■ ユーノのお嬢さん ■

 この村には吸血鬼が住んでいる。
 妄想ではなく、俺や皆も知っていることだ。
 村の北山。広大な恵みをもたらしてくれるその中腹に、小さな城がある。まるで日差しを避けるかのようにひっそりと、静かに。
 誰もが幼いころから変わらぬ姿で佇んでいる住処。
 誰もが幼いころに探検した。
 誰もが見るだろう。
 清潔に整えられた城内。いましがた飲み終えたばかりのようなワイングラス。廊下に続く肖像画にはどれも牙が生えている。極めつけは地下室に置かれている、いくら力を入れても開かない棺――。
 ときおり。
 北山の入口に鹿や熊の死体があがる。鮮血が流れる傷口には、決まって小さな二つの穴が空いている。
 たまに。
 満月の夜に空を見上げると、明らかに鳥より大きい鳥の影が横切る。北山に向かって。
 続くそれらの現象を、吸血鬼といわずなんというのであろうか。皆、かわる答えを持ち合わせていない。そして、風習を変える思考も持ち合わせてはいないのだ。
 二十七年に一度。
 処女を城に捧げるという風習を。
 捧げた娘がどうなるのかは知らない。俺たち若人衆全員、前回捧げた時にはまだ十もいかないガキだったからだ。
 だから、集会場に集められたあと村長に、今年がその節目だと聞かされ誰もがざわめいた。オルクも、カイードも、ユーノも、ハイクも……、処女を娘に持つ同年代の奴らは一斉に息をひそめた。
 一方でエンズは気楽そうな顔で出された菓子豆をつまんでいる。あいつの娘はもう隣村の青年と通じているからだ。
 婚約者でもない男と通じていることが分かった先月は、怒り狂って娘を殺すんじゃないかという程の騒動を繰り広げたエンズが――、あれがまさか逆の効果を生むとは誰一人思わなかっただろう。
 俺もお気楽組の一人だった。
 結婚しているが子供はいない。
 昨日までは石女(うまずめ)を嫁にしただの早く離婚しろだのと言われて肩身が狭かったが、今日は違う。エンズと一緒に、ひそかに木のカップを持ち上げた。
 と。
 俺たちの様子を伺っていた村長が重々しく口をひらく。
「……さて…、今日集まってもらったのは他でもない。生贄を決めるためじゃ。誰でもいい。手を挙げてもらいたい」
 集会場は静まり返った。
 手を挙げる奴など誰もいない。
 そりゃそうだと考えていると、村長は後ろから四角い箱を取り出し、各々の持ち物をひとつ入れろと指示した。そして箱を閉め、村長の片手だけをつっこみかき混ぜ「これじゃ」と言った。俺たちに見えないようフタの隙間から確認し、また箱に戻した。
「来月のうちに生贄を選び城へ運ぶ。しかし誰の娘が生贄になるかは……、娘が消えてから分かるじゃろう。では、箱の持ち物を持ってから各自家に帰るように」
 皆がこぞって箱の中身を取り出し、走って集会場をあとにした。
 ポツンと残されたのは、俺とエンズと村長。村長は俺とエンズに協力を持ち掛け、俺たちはそれを承諾した。

     ☆

 生贄に決まったのは、ユーノのお嬢さんだった。
 村中の男たちが自分の娘を守る厳戒態勢をしいていた中、俺とエンズは手はずを整えて機を待った。
 気を張って警戒していられるのもせいぜい十日が限度だ。
 動きがないまま過ごし、気が緩んできたところで決行しようと決めた。
 まずエンズお得意の話術で、ハイクに飲み会を開かせる。気を張っている中でのとりあえずのお疲れさん会という名目だ。
 俺はユーノが家を出たところを確認し、外の隙間という隙間から睡眠香を流し込む。
 飲み会をこっそり抜けたエンズと落ち合い、ユーノの家に足を踏み入れると、ユーノの奥さんとお嬢さんはぐっすり眠っていた。
 準備していた荷車にお嬢さんを乗せ、俺とエンズはかけ足で城に向かった。
 城の門前に準備しておいたシルクの装束をお嬢さんに羽織らせ、抱き上げる。エンズは、これも準備しておいたゆうすげの花束を持ち、城の扉を開ける。
 エントランスホールには、村長が前もって準備していたシルクのベッドが置かれ、月光に照らされて光り輝いていた。
 お嬢さんを横たわらせる。
 その胸に花束をそっと置き、花束を持つようにお嬢さんの手を重ねた。
 ユーノ。
 君が嫌いなわけじゃない。
 このお嬢さんだって、嫌いなど。そんなこと。
 ただ。
 決められた。
 ただそれだけだ、本当に。
 クジで決められた。可笑しいくらいに簡単に――。
 美しい寝顔にきびすを返し、俺とエンズは城の扉を閉めた。そのまま駆け出す。村に向かって。
 そのままの勢いで飲み会場の扉を開けると当のユーノが声をあげた。
「おいエンズ! どこ行ってたんだよ」
 俺が横目でエンズを見ると、エンズの喉がゴクリと動いた。
「悪ぃ悪ぃ、ベリベも連れてきた。いやーこいつの糞が長くて」
 ギョッとしつつも口を合わせる。
「あ、あぁそうなんだ。飲みやってるだなんて知らなかったからな。俺もいいか?」
「ああ! 飲もう飲もう!!」
 席に着くとカップに、ゆうすげ酒が注がれる。城のエントランスを思い出しながら、ぐいっとあおる。皆が笑っている。
 ここはいい村だ。
 皆がいい奴ばかりなんだ。
 ……夜が明けたら早々に城へ行ってみようかという好奇心が、一瞬浮かぶ。だが、おそらくユーノのお嬢さんは消えているだろう。いくばくかの血のシミを残して。
 残された美しさを想像し、俺の同情心は糞みてえに汚ねぇなと思った。

■ 弓兵の白い顔 ■

 人なんてのは、顔を見ればまず分かるモンだ。
 ヤク顔、キレ顔、ビンボー顔、優顔……大抵当たる。職なんてとっくの昔に捨てていたが、顔を見る癖はどうにもなおらない。
 とにかく、マンションから出てきたそいつと目があっちまったのは、昔の少女マンガよろしく、いかにも幸薄そうな顔をしていたからだ。青の制服からして緒乃商の生徒だろう。長めの黒髪がおぼっちゃま風情を漂わせている。
 だが、それも数秒。高校生がこんな朝から、朝でなくともホームレスに用事なんかねェだろう。
 くるりと向きをかえると、少年は大通りへと歩いていった。
「おぅ、シゲさん。お早う」
 ぼんやりと見送っている俺の肩にポンと、タツじいの手が置かれた。
 振り返り、笑う。
「タツじい早ェな。まだ七時だぜ」
 別に、あてつけのためにマンションの前に居るわけじゃねえ。マンションの目の前が、たまたま広い公園になっているだけだ。
「――お早うございます」
 今年で三十になる最年少、マキノも起きだしてきた。丁度良い。
 俺はカセットコンロにかけっぱなしだった薬缶をさげ、準備していたコーヒーメイカーに湯を注いだ。長い一日が始まる。
 ホームレスとはいっても、住人たちは毎日働いている。街中の清掃活動をしたり、可燃ゴミの見張り番をしたり。こういうのは市から少しばかり礼金が出る。あとは、それぞれがそれぞれ、別の仕事を持っていたり俺のように適当にその日暮らしをする奴も居る。
 今日は西通りの歩道清掃を頼まれている。
 車の免許を持っているのは俺とマキノだけだ。公民館から掃除道具と軽トラックを借り受け、皆とゴミを乗せながら往復する予定だ。
 借り受けは、この公園のホームレスたちを仕切っているタツじいのサインがないと始まらない。そのためのコーヒーができあがった。
 俺たちはコップをかかげ、鳥の声の中、一気に飲み干した。

     ☆

 結局、西通りの清掃は夕方までかかった。西通りっつうのはただの名称で、実際は県道だ。行こうと思えば何十キロにもなる。
 本来なら県道の清掃は県の仕事だ。だが県は全く対応しない。見かねた市が清掃を始めた。なるべく安い金であがらせようと、ヤッコさんは俺達を指名する……って、そんな事はいい。公園を使わせてもらっている負い目もあるし、ゴミも、処理場に直接持っていけば金がもらえる。
 そんなこんなで、俺とマキノが大量のゴミを処理場に持って行ってる間、皆は共同で今日の夕飯を用意してくれていたのだった。
「シゲさん、マッキー、お疲れ!」
「カレー、カレー。ビール!!」
「飲め飲め! 今夜は無礼講だ。いつもだけどな!」
「今日も一日働いたなぁ、明日は寝るかなぁ」
「おめえ、昨日も寝てたじゃねえか」
「ガハハハハ!」
「ふぁっふぁっ」
 心地よい笑い声が電灯の下に響く。と。
 ふと、草の音がしたかと思った。
 よくよく見てみると、道端に立ち止まっている人影がひとつ。俺の視線に気づいたタツじいが立ち上がり、その人影に近づいていった。数分後、戻ってきたのはタツじいと、タツじいに肩を押されている今朝のー……。
「君っ、大丈夫かい?!」
 叫んだのはマキノだ。暗くともわかる。少年の頬に巨大な痣ができていた。
 マキノが手当てしている間、俺はまたやっちまったと後悔していた。俺の顔占いは当たる。それで嫌という程の仕打ちを受けたにもかかわらず、直らないこの癖に苛立ちを覚える。
 二人が、俺の隣に腰を下ろした。まぁ、しばらく休ませるにしても、酒を飲まないマキノがついていれば安心だ。
 カレーの残りをかきこんだところで、少年は、ポツリと「真弓」とつぶやいた。
「名前……苗字だけど…」
「あ、あぁ。俺はシゲだ。こっちがマキノ。あとさっきお前を連れてきたのがタツじいっつうんだ」
 いつもツルんでる三人組ってトコだな、と笑うと、体育座りをしていた少年は「ここで……暮らしているんですよね…?」
 俺はホームレスだが、バカじゃあない。今の細い言葉で全てを理解した。ここに居れば、家に帰らなくて済む。見合わせたマキノも察したらしく、
「君には帰る家があるんだよ。えっと、それはすごく良いことなんだよ」
 落ち着いたら送っていってあげるからと軽くたしなめた。
 しかし、だんまりを決め込んでいた少年が次に発したのは、
「おじさん…何もわかってない……」
 ――このガキッ!
「他人の事なんてわかってたまるか!!」
 びくりと全身をふるわせ、おぼっちゃまは俺を見上げた。勢いで立ち上がってしまった。皆も動きをとめてこちらを見ている。
 あわててしゃがむとタツじいの一声。
「おおコワ! シゲさんが酔っ払ったぞぉい!」
 笑いが飛び出てあたりはまたジジイたちの陽気なざわめきに包まれた。
 少年は今度こそだんまりで、言い訳よろしく俺は、口を開く。
「顔を見るのが得意なんだよな……」
「え……?」
 ……後が続かない。思い出したくもない昔のことが頭に浮かぶ。
 人事の天才と呼ばれていた頃。顔さえみればなんでもわかった。わかった気になっていた。自信があった。癖になるまで顔を見続けた。
 ある日。宝くじが当たった。それもスゲェ額だ。
 とたんに。周りの「顔」が一変した。信頼していた部下も、頼りにしていた上司も、恋心をよせていた彼女も。俺はうわべの顔を失っていった。軽口たたいていた気さくな受付嬢も、安らぎを求めていた家族も、わかりあえていた親友も、泊まらせてくれた知人たちも。俺は今までどの顔を見ていたのかわからなくなっていった。
 全てを手放して。ここまでくるのに大して時間はかからなかった。
「いつでも逃げておいで。泊めてはあげられないけど」
 マキノが少年の頭をなでた。俺はビールを飲み干して「ハン」と鼻で笑う。
「オッサンばっかだけどな」
「やだなぁシゲさん。ぼく、最年少ですよ」
「アホ。ピッチピチの高校生からみりゃあ、お前だってオッサンなんだよ」
「わ、シゲさんひどい!」
 少年の押し殺した鳴き声が、夜の湿度をあげた。俺が救われたときのように、そこには皆の本物の笑みが、光のように少年を見守っている。

■ UIA ■

 屋丸と私は、壁と窓をはさんで反対側に居た。
 屋丸はD棟の外に。
 私はD棟の廊下に。
 外は雨が降っていた。屋丸は空を見上げたまま、くちびるをあけて雨を飲んでいる。もう、ずいぶん時間が経った。けれど屋丸は銅像じゃなくて、服はぐっしょり濡れてて、今脱げはきっと、重力にさからわず地面に衝突すると思う。
 それくらいの量が降り続けている。
「ヤマル、」
 私は続けようとした言葉を躊躇した。
 屋丸が、こっちを向いて笑ったからだ。べろべろになった髪の毛が、激しい雨にうたれて皮膚にはりついている。風がぶうんと唸り、視界がいっそう水だらけになった。
 この世が、ぜんぶ海に沈む予感。
 くろい屋丸の笑い顔は、沈んだ世界の深海生物みたいだ。
「――優香! 知ってるか!? モンゴル人の雨の擬音は「シーシー」っていうらしいぜ!!」
 深海の奥からなにか叫んでいる。
 雨の音に負けじと私もはりあげた。
「ヤマル!! 中に!」
「知ってるか!? ヤマルは「世界の果て」って意味なんだぜ!!」
「ヤマル!! タオルあるから!」
「知ってるか!? 梅雨の雨を飲んだハモは、やわっかくてチョー美味しくなるらしいぜ!!」
 何なんだろう、この男は!
「ヤマルってば!! 中はいって!」
「知ってるか? 俺がー…」
「――知らないッ!!」
 大声の拒絶に息をきらした私は、数秒後にやっと気付いた。屋丸の顔から笑顔が消えていることに。
 雨はかわらず彼を打ち続けているけれど、そこは深海じゃなくてただの大学の外で、彼はもうハモじゃないし、雨を飲んでいないし、笑ってもいなくて、それで、それで、それから。
 急に。
「優香、」
 ちいさい声で。口が。
「知ってるか?」
 雨に。
 かきけされるような。
 声で。
 くちびるが動いて。形を、つくって――U、I、A。
「ヤマル!! 聞こえないってば!! もうっ、早くこっち来て!」
 直観はしなかったことにして。
 なんにも聞こえなかったことにして。
 今度は素直に玄関先まできた屋丸は、服を脱いた。服はやっぱりぐしゃっと床に衝突して、タオルは足りなくて、本当に何をしたいのかわからない男だった。
 ――ス、キ、ダ。
 私は事務室まで走って、タオルを借りてきて、私もこんな男に何をしているのか、まだ、答えは保留しておきたくて、雨は。降り続けて。