■ 課題詩 ■

■ 「雪」 三好達治 ■

  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

■ 字数からみる三郎ボツ説 ■

 三好達治の詩にはしばしば「太郎」なる人物が登場する。眠らされたり、白い花を食べちゃったりとかする。
 この「雪」にも「太郎」と「次郎」が出てくるが、なぜ、太郎と次郎で終わっているのか?
 (三郎、四郎、五郎……その他大勢)はどこにいったのか?
 というのを字数(音数)で予想してみる。

 単純に「名前の字数」でみたときにはこうである。

  ・「たろう」→3文字
  ・「じろう」→3文字

  ・「さぶろう」→4文字

  ・「しろう」→3文字
  ・「ごろう」→3文字

 太郎と次郎の次に続けるには、さぶろうという存在が、あまりにも壁。
 というわけで、三郎がボツになったのではないかというのがひとつ。


 次に「詩全体の字数」でみたときにはこうである。

  8 たろうをねむらせ
  7 たろうのやねに
  6 ゆきふりつむ

 この「8→7→6文字」という字数が非常に面白く感じるのは自分だけだろうか。
 「降り積もる」を「ふりつむ」にしてまで、最後は6文字にしよう、という考えが見えてくる。

 8・7・6と1文字ずつ減らす。
 それは、降雪が終わりを告げるさまによく似ている。静かに。見えないほどゆっくりと減っていく。
 ここで三郎になるとこうである

  9 さぶろうをねむらせ
  8 さぶろうのやねに
  6 ゆきふりつむ

 いけない。
 二文字という積もった雪が、屋根からどっかり落ちてきてしまう。
 というわけで、三郎がボツになったのではないかというのがひとつ。


 更に「漢字になっている字数」でみたときにはこうである。

  ・3音の漢字→太郎・次郎
  ・2音の漢字→眠・屋根・雪

 この詩に使われている漢字はこれだけ。
 そして、漢字の中で、名前である「太郎と次郎だけ」が3音の漢字なのである。
 三郎は4音となり、この詩を構成する音にはやはりふさわしくない。

 つまりは、どこをとっても三郎はボツなのである。
 三郎よ、しかしお前は悪くない。

■ 太郎スターシステム ■

 なぜ兄弟なのか。
 というより、「なぜ、太郎と次郎で兄弟という発想が日本人に出てくるのか?」に注目してみる。

 スターシステムというのは、漫画や小説に出てくる登場人物を「役者」と考え、漫画であれば同一の顔・小説であれば同一の名前の人物が、別な物語の中で別な役割をはたしているシステムのことである。
 このスターシステムを実践した漫画家といえば、手塚治虫。
 登場人物全員を「劇団の役者」と考え、たとえばアトムは、「鉄腕アトム」では正義のヒーローだが、他の漫画では悪役として出てきたりする。
 アトムは手塚劇場の役者のひとりであり、他の物語にも別な役柄で出演する。
 そうして、その役者キャラクターの給与、年俸まで算出していたというのであるから驚きだ。

 また、お笑いコンビラーメンズのコントには「ジャック」「マチコ」という名前の人物がたびたびコントに登場する。
 が、一致しているのは名前だけで、役柄は全然別のもの。一種の記号として使われている。
 これもスターシステムの亜種と考える。
 ちなみに自作で言うと、「死焼けサロンにご招待!」の中で出てくる「ケインズ」という男性と「消えた水色」の中で出てくる「ケインズ」という男性は、役柄は全く違うが自分の中では同一人物の像が成り立っている。
 灰色の髪で、ちょっと痩せており、背は高めの外人だ。
 つまり彼「ケインズ」は、僕の脳内劇場の劇団員であり、2作の演劇に登場している役者、という事。
 スターシステム。


 さて。
 中身が空疎である(詩の中に記述されていない)にもかかわらず「太郎→長男」「次郎→二男」と誰もが理解してしまう現象は、日本に古来から伝わるスターシステムであるといえるのではないか。
 役所の記入欄にある「鈴木太郎」「山田花子」も同じことだ。

  ・太郎と次郎が兄弟であるか否か?

 という問いの以前に

 ・太郎と次郎と書くことで、日本人であればすぐに兄弟であると思ってくれるだろう


 という思考のもとで名前を「太郎」「次郎」にしたのではないか、と考えてみる。
 なにせ、順番を数字にした「一郎」「二郎」ではなく「太郎」と「次郎」なのだから。日本人の習慣に訴えかける、名前。

 個性を没し、役割という記号をつけ、普遍性を重視、なおかつ詩情がある名前だ。太郎と次郎は。

■ ○u−○i色相ランドルト ■

 母音だけを書きだす。

 太郎を眠らせ 太郎の屋根に 雪ふりつむ
 ↓
 aouoeuae aouoaei uiuiuu

 このUとIの連続、そして最後がU(n)Uである点に注目したい。

 1.
 西脇順三郎が、三好氏の詩を
「関東人のイントネーションで読んではその言葉のおもむきもその美も大半にげてしまう(中略)従って私のようなものが読んでは全くだめだと思う」
 と言った評している。

 2.
 また、篠田一士の証言によると、三好氏はしばしば
「木曽川以東の人間には、詩は書けない」
 と、揚言していたらしい。

 3.
 三好達治は大阪出身。

 4.
「詩とはうたわれてこそ、はじめて「詩」たりえる」
 野口雨情など、多数の詩人がこの旨の発言をしている。


 上記の要因から、関西語(ここでいう関西語は「イントネーション」に特化する。固有の名詞・用語のことではなくあくまでイントネーション)で歌う(声に出して読む)ための詩を書いた、と、仮定してみたい。

 谷川俊太郎が「上澄み」と表現した三好氏の美しい言葉の大半が関西語によりもたらされたのであるなら、「雪ふりつむ」は関西語で読むのが正しいのかもしれない。
 その上澄みの前提として「雪ふりつむ」を母音のみで示すとこうなる「uiuiuu」。このUとIの感じは前から見ていたのだが、ここでイントネーションも加味して「ゆき」を関東語「ゆ↓き→」から関西語の「ゆ↑き↓」に変更して読んでみる。
 すると。
 言葉を「ゆき・ふり・つむ」に三分割した時、突然、音程も美しく整った。


  関東(矢印は音の上げ下げ)
  ゆ→き↑ふ↓り→つ→↓む

  関西(矢印は音の上げ下げ)
  ゆ↑き→ふ→り→つ→む↑

 (※通して読んだ時のイントネーションは要検証)



 ここで感じるのは、関東でも関西でも、やはり最後の「つ・む」は「U(n)U」であるということ。
 (n)とは、唇を閉じる動作。
 「つ」で一旦雪が降り終わり、「む」では余韻としてひとつ、落ちる、雪を連想させる。

■ タイプ別描写診断 ■

 この詩の表現いいな〜と思い、新しい表現方法に挑戦しようとしても、なぜかお手本の模倣にしかならない……という経験はありませんか?
 なんとな〜くマネしてみても、結局自分色。という経験もあったりしませんか?

 自分が普段無意識に使っているパターンをしっかり認識してから、その幻想をぶち壊し、積極的にフィードバックさせてみようという試みです。


【メインテーマの物質を描写する時のパターン】

 自分がいつも使っている方法を選び取ってみてください。
 自分の詩の一部をコピペして具体的に検証してみましょう。


A 描写する

B 描写しない

C その他



AA 色・見た目・感触・味など五感で表現する(例:白い雪 冷たい雪)

AB その存在意義や気持ちなどで表現する(例:雪がさみしそうに)

AC 比喩で表現する(例:まるで子供の柔肌のような雪が パルメザンチーズが降ってくる)

AD 動き・時間経過で表現する(例:雪ふりつむ 深々と降る雪)

AE その他


BA ふさわしい名前を与えそれ以上は描写しない(例:粉雪 みぞれ雪)

BB まったく説明しないで次にいってしまう(例:あの雪、そして全てが終わった)

BC 暗喩として使う(例:あぁ雪殺し、雪殺し!)

BD 一つの記号として絵的に使う(例:雪雪霧雪雪)

BE 言葉遊びにする(例:みみからはがれおちてゆき、のようにどこにも存在しない)

BF その他(引用コラージュなど)


CA そもそも物質について書かない(例:立原道造・銀色夏生レベル)

CB 擬人化してしまう(例:私は雪の子リッカロッカ)

CC その他