≪ウィッチーズ・マスター 番外≫

ケイキ

「こんにちは」
 そう言って店に入ってきた一人の男。
 細身によく似合う抹茶色のスーツに、金色のアタッシュケースを持ち、栗色の光る髪をなびかせながら入り口に立っている。ドアに取り付けている古い鈴が、チリンと、場違いな鳥のように鳴いた。
 唇のはしをつりあげ、首を少しかたむけている青年に対して、ショウケースから半端に顔を出したままで動きが止まっている、店主。カノン・トッポトッツは、まるで幽霊を目にしたかのように瞳孔を開き、そして、視線をそらさないまま、ゆっくりと立ち上がった。
 年相応のかすれた声でうなる。
「……あなたは…」
「お久しぶりですね。いえ、正確には40年ぶりくらいでしょうか」
 カノンの目の奥で、瞬間的にあの日の光景がよみがえる。
 彼女を連れ去った、死神の鎌のような、あの雨。
 ――否。
 自分の方から、その手を離したのにー…。
「何の用ですか、」
 唇をむすび、思いきり眉をよせてバランスのいい長身を見やると、その美しい男、サバラン・サラダコーンは
「何って、ただのお客ですよ」
 両手を広げて大げさに肩をすくめた。
「この店は、パンだけではなく、凝りに凝った可愛らしいお菓子も美味しいという、もっぱらの評判ではないですか」
 ぐるりと店を見渡しながら、ショウケースに近づく。
 窓際に居た数人の女性客が、ぼんやりとサバランに見とれている。
 それに気づいた彼がパチリとウインクで応えると、女性客達は一斉に「キャーッ」と黄色い叫びをあげ、店から出て行った。
 その様子を見ていたカノンはげんなりとため息をつき、手のひらでケースを指した。
「ケーキはこの中ので全部です。クッキーやママレイド、ジャムならそちらのテーブルに」
 正直、一秒たりとも一緒に居たくない。唇をにわかに噛みしめ、カノンは顔をそむけた。
 完璧に作られたその笑顔を見ていても、得することはなにひとつない。彼女を思い出すだけだ。
 もう何年前かすら忘れてしまった昔のこと。奴の言葉を信用するなら40年前の話。カノンは、若さゆえに持ちえる矛盾した心を彼女にぶつけ、そして失ってしまったのだった。
 あそこに建っていた彼女の家は、もうない。
 相手の居ない恋心を消してしまいたくて、店を継いでから、がむしゃらに勉強した。パンだけではなく、菓子の分野にも手を広げた結果、店は、街で一番の味と称えられるようになり、エンコーダ種族の店であるにもかかわらず、魔法使い達が買いにくるようにもなった。種族間の違いを気にせず彼らは堂々とやってきて、そして、笑顔でパンを買っていく。
 それが、消えた彼女の成した事実。
 エンコーダと魔法使いの和解。
 けれど。
 店の一般客に「かれら」が混じっているのを見るたび、カノンの心に打たれた後悔という楔が、音をたてて動いた。
 彼女の影に、未だに強く焦がれている自分――。
「……特に決まったものがないのなら、適当に詰め合わせましょうか」
 かがんでガラスに顔を近づけ、うんうんうなっていたサバランを見かねて言うと、彼は
「いえいえ、お気遣い結構。ひとつずつ、じっくりみていきますから」
 と、笑いながら言った。
「プレゼントかなにかですか」
「……まぁ、そんなところです。お、これは何というお菓子です?」
「クルミとキャラメルのタッグワーズです。上にはふんだんにベビーキャラメロンを使って、ココアスポンジの中には、カシカムーアで漬けたクルミが入っています」
「こちらは?」
「季節の……あぁ、こちらですか。木苺のミルフィーユです。薄いクレープ生地にはシムシェリー産の木苺を練り込み、チーズクリームで何層にも重ねてあります」
「……うん、コレとコレにしようかな」
 サバランはミルフィーユを指差し、立ち上がってスーツの埃を払った。
「キレェにくるんでくれるかな」
「かしこまりました」
 業務的な受け答えなら、取り乱さずに済む。カノンはピンク色のケーキ箱とリボンを取り出した。
「ラッピングも合わせて1リルボン6クウです。持ち帰りのお時間はー…」
 と。
 目の前に差し出されたのは100リルボンの札、4枚。
「お釣りは要りませんよ」
 サバランは相変わらず笑ったままで。それを見た瞬間、カノンの中に怒りがこみあげてきた。
 金?
 金で取り戻せるとでもいうのだろうか?
 自分が、あんな事を言ったばかりに、彼女は命を落としたのだ。
 この男に連れられて――!
「なんですか……、あの時の代償とでも言うんですか!」
「とんでもない!」
 サバランは驚いたように目を開いた。
「これは私の感謝の気持ちです。これでやっと、あの子も食事してくれる。今、城に戻ってきているんですよ。彼女には及びませんが、とても美しくなりましたよ」
 サバランはカノンの返答を待たずに、包装が終わったケーキ箱をひょいと持ち上げた。カノンは気づく。あの子とはもしやー…。
「…チェリィちゃんが……?」
「私が許可を出しておきますので、一度城にでもいらして下さい。あの子も喜びます。では」
 ――カラァァァン。
 サバランが姿を消してからも、カノンは4枚の札を握ったまま、しばらく立ち尽くした。
 そうか。
 彼女の忘れ形見が戻ってきたのか。
 僕はきっと、行かないだろう。行ったら泣いてしまう。そして泣いても、あの時小さかった少女には、涙の意味がわからない。
 僕が誰かも、きっと覚えていないだろう。

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