■ 課題詩 ■

■ 「ぬばたま」 野口雨情 ■

 昨日は君を
    かへりみで
 雲の山路も
    こえました
 すげなき曲の
    たまだれの
 雨に泣くかよ
    きりぎりす(雨)

 それでも君は
    久方の
 雲井にちかき
    花乙女
 それでは君は
    ぬばたまの
 あやもわかぬ
    はな乙女(野)


※すげなき曲……すげなきたま、と読む

■ すげなき曲 ■

 僕は東北の田舎出身なので、みなさんと違い、僕の中では「すげなき曲」の「すげなき」は、「素っ気ない」ではなく「淋しい」だと確定しています。


 僕の出身地方の方言では「しげねえ(すげない)」は「さびしい」という意味です。
 特に、「人に対して使うさびしい」です。

 あの人が此処から居なくなるのかぁ……さびしくなるなぁ……、という時に
 「しげねぐねるなぁ……(すげなく、なる、なぁ)」
 と使います。


 ちなみに野口雨情は、岩手出身の石川啄木とは仕事の同僚で仲良かったらしいので、あながち間違いではないかも知れません。

■ ぬばたまと綾 ■

 ぬばたまは、万葉集とかにもけっこう出ていて、ぬばたまの後には夜とか黒とかが続くのでそういうイメージを示す言葉、または、ぬばたまという植物の実を指す単語。
 しかし、「ぬばたま」という言葉の真の意味は、心の綾からくるもので、もともと感慨を示す枕詞です。

 夜とか髪とか黒さとか植物の、具体的な単語をイメージするのは実は間違い。
 それは後になってそういう語句が多いから(あと当て字に「黒玉」とか柿さんが書くから)イメージが関連付けられただけです。


 ぬ、は不穏な擬音的なもの、ぬっと。
 ば、は訝しむこと、儚いの「は」、空虚さの語意。
 ぬば、を合わせると、否定、打ち消すこと。
 たま、は言霊のたまではなく、起源をたどると意味は「胸に満ちる想い」。


 これらのことから、「ぬばたま」という言葉は何かこう……不穏な事態、否定的な状態になって、途方にくれて立ち尽くす絶望感、とか、この胸に広がる喪失感、的な意味になります。
 人の別れ(特に死別)の際の、あの何ともいえない感じ。泣きたいけれど泣けない、いや、泣きたいとも思えない、ただ、何か胸に大きな穴がぽっかり空いたような……、という感慨に似ています。

 心の綾、というのは、微細な心の動き、言葉では言い表せないような含みを持つものですが、「あやもわかぬ」の「ぬ」から、曖昧な否定形に転じている。


 「ぬばたまの」は五音で枕詞です。

 >それでは君は
  >ぬばたまの
 >あやもわかぬ
  >はな乙女(野)

 ただし、ここで考えておかなければならないのは、「ぬばたま」→「諸説あるものの由来のわからない枕詞」だということです。
 基本的には意味がなく、万葉集の時代には既に「ぬばたまって言えば、次に持ってくるのは黒とか夜でしょ☆」という風に固定化されていました。

 しかし、この野口雨情の「ぬばたまの」は、明らかに「あや」に意味的にかかってるんですよね!

 だから「あやめもわかぬ」ではなく、あえて「あやもわかぬ」ではないかと。

 ・あやめもわかぬ→物事の区別もつかない。
 ・あや→心の微細な動き
 ・あやもわかぬ→心情を理解できない

 ・それでは君は、ぬばたまの、あやもわかぬ→それでは君はこの胸の喪失感すら理解できない


 枕詞には

 ・意味関係でかかるもの
 ・音声関係でかかるもの
 ・意味ないけど前々から決まってて惰性で使ってる(固定化)

 という、おおまかな分類があるんですが、「ぬばたま」という言葉を、夜や黒に続く固定化された意味わかんない枕詞から、意味関係でかかる抒情にすりかえたのです。
 見事としか言いようがありません。


 脱線して和歌にいきますが、「ぬばたま」という枕詞が使われている歌は、かなり「淋しさ」をうたったものが多いと思いませんか。
 たとえば

 居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも
 (万葉集:磐姫皇后)

 という和歌ですが、基本的な意訳は「朝まで寝ないで君を待ちます。私の黒髪に霜が降ろうとも」です。しかし、上記「ぬばたま」の感慨的な意味を添えてみると

 朝まで寝ないで君を待ちます。(本当は来ないって分かってる……絶望的だって、分かってはいるんだけど……でも待つよ。)私の黒髪に霜が降ろうとも。(夜の精神の不安定さ、胸に広がる愛情は、黒さを帯びて……)

 みたいな感じになります。
 こんな風に、言語外の感慨がぬばたまには入っていて、その否定的な事態、不穏なものごとに対する喪失感・絶望感の感慨が、「夜」や「黒」という単語に表出したものと思います。

 もうひとつ、候補で「ぬばたまは「乙女」にかかるのではないか? だから「花乙女」ではなく「はな乙女」なのではないか?」というのも考えました。
 しかし、枕詞に続く語は、基本的に直後。枕詞は、その言葉を引き出すための前置き、なので。

 僕はたぶん「あや」にかかってると思います。

■ 脱線、黒について ■

 かなことばの発音「くろ」と漢字の「黒」は意味が違う、というのを文献で読んだことがあります。
 当て字で書いたのが定着して「くろ→黒色」となりましたが、実は、かなの「くろ」は、暮れゆく暗さ、とか、泥のように混濁している、とか、そういう感じの意味です。
 だから、苗字の「黒田」は、黒い色の田んぼという意味ではなくて、本当の「くろだ」は泥の田んぼ、という意味らしいです。