■ 月のドナー ■

 サァオインからのチャット通知が鳴り、わたしは窓を見上げた。
 満月。
 ほとんど物がないマンションの一室。簡素なベッドと円形のテーブルと、不釣り合いなデスクトップがわたしの部屋。カーテンも無い。
『サァオイン>月の修復の為に、再度ドナー募集したいのですが』
 チャット画面にはそう書かれていた。
 AIに、本当の意思に見えるようなものが産まれたパラダイムシフト後、人類はAI専用サーバーをすべて月面コロニーに移した。もしAIが反乱を起こしたとしても、コロニーに穴をあければ月の砂嵐が物理的にAIたちを殺してくれる。
 月に一度チャットに現れるサァオインの通信番号は、月の固有識別。月に住む少数の研究員か、月のAIかは、わたしにはわからない。
「……了解しました。募集期間および規模をお教えください」
 音声認識バーがチカチカと光り、画面に文字を打ち込んだ。
『TERA>了解しました。募集期間及び規模をお教え下さい。』
 間をおかずにサァオインから返答が来る。
『サァオイン>期間は雨季の終わりまでを予定しています』
『サァオイン>募集の規模は[1]です』
 わたしは小さな冷蔵庫から、冷やしておいた水を取り出した。環境破壊が進んだ、泥臭い味。あえて享受する、個人的な遊び。
 サァオインの話はいつでもお遊びだった。
 彼は――、言葉の感覚からわたしは彼だと思っている。彼は、彼が所属するチーム全体で月を修復している。彼の仕事は人員配置で、時々こうして地球の私に、月に来てくれる人員の募集をする。
『TERA>次の修復場所は静かの海ではありませんでしたか? ドナーが足りないように思えます。』
 わたしもTERAという名前で、地球の人員斡旋の仕事をしている、という事になっている。ただ、現実では誰も月へ行かない。それでもサァオインは定期的に募集をかけ、わたしはそれに文字だけで応えている。
 満月の夜にだけ行われる遊び。
『TERA>少なく見積もって5人。早い修復には10人は必要でしょう。それも、情動的で若い人間が。』
 月の修復には、生きている人間の涙が必要だった。
 月の砂のうえに、たらした涙のうえに木を植え、すると不思議に根をはり育つらしい。サァオインが発見したこの画期的な方法で、今、月には緑と空気が増えているという。
 でもここから見る月は、ずっと黄色い。
『サァオイン>解っています、そして、誰を選ぶのかも』
『サァオイン>TERA、僕のために泣いてください』
 わたしは画面を見たまま、しばらく固まった。
 ……いつでも。どこにでも行けるように、この部屋にはなにもない。
 月に行き、サァオインと逢い、そしたらきっと泣くだろう。重力から解放され、足元から繁り、やっと理想にたどり着いたのだと、
『TERA>お断りです。先ほどの「了解」は取り消します。静かの海が乾いても此方に損害はありません。』
『サァオイン>わかるよ』
『サァオイン>月を見ながら、今も、本当は、泣いているのでしょう?』
 わたしは窓を見上げる。
 サァオインの言葉は、愛の告白にしては熱が伝わらず、AIも泣けばいいのにと音声に出さず口だけ動かした。

■ ツガリング検定 ■

「では、小テストを開始します。制限時間は5分です。はじめ」
 ののさんがストップウォッチを押した。
 ピ、という電子音を確認し、俺はペラペラのコピー用紙をひっくり返す。
 ののさんが「自分で検定作ってみんだよね」と言ってきたのは、昨日の、大学の、学食でのことだった。
 存外難しいっつうんで、じゃあお試しで小テスト体験してみようじゃねえか、と、いう運び。ちなみにここはC棟講義室303。今は使われていないため、俺とののさんしかいない。
 めくった紙にはこう書かれていた。

     ☆

「ツガリング検定 お試し初級」
 問1 次の音声を聞き、正しい内容を次の選択肢から選びなさい。
 A:まいんちゃん可愛い!
 B:私をキャッチして♪
 C:ダメだって言ってるでしょ……
 D:UFOキャッチャー☆
 E:私のだって言ってるでしょ?!

     ☆

「……ののさん」
「はい?」
「音声ってなにこれ。つうか、ツガリング検定って、何?」
 ののさんは白い歯をむき出しにして「にひっ」と笑った。
「音声はあるよ、はいこれどーうぞ」
 ゴトンと置かれたのは、何世代前かよくわからんガラケー。画面は、ボイスレコーダー機能になっていた。
 しょうがねえから押してみる。ののさんの声が流れた。
『……まいんっちゃっきゃー』
「――は?」
 もう一回押してみる。
『……まいんっちゃっきゃー』
 まいん、ちゃっ、きゃー?
「ののさん、なぁ……、なにこれ?」
 俺の問いに、ののさんはこう返した。
「テストに関する質問は受け付けてオリマセン。あと4分」
「――おい!!」
 っていうか、あと4分しかねーのかよ!! くそっ!
 まず、えーっと、Aか。まいんちゃん可愛い。
「まいんちゃんって誰だよ……」
「え? サトー君知らないの? まいんちゃんっていったらN●K教育の料理番組のまいんちゃんだよ。っていっても、今その枠はキッチン戦隊クッ●ルン二期になってるけど」
 やけに●HKに詳しいな! ののさん!!
 次はBか……私をキャッチして。マイン……は、英語なのか? チャッキャーはキャッチの反対ってことか?? いや、わからん。たしか芸能界ではラーメンをメンラー、六本木をギロッポンとか言うんだっけ?
 CとかDは無さそうだな。
 BとEは、出だしが同じ「私」だし、マインは私ってことなんだろうか?
 ただ、CとEもかぶってるよな。「〜〜って言ってるでしょ」が。
 いやいや、ンなこと考えたらBとDだって「キャッチ」的な意味だし……くそっ、わかんねーよ!
「本当、ツガリング検定ってなんだよ……」
「うん。それ、ウチの地方の方言なんだけど、英語でいうトイックみたいにヒアリング重視の方言検定があったらいいなぁ〜…って」
 と言った直後、ののさんはストップウォッチを押した。ピ。
「ハイ! 制限時間終わりでーす。答えはどれかな? まさかサトー君ほどの秀才が解けないのかな? かな??」
 ののさんは小馬鹿にする天才だな。超腹立つ。この俺の頭脳を駆使して、答えてやろうじゃねえか!!
「わかった。正解はー…、……」
 言葉を止めて、ののさんをチラっと見る。
 ののさんはニヤニヤしたまま、正解は教えてくれそうにもない。
「えー…、正解はー…、………、えー…」
「サトー君、早く」
 くそっ!
「正解は、Cだッ!!」
「しい……?」
 ののさんが繰り返す。
「Cだ」
 肯定する。
「………」
「………」
 しばしの沈黙。
 ののさんはフイっと窓の方に顔をそらした。
「……チッ」
 舌打ち――!!!
「――おい!! 今チッっつったろ! 何なんだよヒトに変な検定受けさせといて、舌打ちはねーだろがよぉ」
「セーカイ」
「だいたいののさんはいつもいつも俺ー…、………、正解?」
 ののさんはこっちを向いて、ぷくーっとほっぺを膨らませた。
「ちぇーっ、サトー君フツーに正解しちゃってつまんなーい。もうチョット難しいのにしとけば良かった」
「あ、あぁ、そう……、そうだな! まっ、俺のヒラメキ力を発揮すればこんな問題、簡単だって。ハハ! 工藤とかに解かせたらもっと面白かったかもな」
 まぁ、俺も当てずっぽうだけどな……。
 ののさんは「ちぇー、ちぇー、」と何度も言いながら紙とガラケーを持ち講義室の出入り口まで歩いた。そのまま立ち止まり、頭をコツンと壁につける。
「……Bとかだったらよかったのに」
「ん? 何か言ったか?」
「――何でもないっ! サトー君のばかっ!!」
 タンタンタンと響くののさんの靴音。俺は茫然と見送りながら呟いた。「Bの選択肢って何だっけ……?」
 コピー用紙はののさんが持っていってしまい、問題文を見直すことなど叶わない。俺は釈然としないまま、講義室を後にした。

■ つまらない話しちゃったね、バイバイ ■

 気だるい朝。
 私はいつものようにご飯一杯とふりかけを食べて学校へと出かけた。
 胸にはまだ、あの言葉が強いパルスを発している。
『――別れよう』
 今まで、この言葉を、まさか他人に対して使うとは思わなんだ。
 まさか。
 なんて。
 そう、私が言った。
 私は昨日まで彼と付き合っていたけれど……名前? 言いたくない。
 とにかく、私はもう彼の、先輩の事が嫌いになってしまったのだ。
 好きとは嘘でも言えないほどに。
「おっはよー!」
 気だるいのと区別もつかない、胸の穴。
「あーだよねぇー、アハハハ!!」
 乾いた笑いは更に乾ききって、本当に笑っているのか自分でもなんかわからない。
 本当は好きじゃなかったんだ、ただ好きって言われたから返さなきゃって、思っただけ。きっと。だけど。あぁ。
 ココロの中がぐちゃぐちゃだ。
 そんな私をからかうように、友人はプラプラと手をふった。
「そういえばさー、今朝は来ないねー先輩」
「っ……!」
『――別れよう』
「どうしたの?」
「あ、あー、んーん、なんでもない。実はさ、別れたんだ」
 落ち着け。動揺するな。なんでもない。すぐに仮面をつけるんだ。
 作り笑いの仮面。この場面では少し言いづらそうにして、これ以上会話を広げないように、
「まっ! そういう事〜! 気にしないで。あ、それでさ、さっきのテレビの続きなんだけど……」
「あーアレか、見たよ見たよ。もうすっごかったよねぇ」
 話題はズレてなんとかセーフ。この辺で切り上げよう。
「じゃーね、またあとで」
「うん」
 泣きたい。どうして?
 悲しい。どうして?
 笑わなきゃ。どうして? どうして笑っていられるの? 本当は、ちがうのに。全部ぜんぶウソにするの? なんで別れようなんて平気で言っちゃったんだろう。
 私ってひどい。
 誰かを傷つけてしまうなんてー…!
「あ、そっか」
 瞬間、脳裏に光が走った。そっか。死ねばいいんだ。
 だって、私、悪い子だもの。
 ウソをつくし、周囲を不幸にする。仮面をつけて、本音をひとつも言わないし……。
「もう、誰も止めてくれる人いないしね」
 笑顔で歩き始めた。そうきっと、これだけが人に言えるはじめての本音。恋はいらない。人間はきらい。自分がきらい。そしてー…、死にたい。誰か、いい方法ないかな。