≪クロス・ステップ・エンコーダ≫

1 薔薇・手紙・ナイフ

 サバラン・サラダコーンがその手紙を持ってレモンライム家に入ろうとしたとき、ドアを一枚はさんだ向こう側で、とてつもなく大きな怒鳴り声が聞こえた。
「とっととパンでも作ってろ! このトンチンカン大バカ野郎!!」
「で……っでも、アンリのお母さ」
「うるさいッ!!!」
 ――ガッシャァァァン!!
 ガラスが割れた音にサバランが首をかしげていると
「そこに立ってる人、入りなよ」
 ドアの向こうからは、うってかわって明るい声が聞こえてきた。
 状況から言って、この明るい声の主と先刻の怒鳴り声の主は同一人物である。安心して入る事はできないー…が、これも仕事。
 緑色のスーツに身を包み、アタッシュケースをかかげてサバラン・サラダコーンは「大丈夫」と、何度も自分に言い聞かせて、ひとつ深呼吸し、ドアを開けた。
 ……ギィ。
 そこには、滅多に女性を褒めたことのないサバランでさえ、はっと息をのむような美しい女性が立っていた。
 ウェイブを描いた光る黒髪は胸の上で踊り、芯の強そうな紅い唇はキュッとしまっている。赤い薔薇が舞う黒のロングスカート。大きく開いたスリットからは、細くて白い脚がのぞき、腰にやんわりとあてられた右手の人差し指には、小さな薔薇の指輪がはめられていた。
「いらっしゃい」
 奇麗な弧を描いて、唇から言葉が放たれる。
 声からいって、やはり先刻の怒鳴り声はこの女性のようだ。
「どうも、お初にお目にかかります。私はサバラン・サラダコーン。こう見えまして私、カシ様のお付き人をさせて頂いております」
「へェ? 遠いところからわざわざ」
 カシ様の名前を出した途端、女性は不快感をあらわにした。
 ……なにかカシ様に恨みでも?
 サバランはそう言おうとして、あわてて口をおさえた。
 この女性とは初対面なのだ。この場で自分を悪い印象にしてしまったら、ココまで来たかいがない。
 そのかわりにサバランは、うんと微笑んだ。
「ここに、アンリ・レモンライムというお方は居りますでしょうか?」
「……アンリ?」
 しばらく沈黙が続く。
 まさか居ないというワケではないだろう。
 サバランはもう一回言った。
「アンリ・レモンライムというお方です」
「……ふん、そりゃあたしだよ」
 彼女は挑戦的な視線で笑った。
 サバランに背を向けて、家の中へと促す。
 サバランも家の中へ入ろうとしたが
「………??!!」
 一歩踏み出して、彼は即座に足を引っこめた。
 結界が張ってあるのだ。しかも、かなり強力な「魔法封じ」の結界。ほころびがところどころ生じてはいるが……、妙だ。
 この一帯に住む人々は、確か魔法が使えないハズだが?
「どうした? さっさと入りなよ」
 アンリがサバランを見ると、彼は手に持っていた金色のアタッシュケースから手紙を取り出した。
「ここで用件をお伝えしてもよろしいですか?」
「いいけど、何」
「この手紙を」
 サバランはギリギリ結界外の戸口に手紙を置いた。
「これで用事は終わりです。必ずお読み下さい。三日後にまた参りますので、それでは」
「え? ……おい、おい! ちょっと待て!!」
 彼女の声を無視して、サバランは来た道を引き返し始めた。
「あいつ一体、なんなんだ……?」
 アンリは戸口に置かれた封筒を拾い、スタスタと歩いていくサバランを、無言で見送った。

     ★

「手紙は読んだかい?」
「は?」
 アンリの母、ナッツ・レモンライムは、海外旅行から帰ってきての第一声を放った。
「まだ読んでないけど」
 アンリは「何で知ってるんだ?!!」というニュアンスも含め言い返した。
「そうかい。じゃぁ、ガラス屋のリンゴンに台所のガラスを一枚頼んでおくれ。お前、まーたカノちゃんを投げ飛ばしただろう?」
「う……」
「それから、酒屋さんからパッキャラマオの酒を買ってきておくれ。今夜はスパゲッティーノに大根サラダで決まりだから。あ、そうそう、コレお土産ね。お前が欲しがっていたエンピツとケシゴム。お風呂はわかしてあるかい? もぉヘトヘトだわよ。じゃぁ、あとは頼んだからねーっ!」
 鉛筆と消しゴムを残し、元気すぎるアンリの母親は、自分の部屋へと消えていった。
 ナッツは、なぜか色々な出来事を知っている。
 その場に居ないハズなのに、知っている。
 おかげで、アンリの「家出」は一度も成功したためしがない。ドコに行っても母が先回りして遊んでいるからだ。
 郊外にポツリと建っている小さなアンリの家は、この母親とアンリの二人で構成されている。
 母親は遊びほうけていて、時々誰かが訪ねてくるたびに、何でも知っている特技を使い、多額のお金を貰っている。アンリは街にある小さなパン屋で働いていて、とりあえず母親よりは安定した生活をしている。まぁ、そのパン屋の息子が問題なのだがそれは今は置いておいて、と。
 アンリはテーブルに置きっぱなしのそれを、そっとカンテラにかざしてみた。
 封筒よりも少しだけ小さい、四角い影が見える。どうやら、本当に手紙だけのようだ。
 裏を見てみると、右端にカシ様の紋章が描かれている。しばらくそれを眺め、それからバラフライナイフを取り出して、蝋で封された部分を丁寧にはがし始めた。

2 紅茶・時計・涙

 カノン・トッポトッツが、痛む体を引きずりながら家に着いたのは、丁度月が輝きだした真夜中のコトだった。カノンの母親は呆れ顔で
「またアンリちゃんにアタックしてきたんかい」と、残った夕飯を温め、父親は「まあ一杯やれや」とカップに酒をつぐ。
 いつもこうだ。
 カノンはため息をつく。
 彼女は昔から料理が苦手で、スパゲッティーノと大根サラダしか作れない。アンリの母親のお願いともあり、料理人という大義名分として行き、蹴られる。投げられる。
 それでもなお通いつめるのは、
「……好きなもんは好きなんだからさ…」
 ほんのりとした想いからであった。
 父親からの晩酌の誘いを断り、ホットミルクをチビチビ飲むと、痛んだ体にじんわりと染みてゆく。
 と。
 突然家のドアが開き、アンリの母親が訪ねてきた。
 しかも、困ったような嬉しいような、でも困ったような表情で、
「カノちゃん大変よ!! アンリがカシ様に見初められちゃったのよ〜!!」
 と、腕をふりまわす。
「ぇ?」
 カシ様って、あの?
「見合いよ!! カシ様との見合い話がもちあがったのよ〜!!」
 状況がよく飲み込めないカノンに、ナッツは「いいから家に来て頂戴」と、ホットミルクをカノンの手からとった。
 朔の夜だったが、星がよく光り、カノンは何度も「すみません」とアンリの母親の足をとめた。昼間の傷が痛いのだ。
 たどりついた家の中は荒れ果ていた。残骸の奥で、ひとりの女性がテーブルをガンと蹴り上げている。……アンリである。
「カノちゃん、止めてくれる? このままだと家がメチャメチャになっちゃうわん」
「はぁ、でも、アンリ……本当に怒ってますけど」
 二人の話し声に気づいたアンリは、
「うるさい……あたしは今機嫌が悪いんだ」
 と、ドスのきいた声で睨んだ。
 そしてまたテーブルを蹴りはじめる。
 小さい頃からいつも、イラつく事があると物に八つ当たりするのがアンリのイライラ解消手段だ。こういう時、人には絶対危害を加えないことを、カノンは知っている。ゆっくりと、アンリに近づいた。
「アンリ、落ち着いて……」
「うるさいカノン!!」
 ――バキッ。
 とうとうテーブルの脚の部分を全部壊してしまい、居間にはもう、アンリの壊せそうなものがなくなってしまった。
「落ち着いた?」
 ニッコリとカノンが微笑むと、
「うるさいって言ってンだろ」
 涙をだだ流しているにもかかわらず、アンリの声はいつも通り澄み、震えはない。けれど、手を置いた肩は、震えていて。
「うるさい……」
「アンリは部屋で少し休んでなよ。ここ、片付けなきゃいけないからね」
 ビリビリに裂かれた手紙は、ゴミ箱から見つかった。

     ★

 アンリの母親は、みるみる間に部屋を掃除していく。そうしてキレェに片付けられた居間のソファで、何とか復元した手紙を読むと
「これは……絶対アンリ怒りますよ」
 と、カノンはつぶやいた。
 別に、文章がどうのこうのではない。簡潔に、カシ様と見合いをしてほしい、返事は三日後に、良い返事を期待している、と書かれている。
「アンリ、カシ様嫌いだし。しかも第二妃だし」
 この辺りの世界を治めているのは、カシ様という外見だけ若い人物である。彼は、最強の魔法使いだ。
 しかしこの世界には、アンリやカノンのように魔法を使えない人々も存在する。そういう普通の人々はエンコーダと呼ばれ、ひとつの集落の中でのんびりと暮らしている。
 国が少しずつ対応してくれてはいるが、まだまだエンコーダにとっては住みにくい世の中だ。カンのいいアンリはすぐに気づいたのだろう。
「これ、明らかに政略結婚ですよね……」
 そう、魔法使いであるカシ様と普通の人間であるアンリが結婚することで、エンコーダに対する差別を少しでも和らげようという狙いだ。
「うーん、そういえば、ずっと気になってたんですけど、どうしてアンリ、カシ様が嫌いなんでしょう」
 ナッツはしばらく瞳を閉じて、
「本人に聞けば? 今やっと落ち着いたし」
 と言い、紅茶とホットミルクを用意した。もちろん、ホットミルクはカノンのぶん。二人で話し合えという意味だろう。
 ……話し合うっていってもなぁ……。
 カノンはしばらく、アンリの部屋の前で立ち止まっていたが、気配に気づいたのか、アンリの方からゆっくりとドアを開けた。
 彼女は泣いた様子など微塵もなく、
「入りな」
 いつも通りの簡素な部屋。
 黒と赤が入り混じる、アンリ独特の空間。
 カノンは座って、ホットミルクを一口飲み、アンリに聞いた。
「断るの?」
「あぁ、当然断る」
「……そっか…」
 しばらく二人は、黙々と飲み物をすすり、一階にある大時計が十時の鐘を鳴らした。
「……僕は賛成だなぁ」
 カノンはやさしい笑顔を、今だけ、精一杯、作った。
「アンリ、こういう機会がないと一生独身で過ごしそうだし、いいんじゃない?」
「カノン……お前…何言ってんだ?」
「いや、それにさ、ウチのやってる小さなパン屋より、ね。宮殿とか、そういう豪勢な場所のほうがアンリ似合ってるしさ。カシ様だってアンリが好きだからこうやって手紙出したんだよね。結婚…しちゃいなよ」
「カノ……、それ本気で言ってンのか」
 うん、とカノンが答えた直後、カノンの頬に平手打ちが飛んだ。

3 子供・轍・薔薇

 宮廷の中にタトタトと走る音。
 チェリィ・レモンライムは、二つに結わえた黒い髪をゆらしてサバランの居る事務室へと入っていった。
「こんにちわ! さばらん、またお話聞かせてよ〜!!」
 にっこり笑って会釈をする。
 その可愛らしさに、事務室に居た局員数人は「チェリィちゃん、アメをあげようか」「チェリィちゃん、こっちおいで」と、彼女を軽々と抱き上げたりで、サバランは
「やれやれ、またですか」
 と、笑った。
「チェリィ、こんにちわじゃなくて、こんにちは、だ。分かったかい?」
「うん! こんにちは! さばらん、中庭でお話しよ〜!!」
「はいはい」
 サバランは壁に掛けてある自分の名前の札を「休憩」にして、事務局を出た。
 一応役職は「カシ様の付き人」だが、人数不足が懸念され、こうしてほぼ毎日事務局に足を運んでいる。局長になりそうな勢いだ。
 この宮廷に属している人間は、一人を除いて全員魔法使い。
 その主な理由としては、エンコーダの差別によって運営が極度に困難になった時期があったから。そして、宮廷人以外の人が侵入した時の為に、魔法トラップがいくつも仕掛けられているからだ。
 普通の人ならば、何メートルかしか進むことができないだろう中庭への廊下を、平気で走るこの少女。既にいくつかの高等魔法をマスターし、特に言語学に関しては素晴らしい成績を収めている。
 人間と魔法使いのハーフなのに、将来を有望視されていて、それは彼女の母親が望んだことでもあった。
「さばらん! お話」
「どんな話が良いですか」
「うーん……外国の話! 人間だけの外国の話!」
「それはこの前お話したハズですが」
「もぉ一回聞く」
「はは、やれやれ」
 サバランはゆっくり流れる声で、魔法のかわりに科学を発展させた国を旅した話をし始めた。
 と。
 ――コッ。
「チェリィ、またサバランとお話かい」
「お母さん!!」
 チェリィは母親に抱きついた。
「お母さん、体は大丈夫なの?」
 心配そうに聞く娘に、アンリは
「この位、大した事ないよ」
 と、微笑んだ。
「チェリィ、少し向こうで遊んでおいで。サバランと話があるんだ」
「えー。はーい……」
 チェリィはつまらなそうに、蝶々を追いかけはじめた。アンリは立ったまま、サバランに言い放つ。
「あたしは近いうちに死ぬ」
「……それは面白い冗談ですね」
「冗談じゃない」
「………」
「あたしのカラダは、もぉボロボロだよ」
「……やはり、貴方の家にかけられていた魔法封じの結界はー…」
「もぉ死ぬから、あんたにはチャンと話す」
「………」
 柔らかい日差しが辺りを包む。
「……どうぞ、お話ください」
 サバランは、職業柄笑顔を絶やさない。
 その彼が笑わない所を、アンリは初めて見た。素直に、いい男だ。
「あたしのお母さんは、昔、魔法使いだった。でも、もぉ魔法は使わない事にしたから、家に結界を張って魔法のチカラを消した。ま、でもあの結界の効果は……さほどなかったみたいだけどね」
 アンリは「はは」と笑った。
「あたしは小さい頃からあの家で暮らしてきたんだ。五年前ココに来て、知ってた。魔法のチカラがたくさんあるこの宮廷じゃ」
「長く生きられない」
「魔法の力に、カラダが……ついていけない。多分、あと一年弱。だから、早めにあんたに言っておく。ココに来てから、あたしなりに色々と調べさせてもらったからね。あたしが死んだ後の、チェリィの後見人はー………」
「あの方が…!?」
 小鳥がひとつ、鳴いた。
 チェリィは、紅い薔薇の中にある涙の雫を手のひらにためて遊んでいる。
 サバランはしばらく考えて、言った。
「彼に会わなくて良いんですか」
 あの日、三日後の約束の日に、雨が降っていたその中を、走って追いかけてきた彼に。
 行くなと、必死に前に回って土下座した彼の横を、無言で通り過ぎる五年前の彼女。
 ぬかるんだ泥の道に、三人分の足跡がくっきりと残っていた。
 あの時の彼女の、決意を曲げない憮然とした様子を思い出して、サバランは、今でも凛とした美しさを保つアンリの横顔を見た。
「貴方は、本当は彼をー…」
 アンリは、サバランの唇に、薔薇のついた右手の人差し指をあてた。
「それ以上言うなよ」
「………」
「あたしは、これでイイんだ。あたしが決めたあたしの人生さ」
 木々の向こう側では、チェリィが遊び半分で魔法の練習をしていた。
 青い煙や、紫の光が生み出されていく。
「……あの子を、頼むぜ」
「承知いたしました王妃様」

     ★

 それから一年と半年たった、九月の高い日差しの中で、アンリ・レモンライムは実家の墓に埋葬された。
 ワケが分からずポカンとしているチェリィの横で、気の優しそうな大人の人が、大粒の涙を流していた。
 サバランだけが、葬儀に参列しなかった。

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