■ カヴァン’ス ■
「アテナっ!」
勢い良く展望室の扉を開けた少年は、そのまま浮いている星の間をタトタトと走りぬけ、背中をまるめて作業していたアテノアオリオン=カヴァンに勢いよく抱きついた。
華奢な彼女にとっては大きな衝撃だったようで、抱きつかれたとたん悲鳴に近い大声をあげ、その長い髪の隙間から、ガシャガシャと、音をたてて何かが床にばら撒かれた。
「アテナ! ねぇ、僕ねぇ―……なにこれ?」
自分の話を始めようとした少年は、その長方形の白板と、色とりどりの何かをじっと見つめる。
「セヅ!! あなたって子はあれほど……、そこに座りなさい」
アテナは、自分の腰に腕をまわしてしがみついている少年、セヅ=オクオトメを星の上に座らせ、ひとつ、溜息をついた。
「何事ですか。展望室は、無断で入ってはいけないとあれほど」
「だって、」
「だってもなにも、ありませんわ!」
珍しく頬を紅潮させたアテナを見て、セヅは押し黙る。
普段は温厚なアテナが何故そこまで怒るのか、小さいセヅには理解できないのだ。色とりどりの絵の具チューブを拾いながら、アテナはぶつぶつと説教を始める。
白い太陽の糸でできた肩掛けが、アテナの背中にあわせてスルスルと動いた。
「良いですか。ザクロが次に目覚めるまで、あなたが「神」なのですよ。神とは万物の父であり、そこにはあたたかな目があるものなのですわ。そこを理解して、もっとこう慎ましやかなー……」
「あ、アテナ。それなぁに?」
説教など、右耳から入って左耳から出るのが子供だ。
アテナが拾い集めた絵の具の束を、セヅは興味深そうにながめた。
「これは絵の具ですわ」
「えのぐ?」
「この白いカンヴァスに、塗るのですよ」
アテナが、改めてイーゼルにカンヴァスをセットすると、セヅは「ふーんふーん」と言いながら、展望室を走り回った。まったく、手間のかかるお子である。ザクロも何を思っているのか。眠りについている今は、知る術もない。
星に軽く指をあてながら遊んでいたセヅは、あっと思いついたように屈託のない笑顔を彼女に向けた。
「ねぇ! アテノアオリオン=カヴァン。神の名において、僕、ひとつお願いがあるんだけど」
「――お願い?」
アテナの顔つきが変わった。
今まで、培養液から目覚めた後で、セヅが言ってきた「お願い」などない。
神の子供は「望まない」のが役目。そうしないと、エデンシステムが使えないからだ。
誰かが吹き込んだのか、それともー……?!
「僕、チキュウに行きたい」
今度こそアテナは、目の前が真っ暗になったような気がした。
あぁ、ザクロ=ヴァレンタイン。
貴方は本当は、眠りにつく御人ではなかったのですわ。