■ 虹のかけ橋=モノローグ= ■
僕は片膝をついて、貴方のその美しい曲線を、じっと、見つめている。
貴方はそんな僕を愛しそうに眺め、やがて、僕の肩に手を置き、ゆっくりと、僕の頬に眉をよせた。
あんなコトがあったばかりだというのに、貴方は相変わらず僕に対して無防備な笑みを浮かべている。
そんな貴方に対して、僕は正直、とまどっていて、今も、傍らのベッドに貴方を誘導できないでいる。
それを貴方は解りきっているようで。
今はまだ僕の頬に唇を、少しいたずらっぽくつけたり離したりしている。
僕たちの間には、もう、言葉なんてない。
出逢ってから今までの時間は、とてつもなく短いというのに、言葉は、あの事件で逃げ惑っている間に、僕からも、貴方からも、ポロポロとこぼれ、どこかに行ってしまったらしかった。
窓の外には雨粒が踊り、しくしくと地面を刺す音がする。
少し、窓を開けているようだ。
……かまわない。
僕は、瞳を閉じる。
こうして貴方の肌に触れている間は、余計なコトを考えなくていい。
まだ解決したわけではないのに、僕の気分は、とっくの昔に晴れ晴れとしていた。
もう、あの頃の自分に戻らなくてもいいと思うと、嬉しいというより、だんだん悲しくなってくる。
それもこれもすべて貴方のせいで。
この間まであった偽りの家族も、親友も、自分のビルも、万年筆も、どれもこれもあの瞬間まで愛しいと思っていたものたち。
それらを全て捨てて、ここへ着てしまった。
貴方と出逢った瞬間。
夕立のカフェテラスで。
目が合った、ただ、それだけのことなのに。
――貴方の足が見えた。
僕はそこに、そっと口づける。とたんに過去がうすっぺらい紙のアルバムに収まって、見えなくなってしまう。
それでいい。
貴方は僕を抜け殻にするナイフを持っていて、そうして僕に、無言の命令をする。
僕は貴方を抱きしめる。
僕はもう、貴方以外の何者にも侵されたくないのだ。
つくりものの愛などいらない。
……僕は貴方の潤った肢体を抱き、糊のかけられたシーツの上へそっと、寄せる。
幼い頃のホテル暮らし。
糊のかけられたシーツが嫌いだったコトを思い出した。
と。
首筋に痛みが走るー…咬まれたのだ。
痛い、しびれる。恍惚。
不意の攻撃に、大きくベッドに倒れこむと、貴方の手がするりとのびて、夜がこの部屋を覆いつくした。
深く、深く、僕は貴方と二人、ため息でささやきあう。
☆
そうして全てをさらけ出せる人が居ることを、私はこれまで否定し続けてきた。
あの事件までは。
今は、うなづけると思う。貴方は私に全てをさらけ出してくれたし、私も、貴方に全てをさらけ出している。
それは相当の覚悟が必要なコトで。
雨音が煩いと言う前に、貴方が窓を閉めてくれるコトより神秘的で大変な奇跡かもしれない。
偶然、目が合った瞬間、私は解ってしまった。
……私と貴方は似ている。
似ているけれど、何もかもが違う。
私は貴方に出逢えてよかったとは思わない。
私は、あの瞬間まで私が大事にしていたもの……例えば履き馴らしたリーバイスや靴、古びた水着、大きな帽子……。
それらを全て捨ててしまった。
それでもかまわないほど貴方にくっついてしまった自分が、許せない。
どうして。
どうしてあの時、私は貴方を消してしまわなかったのだろう?
そんな馬鹿げた質問を自分にするほど、貴方は私を骨抜きにした。
貴方は私を骨抜きにするスウィッチを持っていて、私に、無言の求愛をする。私が自分のナイフで、貴方を、抜け殻にしてしまったように。
あの瞬間でも、今でも、きっと未来でも、私は貴方を消せない。
そんな解りきった答えにイライラして、私は貴方の首筋を強く咬む。少しだけ、息のかすれる音がする。
私はライトのスウィッチに手をのばして、夜に銀色の幕をかけた。
私の錯覚かもしれない。
けれど、私は確かに、貴方と出逢った瞬間世界から、色があふれだしてきたような気がしたのだ。
白と黒が交じり合っても、灰色にしかならないと言ったのは、どこの不貞な学者なのだろう。
私が黒だとしたら、貴方は白。
あふれ出した虹色のプリズムに、目を細めない人こそが学者。
私は光の中で生きてはこれなかったけれど、貴方となら、まばゆい虹の架け橋へと、歩いて踊って飛んでゆけそうな気がする。
ただの錯覚だとしてもかまわない。
少しだけ伸びた貴方の髯が、お腹の下にあたってくすぐったい。
私は、貴方のその長く、黒い髪をやさしくつかんで、胸のふくらみへ誘導し、思いきり、抱きしめた。
強く、強く。
そうして考える。どうしてだろう、と。
貴方を抱くと涙が出てくるのは、どうしてだろう? と。
……力をぬいて、貴方の顔をみようとした。
暗くて曇っていてもよくわかる。
貴方も泣いていた。
お互いの顔をみやって、二人でクスリと笑う。
――私たちは、これからもこうして生きてゆく。
運命と言う言葉は信じてこなかったけれど、貴方となら、あの事件がなくても、こうしていたような気がする。