■ Yの遊撃 ■

■ 1 問題 ■

 僕の、ただ二人だけの友人のうちの一人、うさぎさん……宇佐美剣史郎は、大学のミステリー研究会に所属している。
 けれど、彼は、僕といる時にミス研の話をしない。
 めったに、という頻度ではなく、完全にだ。
 彼がミス研に所属していると知ったのは、僕の、ただ二人だけの友人のうちの一人、アリス……有栖心愛が言ったからで、決してうさぎさんに聞いたわけではない。
 アリスによると、彼はミス研の部長らしい。
 ミステリー「研究会」だから会長、と呼ぶべきだろうか。
 この間のお茶会を欠席したのは、ミス研でなにかトラブルがあったためと聞いている。
 けれど、これも、うさぎさんから聞いたのではなく、お茶会の最初にアリスが言ったからだった。
 だから今日、僕はうさぎさんに連れられてキャンパスの西はじに来た時、相当の覚悟をした。
 西はじの建物は通称部室棟。
 比較的人数が少ないサークル、同好会の部室がひしめき合う三階建ての棟で、だから、ここへ連れてきたということは、つまり、そう、僕に、ついに、「ミス研に入らないか」と誘うつもりなのか、と――。
 まぁ、そんな事にはならなかったのだけれど。

     ☆

 うさぎさんの後ろをついて部室棟に入り、階段を使って二階にあがった。
 部室棟ときいて思い描いていた「廊下に雑多な段ボールがごちゃごちゃ置いてある」とか「いきなり扉が開いたかと思うと知らない男が話しかけてきて勧誘がはじまる」とか、そんなものは一切ない。
 廊下は白く、綺麗に掃除されていて、並んだドアのプレートにはそれぞれの活動サークル名が黒のゴシック体で記されていた。
 とても簡素で、そして、しんとしている。
 普段はうるさい位に喋る大男は、無言で階段をのぼり、2階の廊下を進み、中央付近で立ち止まった。
 見つめるドアには「ミステリー研究会」というプレートが貼られている。
 いよいよか。
 一瞬、息をのむ。
 けれど、うさぎさんはそこを一歩で通り過ぎて隣のドアをノックした。
 えっ……?
 ミス研に行くんじゃないのか……?!
 なんだよそれ、緊張して損したよ!!
 僕の心の叫びをよそに、ドアの奥からはぐもった「ハイ」という声が聞こえてきた。
 うさぎさんはドアを開け、それからようやく僕に向き直った。
「入りたまえ、森くん。……どうしたんだい? 顔が変だぜ」
 ――変にもなるよ!
 僕の心の叫びをまたよそにおいて――そもそも聞こえていない――、うさぎさんは室内に入った。僕も倣う。
 これぞまさに部活、と呼べるような部屋だった。シルバーラックは様々な大きさの段ボールに彩られ、中央には白く大きなテーブルが鎮座していた。テーブルの上には、何に使うかわからない器具とカッターボード、それに菓子箱のフタが裏にして置かれていた。その中には色とりどりのマーカーが入っている。
 奥から、光る窓を背に、眼鏡をかけた痩せ形の男が立ち上がった。
 うさぎさんが手のひらで彼を示す。
「森くん、あ行会の会長、植尾くんだよ」
「……アギョウ会?」
 僕の質問には答えず、うさぎさんは眼鏡の男に言った。
「植尾くん、こちらが三ノ宮森くんだ」
 眼鏡の男、植尾さんはニッコリと笑った。
「はじめまして、三ノ宮さん」
「あ……森で結構です」
「そう? じゃあ森さん。早速だけれどアリスは僕たち、あ行会が誘拐した」
「――え?」
 誘拐……?
 え、誘拐??
 僕はうさぎさんの顔を見上げた。
「いま、誘拐ってきこえたんだけど、うさぎさん……」
「まぁ、そのようだね」
 肩をすくめる大男。焦っている様子もない。
 植尾さんは僕たちに椅子をすすめた。部屋はだいたいが白の巨大なテーブルで構成されていて、うさぎさんは入り口のすぐ手前にある椅子に腰かけた。僕も、不自然すぎるほど焦っていないうさぎさんの横に座る。
 数秒の沈黙。
 最初に声を発したのは、うさぎさんだった。
「植尾くん。とりあえず、あ行会の説明からじゃないかい? 森くんは知らないだろうからね」
 植尾さんは眼鏡を指で押し上げ、
「それもそうだなぁ」
 と同意した。
「えぇと、まず、あ行会は、あ行から始まる人間しか入れないサークルで、」
「はぁ……、」
「ボクはその会長をやってるんだなぁ」
「あ、さっき聞きました」
「あ行会にはランクがあって、森さんの苗字は三ノ宮だから、まず入れないんだけれど、宇佐美くんは「う」でしょ?入れるんだ。でも、名前にはあ行が入っていないからランクは一番下なわけ。アリスは、名前がココアだから、アが入っているよね。宇佐美くんよりランクは上」
「あぁ……、」
「そんな風に決まったランクから始めて、総合点を競うのがあ行会かな」
「へぇ……、」
 何かのスポーツサークルなのだろうか、という僕の疑問を察したうさぎさんが口をはさんだ。
「森くん、サバゲーサークルだよ」
「あぁ……、」
「ちなみに植尾くんの名前は、藍染めの藍に初めてと書いて「うえおあいうい」なのさ」
「やだなぁ宇佐美くん、狙撃の腕をほめてよ」
 植尾さんは銃を構える仕草をした。

■ 2 思考 ■

「で、この春なんだけど、新しいメンバーが入ってこなくてねぇ。お隣でしょ? ミス研。サバゲーと謎々のコラボなんかしたら、いいかなぁ〜って。まだ五月だし。ねぇ? だから昨日、ちょっとアリスを借りたんだけど」
「貸したつもりはないがね」
 うさぎさんはバッサリと言い放った。
 それよりも僕はさっきから、彼がアリスの事を呼び捨てなのが気になっていた。
 この男……アリスとどういう関係なんだ。一体。
 問い詰めたい気分でいっぱいだったけれど、それを言葉にできるほど 僕は勇気のある人間じゃなかった。
 結局口から出たのは、どうして僕を呼んだのか、という疑問だけだった。
 植尾さんは、待ってましたとばかりに眼鏡をクイッとあげた。
「アリスがねぇ、君で試したらいいと言うんだなぁ!」
「はぁ……??」
 思い切り嫌な声で言ったつもりだったのに、植尾さんは気にもとめず、筆箱がわりの菓子箱のフタを持ち上げ、一枚の紙を取り出した。
「エラリー女王は好きかなぁ? ボクは読んだ事ないんだけど、なんかドラマになったとかで? なんだっけ? エルム街の殺人とか書いた人なんだって?」
 あ、この人、にわかどころの話じゃない。
 うさぎさんを見ると、彼はひきつった笑みを浮かべながらプルプル震えていた。
 訂正する気もないようだ。
 僕も、ない。
 植尾さんは大げさな咳払いをした。
 彼はいたって真面目に言ったようだ。
「さて、森さん。我々の中で、誰が犯人なのか当ててほしい。あ行会のメンバー紹介もできて一石二鳥なんでねぇ」
 あ行会のメンバー紹介は以下の通りだった。
 会長、植尾藍初。
 副会長、太田英雄。
 他、飯田光栄、鵜飼歩夢、赤坂祐樹。
「そしてアリスのダイニングメッセージが、コレなんだなぁ」
 植尾さんは、紙を僕に差し出した。
 赤いマジックで「Y」と書かれている。それだけの紙。
 なるほど、エラリー・クイーンの「Yの悲劇」にあわせたのか……。
 受け取って眺める僕に、覆いかぶさるようにうさぎさんがカードを覗き込んだ。
 彼の第一声はこれだった。
「――森くん、ここまでの流れでわかってると思うけれど、アリスは……死んでないからね」
 ダイニングは無視する予定らしい。
 しばらく考え、こんな簡単でいいのかな……と思いつつ、口に出してみた。
「犯人は、赤坂祐樹という人だと思います」
 何かに詰まった時、とにかく声に出してみる事だ、と、いうのはうさぎさんの教えでもある。
 僕は声に出してみた。
「まず、このYというのがイニシャルと仮定しました。この中でYという頭文字がある人間は赤坂祐樹さんしかいない。それに、文字が赤色で書かれているというのも、この人の苗字に「赤」が使われているし、この人なんじゃないかと思います」
「2点」
 うさぎさんが呟いた。
 何点中の2点なんだ。
「森くん、アリスがそんな簡単に解かせるわけないだろう? といっても本当の答えもダジャレだがね……。真犯人は植尾藍初、お前だよ。昨日勝手にミス研に侵入して、アリスを口説いてヴェルメリオに食事に行っただろう」
 く、口説いた!?
 ヴェルメリオって……あの高級そうなレストランに?!
 眼鏡の男は両手をあげた。
「それ言われたらおしまいだなぁ。でも、黒幕を当てろって意味じゃなくてさぁ、そのYから導き出した答えを、ねぇ?」
 僕に水を向けられた、けれど、問題どころじゃない。
「あのっ、その……食事ってー…」
 と、はたと気が付いた。
「あれ、うさぎさん……どうして食事の場所まで知って……?」
 するとガタンと音がして、椅子が倒れ、大男が立ち上がった。ものすごく険しい顔で。
 と、思ったら、さっさと椅子をなおして座りなおした。心を落ち着かせるように深呼吸している……こんなに動揺しているうさぎさんは、あの事件以来だ。
「いや……、森くんには言わないようにと念を押されていたんだが、実にうっかり。すまない、今朝アリスから聞いたのだよ。それと、ぜひとも森くんを誘って、あ行会を訪ねてくれというお願いもね」
 あぁ、それで誘拐って聞いたときに焦らなかったのか。
 ストンと納得したついでに、もう一度考えてみようと思った。
 カードを手に取る。Y……、たしか、エラリー・クイーンの「Yの悲劇」では、Yは別なものだったハズだ。
 Yを別なものに……、そうだ!
「犯人は、太田英雄という人だと思います。このYは、実はYと見るんじゃなくて、えっと、さかさまで、太田の「太」の書きかけだった」
「4点」
 うさぎさんが呟いた。
 だから何点中の4点なんだ。
 抗議しようとして大男のほうを見ると、うさぎさんは右のこめかみをガリガリと掻いていた。
 その仕草。
 あの事件の時にも見たものだ。
 考えをまとめるときのうさぎさんのクセ。
 どうして。
 今さら。
 問題は解けてるんじゃないのか??
 うさぎさんは掻く手をピタリととめて、遠くの誰かを天国へ、見送る目線のように――徐々に顔をあげた。
「――…Onecolorjustreflectsanother」
「えっ?」

■ 3 回答 ■

「森くん、盲点だったよ。点数のうち、どうせ1点がアリスの用意した解答だと思っていたんだがね。違ったよ。この赤いYは、前期エラリー的問題のアンチテーゼなんだ。まんまとアリスの罠にはまっていたというワケさ。彼女はいつでも反抗的だからね……」
 うさぎさんは立ち上がった。
「この問題のミソは、すべての人物に解答をこじつけできるという点にあったんだ。まず1点のほうはダジャレ。「赤い」は「鵜飼」と似ているだろう? まずそれで鵜飼に意識を持っていくと、次にYはなんだ、ということになる。これは鵜飼の名前をローマ字にして、Yを先頭にくっつけてみるのさ。ミス研とあ行会の部屋が隣同士のようにね」
 僕は鵜飼をローマ字にしてみた。……Ukai……Yをつけてみる…YUkai……、
「――あっ、」
 僕は最初の植尾さんの言葉を思い出した。
 彼は最初に「アリスを誘拐した、犯人を捜してほしい」と言ったんだ。
 うさぎさんは一歩、植尾さんに近づいた。
「そして、あ行会のメンバー紹介時、名前にどれだけあ行を含んでいるかでランクが決まると教えられただろう?だが、飯田光栄は「いいだこうえい」とあ行が5つあるにも関わらず、副会長は「おおたひでお」だ。あ行は3つしか入っていない。これをこじつけるなら、Yは人物相関図の線になる。Yの枝分かれした2本の線の先には会長と副会長、下の1本には犯人の飯田光栄がくる、というわけさ。いささか無理があるため、3点の解答」
 うさぎさんはもう一歩、植尾さんに近づいた。
「前期エラリー的問題のひとつに、解答の多様性が挙げられる。犯行方法は、主人公が推理し犯人が白状しただけで、その犯行方法が唯一の解答であると「物語上ではなってしまっている」が、実は、その推理上の世界にはもっと別な解答がある「かもしれない」という問題。アリスは、解答の多様性を実行した」
 大男は更に数歩、足を進める。
「そしてまたひとつに、推理のメタレベルの問題が挙げられる。つまり、物語上で見つかる手がかりは、あらかじめ用意させられていたものであり、主人公の推理は、その方面に強制的に導かれてしまう。つまり、主人公の推理や行動は、誰かに操られている。しかも、操っているのは誰か、という話だが、その物語上に直接登場しない悪の組織「かもしれない」。そしてその悪の組織も、真の黒幕に操られている「かもしれない」、真の黒幕も、影の大ボスに操られている「かもしれない」……。という具合に、メタのレベルがどんどん上がっていく」
 狭い部屋で。
 うさぎさんはすぐに植尾さんの横にたどりついた。
「森くん、」
 うさぎさんの大きな背で、逆光だった植尾さんの顔が、すこしだけ見やすくなった。にこやかな笑みで、僕を、見つめている、
「きみは――誰に操られていた?」
 犯人はうえお――、
「……っ!」
 僕は開きかけた口を手でおさえた。
 落ち着け、三ノ宮森。
 その、推理のメタの話をした直後に、こんなやさしい誘導を、まさか、あのうさぎさんがするはずないんだ。
 うさぎさんが、アリスに対して思ったように僕もひとつ、うさぎさんに対して思うものがある。
 あの男、宇佐美剣史郎は、やさしいトリカゴに僕を閉じ込めるのが得意だ。そして同時に、僕がそのトリカゴから自力で出ることを望んでいると――。
 考えろ。
 最初から。
 まず僕はうさぎさんに誘われてここへ来た。あ行会の会長、植尾さんに会う。植尾さんは新入生の獲得に失敗して、ミス研とのコラボを考える。問題を考えたのはアリス。赤いYを見せられて、メンバーの名前の紹介があって、僕は解答を出す。けれどうさぎさんは、解答の多様性を指摘する。同時に、誰に操られていたかという簡単な問いに、僕は今こうして抗っている……。
 ダメだ。
 わからない。
 もっと別な方向から考えないと。
 僕は、逆光の中の二人を見る。
 うさぎさんも植尾さんも、黙って僕の考えがまとまるのを待っていた。
 もっと根本的なきっかけ。
 なぜ、あ行会は新入生の獲得に失敗したんだ……?
 最初にうさぎさんに紹介された僕の気分をトレースしてみた。
『……森くん、あ行会の会長、植尾くんだよ』
『……アギョウ会?』
 なんだそれ。
 意味がわからない。
 そんな気分だった。まず名前からして、何をしている団体なのかがわからない。ヤクザっぽいものかも知れない、と、僕は最初に思ったんだ。
 じゃあ、もっとこう……入会しやすく、透明性を見せるには? 何をしている団体で、所属している人間は誰々で……。
「――あッ!!」
 思わず出た声。
 メンバーの名前の紹介、解答の多様性とは――、
「この……、この問題は、アリスを誘拐した犯人をあてるのが目的じゃない。本当の目的は、あ行会を知らない人に、その会の中身を知ってもらうためのものだ! だから、問題の内容がメンバー紹介を兼ねて名前なんだ。そして、誰がどういう解答を出しても正解で、いい気分になってもらえるように出来てる……!」
 こんな問題を考えるなんて、
「アリス、すごいな……」
 植尾さんとうさぎさんは顔を見合わせ、笑った。
 眼鏡をかけなおした植尾さんが
「それは本人に直接いってくれないかなぁ」
 と肩をすくめる。
 うさぎさんは
「さっき椅子から飛び上がる位驚いたからね、きっと森くんも驚くぜ」
 と白のテーブルをコツコツ叩いた。
 僕がたどりついた答え、少しくらい褒めてくれてもいいじゃないか。
 ちょっとムッとしたけれど、それも、耳に届いた声に打ち消された。
 大きなテーブルの下から響く、少し高い、彼女の声に。