だったよな…。 
 見わたすと、あの白い百合がゆれた。 
 ココだ。 
 ボロボロの、石の墓。 
 書かれている字はとても読みにくかったが一応、声に出して読んでみた。 
「如月 雪之丞…」 
 誰だよ、全っ然知らねぇ。 
 ムダ足だった? 
 夜にならなきゃダメなのか? 
 強い、でもぬるい風が吹く。しばらく百合を見ていた俺は、変な違和感に気付いた。 
 …この花…。 
 そう、ゆれている、白い百合。 
 あの日から二週間以上経っているのに、枯れる様子なんて微塵もなく、ゆれている。 
 …誰かが毎日替えている? 
 そうだとしたら、一体誰が? 
 …ジャリ。 
「晋?」 
「えっ?」 
 振り向くと、先生が居た。 
 え? え? なんで先生がココに…。 
「晋、お前なんでこんなトコロに?」 
 いや、それはこっちのセリフだって。 
 ん? 待てよ…如月? そうだ、先生の名字は如月だ! 
「お前も誰かの墓参りか?」 
「あ…いや…」 
 なんて言えばイイんだ? 
 コトバにつまる…。 
「あー、この百合って、センセイが毎日換えてんの?」 
「あぁ、そうだよ」 
「ふ…、ふーん…」 
 我ながら、ぎこちねぇ演技だ…。 
 俺が何も言わないでいると、先生は手早く百合を換え、手を合わせてつぶやいた。 
 やっと聞き取れるぐらいの、小さい声で。 
「この墓の主には、チョットした恋の話があって…」 
 まだ幕府が権勢を握っていた頃、如月雪之丞はさる城下町の一角で、お城の雑用に使われる桶を作っていた。 
 正確に言うとまだ見習いだったのだが、桶屋の大将である彼の父は、嫁さえもらえれば店を継がせる気でいた。 
 しかし、彼は女性に関しては全くのオクテで、そして時間はゆるゆると過ぎていく。 
 そんなある日。 
 彼は眠れずに出た柳の庭で、倒れている女性を見つけた。 
 彼女はおしんと名乗った。どこぞの屋敷から、二十日もかけて逃げてきたのだという。 
 雪之丞は彼女をかくまうことにした。 
 時間が経つにつれ、二人の距離は自然と近づいていった。 
 しかし。 
 平和な生活は、そう長くは続かなかった。 
 追っ手が、彼女の居場所をつきとめ、押し入ってきたのだ。年老いた男がおしんに言った。 
「姫様、どうか城にお戻り下さい」 
 そう、彼女は城の姫様だったのだ。 
 私に芽生え始めていた、彼女への特別な感情は、絶対叶うことのない夢になってしまった。 
 あまりに酷い、終り。 
 それでも一緒にいたいと、彼女は言った。 
「前に一回だけ、逢ったコトあるんだよ、知ってた?」 
 翌日には城に連れ戻されてしまうのに、彼女は笑った。 
 瞬間、私は彼女を幸せにしたいと、心から思った。 
 しかし、それは叶わない。 
 ならばせめてと、私は無謀な約束をした。 
「…それが百合の約束…」 
 俺はボーっとした頭で呟いた。 
「晋…? どぉしてそれを…」 
 風が強くなってきた。 
 辺りは薄暗く、先生の顔はボヤけてきて…え? この人は…この人は…あぁ、 
「もし生まれ変わったなら…必ず百合の花を持って逢いに来て下さると…」 
 …なんかふわふわする…。 
「そのトキには…共に幸せに…共に…共に…」 
「やっと思い出してくれたのか…シン…」 
 先生は俺の肩を抱いて、 
「雪之丞さま…やっと逢えた…」 
 そっとキスをした。 
 どれほど長い年月をかけてこの日を待ち望んでいたことか。あなたと共に、ずっと、ずっと、ずっとー…。 
 愛しいあの人はココに居た、あぁ…あたし、 
「…幸せ…」 
「…愛してる…」 
 
 
 その夜、あたしは幸せだった。 
 その夜、私は幸せだった。 
 約束どぉりあの人が愛してくれたから。 
 約束通り彼女を愛せたから。 
 でも。 
 しかし。 
 現世で禁忌とされている行為をしたコトを。 
 罪を犯した私を。 
 これまでのあたしを。 
 これからの私を。 
 どうか許してください。 
 許して下さい。 
 月がキレェです。 
 百合が咲いています。 
 夏の夜に。 
 また逢う約束を。 
 
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