■ アリスとお茶会をする ■

■ 1 設問 ■

「ねぇ、森くん。今日のオススメ、聞く?」
「……ききます」
「そこのオランジェット、ねぇ、食べてみて」
「……いただきます」
 緊張しすぎてふるえる手を、チョコで彩られたシャンパングラスに伸ばす。引き抜いた棒状のオランジェットを口に含むと、甘さの奥からオレンジの酸味が少し、のぞいた。
 アリスとこうして向き合っていると、彼女の発する光にいつか、全てが暴かれるんじゃないかと僕はいつも不安だ。
 草花が華やぐような、日差しの色をしたストレートの髪。大きな瞳はキラキラと空の雲間を映し、組まれた細い指は紫外線を涼やかにはじく。
 記念図書館の南に面する庭で、僕、三ノ宮森は彼女とお茶会をしていた。
 いつもは図書館の縁側から眺めるだけの日本庭園に、クロスをかけられた小さなテーブルと椅子が四脚置かれ、テーブルの上にはポットやカップやお菓子やらが並び、いささか混沌としている。
 本当はうさぎさんも来る予定だった。ミス研の後輩がトラブルを起こしたとかで借り出されている。
 それにハイリ先生も居る予定だった。注文していた什器が届いたとかで先ほど出かけていってしまった。
 僕は緊張したまま三杯目の紅茶でオランジェットを飲み下し、ちらっとアリスを見た。彼女は既に、自分の席の周囲にあるお菓子を平らげており、その白い指でツイ、と、うさぎさんの席の菓子皿を引きよせた。
「あら?」
 アリスが声をあげる。
「……どうしたんですか、」
「封筒があるわ」
 うさぎさんの菓子皿があった場所はポッカリと空き、そこに、白い封筒が置かれていた。アリスはガタンと椅子の上に立ちヒザ。封筒をつかむと、中から折りたたまれた紙を取り出した。広げ、文章を読んでいる証に、長いまつげがひそやかに上下する。
 しばらくするとアリスは「うーん」と唸りはじめた。
 声をかけていいのかどうか、僕はずいぶんと悩んだ。
「……あの、アリス……?」
「森くん、読んだら一緒に考えて!」
 差し出された手紙の冒頭を読んで、僕はすぐにピンときた。
 ――うさぎさんだ。
 そして皿の下にセットしたのはハイリ先生だろう。まったく、あの二人は準備がいい。
 僕はうさぎさんに少なからず感謝した。この手紙がなければ、僕はもうあとアリスと何を話せばいいのか……ずいぶん困っていたのだ。

     ☆

 ――親愛なる友人たち! 今日は参加できなくて残念だ。
 これから話すのは朝、思いついた話だ。紅茶のカフェインとお菓子の糖分があれば存外簡単に解けるだろうがね。
 あるコテージがあった。
 そのコテージの左は道路に、右は円形の湖に面している。
 今夜そこに集ったのは、仕事を終えた窃盗団の一味だった。
 A男(27)
 B子(29)
 C美(32)
 D助(26)
 E太(25)
 先に書いておくと、B子とA男は姉弟関係にある。
 仕事で得た金は5千万円。1千万ずつボストンバッグに入れている。
 それらの金を数え終えた一味は、首尾よくバラバラに逃げるため、湖を利用する事にした。
 湖の岸にそれぞれが離れて立ち、船舶免許を持っているE太が船(まぁ、ボートだな)に4千万円を積み、それぞれの岸へ届けたらそれぞれがそのままトンズラする作戦だ。
 まず、最初に全体の位置関係が(道路||□コテージ○湖)になることは話したと思うが、そのまま湖を時計に見たてて話を進めよう。湖をそのまま縦に見ると、9時の方向にコテージがあるね?
 全員の立ち位置はこうだ。
  9時(コテージ)E太が船で待機。
 12時 A男
  2時 C美
  5時 D助
  7時 B子
 E太は全員を「順番に」まわり、それぞれにボストンバッグを置くよう命令されていた。E太の金はコテージにある。順番にまわったらコテージに着く。そのままコテージからトンズラする予定だった。
 A男とB子は姉弟のため、万が一の不正がないよう対岸に配置された。つまり、不正とは、二人がかりでE太を襲い、五千万円を全部持って逃げてしまわないようにだ。
 さて。船は出発した。
 A男は一千万円受け取った。
 C美は一千万円受け取った。
 ところが、D助のところまで船がきたとき、船の中にボストンバッグは――、ただの一つもなかった。
 D助はE太につめよるが、自分は操縦で手いっぱい、夜だからカンと懐中電灯を頼りに岸に着け、ボストンバッグは各自持っていくようにしていた。もういいよという掛け声だけで発進させていた。何も知らない。と言う。
 D助はA男に連絡した。一千万はここにあるという。
 D助はC美に連絡した。一千万はここにあるという。
 D助はB子に連絡した。金はまだ来ていない。船は順番なんだから、順番的にはC美が三千万(C美・D助・B子のぶん)を盗ったんじゃないかと言う。
 D助はC美に詰問した。しかし、逆にD助が2千万(D助・B子のぶん)を盗って嘘をついているのではないかと疑われた。
 ここで、C美が証拠をみせる。携帯電話のカメラで、船を撮影していたのだ。暗闇で見え辛いが、そこには船の上のボストンバッグ(と思しき黒い影)が確かに映っているのである!
 次に疑われたのはE太であった。しかし、船を探してもコテージを探しても、E太の分の一千万円以外に金は見つからなかった。
 D助とB子のぶんの金はどこに消えたのか?
 さぁ、推理してみたまえ。

■ 2 回答 ■

「とりあえず、誰が犯人か言ってみない?」
 アリスが、篭細工のように組んだ指の上に顎をのせ、微笑んだ。
「私はB子だと思うんだけど」
「……えっ、」
「違うの? 森くんは?」
「……えっと……あの、……C美」
 うさぎさんの気遣いは大失敗だ。
 僕は自分が頭の悪い人間であることを恥じた。それで、恥じただけで何が変わるわけでもない。僕はいつでもうさぎさんに守られ、ハイリ先生に許され、アリスに、失望されるんだ。
 彼女は甲高い笑い声を響かせた。
 あぁ、失望されている。
 自分の頬が熱くなるのを感じ、下唇を強く、噛んだ。
「ごめん、ちがうのよ森くん。可愛いな、って。素直で、ほんと、可愛い」
 アリスは続けてまくしたてた。
「私のなんて、ただの推理的読み方なの。ある程度通じた者にはよくあるでしょ、クイズとかでも。こういう問題を出したら正解はこうだな、みたいの。ミステリに もあるのよ。一番疑いの少ない人間が犯人、みたいな、ね? この場合、一番疑われない人間ってB子じゃない? お金もないし、お金を受け取る順番も最後だ し。でもこれって推理としてどうなのかしら? 楽しめないじゃない? 私最近、いっつも思うのよね。推理小説を読んでいて、登場人物の役割から推理をはじめちゃうの。こいつ出番少なかったなー、じゃあこいつを犯人と仮定して……って。あれね。ナンプレで詰まった時、とにかく仮定した番号を入れて、アウト だったらそこをまた別の数字にして、って力技に似てるわ」
 沈黙していても風は吹く。
 僕は飛びそうにはためくクロスの端を手でおさえ、もう一度はじめから手紙を読み直すことにした。
 アリスの言う「推理的読み方」で読んでみようと思った。うさぎさんは普段、余計なことは言わない。この手紙にも、余計なものは何一つ書かれていないだろう。
 気がついたのは、
  >E太は全員を「順番に」まわり、
 という一文だった。
 どうして、順番に、にカギ括弧が使われているのだろう?
 E太が確実に順番に回る、あちこちフラフラしない、という事を強調したかったから?
 ダメだ。
 わからない。
 と、ふいにアリスの声が風とともに耳に届く。
「E太も大変ね、最少年で。窃盗団の中でも使い走りなのねきっと」
「……最年少?」
「書いてあるでしょ?」
 手紙を見直すと、確かに一番最初に
  >E太(25)
 と書かれていた。
 アリスは手紙の内容をもう覚えてしまったらしい……、え? 何だ……これ、おかしい。どうして年齢が書いてあるんだ? この年齢、どこに使われた? 無駄……じゃないんだ、きっと。うさぎさんの事だから、意味があるんだ。
「ねぇ、」
 アリスがささやいた。
「抒情がないわ」
「……抒情、」
「名前つけましょうよ。道路は県道344号線。コテージはー…そうね、ロマン荘一番星! 湖はうさぎ湖ね。あいつが作ったから、うさぎ湖」
 その時。
 僕の身体を一本の線が貫いた。
 いや、貫いたんじゃない。バラバラだったピースが全部はまって、一本の線になったんだ。そうか、犯人はー…!
「B子!」
 アリスが目を細めた。長い睫毛が、これ以上ないしなやかさで動き、またたいた後で彼女はマカロンを手に取った。
「そうね。私もそう思うわ。……ねぇ、よければ森くんの推理を聴かせてくれない?」
 ……これで間違っていたら恥ずかしい。けれど、たぶん、
「……星、」
 アリスが二度、大きく頷いた。
 背中を押された気がして、さっきよりも少しだけ自信を持って続ける。
「この問題の一番の引っかけは、時計に見立てて位置の話をしているところなんだ。時計に見立てられたことで、僕は最初、E太が船をはしらせる順番は「時計回り」だと思ってた。でも違う。この問題には、時計回りだなんて一言も書いていない。全員を「順番に」まわり、としか書かれていないんだ」
 アリスが細い指で、うさぎさんの分のマカロンをつまんだ。
「じゃあ、E太の考える「順番」は、一体、何の順番なのか? それは、最初の人物紹介に、ちゃんと書かれていた――、」
 A男(27)B子(29)C美(32)D助(26)E太(25)
「年齢順……! E太は、年齢順にまわったんだ! そして、立ち位置と年齢を照らし合わせても、時計回りじゃなくても、E太はちゃんとコテージに戻ってこられるー…」
 アリスが続けた。
「そうよ。E太は、五芒星の図形をひと筆で描くようにまわったの。そして回った順番は、コテージ→C美→B子→A男→D助→コテージね。そのうち一千万円を受け取ったのは、最初のC美と、3番目のA男だけ。じゃあB子は? 2番目なのに、お金を受け取らなかったの? 逆よね。B子は船から二千万取ったの。そして船には一千万円だけが残って、次のA男がこれを受け取った。お金がない状態で、船はD助のもとへ向かった。どうしてB子は、全部取らないで船に一千万円残したのかしら?」
 アリスの問いに僕は答える。
「B子とA男が、姉弟だから」
「そうね、真っ先に疑われちゃうものね、この二人。最初から、共謀してお金を強奪しないように配置を変えさせられた位だもの。それを防ぐためと考えるのが無難だわ……でも、違うと思うの。これ、」
 うさぎさんの皿に残っていた最後のマドレーヌをつまみ、顔の前でひらひらさせながらアリスは唇をとがらせた。
「E太の「順番」が時計回りだって、私たちに勘違いさせるためよ。あのうさぎ、ざわとよ! あとで来たら思いっきり蹴ってやるんだから!」
 僕は、遠くから来るふたつの人影を見ながら曖昧に笑った。