■ 砂上のチェリオット。 ■

■ 1 砂上の特殊部隊二人 ■

「ゴーグル!」
 京介がそう叫ぶと同時に、雪彦が投げた砂色のゴーグルがブーツにぶつかった。
「足元にありますよ、小隊長」
 雪彦は嘲るような笑みをうかべ、自分のカクテルを背中にくくりつけ始める。
 霧の中でさえ黒光りする散弾銃を、誰がカクテルと呼び始めたのかはわからない。しかし、人間を瞬く間に血色に染める様子は、薄暗いバーの中で、キンキンとシェーカーを打つそれに近いものを覚える。
 四肢が跳ね、現われる、馨しい極上の液体。
 京介も、雪彦も、あの感覚が忘れられずに外国人部隊に志願した日本人だった。
 立ちつくし、砂の山を眺めながらタバコを取り出した中年男が京介。そのななめ後ろで、片膝を砂面につけて爪を噛んでいる青年が雪彦だ。他の隊員は出払っている。
「タバコ、火ぃつけちゃダメですからね」
「わーってるわ! このクソガキ」
 二人きりのときには日本語で。それが、どちらともなく交わしたただひとつの約束事だった。
 日本に戻る可能性など、まったく考えていない筈なのに、何かあると咄嗟に出てくる言葉はいつも日本語で。
 こんなチンケな国の宗教洗礼など、ただの形式に過ぎない。その土地に相応しい洗礼名をもらったところで、自分の根本が、そう易々と変わるわけはないのだ。
 京介はタバコを噛み、無精ひげを撫でつけ、ぼんやりと感じている苛立ちをどうにか胸に押し込めた。
 今夜の空模様。
 そしてこの霧。
 ――まるで、王子をかくまっているような新月。
 今回の任務は、この砂の迷宮に逃げ込んだ一国の王子を捜し、確保することだった。
 国は、プロテスタントによる革命で王制がくずれたばかりである。いきり立った民に押し流され、即興で仕立て上げた革命議会は、王子を見せしめの死刑台に立たせようとしている。
 王と王妃は宮廷内で自殺、そのうえ王子が国外逃亡となっては、革命に信用が足りないのだろう。
 血が、流れないことには。
 ……確保という達しが届いたときの、隊員たちの落胆した顔が京介の目に浮かぶ。
 少年時代はジャック・ザ・リッパーの名を欲しいままにした、ナイフの名手カルロ・トムキャンパスや、仕込み爆破のスペシャリストであるライアン・C・ザルクナフ以外の隊員も、皆一様にそうだった。
 殺し殺される緊張感もないまま、だらだらと引き伸ばしているのはそれ相応の金を貰うため。
 この場所にテントを張ったのも、砂漠を包囲し、じわじわと攻める作戦にしたのも全ては金のためだ。
 つまらない、たいくつ。
「……小隊長。そろそろDポイントを攻めましょうか。ここ一週間でターゲットはかなり疲労しているハズです。Dポイントに居る可能性がかなり高い」
 雪彦はトランシーバーを片手に京介のうなづきを待った。しかし、京介の首は動かない。
 この完璧な作戦のどこが悪いというのだ。京介の後姿を睨み付けながら舌打ちし、雪彦は親指の爪を噛んだ。
 なぜこんな草臥れたオヤジが、小隊をまとめることができるのか、雪彦は常々不思議だった。自分の方が、作戦指示もそつなくこなす事ができるし、射撃の腕だって負けていない。
 外人のみで構成されている特殊部隊POCOの中でも、日本人の血は雪彦と京介のみである。日本人ということで一目置かれているのならば、自分だって同じ日本人だ。しかし、カルロはいつだって雪彦を苛つかせるようなことをするし、ライアンも、なぜか京介の指示にだけは忠実に従う。
 装着している暗視ゴーグルに手をあて、雪彦はもう一度作戦許可をもらおうとした。
「小隊長、」
 京介は何も言わない。
 かわりに手が動いた。何かが、哀しげに落ちる。
 それが噛み砕かれたタバコだとわかったとき、京介の周囲の空気がふっと冷えた。緊張感のある視線が、一方に注がれている。その劇的な変化に眉を寄せた雪彦だったが、思い当たってすかさず同じ方角を見つめなおす。
 ゴーグルから通された視界は、光を乱反射する霧のせいで白く光り、その奥には、数日間雪彦たちを拒絶し続けてきた緑の砂しか見えない。
 誰にともなく肩をオーバーにすくめ、瞳を閉じてゴーグルを外す。
 なんだ。
 ただの早とちりか。
 イヤミのひとつでも言おうかと、顔をあげる。しかし、雪彦の目の前に立っていた京介が居ない。辺りを見回すと、彼は、数メートル離れた砂の上まで走っていた。風とともに
「……君も」
 澄んだ、
「ひとりぼっちなの……?」
 声が、響いた。
 京介は立ち止まり、息を整える。眼下の砂のくぼみに、一人の少年の影が見える。髪も、服も、どうしようもなく砂にまみれていて、ただ、ひざまづいているであろうその姿は、霧の奥で確実に存在している。品格などかけらもない、生に。ただただ焦がれた、汚くて美しい、それは本当の意味での人間の姿だ。
「君に…名前をつけてあげるよ……」
 走って京介の隣に立った雪彦が、慣れた手つきで背中から反転させたカクテルを、影に向かって構える。
 霧が、一瞬。
「君の名前は、」
 晴れた。
「チェリオットだ……」
「動くな!!」
 王子がハッとした表情で砂の上の二人を見上げる。叫んだのは雪彦だった。
「ガルノヴァ国元王子ディクレシエント・アーノルド・チェリオット! 革命議会の命により、お前を確保する!」

■ 2 砂上の元王子一人 ■

「……の…」
 チェリオットは、一瞬下を向いたかと思うと顔をあげ、キッと雪彦を睨んだ。
「無礼者!」
 虚勢か。京介は歩いて後ろへ回り込もうとした。その様子だと武器の類は持っていないようだ。仮に逃げ出したとしても、雪彦と二人でなら十分確保できるだろう。
 本来ならば、後ろを雪彦に任せるべきなのだが、もうカクテルを向けているなら、動くことはできまい。
 元王子はしきりに無礼者とわめきたてた。
「ボクを誰だと思っている?! カルノヴァ国第28皇帝の息子にして、次期国王となる者だ!」
「………」
 雪彦はカクテルのセーフティーピンを外し、無言で爪を噛んだ。苛立っている証拠だ。
 ――まずい。
 京介は自分の判断ミスを悔やんだ。
 数々の戦場は修羅場だ。殺してくぐりぬけてこなければ、自分が生き残れない。若いとはいえ、そういう意味では雪彦は確かに優秀だったが、それは、殺しが正しい状況においてのことだけだ。
 今回のような人身確保のケースは、まだ経験していない筈。
 殺したら元も子もないんだぞ、雪彦!
 心の中で京介は叫んだ。
「無礼者、銃をおろせ! ボクは王族だぞ」
「……ハッ。王族、ね。うぬぼれもいい加減にしてほしいよ」
 雪彦は大げさに肩をすくめ、チェリオットを嘲るように言う。
「見ての通りぼくらは、この国の住人じゃないものでね。王の権力もなにも、関係ないのさ第一、国は、もう滅んだ」
「違う!」
「違わない。アンタさえ大人しくしていたら撃たない。革命議会がある中央区まで、これから同行してもらう」
「えっ?!」
「……だから、中央区まで一緒に行ってもらうって」
「ボクは……殺されるの…?」
「そんなの知らないよ。裁判にはかけられるんじゃないの?」
「っ黙れ! ボクは王子だぞ。なにかの間違いだ! ボクはー……!」
「ウルサイ」
 雪彦はカクテルの引きがねを引き、銃弾は、元王子の足を射抜いた。
 悲鳴とともに、また霧が濃くなり始める。
 動こうとした京介に向かって、雪彦は「逃げられないようにしただけです」と醒めた声でつぶやいた。
「これでいいんでしょう、確保って。生きていれば」
 チェリオットは苦痛に顔をゆがめ、叫びながら砂の上をのた打ち回っている。そのうち痛みに慣れてきたのか、両手を足にあてがったままふるえ、懇願するかのような目で、はじめて京介を見た。
「お願いだ」
 生きたいと全身で願う、瞳。
「逃がして……」
 今まで見てきた中で、一番ドキリとするような光を放っている。
 それは、平和な日本人には決して真似できない光。京介は動揺を悟られないように、できるだけゆっくりまばたきをした。ゆらぐ。しかし、チェリオットは、次の言葉で自ら活路を絶った。
「逃がして……ボクには…関係ない……!」
 関係ない?
「お前も同罪だろ」
 仕事を手早く済ませたかった。今まで、言うことは何もないと思い黙っていたが、この無知な少年は、自分がなぜ追われたのかを知りもしないで逃げようとしている。
 言いかけてしまった。
 仕方なく、京介は続ける。
「なんでお前が同罪かって、そりゃぁ、革命を起こしたのが神じゃあなくて、人だったからさ。俺ぁカルノヴァの宗教洗礼を受けているが、神の声を聞いたことは一度もねぇ。それに、」
 ポケットから煙草を取り出し、京介は口にくわえながら、元王子から視線をそらした。
「アンタは今、他人の力を借りて逃げようとしている。少なくとも革命を起こした奴らは、自分の力で戦ってるんだ。お前は自分で戦った事があるのか? 戦った結果逃げているのか?」
 京介はそう言いながら両手でポケットを探る。しかし、どのポケットにもライターが入っていない。
「あれ……火…」
「つけちゃダメですってば、小隊長」
 すっかり血の気がさめた雪彦が、呆れたように言い放った。カクテルを片手で持ったまま、もう片方の手でトランシーバーを探る。
 すっかり苛ついてしまって、仲間への報告を忘れていた。
 京介は時々、雪彦にはどうしたって出てこないセリフを、さらりと言ってのける。それこそが隊長の器だというのなら、ヤケになって追いつこうとしない方がいいと、雪彦は感じた。自分は任務を確実に遂行するだけだ。
 元王子は泣き始めた。
 もう逃げることはないだろう。
「そういえば、名前がどうたら言ってたな、さっき」
 煙草を噛みながら京介は、軽い調子で言う。
「これのことか?」
 京介の足元の砂から、木の取っ手らしきものがつき出ている。
 チェリオットは痛む足を引きずりながら数歩這い進み、その取っ手に手をのばした。霧に隠れ、影から手が浮かびあがる。
「……ボクは、父さんも母さんも嫌いだった。贅沢ばかりして、国も摂政にまかせきりで、」
 その木の取っ手には、よく見ると細い弦がからみついている。バイオリンの持ち手だった。
「好きなのは、バイオリンの授業だけだった。こいつらは、ボクと同じでただそこに居るだけの存在、だけど。誰かが弾くといい音色が出た。そこだけが、ボクと違うところだった……」
「元王子をAポイントで確保。あぁ、うかつだったよ……おい、それどういう意味だよカルロ。ウルサイ。とにかくこっちに戻れよ。あぁ、間違いなく小隊長命令だ」
 チェリオットが取っ手を引っ張ると、すんなりとバイオリンの一部が顔を出した。しかしそれはボロボロに壊れており、もう弾いても音は出ないだろうと京介は思った。