■ 21 ■


 さぁ 彼の事について語ってください

 あなたは怯える必要などないのです
 ただ 彼の事を思い出すだけで良いのです

 彼の事で頭をいっぱいにして 記憶を替えて 思い出して

 彼の目 彼の声 彼の指 彼の服 香るコロン 言葉の隅々

 あなたにとって彼がどういう人間なのか
 そんな戯言はどうでもいい
 あなたに沁み込んだ彼についてだけを語ってください

 彼の仕草 彼のトーン 彼の靴音 かすかなクセ

 彼の事で頭をいっぱいにして あなたは段々と狂っていく

 あなたは僕のことを鬼かなにかと勘違いしていますね
 僕はただ 観察しているだけです
 眼球を舐めるように湿らせてあなたの言葉の崩れる様を

 彼の事で頭をいっぱいにして 鍵を見つけて 思い出して
 さぁ 思い出して

 彼の顔――極彩色の粒にまみれてふやけていく残像の肌
 彼の声――旋律は心地よさのうちに鎔けて残響だけが低く
 彼の指――焼け付くような痺れがやがて紫に変色する鈍痛

 あなたは段々と狂っていく 思い出すたびに崩れていく
 彼は
 もしかしたら
 あなた自身が創り出した妄想なのではないかと想像するほどに

 あなたは僕のことを鬼かなにかと勘違いしていますね
 僕はただ 観察しているだけです
 あなたの気が狂う経過を

 唇を舐めるほどに乾かせて あなたは
 音をたてながら歯を震わせている
 強引に首を振り
 涙は流れるままに過ぎ落ちる
 息は荒く
 また首を振り
 怯えながらも激しく縋る目を僕に向ける

 そのようにされても僕は彼の存在を肯定も否定もしませんよ
 あなたはなぜそんなにも追い詰められているのですか

 もう少し落ち着いた方がいい
 ほら 彼の事で頭をいっぱいにして 何度でも言いましょう
 あなたは彼の事について話すだけでいいのです
 それだけでいいのです

 さぁ 思い出して
 彼の腕 彼の足 彼の髪形 耳裏のかたち うなじの汗

 さぁ 頭のそこかしこに彼がいる
 彼の囁き 彼の唾液 彼の胸板 筋肉のかたち

 彼で頭をいっぱいにして 思い出して
 彼の 彼の 彼の さぁ

 頭をいっぱいにして

 さぁ

 さぁ



 さぁ

 もう頭の中は彼の事で真っ白になりましたね     案外短かったですね えぇ 予定よりは短かったので僕も手間が省けました



 刷り込みはここからです

■ 22 ■


 若芽を摘み
 やがて夏にいたる
 一声鳴く 如雨露の金口を
 硝子に差し替えてやる
 あふれる水を 何度も汲み入れ
 乱雑と丁寧のあいだを
 振りながら
 日没まで
 細かい虫が一斉に飛ぶ
 不規則と規則のあいだを
 囁きながら
 広く繁るなか 花芽を摘む
 指の色
 身体の芯
 香りが沁み入る白衣
 渡り廊下を歩き 静止室に戻る
 石鹸を取り出し
 季節を洗い流すと
 業務日記に紫蘇の葉がはさんである

■ 23 ■


 有識者による有色膜の シンポジウムが開催されて
 硝子玉には極彩色ほか無色透明が着色された

 近年
 自死の感情色は 患者の眼球のみとされたが
 花穂で染めた 薄紫蘇の奥
 過冷却液体硝子
 四季の死を待つ有色膜が
 博士の芯を
 マイクのふちを


 感情論などありません
 理論閾値もありません

 あるのはただ 夕暮れの 紫蘇に水撒く老夫婦

 飛ぶ球体には朱け色が
 落ちた先には紫の色が

 果てるはただ 転がる砂利と 沈みきる  光


 有識者による有色膜の シンポジウムが無事閉会し
 極彩色ほか無色透明の硝子玉などが破棄された
 明日に
 芽生える感情色は
     感情論などありません
 過冷却液は硝子になれず
      理論閾値もありません

 四季の死を待つ有色膜が
 博士の眼には 夕暮れの
 紫蘇の紫の色に見えるだけ

 近年
 患者となられた患者はぼんやりと ただ 果てるだけ
 転がる砂利と
 濡れた 紫蘇と
 口を結んだ老夫婦
 花穂を閉じたノートパッドに研究結果を連ねれば
 患者の芯を 暮れさせて
 記憶の底に沈みきる


       光などありません

■ 24 ■


 白いゆびにからめて
 唇をこじあける 抵抗なんて思いつかないような
 濁った眼球

 氷のような危険な夜を呑んで
 つぎつぎと脱ぎ捨ててゆく 抵抗なんて夢にも
 思いつかないような
 霞んだ頭

 クスリの所為だね
 オーケイ、いいよ、 イコール
 とめられない僕の所為 あとでおしおき

 甘い唾液を舐めとって
 腿をこじあける 抵抗なんて思いつかないような
 淀んだ笑い
 誘惑に 眠ったように濡れて
 ぐにゃりと横に曲がった君は 僕の物

 かくんと縦に頷いた?

 あぁ、
 あぁ、
 気のせい

 生きている人形は抵抗なんてしない
 僕は笑ったまま 氷のような冷たい夜に吸い付きながら融かし
 いつまでも抱き責め 愛でる

■ 25 ■


 いつもしづかに続くうたがありました。
 誰かが枯れたときに流れるうたが。
 またきょうこの時刻も沈んでいる。

 あなたの名前を仮にして(Y)やさしい歌声の正体をしりませんか。
 わたしはあなただと思うのです。がっくりと無骨に凹凸する喉仏から水を枯らしてひびくのは……違うのですか。違うといってわたしを突き放さないのですか。

 音づれたシュウリン。
 じっとりと泣くあの茶色いカヤ。
 通過する電車の窓にはモノクロの人形が立ち並んでいる。
 わたしはさびしいのですね。

 ちいさいころを回想して(Y)ようやく母親を見つけたときの桃色の安堵感。なにも言わずに走っておもいきり膝につかまりましたね。
 ずいぶん冷えた母親の手 にうろこが大きく見えてなにもかもがいっしゅんで消し飛ぶ記憶……あのひとはまさかもしかして。
 もしかして哺乳類ではないのですか。

 クリームは何処においたの。
 すんすんと泣くあの台所のヤカン。
 仏間が一番冷えるからと蜜柑の箱を置いていた実家の影。

 すべてなくなってしまいました。
 いつもしづかに続くうたがありました。わたしが喉をならして飲みこむ時だけ途切れるうたが。枯れないように。

 このような話を聞いていただきありがとうございました。
 このたびのお礼を(Y)結わせてくださいぜひともに。あなたにはなしてようやくわかりました。わたしはさびしいのですね。
 そしてご一緒に枯れてくださると。
 首にかけてくださると……違うといって逃げ出さないのですか。

 訪れたシュウリン。
 薄くひらいたままのアパートの木製のドアが風に揺れる。
 わたしとあなたが枯れても。
 きぃきぃと泣くうたが続いていくことを。

■ 26 ■


 横たえた身体は青白くて、どうしてもふりおろせなから
 抱きつくように横になったの
 ね、
 いいでしょ?

 ―

 いつまでも奇麗なアナタ
 蚤が蛆がよってきそうな場所から食べてあげたの
 ね、
 えらいでしょ?

 ―

 魂はどこにいくのかなんて疑問だわ、となりに
 いつも横に居るのは誰?
 ね、
 あなた、誰?

■ 27 ■


 地平線をみるたびに恐怖する
 なぜだかわからないけれど
 じっと待ちわびているとそのうち
 太陽が横に切られてゆく

 母親の背骨に似ている
 どうしてもなぞりたくて仕方がない
 指先が砂になりそぞろ落ちてゆく
 倒れたコップの
 牛乳のように
 静かに早く息もせず進行するおちてテーブルから床へ 浸透して土へ

 クラシックギターの弦を調整する
 あの残響は誰のものでもない
 録音した自分の声を
 他人のように聞かされ分裂しそうな耳たぶ
 あれは誰の
 違う
 こんな
 くちびるを噛んでやりなおしたい
 人格が縦に切られてゆく

 君は僕ではないのになぜ僕の考えがわかる?
 僕は君ではないから君の考えていることなんてわからないのに

 思考
 思考なのです

 地平線をみるたび
 あなたの顔はまるで傷ついた少年みたいだったわ

 指先が砂に 地に 血に
 違う
 こんな

 僕はもしかしたら母に頭をなでられたかったのかも知れない
 君は母ではないのに
 よく笑っては 僕の頭に手首からさきをのせて
 優しくうごかしたね
 そのたびに息がつまりそうだった
 もう息が詰まることなど
 なくなってゆく
 次第に
 走ったあと落ち着いてゆく呼吸のように

 スピーカーから
 少年の声がささやきかけてくる
 (ルテール、ルテール、ルテール)
 (幸せって意味なんだ)
 電源は落とした筈なのにどうしてか聞こえる
 (リンリ、リンリ、リンリ)
 (孤独という意味さ)
 部屋の薄いカーテンは青のままで
 透過する紫を見るたび
 地平線を思い出してたまらない

 イーゼルごと動かしてゆく
 カンバスに遮られた室内で
 冷たいかたまりを飲みほしてゆく
 手首を舐める
 つめたくなった太陽のような恋が
 倒れている
 君の背骨が 母にとてもよく似ている

■ 28 ■


 よい子はおうちに帰りましょうねえ、
 5時の音楽はななつの子なのねえ、



     ママ……はやくかえりたいから、ボクの羽かえして…

■ 29 ■


 彼は六時前に起きた。
 カーテンの無い、はめ殺し窓の外では
 霧雨が鉄塔を鈍く染め上げている。

 ベッド横のテーブル。その上の、旧世界に繋がる黒電話が鳴った。
 地下二階で寝ている妹からの
 モーニングコールに違いないと彼は確信している。

 彼の部屋は小さく、三畳ほどしかなかった。
 その中にベッドとテーブルが置かれ、
 テーブルの向こうの空間は床ごと切り取られていた。

 ふちから少し顔を出した
 下へ降りる梯子の手すりを、彼は心底嫌っている。

 鉄塔は相変わらず濡れそぼり、ぼんやり見ているうちに光が四回またたいた。
 妹からの神託に違いなかったが、
 彼は指を耳穴の限界まで入れこみ、五秒ほど大声を出し続けた。

 妹を心底嫌っているためである。

 すなわち、
 地下には降りないし電話にも出ない。
 雷の音など聞こえなかったし雨がやまないのは自分のせいじゃない。


 彼はまた、六時に眠る。

 境界線を潰して。

■ 30 ■


 キ リキリ  キキ リリ リ キキ
  ポ

 キ キリリ  キリ キリ リ

 君の言葉リ  濃いとか 言うの リ
 君のキ  言葉キがリ 薄いと 言うの リ

 キ色付き惑わされリキリチェラプンジの雨にリは リ
 どキこからでも音キがするキキリ
 どリの家にも広キがるリ

 キ みの 言葉リ  濃いとか 言うの リ
 君のリ せいからリ のばした 雨は キリ
 キ みの 言葉リ  恋とか言うの リ
 病んでる リ せいだねキ のばした手 から ネ

 ア倒れ伏しキた泥水リリ吸い込む酸性キの雨 リ
 どキこからでも音キがするキキリ
 落リちて混じる言キ葉たち リ

 僕の言葉リ  薄いとリ言うの キリ
 雨の 方がキリ  濃いとか言うの リ
 君の言葉リ  濃いとか 言うの リ
 見える 色リから 雨とかリ うの キ

 ザ
 キリ キキ リ  キ リリ リ
 キキキリ キ   リ リ  リリ リ
 リ キ   リキ
 キ
 キリ  リ