■ リボルバー・サクリファイス ■

■ 1 乾季 ■

「アレはよくやっているか」
 扉を開けた。
 第一声がそれだ。
 雨の音は聞こえない。ラボは地下に、秘密裏に管理されている。
 ワイシャツの襟ボタンを外す仕草をしながら、篠山博士は続けた。
「何の用だね。アレに肉体的不都合があった場合、地上の連絡基地に報告する事にしていた筈だが? まぁ、なんなら殺してくれたって、私はかまわないけれどね」
 そんなことを堂々と言い放ち手を差し出す博士に、京介は久々の嫌悪感を抱いた。それは、博士のいうところの「アレ」と会話している時の嫌悪感とは、また別のものである。
 握手をしながら
「肉体的不都合は、パスしてでの実践だろ」
 吐き出すように。
 嫌悪感を受け取っておきながら、篠山博士は顔色を変えず会話を続ける。
「実験と経験は違うからね……、煙草は?」
「いいのか?」
「別に」
 京介は胸ポケットから煙草を取り出し、慎重に火をつけた。ぐるりとラボを見回す。
 この部屋は篠山冬彦博士の専用研究室で、あたりには小難しい本やレポート用紙が散乱している。一緒に前線で戦っていた頃は、テントの中をキッチリ片付けていた記憶から、几帳面な方だと思っていたのだが試験管やらビーカー、大したものではなさそうにパソコンが数台、無造作に置かれている。何に使うのか分からない機械も多く、配線はむき出しで一歩進むごとに足にからみつく。
「と。もう時間だ。また来てくれたまえ、今度はアポを入れてからね」
「客でも?」
「いや、酸のミリ調整の時間だ。まだアレしか成功作は出ていなくてね……」
 ふと、博士は引き出しを開け、しばらく視線をおとしてから閉めた。
 その中に入っているのは、京介の予想している銃に相違なかった。

     ☆

「失礼」
 そう言って前線のテントに、なんでもないようなフリをして入ってきた博士に驚いている間もなく
「君は今でも私の部下か」
 硬い声でたずねられた。
 落ち着くためにコーヒーを一口飲み、そうだと京介が答えると、そう思うのなら早く「上」に来なさい、待つのもいい加減あきたと無表情で返された。
「これは……夢…か?」
 コーヒーに味はない。
 それが夢だと思った理由だ。
 博士は現実世界の戦場でも、いきなり前線に現れて新システムの実験を開始することがよくあったからだ。夢か、ともう一度つぶやくと、目の前の銀髪が、クツクツと揺れた。
「当たり前だろう京介君。私はもう前線で「赤い悪魔」だの「白い死神」だのと、日本のアニメのようなあだ名をつけられるのにあきたから、研究所に行ったのだ。そうでなければ、誰が」
 博士の腰には銀のリボルバーが、昔と同じように鈍い光を放っている。
「もう一度問おう」
 京介の視線に気づかず、
「君は今でも私の部下か」
「そうだ」
「結構な自信だね……」
 博士は曲げた片膝に両手と顎をのせ、夜明けまで居させてくれと自嘲ぎみにつぶやいた。
「お好きに」
「そうさせてもらおう」
 吊り下げたランプから芯の焼ける音がした。

     ☆

「やあ」
 気配に振り返った博士は、とたんに不機嫌そうな顔をし、
「出て行きたまえ」
 と。それは京介の後ろに立っていた、白衣の女性に対して言われたものらしかった。
 女性はあわてて書類を、部屋の入り口の棚に置き、ペコリと礼をして走り去っていった。
「私が君だけに声をかけるのを、良く思わない連中もいてね。ああして知らない顔を寄越されると、時々部屋の中を的確に荒らしていくのだよ」
「的確に」
「そう、的確にだ」
 博士は首をかたむけ、蛍光ランプを見あげる。
 相変わらず部屋は散らかっている。
「例えばプログラムを一行だけ改竄したり、私の気に入りの紅茶パックだけがなくなっていたりするー…煙草は?」
「禁煙中だ」
「嘘だね」
 ところで半年だが、と篠山博士は続けた。
「アレの調子はどうだい。そのために来たのだろう、京介君」
 右手に持ちっぱなしだった分厚い報告書をデスクに置く。半年分だ。しかし博士はそれには目もくれず、冷え切ったコーヒーを差し出したかと思うと、その書類の上にトンと置いた。
「肉体的機能は異常なしかい」
「この間風邪をひいた」
「ふうん」
「夢も見たらしい、うなされていた」
「情は?」
「どちらに?」
「どちらからも。それこそが私の知りたいことだ」
 半年そこそこでは普通の人間ですらまだ答えは出ないだろう。かわりに、アンタはどうなんだと聞いた。
「アレに情など……ハ、笑わせないでくれ」
 ひとしきり低い声で笑った後、私はナルシストではないのだよ京介君。だが、君にしては興味深い質問だったと返された。

■ 2 雨季 ■

「これは命令なのだよ、京介君」
 しばらくぼんやりとその白い軍服をながめ、だとしたらこれは夢だ、と京介は思った。否、違う。記憶をたどっているだけだ。
 まだ篠山博士が、博士などと呼ばれていない頃、彼はかわりに敵軍から「赤い悪魔」だの「白い死神」だのと噂されていた。だが、彼を本当に見たことのある同じ軍の仲間たちは、彼を「リボルバー」と囁いた。
 それが裏の通り名だった。
「もう一度言おうか」
「いいえ」
「じゃあ命令に従ってくれるかい」
「――いいえ」
 言った瞬間に間合いをつめられた。後ろは壁。顎を、あの銀色のリボルバーでゆっくり押し上げられる。冷えた眼が、京介を射った。
「私が嫌か。この私が」
 その時。震えた唇が紡いだのは肯定の意味での「いいえ」だった。それをわかった上で、彼はニヤリと、初めて見る篠山中佐の感情的な顔だった。
「君は、私でない私なら好きになるか。今、丁度、思いついた」

     ☆

「一年ぶりじゃあないか」
 ずいぶんと長生きしているようだが、と博士はプログラムを点検しながら言った。
「そろそろ、変なあだ名をつけられる頃だろう」
「まぁ……」
「フ、その様子だと、とっくにか」
 京介に向き直り、それでアレの調子はどうだい、と続けた。
 前回よりも薄くなった報告書を投げ出す。やはりそれには目もくれず、博士は煙草に火をつけた。
「調子は、」
「なんつーか……大人になった」
「どちらが?」
「どちらも」
「ふうん」
 探るような声だ。
「情は?」
「どちらに?」
「どちらも」
 沈黙が続く。
 それを破ったのは博士のほうだった。数回吸っただけの煙草を黒ずんだデスクの端におしつける。
「京介君、私は執着という言葉が嫌いだ」
「俺のせいか」
「まさか」
 あきあきしていたのは事実だ、と博士は笑った。乾いている表情。いつものことだ。
「きっかけが君だったから、実験にも君を選んだまでだ。例え脳を完璧にコピーしても、育つ環境で性格は違ってくる。君は、私ではない私と、二年もうまくやっている。それで十分だ。もう報告はいい。私はここを辞める」
「そ、」
「ちょっと待ちたまえ。死ぬわけじゃない。逃げ出しても殺されるのがオチなど、私の趣味ではないのでね。別な方法で研究から逃げようか。まあ、あと半年もしたら君の所には挨拶にいくよ。アレがどう成長しているかも、少しは見ておこうじゃないか」

     ☆

「約束通り遊びに来たのだが……アレはどこに居るんだい、京介君」
 京介はため息をついて、アレはやめてくださいと薬莢の箱を片付けはじめた。今日は万聖節だ。向こう側も攻撃をひかえている。
「ここでは篠山雪彦だ。日本から来た少年で、両親と弟は他界している」
「私も、両親と弟は既に他界している。呼んでくれるかい」
 大声で「雪彦、居るか」と叫ぶと、テントの方向から「もう少し待ってください」と高い声があがった。
 そうか彼は年齢若めに作ったのだったね、と博士はひとりごちザックを下ろす。積み終わったジープに背を預けている京介の前に立ち、腰からリボルバーを抜いた。あせた、銀の。
「ラボを片付けているとき、引き出しから見つけたのだよ。懐かしいと思わないかい」
 京介の胸にリボルバーをあてる。
「今も。私は私が嫌いなのだよ、京介君」
「だろうとは、」
「思っていたかい」
「まぁ」
「アレはアレ自身の事を、ずいぶんと好いているんじゃないのかい。それは君がー……」
「――小隊長ッ!!」
 銃声は、雪彦の叫びよりも大きく響いた。
 ヒザをついたのは雪彦だ。手元を狙われたため、持っていた銃を抱え込むようにして痛がっている。リボルバーはあさっての方向を。だが、同時に左手で投げられた小石が雪彦の肌を赤くしている。
 篠山博士は、リボルバーをホルスターに戻し
「私もずいぶんハネが重くなったな……」
「博士!」
「もう博士ではない。前線に復帰したのだ。階級はひとつ下がったがね」
「小隊長、誰です? そいつー…」
 雪彦は目をまるくして言葉に詰まった。
 それもそうだろう。自分とそっくりな大人が立っているのだ。
「君が噂の他人の空似君かい? 私は第五部隊の隊長を務めることになった者だ。さっきは、君の部隊の小隊長に銃を向けてすまなかった。これでも昔、彼は私の部下だったのだよ。ねっ、京介君」
「ねって……」
「ね、」
「ハイ」
 雪彦と握手を交わした後、篠山博士は京介の肩を軽く叩き、低く、
「すいぶんと忠誠心が厚いのではないかい『私』は」
「ハハ……」
 返す言葉もない。