■ WHITE DRESS ■

 草薙家は代々、当主や侍女問わず短命で、奇死・変死が多く、それは土地神の呪いだとまで揶揄されるほどなのだが、今回の草薙家現当主長女、絽雨の死体は、明らかに殺人と思しきものであった。
 場所は高級ホテルのプールサイド。
 彼女は、翌日の結婚式にひかえ、チャペルも接合されているこのホテルで、婚約者と控えめな結婚前夜を祝っていたのだった。
 死体の第一発見者は、あろうことかその、婚約者である彼ではなく、プール清掃員の老婆だった。
 タイルの溝をつたい、彼女の血はどろりと蜘蛛の巣のような広がりをみせた。
 まだ死体は運び出されていない。
 なぜなら、巨大な刃物で切られたらしき頭部は未だに見つからず、今も懸命な警察の捜索が続けられているからだ。
 そして、チョークが無理だとわかった若手の鑑識は、死体をかたどるテープを、本庁に忘れてきてしまっている始末。
 まったく、アホの極みである。
 中田のじいさんが休みでなければ、誰がこんな若造、と草津は思う。
 純白のドレスは、タイルに流れた血の影響で少しばかり朱色に染まり、腕は胸の上で組まれ、なぜか飛び降り自殺をする前の状態にも見える。
 その首のない死体に、跪いた彼がそうと手を伸ばすと、草津警部は
「気の毒だったな」
 とやんわり彼の肩に手をかけた。
 たとえ婚約者でも、死体には触るな、と言いたいのだ。
 ツンと、血の匂いが彼と草津をかこむ。
 たれ流された青年の涙が、アゴのとがりでちいさな雫となり、ポトリ、と、彼女の血だまりに落ちた。
「ボクは、こうなるんじゃないかと思っていました……」
 突然の彼のつぶやきに、草津はぎょっとする。
 目の前の男は明日、この死体と結婚する筈だったのではないか?
 それを。
 彼はかまわず独白を続ける。
「彼女が言ったんです。私は明日死ぬかもしれない、と……。なぜなら草薙家の人々は皆、幸せな気持ちで死を迎えるからだと。幸せの絶頂で、突然、暗闇におとされると……」
 その話は、草津も事情聴取で何人かの使用人から聞いていた。
 草薙家と古い神々の、なんとも信じがたい因縁の話を。
 今まで草津は、宗教というものをあまり信用していなかった。が、現にこうして死体が増えてしまった後では、どうにも感情の整理がつかない。
 九ヶ月前にはこの死体の妹である草薙織依が毒殺されており、七年前には草薙家の前当主が奇怪な病で死、それ以前も、草薙家の人間は何らかの形で死んでおり、その中に天寿を全うした人間は居ない。
 ここまで符号が何件もそろうと、偶然という線では考えられなくなってくる。
 ただ。
 ひとつ考えれば、それは「だま」の理論だ。
 赤と白の玉を混ぜても、すっかり均一にはならない。どこかに偏りが生まれる。
 その「だま」が赤だけなのが、たまたまこの一族なのだろう。どこかに、白だけの「たま」が、そう、全ての人間が天寿を全うする一族も、どこかにあるに違いない。
 そう思う。
 そう思いたいのだ。
「アンタの話が本当ならなぁ、仏サンはアンタとの結婚が、人生で一番の幸せだったのさ……」
 投げやりに草津が言うと、男はまた嘆き始めた。顎で捜査官を指示し、男を部屋の中へ誘導させる。
 後姿が、まるで廃人のようだ。
「――警部!」
「おう、」
 草津は指でチョイチョイと警官を寄せる。
 耳元で小声、のサインである。
 初動捜査が終わるまで、男には部屋で大人しくしてもらいたい。
「頭部が見つかりました……、プールの排水パイプの中に入りこんでいたようで…それも奥のゴミ取り格子に引っかかってまして……今、裏手の浄水器を停めて、そいつを引っ張り出しています」
「ご苦労、後で見に行く」
 プールサイドが見渡せる部屋は、全て閉めてもらっている。
 男が、中庭の出入り口に入ってしまうのを見届けてから動いた方が、なにかと都合がいいだろう。
 と。
 男が急に立ち止まった。
 次いで、隣で肩を押していた警官に何かを言い、その警官はこちらをふり返ってジェスチャーをした。
 男を手のひらで指し、指を口につけ、今度は草津を指す。
 口をパクパクさせながら、また同じ動作を繰り返した。警官の唇はこう動いている。
『何か、言いたい事があるそうです』
 何もねぇよ、アンタにできることなんて、何もねぇんだ。
 叫ぼうとして、草津はグッと飲み込んだ。
 「お前が聞いておけ」というジェスチャーで返す。大声で返しても良かったのだが、ここは高級ホテルなのである。
 これから話を聞かなければならないホテル関係者の心証を、悪くしたくない。
 それに。
 警察官としてのカンが言う。
 なぜ、死体に触ろうとしたのか。
 なぜ、あんな話をこの場で始めたのか。
 なぜ、今思い出せるような話を先刻しなかったのか。
 なぜ。
「………」
 ポケットからジッポと煙草を取り出す。
 もしいつも通り中田が鑑識の指揮をとっていたなら「灰は落とすなよ」と草津を叱りつけているところだが、今日は違う。
 明らかな殺人死体は、佐野辺に連絡するまでもないし、吉川に拝ませなくとも十分に理解できる有様。
「アンタは幸せだったのか……」
 草津がそうつぶやくと、やっとのことでテープが到着し作業を開始した若い鑑識が、
「ロマンチックな人なんですね」
 と、誰にともなく言った。