■ NTH88V.S.羽黒宇宙基地 ■

■ 1 開始 ■

「痩せてるねぇ〜。ちゃんと食べてるぅ〜?」
 棚橋が笑いながらそう言うと、チーム「羽黒宇宙基地」のリーダー羽根田紺は、黒い冬服の裾でキャスケットをこすった。
「そっちこそ太ってるね。ちゃんと走ってる?」
 今回の公式バトルに勝てば、チーム「アラウンド・ラビリンス」は、NTH88という学校内最強の称号を20回守ったという形になる。
 瀬野が抜けて、一時期はどうなることかと思ったが、案外いけるもんだ、と、リーダーの多岐はため息をついた。
 この学校では大勢の生徒たちが、最強の名を勝ち取るために、各自でチームを組み戦いに明け暮れている。学校側も諦めたのか、先生方は戦い方の授業を行う始末。購買には各種武器が格安で揃えられている。
 多岐たちのチームは半年前に、前NTH88チーム「ラグナロク」を倒し、称号バッジを譲り受けた。――瀬野の風穴とともに。
「今回のゲームは、ロンド。Aハンデがあるよね。NTH88チームから1人、こちらのチームにもらうよ」
 羽根田はゆっくりと、向かいに居る菊池を指差す。どうやら、この戦いのために前もって決めていたようだ。
「へェ? ボクでいいのかな」
 菊池は、眼鏡の奧のつり目を細め、黒田姉妹の隣へゆっくりと歩く。
「ヨウ、」
 ふり返って、向かいに立っている新岡を呼ぶと、青白い顔をした彼は「……レイ、手加減…しなくていいよ……」
 相変わらず具合が悪そうだった。
 NTH88公式バトルでは、挑戦者がバトルモードを自由に選べる。
 今回は、各チームの亜空間結界師が、透明な特殊防弾プラスチックの板に向かい合い、そこが円の中心となる「円舞曲(ロンド)」と呼ばれる形態でゲームが進んでゆくこととなった。お互いの敵の亜空間結界師が立っている、1メートルの半円の中に足をふみ入れた方が勝ちだ。
 戦いは必然的に、2箇所に生まれる半円の境目の攻防戦となる。
 これは、回復役の居ない「羽黒宇宙基地」にとっては非常に有利な戦いだ。速攻を仕掛ければ、早い時間で決着が着く。
「そろそろ始めよう」
 羽根田は両手を広げ、半円についた保志に向かって叫んだ。
「アラタ! 結界はって」
「いえっさ!」
 呪文を唱え始める少年の向かい、特殊プラスチックをはさんで立っている少女は、後ろの竹中にむかって
「お兄ちゃん! あたしはいーのー?!」
 とこれまた叫ぶ。
「いいのいいの! そっちの仕事だからー!」
 デレデレした顔で(シスコンなのだ)手を振った兄、竹中凪は
「バッカじゃないの〜?」
 ――ゴツッ。
 棚橋に頭を叩かれた。
「ってー!」
「サカエ〜、いいの? こいつ、このポジションで」
 これまた棚橋にほっぺをつんつんされた竹中は、ムキになって反論を始める。
「いいじゃん! 瀬野さんが居ないんだから、仕方ないじゃん!」
「ほんとにいいの〜? サカエ〜」
 多岐は、そんな二人を見て
「いいのって言われてもそれしか思いつかなかったしなー…」
 新岡の背中をポンとたたいた。
「ヨウ、オレとお前がそっちの境目。センとナギが向こうの境目だから」
「……うん…でも……あんまり攻撃魔法は得意じゃない…」
 新岡は、向こう側のかたまった影を見ながら、ブツブツと言う。
「いいよ、防御してくれれば」
「でも……ナギとセンの方より、こっちの方が突破しやすい、なら……攻撃で…」
「いいから!」
 突然出た大声。
「あ、いや! ん、やっぱ攻撃魔法も、さ。頼む。必要あればだけど」
 新岡は多岐を見て、一瞬、悲しく笑う。攻撃魔法は瀬野のポジションだった。彼女はもう居ない。
 それはチームの皆に影を落としていた。だけど。いや、だからこそ、ここまでこれたのだと多岐は上を見上げる。水銀ライトが結界の膜で薄れ、ゆらいでいる。
「――向こうは攻撃手と防御手、バランスをとって配置してくるハズだ」
 菊池が眼鏡をクイっとあげると、黒田姉妹は「キャー!」と黄色い声をあげた。
「レイさん、ほんまカッコえぇわぁ!」
「やっぱし想像通りのしゃべりかたやわぁ!」
「……ッ……。えー、だからー」
「照れてる顔もかわえぇ!!」
「あーっ! Aクラスまで上がってきて良かったわぁー!」
「………」
 赤面して押し黙る菊池を見て、吹き出し、笑い出す羽根田。そして細身だが、がっちりした体つきの片桐は、そんな皆を黙って見ている。
 このチーム、てんでバラバラだ。
 Aクラスまできたのは、もしや、ただの運か? 菊池は「やれやれ」と聞こえない程度の声でため息をつき、指示を出す。
「こっちの境目は羽根田さんと黒田ー…」
「ミナイはこっちやでー」
「あたしはカコムゆうん」
「えーっと、カコムさんで。残りは皆、向こうの境目。いいかな?」
 羽根田と目をあわせ、同意を求める。キャスケットをくいくいと直して、羽黒宇宙基地のリーダーは笑った。
「ん、いいね。僕もそれがベストだと思う」
 なら始めるかと菊池が、向こうの半円にむかって叫ぶと
「は〜い、いつでもどうぞ〜!」
 棚橋に軽く返された。あいつら、やる気ナシかよ。と、菊池は苦笑する。羽根田はかまわず両ヒザに手をあてた。
「ウィ・アー、チルドレン!!」
「「「セイ! ユー!!」」」
「ノウ・モア・シャドウ!!」
「「「ライツ! スター!!」」」
「ロケットぉー……スリー、ツー、ワン、」
「「「レッツ・ゴーォオオオ!!」」」
 叫び声にあわせて一斉に走り出す。さぁ、戦いの始まりだ。

■ 2 接触 ■

「来たよ……」
 新岡は、多岐にむかってボソッとつぶやくとうつむき、
「かごめかごめ……カゴの中の鳥は……いついつ出逢う……」
 左の薬指を甘く噛んで、魔法防御の体勢に入った。多岐は、腰にくくっていた竹刀を片手で振り上げ、ふーっと腹に力をこめる。
 スピードにのって近づいてくるのは、Aクラスチームリーダーの羽根田と、黒田姉妹のどちらか一人だ。
 と。
 彼女が、急に立ち止まる。
「シャイン、オーバー・ザ・サン。クロスカイマージ・ジングル」
 呪文。
 詠唱は単純で短いが、特定の声質でしか発動しないとされる、珍しい光の羽根魔法。
 これを使えるのは、学校内では黒田井(カコム)のみだ。
 彼女のキュロットスカートの周りにポツポツと光の玉が浮かび、そこからハラハラと生まれ舞い落ちる、無数の白い羽根ー…。
「セット・ダブリュウ、ホワイトフロウ!!」
 声と共に、一斉に羽根が新岡めがけて羽ばたいたが、
「……夜明けの晩に、ツルとカメがすーべった。うしろの正面、だ、あ、れー……」
 新岡が「ヒュッ」と左手をふるうと、パパパァアン! と高い音をたて、全ての羽根が消えた。
「……ふーん、そんなもんなんだ」
「なんやて?!」
「発動方法とか……珍しいのに、もったいな…」
「ひっどー! あんた、乙女に向かってそないな暴言ッ、死ぬほど後悔さしたるわ! ジャスティーカップ・プルトップ!」
 彼女の頭上に、大きな光の玉が現れる。それはとても眩く輝き、新岡は一瞬だけ、太陽かと錯覚した。
「セット! イエロウ!!」
 目を伏せ、ひっそり笑う。
「へぇ……いいね。でも、こっちが先ー…」
 新岡は、死角からの羽根田の跳び蹴りをさらっとかわし、くるりと回転して多岐と位置を入れ替えた。
「ちっ!」
 羽根田は、ななめに薙ぎ下ろされた多岐の竹刀をかわし、素早く立ち上がると、制服のポケットから数本、短いのべ棒を取り出した。
「22本の柱をかける、天界の使者より、セントラルウエストポート、ホド!」
 鈍い銀色だったそれは、羽根田の呪文で、ぼんやりと緑に光る。
 多岐は竹刀を両手で持ち直し、
「そんな小道具で勝てるのか?」
 何百ものチームを斃してきた貫禄を見せる。
 羽根田はその問いにニヤリと笑い、同時に、鋭い動作でのべ棒を上に放った。
「?!」
 笑い。
 そう、最高の舞台には、最高の笑いが必要なんだ。
「おあいにくさま。今まで戦ったチームの頭は、みんなこいつで潰してるンだ」

     ☆

「ちょ、ねぇセン! 来ちゃったよー!」
「だから〜?」
 あわわと慌てる竹中に対して、棚橋は可愛い人形をもて遊んでいる。
「だからじゃないよー! アベルンしまって銃出してよー!」
 棚橋が持っているこの人形には「アベルン」という名前が付いていて、去年からの、彼の一番のお気に入り人形である。いつも持ち歩いており、人形に着せる洋服もドール服専門の店で買っている。
 彼のがっしりとした体格とは不釣り合いな、小さいピンクのフリフリスカートが、手の中でゆれる。
「今度のお洋服は、なんにしよっかな〜。ゴス系かな〜、それとも雰囲気かえてジーンス系かな〜」
「アレだろ。フォークロア」
「!!?」
 走ってきた菊池が、ひゅんと棚橋の懐に入り、足をかけて倒そうとする。棚橋は、跳びあがり、
「ナギ!!」
 アベルンを竹中に放って腰からコンバッド007を取り出した。
 連続して銃を放つ。硝煙の心地良い匂いが鼻をかすめる。
 菊池は、持ち前の反射神経で弾をよけ、また向こうへ走っていった。
「――……」
 棚橋は動かそうとした手を止める。
 変だ。
 いや、今はまだ序盤。たぶん、銃に精通していることを知られていて、だから離れて様子見……か。とにかく、こちらも敵の能力を知る所からいかないとー。
 棚橋はコンバッドを腰に戻し、背中から組み立て式の散弾銃を取り出した。
 ――カ。ガッカン。
 立ち上がったいつもの音。
「ナギ」
「え、は? オレ??」
「リフレクト準備〜し〜と〜い〜て〜」
 穏やかな声は、標準あわせと重なり苦いように聞こえる。竹中は、文句を言いながらもぶつぶつと呪文を唱えはじめた。
 棚橋が銃を構えたのを斜めに見ながら、菊池は、羽黒宇宙基地の陣地へと戻る。やはり、棚橋は頭がキレる。けれど、
「あれを防いだら、煙に紛れてミナイさんと一緒に奇襲をかけるから」
 こちらの方が一枚上手だ。
 肩で息をしながえら眼鏡に手をかける。別なチームと組めるなんて、滅多にない。一度、あいつらを懲らしめてみたかったんだ。特に、ナギ。菊池は笑う。
 手加減は、ナシだ。
「おっけー。セイ、たのむわー」
 黒田皆(ミナイ)は後ろに佇んでいた片桐に声をかけながら、コキリと首を曲げた。
 ――次のNTH88は、ウチらがもろうた!
 っていうか、あかん。やっぱレイさんかっこええわー。

■ 3 邂逅 ■

 半円の中の少年、保志は、少女に問う。
「ねぇ、君、中等部の子?」
 プラスチックをはさんだ向かい側の少女、竹中灯は
「ええ、そうよ」
 と、簡潔に答える。
「チームの中に、お兄ちゃんが居るから、お手伝いしてるの」
「ふうん、そーなんだ」
 保志は、特に興味がなさそうにうなづいた。今度は灯が、まじまじと保志を見つめて、
「あなた、中等部じゃ見ない顔ね。もしかして、高等部の人?」
 と聞く。
「そうだよ」
 保志は屈託なく笑った。
「ホシ・アラタっていうんだ。高等部っていっても、一年だから。まだまだ背は伸びる予定」
 ピョンと跳んで、おどけたように一回転。しかし、その額に汗が浮かんでいることを、少女は見逃さなかった。
「結界、かわりましょうか?」
「!」
 保志の顔色がかわる。とたんに、ぐらっと、結界の天井がゆらめいた。
 NTH88バトルでは、戦いに様々な規定が設けられている。
 数ある結界形式の中でも特に難易度が高い、中が通常空間どおりでかつ、薄くて固い結界を形成しなければいけないのも、そのひとつだ。通常のチーム同士の戦いでは、戦いを挑む方の亜空間結界師が、得意な空間を設けることができる。挑むチームのクラスが違うと、挑んだ受けた関係なく、低いほうのクラスの結界師が空間を形成する権利がもらえる。
 そうなると、結界を形成したチームの方が俄然有利にコトが運ぶ。実際、亜空間結界師の良し悪しで勝負が決まる戦いも、ざらだ。
 竹中(兄)が、妹と一緒に居たいという個人的な願望のために灯をチームに招いた事は、偶然という名の幸運である。
 少女は、類稀なる才能を持っていたのだ。
「いや、」
 保志はふうっと息をつき、プラスチックの壁に手を置く。
「まだダイジョーブ」
 どうしてこんな年下の女の子が、自分より「上」なのか。どうして自分はこんなにも、こんなにも非力なのか。
「息切れしてきたらヤバいカモ…――でも、」
 保志は笑った。
「リミットオーバーする前に、決着がつけばいい」
 少女はそれを聞いてキョトンと目をひらき、それから、兄が見ていたら卒倒するであろう微笑みを彼になげかけた。
「無理よ」

     ☆

 太陽のようなそれは、高速で回転する光の玉だった。光の魔法は、決まってまぶしい。
 黒田は目を細め、確信をもった笑いを新岡におくった。
「コレでシマイにしたる」
 新岡は、ぐらりとゆれた自分の身体を支えきれず、床に膝をついた。息が荒くなる。元々体力がないのだ。
 助けに来ないところをみると、後ろで戦っている多岐は、苦戦しているようだ。ここは自分がやらないとー……。
「…ふるへ……ゆらとふるへ…ゆらゆらとふるへ……」
 唇に手をあて、ぶつぶつと紡ぐ言葉。
「日神系は詠唱長いのが難点や! 終わらないうちに潰したるっ! ユグドラスク!!」
 黒田が両手をふりかざすと、光の玉からレーザー光線のような一筋の光がほとばしった。
 それは段々と範囲を広げ、新岡に迫る。が、新岡はそれをわかって、立ち上がり、あえて黒田めがけて走り出した。
「なッ!?!」
 唇にあてた手を、光線めがけて一気に振り放つ。
 ――ピッ。
「由良ト祝詞ノ神楽巫女!」
 ドッ……!
 光線が二つに裂けたと思った瞬間、黒田の視界には体育館の天井と、立っている新岡が映っていて。
「…ハッ…はぁ…っ、なんやの……今の……」
 新岡は、ふいっと背を向け黒田の視界から消える。
「短いのだってある……使ってないだけ」
「それっ……! サギやわぁ……っは………っ」
 黒田は、自分が肩で息をしているのに気がついた。息ができなくなるほどの、新岡の、渾身の一発。
 乙女の鳩尾にパンチはあかんよあんた。やっぱし、菊池さんがえぇわー…。
「……ん、」
 さらりと半円の向こうへ行こうとした新岡は、ぐっと動かなくなった足に冷たい視線を投げつけた。
 足首にからみついているのは、
「……まだや…ウチら…勝たなあかんねん」
 白く、細い手首。
 新岡はしばらく迷ってから、黒田に向き直ってしゃがみ、一言声をかけようかと、その手を包みこんだ。
 ――と。
「グレイマリアル・ルークカイっ……セット・ディー!」
「!」
「ダークルシファ!」
 黒田の細い影から、無数の針が飛び出すー!
「――ひ、ふ、む、」
 カカカァアアァァン!
「ッう!!」
 新岡のシールドに全て跳ね返され、黒い針は、そのまま黒田に降りそそいだ。
 黒田の全身の力が、抜ける。
「……おやすみ…今度会ったときは……もっと…全力で戦うから……」
 新岡はボソリとつぶやき、視線は冷たいまま、黒田の閉じられたまぶたをながめる。
 彼女への、子守唄のかわりに。

■ 4 拮抗 ■

 片桐は、しゃがんで床に片手をつけると、もう片方の手を黒田へ差し出した。一瞬の間。しかし、彼は喋らない。
「あぁ、そやそや、ほいっと」
 彼女がペットボトルを渡すと、片桐はキャップを外し床に水を撒いた。
 手を、大きく広げ、浸す。
 ゆっくり、口を動かす。しかしその言葉は聞こえない。いや、そもそも言葉を発していないのだ。
 言霊を発しない魔法は、一般的に「闇魔法」と呼ばれる。
 発動する魔法の種類を推測されないため、接近戦などで非常に便利だが、後世に伝えるのが困難なため、これまた珍しいとされる魔法である。
 闇が、その姿を見せつける。
 それを見た竹中が叫んだ。
「! センっ、向こうは闇水譜系っぽいよー!?」
「ん〜……、いや、このままでいく」
 ――ガショ!
 セット時の特徴的な音。
 闇魔法には、どんなに強力なエネルギー弾も効かない。光をそのまま吸収してしまうからだ。吸収されたエネルギーの使い道は、その譜系によって異なる。
 棚橋は、あえてエネルギー散弾をセットし、竹中に向かって言った。
「ナギ〜、リフレクト早く〜」
「えぇー……。防御魔法ってあんまり使いたくないんだよねー……」
 彼はポケットから、沢山のチャクラビーズを取り出した。ジャラジャラとして手になじむ。赤、青、緑、黄色……。様々な色が、まるで虹のように竹中の手で踊る。
 彼はその中からビーズを二個選び、両手でつまみ、ゆっくりと印を組んだ。精神を集中させ、唱える。
「銀の月はゆらめく、この吐息、大地へ響く。水結晶のチャクラをもって、かの者の守護をせん。昇華の氷壁、シルバーチェイン!」
 チャクラビーズはパチリと割れて、同時に棚橋の銃が火を噴いた。
 羽黒宇宙基地の闇の盾は、棚橋の攻撃をほぼそのまま飲み込んだ。盾に当たらずそれた散弾は、はじけて床を破壊し、煙があがる。
 黒田皆は、その煙に紛れて向こうへ走り出そうとした。NTH88の棚橋や竹中が居る向かいではなく、黒田井の方へー……と。
 菊池が、その方向へ立ち塞がった。
「っ!! ……レイさん、かんにん。行かしてや」
「………」
 菊池はその場を動かない。灰色の視界の中、硝煙の匂い。ここで行かせてしまうと、チームにしっかり協力していないという事になる。
 向こうが早く敗れるであろう事は、もう、わかっていたのだ。できるだけ引きつけておいて、こっちから突破する。新岡は強力な術の使い手だが、竹中はそうでもない。棚橋さえなんとかすれば抜けられるハズだ。そう菊池は考え、リーダーである羽根田も同意した。
「負けたくないなら、行かないほうがいい」
 菊池は彼女の瞳を鋭く見据え、彼女は、唇を噛んだ。
「……勝ち負けなんてー…」
「へぇ、やっぱりAクラスまで来たのは、まぐれだったんだ」
 水がぐにゃりと砲弾のカタチへ変形し、闇が吸収したエネルギーはそっくりそのまま砲弾となる。
「違うッ! あたしらはー…!」
 ――ドゥッ!!
 エネルギーが放たれたのと、菊池が走り出すのはほぼ同時で。
「違うなら、ついて来いッ!!」
 菊池は叫び、黒田はその後に続いて走り出した。

     ☆

「3つの玉座にたまわらん! ケテル・コクマ・ビナー!」
 羽根田の叫びとともに、3つののべ棒が三角形を模し、高速で回転しながら鋭い風を生み出す。
「はぁッ!!」
 多岐が竹刀を振るうと、そこから光がほとばしり、のべ棒を跳ね除け空気を裂いてゆく。羽根田はひらりと跳んでそれをかわし、またポケットから数本、のべ棒を取り出し多岐に放つ。
 その動作こそが、防御できない羽根田の弱点なのだが、取り出しは、手品を見ているかのように鋭く瞬間的で、斬り込む隙がみあたらない。
「神の道を示す9座イェソド!」
 のべ棒は多岐をそれて周りに突き刺さり、茶の光りを放つ。
「開け、カナード!!」
 のべ棒から、多岐めがけて光の針が飛び出すー!
「はッ!!」
 竹刀を一振り。針はあっけなく消え去る。
「―………はァ…っは…」
 体力が削られる。ひとつひとつの攻撃は、特殊な魔法剣を使わなくとも薙ぎ払えるほど小さいが、沢山の技を連続で打破していくのは疲れる。
 しかも、羽根田は多岐と同じ、光の譜系の魔法を操っているため、相殺しても羽根田にはダメージがない。むしろ、どちらかというと身体を余計に動かしているこちらの方がー…。
「太陽の座ティファレト!」
 のべ棒が突き刺さった体育館の板から、メキメキと音が鳴る。
「命の恵みを!」
「なッ!!」
 ――バギギギギギ!!!
 板が伸びー…いや、成長している。どんどん幹が大きくなり、葉を茂らす。板が傾きバランスを崩した多岐の上から、木を伝ってきた羽根田がのべ棒を放った。
「1の座ケテル!」
「――ひとふたみ世の、いつむゥ奈那矢に、ここのつ通りは来たれり木々の精霊ー…」
 羽根田の投げたのべ棒が、爆風で飛び幹に突き刺さった。
「……っチ」
 キャスケットの向きををクイッと直しポケットに手を入れる。視界の奥では、黒田井が倒れていた。やはり、荷が重かったかー…。
「まったく……せっかく…向こうに行こうと思ったのに……」
 悪ィ、と多岐が爽やかに笑うと、新岡は視線をななめに落とした。
「…別に…倒してから行っても遅くないから……」
 背中合わせに向かいあい、竹刀をブンと振って羽根田を見据える。
 少年は、笑う。
「人が増えたぐらいじゃ、僕は倒せないよ」

■ 5 停滞 ■

 円の中の少女は、特殊防弾プラスチックを背にして立っている少年を、心配そうに眺めていた。
「……大丈夫…ですか?」
 少年は応えない。しかし、背中にびっしょりとかいた汗で、いかに危険な状態かがわかった。
 肩で、息をしている。
「あの……ほ…保志しゃん…?」
 もう一度問いかけたが返答はなく、少女は、静かに亜空間結界を展開する呪文を唱え始めた。
 術者が意識を失えば、結界は自動的に解かれる。
 きっちりとした手順をふんで解かなければ、結界の中のエネルギーがはじけ、現実世界に直に影響を及ぼす。
 灯が左右を見回すと、もやは体育館とわからない程の壊滅ぶりだ。手順を踏まなければ、現実世界の体育館は、亜空間による空間干渉を含めて、これの二乗以上の被害を被ることになる。
 ルール違反ではあるが、また菊池しゃんに体育館改修費用を出させるよりは、と、少女は思った。
 何回か前のNTHバトルで、その時はロンドではなくクロスと呼ばれるバトル形式だったのだが、途中で敵の亜空間結界師がダウンし、少女の掩護は間に合わず、体育館は見るも無惨な姿に。
 結果、新しい体育館の建設には、菊池のポケットマネーが使われたのだった。
 印を結ぶと、少女の周りに亜空間過渡魔法特有の靄が漂う。
 同じ結界を結ぶと相殺してしまう。
 だから一度、過渡魔法で別の空間に移動しようとしているのだ。
 そこから瞬時に遠投結界を体育館に展開。また過渡魔法で体育館に戻ってー…。
「……ちがうわ、」
 少女はいったん印を解いた。
 一度、今展開されているこの結界を解かなければ、新しい結界ができない。かといって、結界の中に結界を張っても意味がない。やはり一度結界を解いてもらうか。否、それだとこのバトル自体が無効になってしまうのでは?
 何か、手は。
 自分が一度この結界を抜けられれば、外から全てを包みこむことも、別空間へ移動することもできるが、それだと負けてしまう。
 相殺せずに同じ結界を結ぶ事ができれば。もしくは、少年が回復して結界を最後まで維持できれば、もしくはー…。
「あ、そっか」
 少女はポンッと手を叩いた。瞬間。
 ――…ズッ…。
「保志しゃん!!」
 少年は、プラスチックに背を置いたまま、ズルズルと倒れ込んだ。
 危険。危険。少女の中に、その言葉がこだまする。
「……っ、うん、」
 決意をかためた瞳。両手を合わせ印を組み、素早く呪文を唱える。円の周囲に靄が浮かび、やがてそれは、少年の身体を包み込む光となった。
「お兄ちゃん、皆、ごめん…っ! 亜空間結界展開! 空間過渡魔法フィオレア・ヴォルイエ発動!!」
 少年が消えた。少女はまた印を組む。いちかばちか、ここからが勝負だ。

     ☆

 煙の中、竹中凪の視界の端に、一瞬の光がかげる。
「っ! ホノカっ?!」
 妹の方へ走り出そうと、竹中は向きをかえー…と。
「よそ見はあきまへんで?」
 竹中の死角から、黒田皆があらわれた。
「!!」
 即座に回転。黒田の拳を腕で受け止める。細い腕だが、竹中も一応男だ。ググッと、力で押し返す。
 黒田は、笑う。
「シスコンっちゅー噂は、ホンマやったんやな」
「っの!」
 蹴りをかまそうと足をふりあげるも、スグに黒田は離れ、また笑った。
「あはははは! えぇねんえぇねん、あたしもシスコンや」
 彼女の制服の両腕部分には、バンドで固定された細長いカードデッキのようなものがついている。黒田は両手をクロスさせ、両方のデッキから、シャッと紙を取り出した。
 紙……いや、違う。チャクラチップをいくつも貼り合わせたカードか。魔力を補うチャクラ系のアイテムには数種類ある。
 竹中の持っているビー玉のようなもの、黒田が持っている薄い紙のようなもの、他にも、棒状のもの、サイコロ状のもの、もっと細かい砂のようなもの等、多種多様だ。
 それらを切ったり貼ったりして、独自のアイテムを作っている輩も居る。黒田のカードも、同じようなものだろう。
 ただし、どれも一回きりの消耗品だ。
 竹中は、黒田が構えているカードを一瞥し、ポケットからチャクラビースを取り出した。
「お互い、あんまり長く戦えないみたいだねー」
 手のひらで遊んでいるそれを、彼は惜しげもなく床にばらまく。
 ――コンッ。
 カッ、コンッ、カチッ、コンッ、コココカカカカカ……。
「あー、」
 音の乱舞に、間の抜けた声。竹中は、へにゃっと笑った。
「まぁーねー、ずっと防御してるワケにもいかないからねー」
「……さよか。ま、ウチも同じようなもんや。先制はこっちからいうことでな、発動!」
 彼女のカードが光る。
 竹中は、意味ありげに笑い、黒田の瞳を見据えた。
「引き分けでも、NTH88の勝ちなんだよねー」
「?!」
「最近作ってる技があるんだー……完成してないから、後ろの彼も道連れってコトでさー」
「!!」
 確かに、黒田の後ろには片桐が立っている。しかし。
「気配、消してたハズやのに、どないにして、わかったんや?」
「んー…、企業秘密」
 竹中の周りのチャクラビーズが光を帯び、ざわざわと蠢きはじめた。

■ 6 共倒 ■

 菊地は腰を低く構え、ゆっくりと上半身だけをゆらしている。
 棚橋は、後ろのズボンに無理矢理ねじこんでいたジャックとボルドー(両方とも銃の愛称だ)を握り、
「なんでナギじゃないのさ〜」
 眉間にシワをよせた。
 普段、タメ口で馴れ馴れしい竹中に対して上位に立とうとしている菊地なら、絶対このバトルは竹中と対戦すると思っていたのに。いや、それよりも、菊地を打破するために、アベルンを床に置かざるおえない状況。
 それが棚橋の、不機嫌の理由である。
「物理には物理を、魔法には魔法を、ってね」
 クイッと眼鏡をあげる。
 それは作戦を告げる合図とともに、攻撃開始の、ピストル。菊地のスタートダッシュと共に、棚橋の愛銃が轟音を轟かせた。
 ――パパパン!
 菊地はそれを難なくかわし、棚橋の懐に入り込もうとする。が、棚橋はその大きな体に似つかわしくない、驚異的なジャンプをみせ、空中で回転。下に向かって火を放つー…。
「! 居なっ?!」
「こっちこっち」
「ッチ!」
 ……ゴッ!!
 菊地の蹴りを受け、棚橋は地に墜ちる。
 とっさに足首の長身銃を取り出し、床にさして受け身をとりつつ五発。
 ボルドーの薬莢が、カカカカと高音で回転しながら床を掃除する。
 菊地は、持ち前の動体視力と身軽さで全ての弾丸をよけ、ひらりと着地。そのまま棚橋の懐へ潜り、グッと、
「……なに、本気だしてないの」
 ネクタイを引っ張った。
「ちょ……レイ…苦し…」
「このバトルが終われば、また仲間同士だからとか、変な気、つかうなよ」
 パッとネクタイから手を放す。
 棚橋は深呼吸して「ハー、」と言った。床にくっついている尻が、冷たい。
「別に〜、そんな気ィ遣ってないってば〜」
 あははと棚橋が笑った瞬間。菊地の耳に、鈍い悲鳴が届いた。
 この声……黒田さー…、カチリ。
「ナギの新技にやられちゃったかな〜」
「……っ…?」
 いつの間にか、腹に、つきつけられた塊。
「まだ完成してなかったハズなんだけどなぁ〜」
 見下ろすと、フリフリのスカート。そういえば、と、菊地は記憶の角をなぞる。確かに最初、床に置いていた。
「……ドール銃だったのかよ、それ」
「え、なにその汚い名前。アベルンって呼んでよ〜」
 パンッという可愛い銃声が、薄くなった煙の匂いに包まれた。

     ☆

 片桐がうっすらと瞳を開けると、黒田が倒れていて。
 咄嗟に声を出そうとしたが、声は、吐息となって口からあふれた。
 黒田の隣に、竹中が座っている。彼の頬には無数の切り傷がついていて、弱く笑いながら黒田のカードデッキを取り上げると、頬から血がトロリと流れた。
「それ、闇の魔法じゃないねぇ、普通の、ただの防御魔法」
「……!」
 眉間にシワをよせると、竹中は「ふー、正解」と言い、カードを一枚取り出した。
「闇水譜系っぽいとは思ったけど、今のは、違ったねー…」
 音を立てて、カードを裏返しにする。そうして「やっぱり」と言い、竹中はゆるりと立ち上がった。身体にも、黒田と同じように無数の切り傷がついている。
「水の魔法は、本当はこっちの彼女の技なんだね? だまされたよー。でも気づいてよかった」
 そうなのだ。
 片桐の本当のポジションは、チャクラカードを使った各種防御魔法。そして黒田の方が、闇の魔法使い。気づかれないように、巧くだましていた。だからこそ二人は、同じ位置に居なければいけなかった。
 片桐は少し口を開き、視線を横にずらす。竹中にはそれが「どこで気づいた?」という問いかけのように思えた。笑って答える。
「チャクラを発動させたときが、決定打かなー」
 本来ならば、力をこめるだけで発動できるものを、なぜわざわざ発動と叫んだのか。黒田の合図とともに、片桐の方が力を込めていたのだ。
「でも、その前から薄々気づいてたケドねー」
 それもこれも、棚橋がわざとエネルギー弾を打ち込んだおかげだ。
 自分はこうやって、先に証拠を見つけないと結果を信じられないが、棚橋はカンだけを信じて先に行動へ移す。
 闇水魔法は攻撃系の魔法だった。それなのにどうして片桐が後方掩護なのか。
「最初は、キミが何種類もの魔法を操れるのかと思った。ケド、それならなおさら、変じゃない? この子の後ろに居るなんて、さ」
 視線を落として黒田を見る。青髪が首筋に五線譜をつくっていたが、竹中は「ホノカの方が可愛い」とつぶやいた。
「いくら女の子の方が細身で動きやすいからってねー、男なんだからさ」
 デッキからカードを全て取り出すと、チャクラビーズと同じように竹中の周りをざわざわと囲む。チャクラ系のアイテムの良いところは、主を選ばないという一点につきる。
「風を巻き上げ彼の地へ運ぶ、この吐息、疾風に光を!」
 片桐は黙ったまま、唇を噛みしめた。
 竹中の推理は、少し外れていた。しかし、それを訂正もできない。
 なぜならこの声は、出していないのではない、出せないのだからー…。
「嘆け! 第5のエルトラド、ヴァッサビルバーテ!!」
 一陣の風が吹き荒れ、竹中はポツンと立っていた。
「ん……あれ?」
 キョロキョロと見渡す。辺りを包んでいた煙は、竹中の風でどこかへいってしまったらしい。視線の先には、どっしりと座っている棚橋が居て、その膝の上にはアベルン。
「そっか……チップ系のチャクラなら、上手くいくんだ…」
 そう呟いた後で竹中はパタリと倒れ、棚橋が
「このバトル終わったら、また特訓だね〜アベルン」
 と、人形に向かって笑ったのは言うまでもない。

■ 7 本質 ■

「……気づいたのね」
 保志がうっすらと瞳を開けると、そこには、本を持ったまま首を美しくかたむける、一人の女性が座っていた。
 無表情だが整った顔立ち。すこしだけつりあがった細い睫毛が、黄色の灯りでオレンジに見える。着ている服から、高等部の生徒だということはわかるが、顔にまるで見覚えがない。
 埃っぽい匂いが漂う、薄暗い室内。
 女性の背中には、古い本がずらりと並んでいる。
「ココは……」
「図書館の古書保管室。あなたは、ここに倒れてたの」
 保志が額に手をあてると、濡れたタオルが乗っていた。もうずいぶん温かくなっている。
 ゆっくり起きあがると確かに本棚がいくつもあり、寝かされていたのは、図書室特有の四角い椅子を何個もくっつけた簡易ベッドの上だった。
「どうし……ッつ!」
 頭の中が、ガンガンと鳴り響く。
 苦しげな様子の保志を見て、女性は「もっと横になった方がいいわ」と、そっけなく言った。あいにく、私は回復魔法が使えないの、とも。
 なぜこんなところに居るのか、しばらく考え、保志は、半円の向こうの少女を思い出した。
 ――あの子!
 いや、結界を保てなかった自分が悪い。
 ルール違反で、チームは負け……か。
「ナマエ……お名前を聞いてもいいですか」
 瞳を閉じて、保志は女性に問うた。
 顔に見覚えがないということは、どのチームにも参加していない人なのだろう。あらかたのチームの主戦力となる人物は、覚えたと思っている。
 人を一目見ただけで、どのチームに入っているか、武器はなんなのか、得意なフォーメーションや定石配置は、学科クラスやチームクラスはどこなのか、スグにわかる。
 保志は「羽黒宇宙基地」に入ってから、それらを一生懸命覚えたのだ。
 直接戦えない自分に、できることといったら、その位だから。
 と。
 保志の上から、澄んだ声がふってきた。
「セノ。……フルネームがいいかしら。瀬野瞳」
「えっ、」
 保志は瞳を開け、その女性――瀬野を、驚きの目で見つめる。
 現在のNTH88チーム「アラウンド・ラビリンス」を語るなら、この名前は欠かせない。
 学校内最強の魔法使い「三賢者」よりも更に上をいくと噂される魔力の持ち主であり、チームリーダーと付き合っていたにもかかわらず、先代のNTH88を倒し称号を手に入れた直後の、突然の脱退。
 今はなんとか最強チームの称号を保っているあのチームだが、攻撃力は半減したとも言われており、今なお、復帰を望まれているのに、どのチームからの誘いも断り続けているというー……。
「あの、いきなりこんなコト聞いて…でもあの……復帰って、しないんですか?」
「それを答えなければいけない義務でも?」
 一言で言うなら、謎。二言で言うなら、冷たい氷。

     ☆

「9のパス、ゲブラー・ケセド!」
 高らかに声を上げ、なおも羽根田の攻撃が続く。ふたつののべ棒が絡まりあい、ドリルのような爆発的な回転を生む。
「……りゃんせ…通りゃんせ……こーこはどーこの細道だ……天神様の細、道、だっ、」
 新岡がシールドをはり、その隙をぬって多岐が竹刀をふり下ろすと、羽根田はそれをひらりとかわして
「7の座ネツアク! 叫べセフィラー!」
 振り向きざまにのべ棒を放つ。
「――ッ!!」
 エネルギーの塊が多岐にぶつかってくる。防ぎきれず、床に背中を打ちつけた。今までの攻撃は軽くあしらっていたが、持久力のなさがここにきて表面化する。
 新岡が援護にまわるも、
「平良の晩鐘を奏でるはー……」
「2の座コクマ!」
 呪文から発動までのタイムラグを読まれ、先に攻撃されてしまう。元々素早く動けない新岡は、羽根田の攻撃を足に受けてしまい、立っているのもやっとの状態だ。
 生い茂った樹の上に立った羽根田は、そんな二人を見て「あはは」と笑った。
「あー、なんだ。やっぱり弱いね、NTH88アラウンド・ラビリンス。期待して損しちゃった」
「なんだって?」
 身を起こした多岐が羽根田を睨み付ける。
「タキ……やめて…、挑発だから……」
 肩で息をしながら、新岡がなだめる。しかし、戦う前の多岐の一言が思い出され、新岡の眉間にも少しだけシワがよる。
 ――いいから! ……あ、いや! ん、やっぱ攻撃魔法も、さ。頼む。必要あればだけどー……。
「皆言ってるコトだよ。魔法攻撃手だったセノヒトミが抜けてから、君らは、確実に弱くなったってさ。ここまできたのはただの運ってコト。実力は、そう……サシで考えると確実に僕の方が上じゃない? ね?」
 僕の方が笑顔可愛いし、と羽根田は付け加えた。
「だから、ホントは楽々境界線越えて勝てるんだけど、やっぱりさ。僕としては、完璧に潰しておきたいワケでー……」
「……お前、」
 羽根田の言葉をさえぎり、多岐はゆっくりと立ち上がった。ふたつの瞳が、訝しげな表情をしている羽根田をとらえる。
 戦いが始まってから、羽根田のスピードに追いつくために片手でしか構えてこなかったが、それももう限界だ。ふうっと息を吐き力をこめると、竹刀は光り、その光が剣の形になった。
 光の魔法剣・エクスカリバー。そして、
「今の言葉、絶対後悔させてやる」
 竹刀を両手で持ち、ゆっくりとかかげはじめた。
 上段の構え。
 これこそが、多岐の剣の本質―……!

■ 8 結界 ■

 印を結んだまま微動だにしない灯の視界のはしに、チャクラビーズがコロコロと転がってきた。
「ホノカっ! どうした、大丈夫か?!」
 竹中凪が駆け寄ってくる。その後ろから、足音を響かせて棚橋浅も歩いてきた。しかし、
「……うん、ゴメンお兄ちゃん…やっと気づいたの、チョット待って」
 灯はやはり動こうとしない。
「あれぇ、どういうコトー?」
 のんびりとした声で棚橋が指をさす。特殊プラスチック壁の向こうに、敵チームの結界師が居ないのだ。竹中と棚橋は顔を見合わせ、それから灯の前にゆっくりと座り込んだ。
 巨漢のミリタリーオタクは、アベルンを愛おしそうに抱きながら笑う。
「まぁ、タキがそっちにいってくれればイイや。ねぇ、アベルン? あ、スカートに埃がー…」
「お前ホント神経質だよな、セン」
 腹に手をあてながら、菊地が近寄ってくる。さきほど棚橋に撃たれた場所だ。よほど痛いのだろうが、持ち前の命令口調で「とっとと回復しろボケナギ」と、床に倒れこむ。
「――それから、」
「えっ?! なっ、なに」
「あっちには回復役が居ないらしいから、お前らが倒した二人にも後で回復かけてやれよ。あと向こうのカコムさんにも」
「う、うんっ。わかった」
 ところで灯チャンはなにしてるの、と菊地が問うと、視線は一斉に少女にそそがれた。
 やはり動かない少女は、まばたきをしてからポツリと言った。
「ヒトミちゃんに、来てもらった」

     ☆

 古い時計の針が、つらそうにきしむ音。
 それは、彼女に一番似合う効果音のように思える。
 保志があらためて起き上がると、瀬野は本から目をそらさずに「もっとゆっくりしていっていいのよ」と、感情のこもっていない声でつぶやいた。
「いえ……、いかないと…ボク、まだ、戦ってる最中ですから」
 本から顔をあげ不思議そうな表情をする瀬野に、保志はせいいっぱいの笑顔でこたえた。
「NTH88と、」
 一瞬、瀬野の動きが止まる。
 ガチリ、針が動いた。
 また本に目を戻し「そう……」と言った彼女の横顔からは、何も読み取れない。たが、確実に何かを思案しているだろうと保志は感じる。思案しない筈はないのだ。それだけ、瀬野瞳と今のNTH88には深い繋がりがあった。
 しばらくその細い睫を眺めてから、少年はペコリと礼をして立ち上がった。戸口に向かいドアノブに手をのばしす。
 図書館は、学校の中心に建っている。その両サイドに中等部と高等部の棟があり、さらにその両脇に、それぞれの体育館がある。今バトルしているのは、高等部の体育館だ。ここからだと走っていっても10分はかかる。
 ――急がないと。
 保志は走る決意をして扉を開こうとした。
 が。
「え、アレ?」
 ドアノブが回らない。
 ガチガチと何回か試してみるも、押しても、引いても、扉は動かない。
 なぜだろう。疲れているせいだろうか。思考がまとまらない。とにかく力いっぱい扉を押していると、瀬野が椅子から立ち上がり、細い手でそっと、ドアをおさえた。
「だから、」
 視界に、濃いオレンジの影がかかる。
 背が高い。
 白い肌。
「もっとゆっくりしていっていいのよ」
 ふんわりと漂ってくる香水の色。
 保志は呆然と瀬野を見上げ、彼女はかがむようにして少年をのぞきこんだ。美しい角度で前髪がゆれる。
 不思議な目をしている、と、保志は感じる。冷たい。けれど、その中には何かがこもっている。情熱か、あるいは押さえつけるような優しさといった、強さを持った何かが。
「連れてこられたのは私よ。ええと」
 ドアノブから手を離してしまった。
 連れてこられた? 意味が分からない。
「ホシ……です。ホシ、アラタです」
「そう。ホシ君」
 彼女はもう一回言った。連れてこられたのは私よ、と。
「……どういう事ですか」
「あなた、戦っているのはNTH88といったわね」
「? ハイ」
 稀代の結界師である少女は、目の前の少年を助けるすべを必死で考えた。その答えがこれなのだ。
 他人が構築した結界を一部だけ壊し、構築主を外に出すのは無理だが、結界の中に人を呼び入れるのは、結界の構築理論さえわかっていれば割と簡単な事なのである。
 特にNTH88バトルの際には、規定により薄くて硬い、中の状態が現実世界とかわりない結界をはらねばならず、そういう点では構築理論は、誰が作ってもある一定のロジックに近くなってくるという。
「私を、この古書保管室ごと「呼んだ」のよ。あの子らしいわ」
「呼んだ……」
 そんな事ができるのだろうか。他人の結界構築を理解するなんて、天才でなきゃできるわけがない。しかし、改めて意識を集中してみると自分の結界の中だということがわかった。今なら単純な転移動魔法であの強化ガラスの半円台に戻れるだろう。
「あのっ、」
 保志は見上げる。しっかりと瀬野の双眸をとらえ、勇気をふりしぼって礼を伝える。
「この戦いが終わったあと、図書館に行ってもいいですか?」
 少したってから彼女は、笑いもせずに頷いた。
「えぇ、もちろん。本は、人を拒んだりしないわ」

■ 9 終幕 ■

 それまでの雰囲気とは違う多岐の様子に、羽根田は初めて唇を真一文字に結んだ。シャッとポケットからのべ棒を取り出すと、様子を見るかのように、樹の幹をつま先でなぞる。
 敵側の魔法防御師は、足の負傷からか体力がないのか、とにかく倒れて微動だにしない。そして、NTH88のリーダーであり、校内最強の剣士は無言で構えている。その劣勢さで後手に回るというのか。
 ――大した自信だ。
「偉大な王、有限の知」
 羽根田は呪文を唱え始めた。
「悠久の理、転変の慈、」
 多岐はやはり無言で、羽根田の高めの声だけが響く。
「神のチカラ、永遠の美、支流の剛、」
 のべ棒が熱をおびてうなり、光の筋が羽根田を包む。多岐は動かないまま、ただ、羽根田から目を逸らそうとしない。
 わざと大技を誘発させようとしているのはわかるが、その構えで後手に回るなら胴ががら空き、
「泰平の栄、地辺の基、」
 こちらの方が早い!
「遡上の王国ッ! セフィラー・パッセージ!!」
 のべ棒を放つと同時に多岐が、ダン! と踏み出す。剣を一直線に振り下ろした瞬間、
「――コーラルリフレクト!!」
「なっ?!」
 言霊の布陣もなく、白い盾が現われた。多岐の姿が光に包まれる。
 危険を察知して羽根田が飛び上がると、案の定、下から衝撃波がつきあげてきた。しかし羽根田にも策はある。この大技は、集中攻撃だけではない。声に応じて様々な変化を見せる。つまり、今までの攻撃パターンの全てを再現できるのだ。
「パッセージ・パターン…―!」
「遅いッ!!」
 いつの間にか、多岐が目の前に、
「――ッハ!!」
 ふり下ろされた衝撃波。寸前でかわし「パターン・ツェー!!」と叫ぶと、宙に浮かんでいたのべ棒が方向を変えた。多岐に襲いかかる――。
 多岐はギリギリまでひきつけ、転がるようにしてかわした。鋭い音をたてて、のべ棒が木々に突き刺さる。斜めにかたむいた体勢で薙ぐと、剣から光がほとばしり、のべ棒は全て半分に折れた。光の波動の勢いは衰えず、途中突き出た枝を倒しながら羽根田の方角へと向かう。
 とっさに羽根田は、キャスケットをぬいだ。隠し残しておいた、最後の一本。握り締めると、光が剣のように重なり合い、のびる。
「根源の座、アツィルト!」
 ――カァァァン!
 向かってきた多岐と、正面から剣でぶつかる。帽子が地面に落ちた。
 ガチガチと、剣同士が音をたててふるえる。
 力では、向こうが重い。このままでは押し負けてしまう。羽根田は勢いをつけてわざと足を跳ね、剣は軽快な音をたてて弾かれた。
 スピードにまかせて一回転し、
「ああぁああッ――!」
 渾身の一撃を振り放つ!
 瞬間。
 羽根田のわき腹に、何かが掠った。
 風。
 微風だ。
 と。
 目の前に居た筈の男が、消えている。まさか、いつの間に後ろにー…?
 思ったと同時に、腹から鈍い痛みが走った。
 耐えられず、膝をつく。
 後ろから声がした。
「……まさか、帽子の中に隠してるとは思わなかったぜ…」

     ☆

「はい勝ち〜。防衛成功〜」
 棚橋が笑って言うと、竹中に治療の礼を言っていた羽根田はふり返り
「そうだね、ボク以外は完敗だったよ」
 とプライドの高い言葉と笑顔をぶつけた。多岐は、けっこうギリギリだったよと棚橋を諌めてから、握手を求めた。
 規定により、チーム「羽黒宇宙基地」は、Sクラスに昇格しない限りNTH88に挑戦できない。スグにあがるよ、と自信たっぷりの羽根田は、キャスケットをかぶりなおして笑った。笑顔はクセみたいな感じだよ、と言うと、訝しげにながめていた多岐も、ようやく納得したようだった。
 結界のトラブルについては、菊地が皆に口止めし、多岐の耳にはまだ入っていない。それがあってもなくてもNTH88が勝利したことには変わりないし、第一、それが耳に入ると「仕切りなおしだな!!」と言い出すようなリーダーなのだ。菊地は、心の中で新岡に助けを求める。もうこの二人とは正直関わりたくない、と。
「あぁっ! もうレイさんと別れなあかんよカコムぅー!」
「ほな、レイさんウチのチーム来ぃへん? な、それがええわ姉さん」
「せやなせやなぁ、チーム服もきっと似合うわぁ」
「それええわぁ、レイさん、きっとええわぁ」
 双子の攻撃に無言で耐えている菊地を横目に、新岡は片桐に軽く挨拶した。実は同じ中学出身なのである。
 声が出せないということを新岡から聞き、竹中は驚いたようだった。
「耳は……聞こえるから…」
 と新岡がボソボソ言うと、竹中は「いや、じゃあ、ジェスチャーで」と、しきりに手足を動かした。それが下手な盆踊りのようで、無表情だった片桐の唇が、にわかにゆるんだ。
「うん、月曜日の昼休みに」
 保志は灯と握手し、一緒に図書館へ行く約束をした。もちろん、瀬野に会うためだ。二人で笑いあい、手をふって別れた。
「サカエ〜、おつかれ〜」
 夕暮れが逼る。体育館から直接外へ帰っていくメンバーたちを見送りながら、ふと、棚橋が多岐の隣に立った。
「サカエさぁ、また挑発されたんでしょ、セノちゃんのことで」
「まあな……」
「セノちゃんがチームに居なくても、サカエは頑張れるよ〜」
 今回だって勝ったし、それにあさっての日曜日、映画デートなんでしょ。と、棚橋がはやすと、俺はお前らの事でも怒るよ、と多岐は笑い、雲を見上げた。