■ 理解人ニート迫さんと美声 ■
知るかと思ったら某巨大掲示板で叩かれてて重大さに気づいた。私は、この悠々自適に紅茶なんか飲んでいるこいつ、針野針華(ファンの中ではハリカ様と呼ばれる)と恋仲になっているらしい。それが雑誌で大々的に取り上げられてお祭り騒ぎになっているらしい。
私女なのにバカだろこいつら。
ハリカが、インディーズでは有名なヴィジュアル系バンドのボーカルであることも、交通事故に遭って突然声が出なくなる失語症? とかいう病気になったことも、私の隣の部屋に隣に引っ越してきたことも、全部全部どうでもいい。私は、自分のことでせいいっぱいなのだ。
だって理解人だから。
私のせいで、ニートよりも理解人が悪い風に取り上げられている。
あぁ、また電話が鳴っている。ハリカがニコニコしながらレトロな黒い受話器をあげておろした。チン・ガチャ。私の部屋は全て、死んだ理解人の祖父の遺品で構成されている。
「別に気にすることじゃないって? そんなこと知ってる。ていうかなんで合鍵なんてあんの。管理人さんにもらった? うるせぇそこんトコは論点じゃねえ。なんで私の部屋に毎日入ってくる。サコさんが寂しそうだしぃー…って言ったらサコさんワタシに惚れてくれるかしらなんちゃって。雑誌なんて気にするコトないじゃないどうせ一時ダケなんだし? ニートでも? そういう黒い事は心の中で、って、」
言っても意味がないことに気づいた。だって私は、理解人だから。
目の前の人間をまるごと全部理解できてしまう人種。それが理解人。
「厳密にいうと私はニートじゃない。失業者だ」
ディスプレイに向きなおる前に思いきり睨みつけると、知ってる、とそっけなくうつむいて、ロリータファッションをバッチリ決めたハリカは、白とピンクのフリルカチューシャを手でいじりながら言った。
…… 言ったんじゃない。声は出ていない。出せない。それを言いたいのだと理解しているのは、気持ち悪い私のほう。
日本の社会定義。私は、ニートの囲いの中に入る。たとえネットの株取引で暮らしていけてても、ネオニートという名前をつけられるし、ひきこもりで、ネット中毒で、重度のガノタで、ハハ、なんて素敵な常套句! とまでは乾いて笑えるようになった。
けど、理解人に対しての世間の知識は笑えないほど未熟で曖昧だ。
妖怪サトリとキコリの話がしばしば引き合いに出されるが、心を読んでいるのではない。まるごと理解しているから、相手の思考を追える。トレースできる。言いたいことがわかる。でも、心を読んでいるワケじゃない。そこが理解されない微妙なニュアンス。
いつまでたっても私を理解しない普通の両親にシビレを切らし、私は早々に彼らの元を離れた。生前、理解人だったという祖父の部屋に勝手に居座る。母は、心を見透かされる恐怖のあまり、祖父が写真の中に白黒でおさまってからも、部屋の整理すらせず家賃だけ払い続けていた。
最初の印象は埃の匂い。カーテンを開けて、さしこんだ光に照らされた仮面ライダーカードのコレクションを見て、私はぐんとこの部屋を好きになった。
最上階のいちばん端で。やっぱり大家も理解人を理解してなくて。
私のとなりの部屋は空いていた。心を読まれないようにと、バカな大家がそうしたんだ。どこもかしこも。
孤独には既に慣れていた。義務教育期間の話だ。詳しくは語るまい。
それ以降の私の人生では、「理解人企画」という会社で一週間だけ働いた事が、今でも夢に出てくるぐらいトラウマだ。理解人は、理解人同士では理解し得ないという矛盾した性質を持っている。意図的に利用した、理解人だけが働く会社だった。合格した喜びもつかの間。私は。適応できなかった。黒い海。恐怖だ。すぐそばの人を何も理解できないという恐怖。上辺か本音かすらわからない。今まで、何度普通の人になりたいと思ったことか。わからない。それが叶ったのにこの恐怖、は。
サコさん、と、ハリカの手が私の思考をさえぎった。
「紅茶に合うクッキーを焼いてきたんだけど食べる? あぁ、たべる。また頭抱えてたみたいね、大丈夫? うん、ダイジョーブ。ウソ、サコさんウソついてる。何でも言って? いや、だからダイジョーブだって。てか私より理解人っぽいな。ウフフそう見える? くそっ。笑ったろ今」
戸口にステッカーを張られたのが嫌だった。社会に、どこかしら拒絶されているという証の、緑のステッカー。けれどハリカはステッカーを見たうえで隣人挨拶に来た。その心の第一声は、
『ワタシ、この人と絶対傷舐め合わない』
泣きながらの決意だった。こんなに外見が可愛いくてオカシイのに、中身はカタくて真剣でもろい。ついうっかり口に出した。
「ワタシ、この人と傷を舐め合いたくないって? ハ、そんなの。こっちだってお断りだ、帰れ!」
ハリカ様とまで崇められ、カリスマ的人気を誇ったハリカの心情は、そっくりそのまま私に理解された。地に墜ちた栄光。リハビリも上手くいかない焦燥。脱退しようか、解散しようか、でも、という葛藤。私に対する、勝負するようなあの泣き声。ハリカは隠さなかった。
ただの道端ですらロリータファアッションをつらぬき、それは良い意味でファンにとって、悪い意味で雑誌関係者に、理解された。
前者は信仰の対象として。後者は記事の格好の的として。
誰かに何かを発信してその通りに理解される、という難しさをハリカは知っていて、けれど、間違えられても発信をやめない。
カタくて真剣で可愛くてオカシクてもろい。
全部、どうでもいい。と、いうことにしたい。真に理解してあげられる存在、という奢りは、鍵をかけて窓から放り投げた。毎晩投げ続けている。
「美味しい? うん、美味しい。こっちはファーストフラッシュなの! まぁまぁかな。紅茶なんてよくわかんねーし。サコさん? 何。ワタシ、今日、サコさんのためにお洋服を買ってきたんだけどー…?」
そこまで言って(まぁ実際言ってないから私の独り言万歳状態だが)ハリカは玄関に置いたままだった紙袋をあさりはじめた。白い、艶のある厚めの紙に、ピンク色で、可愛らしいハートをあしらったロゴが。
取り出す前に断固阻止した。
「ロリータお断りだッ!! おまっ、もう帰れ! ――男のくせに!!」
きのう。ハリカの歌声をはじめてきいた。そのネットの祭りで、動画サイトにアップされてた、過去となった歌声。私はその瞬間までハリカを女だと思っていたから、ぽっかん口をあけて呆然として、別物のような美声がヘッドホンからこぼれおちていった。
「え、あれ? ねェ今さら? ウソ。サコさん、もしかしてワタシの性別気づいてなかったとか? ……そ、」
電話が鳴った。理解人だからって騙されないとは限らない。人生初の屈辱も、やっぱり今夜窓から放り投げる予定だ。可愛らしく立ち上がって一回転したハリカが笑いを、腹をおさえながら受話器をあげる動作を。
目が合う。瞬間。理解した。うわやだなんか耐えられそうにない。
「そうだよバカ! もう帰れ!!」
チン・ガチャ。