■ @ フ レ ミ ン グ 。 ■

■ 1 右手は宇宙を指す。 ■

 足音は、闇夜に響く。叫び声は工場の奥。
 少女の、嗚咽が響く。うめき声は部品達の歌。
 ゾ。
 ゾ。
 ゾゾゾゾゾ。
「――フレミング!!」
 少女の、左手が高く、高く。鎮魂歌が……聞こえる。

     ☆

 なぜ高校の廊下は、休み時間になるとこうも、ざわめくのだろう。
 その中に一人、異質な存在が混じっているとも知らずに。
「みーなとっ!」
 高校生特有のテンションを携え、鳩羽深波渡の頭をバシリと叩くと、彼は高校生特有の眠そうな瞳を携え、気だるげに振り向いた。
「……おはよ…コージ」
「はぁ? お早う?! もうとっくに昼だっつーの!」
 笑いながらそうツッコむ古潭小路の手には、松葉杖が握られている。それはチョット痛かったなと鳩羽が言う前に、彼は松葉杖をコツコツと突き、よろめきながら廊下の柱に背を預けた。
 その鳶色の瞳を細め、古潭は笑う。灰色の髪。肌の色素は白く透き通り、彫りの深い顔立ちの奥に自信があふれている。夏服がよく似合う。しかし、右足のギプスはまだ、とれないらしい。気にしていることは彼の目線で理解できた。首を少しかたむけ、前髪をよけた古潭は、爽やかに透き通る声をうらに
「できたん?」
 ギプスをじっと、見つめている。
 昼休みの廊下はまだ静かで、それは皆が教室の中で弁当を広げているからだろう。意図的にこの時間、その意味は鳩羽も十分解っている。かすかに頷くと、こげ茶のクセ毛をゆらし、ゆっくり、無言で紙袋を渡した。
 その厚みに、彼は「うわ、こんなに」と、感嘆の声をあげ、辺りを慎重に見回した。誰もこちらを凝視していないことを確認した後、古潭は、紙袋の中から、奇妙に膨らんだノートを取り出す。
「サンキュー」
 ノートの土色の表紙をめくると、フレミングに関するあらゆる情報が、プリントアウトした紙やら新聞、何かの写真などと一緒に、所狭しとノートに貼り付けられていた。これだけの量だ。ノートがふくらむのも無理はない。古潭は慎重に、それでいて素早くノートの中身を確認したあと、鳩羽にもう一度礼を言った。
「べつに……ふぁ……」
 あくびをしながら答える鳩羽。それもそうだ。この一ヶ月、それだけを調べさせ、国のメインコンピューターにもハッキングさせた。報酬はしっかり払うと伝えると、聞いているのかいないのか、鳩羽は
「あはぁ……つめた…い……」
 窓に顔をつけ、寝る体勢に入った。
 ともかくこれで、フレミングの正体を解き明かせる。そう考えると、古潭の唇は自然につり上がった。鳩羽のことだ。ノートのどこかに、もう、その正体が書き付けられているだろう。いつもの、まぶたを閉じながら書いたヘロヘロの文字でー……。
 ―…フレミング。
 ネットでは言わずと知れた怪奇現象だ。
 ある日ある時ある一帯で、パソコンの電源がブッツリと切れる。そして一定時間、パソコン画面やキーボード、果てはプリンターやマウスまでもが、ふわりと浮き、動き出す。
 幽霊の仕業かと思う程その光景は奇妙であり、大抵の人間はパニック状態に陥る。逃げるか、立ち尽くすか、失神するかの、どれかだ。
 そうこうしているうちに突然、パソコンたちの動きは止まる。元に戻るとは言え、ぐらりと落下する電子器機は凶器だ。
 古潭自身もこのフレミング現象に遭い、全治一ヶ月の怪我をしていた。右足に、プリンターが落ちてきたのだ。
 どうしたのだと問い詰めるクラスメイトに、古潭は「階段で転んだ」と嘘をついていた。身を隠すための嘘は手馴れており、リアルな肉付けをほどこされた笑い話として、今では学科中に広がっている。
 それもこれも、ネット上で話題になっているフレミング現象が、マスメディアにのぼってこないという事実が元になっていた。
 古潭が調べただけでも、今月で数件、その前も足すと十件以上にのぼっているのに、テレビでも、ラジオでも、まるで隠蔽工作されているかのように、誰も、なにも、言わない。
 それ故、国の秘密実験だとか、開発だとか、そんな憶測だけが一部で飛び交っている。真実を知るものは、誰も居ない。彼はその正体を解き明かそうと、放課後や夜、自力で調べまわっていたのだ。
「あぁ、やっぱしあの子がフレミングかぁー! 残念、好みだったのに」
 古潭の声は、弁当を食べ終わった生徒たちのざわめきにかき消される。隣で半分寝ていた鳩羽は、古潭のその様子に、
「……あの厚い眼鏡の委員長が好みなの? あふ……変態だねー」
 と、チャチャを入れた。
 ノートの、一番最後のページ。裏表紙の隅に、申し訳程度に書かれた薄い鉛筆文字。
 ……船岸トヨ子。
「正体わかったところで……何すんのさ、コージ」
 関わらないほうがいいよと、鳩羽は、だるそうに古潭に言う。その目線は、どこともなく教室の中に向けられていた。数人の生徒しか居ない、その、弁当のむせるような残り香の、奥。ポツンと佇んでいる、船岸の影。
 彼女の壜底眼鏡の黒髪は、良く言えば古風、悪く言えば時代遅れで、クラスでも孤立している。その孤立を淋しがっていない所が、前々から古潭の気を引いていた。
「いろんな情報で、名前はわかったけど……まだ確信はないよ、コージ。確率はキュージュウキューぐらい……それに…結局現象の理論はわかんなかったし」
「いや? 仲間は少数精鋭がええ。これ以上ない……手駒」
 人を、いや。自分以外の何もかもを見下したような、笑い。鳩羽は、古潭の冷酷な部分を垣間見るたびー…。
「ミナトー、コージィ。何してんのさ、猥談?」
 クラスメイトの海野が話しかけたのを機に、二人は表の顔になる。
「そそ、わーいだーん!」
 作り笑いを浮かべる古潭に、鳩羽は
「……ピンチになっても助けてやんないよ…コージィ」
 すれ違いざまに、唇をとがらせた。

■ 2 左手は地球を指す。 ■

「いいんちょー!」
「……はい」
 古潭の呼びかけに、船岸トヨ子はどんよりとした声で応え、ゆっくりと顔をあげた。
 分厚い眼鏡は、間近で見れば見るほどに厚く、真っ黒な髪の毛は無造作に結われ、所々に遊び毛が飛び出ている。頬には真っ赤なニキビ。唇は乾燥して、皮がはげかかっている。古潭は、その交流の壁のようなフレームを眺めながら、船岸に挑戦状を言い渡した。
「ね。放課後コンピューター室に来れないかな? 大事な話が……んー、まっ、ココじゃ言えないこと!」
 そう、この学校は商業高校。コンピューター室がある。狭い室内に、会計計算や英語のリスニングソフトが入っているコンピューターが五台ざっと置いてあるだけの部屋だが、他にも電子機器類がたんまりある。彼女がフレミングかどうか、それで確かめようというわけだ。
 しかし、船岸はあっさりと「予定がありますので」と断った。その硬い声。なるほど。自らドジを踏むようなら、とっくに誰かに捕まっているというわけだ。
「いつならいいん? 明日?」
 笑顔でそう訊くと、彼女は古潭から逃れるように顔をそむけた。
「明日も予定がありますので……」
「あさって?」
「いえ……」
「じゃあ、明日の朝!」
「図書委員の仕事がありますので……」
「明日の放課後!」
「……いえ。あの、すみませんが私ー…」
 船岸が言葉の続きを言う前に、古潭は強引に彼女の腕を引っ張った。
 椅子と机が大きな音をたてる。
 おかまいなしに颯爽と歩き出した古潭に、教室内に残っていた生徒達は目をまるくし、ひやかしの声は廊下に出たところで響いてきた。柱にもたれ薄目を開けた鳩羽に軽く目配せし、古潭は、強引に階段を降りる。
「古潭君、痛い……!」
「あ、ごめんねー」
 軽く受け流しつつコンピューター室へ入った古潭は、船岸を中央へ。
 自分は戸口に立ち、鍵を後ろ手に、閉めた。
 ――もし、船岸がフレミングだったら?
 右足の事を謝らせるのか?
 それとも警察に突き出すのか?
 そして感謝状を貰うのか?
 そんなの。
 どうだっていい。
 ただ好奇心に、体がゾクゾクする。
 快感。
 突きつけるんだ。
 ほら。お前、
「フレミングなんだろ? ――船岸トヨ子」
 一瞬、時が止まる。
 ……ゾ。
 それを破ったのは、船岸が眼鏡を外した音と、コンピューター室全体に起こった地鳴りだった。
 ゾゾ。
 地鳴り? いや、床に配線されたコードが、まさか。
 ゾゾゾゾゾ。
 室内のモノたちが。浮き上がる。まるで、命を持ったかのように。
「っ、フレミング!!」
 船岸は左手で奇妙な形をつくり、叫んだ。高い、少女の叫び声。
 古潭に向かってコードが伸び、飛びのく前に彼の体へと巻き付いた。
「っうッ! ま、ちがっ、ちょ、待てって!」
 古潭に向かって、機材の嵐がふりかかるー!
『チャネル・イン・トゥエルブ!』
 ――ヴヴヴヴィィ……ザザザザ……。
 二人の間に広がる、黒の世界。蠢いていたコードや、浮かんだコンピューターは、消え、船岸は驚き、コードから解放された古潭は
「あー、まー、待てって、な?」
 と、船岸に笑いかけた。お互いの表情は見えないが、笑った方がいい。
「古潭君……なにしたの…」
「いや、俺はなーんにも。なぁ! みーなとん」
 パン! と手を叩く音。それとともに、黒い空間は消え去り、あるのは散乱したコードと機械の山、そして、その山の上に座っている鳩羽の眠そうな姿だけだった。

     ☆

  放課後の図書室は、オレンジがかった灰色。
「私……ごめんなさ…」
 船岸はぽろぽろと涙をこぼし、
「わわっ! ま、いいっていいって。コンピューター室も元通りになったし」
 対処しきれていない古潭に、鳩羽は「ふぁーあ、泣かせちゃった」と、寝言を放った。事情とフレミングの原理を尋ねたかった鳩羽だが、古潭にとめられて大人しく寝ている。「よっぽど好きなんだ」と嫌味を云う鳩羽に、古潭は冷たい笑みでかえした。
 船岸はここのところ、誰か彼かにしつこく追われる日々だったという。鳩羽が引き出せるような情報なら、それもそうだろう。
 彼女は元から電磁波や電流、静電気といった電子エネルギーを操ることができ、コンピューター以外でも、伝導金属でできたものなら、何でも操れるという。追われるたびに例の技を使い、結果、周囲がとばっちりを喰らい、フレミング現象となったのだ。
「さっきの……黒いのは、なに……」
「あぁ、こいつだよ。こいつ」
 古潭は親指で、眠っている鳩羽の頭をつつき、笑った。
「こいつも、変なチカラ持ってんだよ。なんつーか、バクみたいなもんか。夢とか、空間を渡れるんだってさ」
「へぇ……」
 船岸の顔が、すこし柔らかくなる。そんな彼女に古潭は「オレの手駒になんない?」と言った。意味が解らず首をかしげる船岸に、古潭はもう一度、爽やかに言う。
「地球征服の、手駒。オレ、宇宙人だからさ。地球、欲しくってん」
 なぜ図書室の夕日は、沈むとこうも、灰色がかるのだろう。
 その中に、一人異質な存在が混じっているとも知らずに。