■ ヘクトパスカル・マインド ■

 俺の名前は八雲翔。外見も中身も、どこにでも居る普通の高校生だ。
 ――が。
 順風満帆だったハズの高校生活は、今年の四月に絶望的な終わりを告げた。それというのもー…
「翔さまっ♪」
「うわっ!!」
 でっっ、出た!! 諸悪の根元……東雲桜子!!!!
「翔さまったら、何をそんなに怯えていらっしゃるのかしら? まぁ、なんと……おかわいそうに」
 桜子はウルウルとした瞳を俺に向けて、はかないため息をついた。校門の前では、俺と桜子目当ての人だかりができつつある。
「俺にかまうな、ほっといてくれ」
 桜子に背を向ける。彼女は今にも泣き出しそうだ。
「……そんな…翔さま……う…っ」
 彼女、東雲桜子は、何をかくそうあの天才気象予報士「東雲淡雪」の娘だ。予報士デビューしてこのかた、ハズした予報は一回しかないという大物。しかもその一回は、桜子の誕生日だということを俺は知っている。隣の家だからな。
 俺も、彼女の父親には好感をもてる。おだやかな物腰。清楚な笑顔。ファンクラブまであるという噂だ。
 ……が。
 あいつは親バカだった。
 まさか娘が、こーんなワガママっ子に成長しているとは思うまい。
 桜子はハンカチをくわえて、肩を小さくふるわせている。周囲の人々は俺が悪いと思っているだろうが、違う。絶対に違う。俺はこいつの計算された演技には、絶対に引っかからない!
 俺は玄関に向かって歩き始めた。
「お待ちくださいまし、翔さまぁ〜」
 桜子の声が響き渡る。ダメ。止まんない。
「翔さまぁ〜! 翔さまぁ〜!!」
 早く学校の中に入りたいのに、なんだかヤケに遠くに感じる。
「……翔さま」
「!」
 今まで「かよわい女の子」を演じていた桜子の声のトーンが変わった。
「どうしてですの……」
 やば……。俺は走り出す。早く玄関に、教室に……!
「わたくしのコトがお嫌いですの…?」
 早く……!!
「待ちやがれションベン小僧!!」
「うっっっっわ――――――!!!!!」
 猛スピードで追いかけてくる桜子を、俺はすんでのトコロで回避……もとい、玄関につっこんだ。
 客人用に揃えてあるスリッパを素早く履き、廊下を一目散に駆け抜ける。
 あっという間に教室に着いた。
 とほほ……、四月から毎朝コレを繰り返しているから、俺の内履きホコリかぶってるだろうなぁ……。
 彼女は、俺より二つ年下だ。だから去年までは、本当に平和だった。目立ちすぎず、地味すぎず、クラスの中でも中立を保ってきた。
 そんな俺の努力はなんだったんだ?
 今では学校中に俺の名前(と桜子の名前)が知れ渡っている。
 しかも、ハタから見れば桜子は美人だ。
 あいつの小さい頃を知っている俺として、一応の努力は認めるが……その前に性格直せと言いたいトコロ。
 たぶん、他人からすれば「キレると怖い美人を振り続けている平凡な顔の男」のように見えるだろう。
 いや、現実は違う。違うんだ。
 俺は小さい頃から、散々あいつにいじめられてきた。毎日、毎日。耐えられずに、俺は逃げた。わざわざ遠い高校にまで来た。
 なのに……どうして追いかけてくるんだよ?!
 あの数々の屈辱、忘れられるもんか。
 今さら好き?
 冗談だろ?!? 今さらー…。
「……い…おい、翔、」
 気づくと友人の時雨が、俺の前に立っていた。無言で教室の出入り口に首を向け、指をスッとあげる。
 まさか桜子が来たとか言うんじゃー…。
「あの、好きです八雲先輩っ!」
「へ?」
 戸口にいたのは知らない女の子。廊下の窓辺で告白された。
 ――好き? はい??
「毎朝、こわい女の子に追いかけられてるのを見て、好きになっちゃったんです!!」
「えっとー…あの……その…」
 戸惑っている俺を見て、彼女は唇を噛んで言った。
「やっぱり、あの子とつき合ってるんですか……?」
「は?」
 あの子って桜子?! 何でそーなる!!!
「いや、ちっ、ちがー…」
「その通りですわよ」
「さっ!!」
 桜子ー?!!
 いきなりの登場に、誰もが目を疑う。
「な……なんだよその衣装はー!!!」
 そこには、中世ヨーロッパ人かと見紛うような格好をした桜子が立っていた。胸元は煌びやかに飾られ、帽子には大きな羽がいくつもついている。スカートのせいで、通行人が通れず立ち止まって桜子を見ている。
「翔さまがお気に召すように、ほらっ!!」
 桜子は勢いをつけバッと手を向けた。その先にはー…!
「なんで俺の分までー?!!!!」
 男物の服一式が、ゴージャスに飾られていた!! というか、こっちも廊下を占拠していた!!
「おーっほっほっほっほっほ!!」
 その高笑い、意味わかんねーよ!!
 結局ワケの解らないまま、知らない女の子はどこかへ消えてしまい、桜子はつまらなそうに服を脱ぎ捨て、制服に戻った。
「まったく、少し目を離すとコレですわ」
 彼女は呆れたような、でもおだやかな笑みを浮かべたが、その後
「翔さまはずっとわたくしのモノですわよ?」
 と、悪魔のような一言をボソっと漏らしたのだった。
 ……前途多難。あと一年。