■ ろぼじいちゃん ■

■ ロストロサバイブ ■

 ロストロは立っていた。
 ロストロは、立ち尽くしていた。
 場所は山頂。
 眺めは360度。
 見渡す限りの鬱蒼とした森は、今までロストロが見たこともないような色をしている。
 転送装置にヒビが入っていることは魔術師から聞いていた。だが、ロストロは軽く考えてお試しに自分が王都に戻ってみようと提案したのだ。
「……おーい…」
 呟く。
 特に返事はない。
「おお――――い!!!」
 大声。
 特に返事はない。
 見渡してみる。
 人は居ない。
 山頂にはロストロ一人だけだ。岩石のみの地帯はある程度から低木が見え、はるか下のほうは森になっている。登山道らしきものは見当たらない。
 つまり、ここは、人間が到達していない土地だという事だ。
 ロストロは深呼吸し、改めて自分の装備を確認する。剣に盾。ナイフが2本。道具袋には飲みかけのポーションが1本。空の瓶が1本固形食糧が4日ぶん。火種と水はない。が、通信装置はある。
 ロストロはほっとして通信装置のアンテナを引っ張った。魔力を通せば、ロストロ自身の魔力分だけ声を届けることができる。
 が、力を込めようとしてロストロは思い直した。
 どこまで及んでいるかも分からない、見渡す限りの森の中、通信が届くかどうかも分からないまま、無暗に魔力を使うわけにはいかない。
 結局ロストロは、山頂からすこし降りて森の中で定位置を見つけようとした。目下の課題は火と水。
 ロストロは炎属性の剣士のため、火を熾すのは簡単だ。まずは火種として保存できるように枯れ木を集め、山頂からすこし下ったくぼみのある場所まで持って行く。木を組み、周囲に高く岩を配置したあと、魔法で火を点けた。
 次に水である。山頂から十分に観察し、谷間を見つけだして降りる。低木から森へと変わる境目に切った蔦を置き、そのまま蔦と蔦を切っては繋げ、切っては繋げて歩を進める。やがて、じっとりとした黒い地面になると、ロストロはおもむろに地面を掘りはじめた。もちろん、素手である。
 掘り進めるうちに水が湧き出てきたが、濁っていて飲めたものではない。ロストロはポーションを飲み干し、その瓶の中に泥水を入れた。
 枯れ木を大量に拾いながら山頂に戻る。
 火の勢いは衰えていたが、まだ中央が赤い。ロストロは再び火をおこし、岩を動かしてポーションの瓶を火の近くにセットした。その上に、空の瓶をかぶせる。
 しばらくするとポーションの中の泥水が沸騰しはじめ、かぶせた空の瓶に透明な水滴がついた。いくつか水滴がつき、水滴が大きくなり、もうすべり落ちるという頃合いで、ロストロは瓶をさっと持ち上げ、口に含んだ。この方法では数滴ずつしかとれないが、水がまったく無いよりマシである。
 グウ、と、ロストロの腹が鳴った。
 森には数羽の鳥が飛んでいるようだ。鳥がいるなら獣もいるだろうとロストロは検討をつけたが、その獣も、今まで自分たちが戦ってきた獣ではないはずだと思い直し、食べれる植物を探すことにした。
 食べれそうな葉、食べれそうな茎、食べれそうな根、食べれそうな実。
 全てが初めて見るものだったが、ロストロは遠慮なくそれらを切り、一部を肌につけた。しばらく経つと、ロストロの肌がピリピリと違和感を訴えはじめる。食べれそうな葉と根は、どうやら毒だったようだ。食べれそうな茎と実は大丈夫そうだが、実のほうは口に含んだ瞬間、酸っぱすぎて吐き出した。仕方なくロストロは、食べれそうな茎を火であぶり、齧った。意外と美味しかったので、日が暮れる前に十本ほど採る。
 夕闇のなか、ロストロは岩に寝ころんだ。
 通信装置はうんともすんとも言わない。
 だが、数日は生きれるはずだ。
 数日頑張れば一週間はいける。
 一週間いければ一ヵ月などあっという間だろう。
 今までもそうして旅してきたのだ。
 ロストロは輝きだした星を眺めながら、魔術師の顔を思い出した。
 もしかしたら嵌められたのかも知れない、という考えがふっと過ぎる。魔術師とロストロは、ソリが合わなかったのだ。数年組んでいても……いや、期間が長ければ長いほどそういう事はある。更にいえば、パーティーメンバーは20人を超えている。ロストロ1人くらい欠けても、実はどうという事もないのだ。
 魔術師ほどの腕前なら、半日もあれば全世界に通信を飛ばせるであろう。通信機がうんともすんとも言わないのは、誰もロストロのことを捜していないからでは?
「……違う、」
 ロストロは立ち上がった。
「違う違う違う!! 俺は仲間を信じてる、仲間は……きっと俺を信じている!!! 俺はッ!! 信じるぞ―――――!!!!」
 もはや雄叫びである。
 横になっても、寝れるわけはなかった。
 翌日。
 ロストロは、通信装置の音で目が覚めた。
 ガガガと音をたて、不明瞭な音声がロストロの耳にとびこむ。
 あわてて自身の魔力で通信補助してやると、魔術師の声がハッキリと響き渡った。
『ロストロ……、ロストロ返事して…! ロストロ……うっ、う、……ロストロぉ…!! お願いだよ、返事をくれよ、ロストロぉ…うぅっ』
 必死の泣き声に、ロストロのほうも思わず涙ぐむ。
 ゴシゴシと目をこすって、ロストロは
「あぁ、俺だ! ロストロだ! 生きてるぞ、大丈夫だ!!」
 と叫んだ。
『ロ……え、本当に? ロストロぉー!! 良かった、おーい皆、ロストロが見つかったぞぉー…!! ……! ……!!』
 通信装置を置いて部屋を飛び出したであろう魔術師の様子を思い浮かべて、ロストロは目じりをさげた。帰ったら、一番高い酒でも奢ってもらおうと思いつつ、炎を纏わせた拳を勢いよくふり上げると、舞い上がった炎でこんがり焼けた鳥が落ちてきた。
 まだしばらくサバイバルだが、今日の朝食はとりあえず決まった。

■ 牢記 ■

 不老不死という永遠の研究は、時という概念の解釈研究と大差ない。
 毎日大学院の研究室に通う老人は不老不死の研究者であり、その研究に携わっているのは彼のほかにはただ一人、若い、現役の院生である女性だけだった。
 白衣の袖の中からワイシャツの袖がのび、その先からひょろっと出ている老人のしわがれた手を、彼女は白蛇のようなみずみずしい四指で包み込むことがある。
「教授。教授ならきっとできます。あと少しですから」
 決まって、研究に行き詰まった時に。
 老人はそのたびに彼女を深く思った。
 彼女もまた、深い色の瞳で老人を見つめた。
 しかし老人は、自身が思っているほど彼女は自分のことを好いてはいないだろうと思っていた。尊敬を、恋と錯覚しているのだろうと。
 しかし、実際は。
 彼女は、老人が思っている以上に老人のことを愛していたのだった。
 時は流れ、ついに研究が完成した。
 老人は自身を実験体にし、不老不死の体を手に入れたのである。
 しかし、喜びに打ち震えたまま老人が後ろをふり返ると、そこにいたのは若々しい彼女ではなく老人と同じ年齢……いや、老人よりも更に老けた彼女の姿であった。
 彼女は最近、老人の研究目的から分岐し、ある研究に打ち込んでいた。
 老化にかかる時間を大幅に短縮し、老人と同じ年齢にまで老けようとしたのだ――対等に愛し合えるように。
 だが、彼女の研究は、老人のそれとは比べ物にならないほど杜撰なものだった。時間の流れを制御できず、彼女は干からびミイラのように縮み、最期は老人の腕の中で死んだ。
 老人は泣いた。
 かたや不死となり、かたや死となり、一体なんのために研究を続けてきたのかも分からなくなってしまった。老人はひとしきり嘆き、そして彼女のちいさな体を木箱に収め、抱きしめたまま永遠の眠りにつくことを決意する。
 輪廻から外れたこの肉体は死ねないが、眠る事ならできる。
 老人は彼女の入った木箱を抱いたまま泥の沼に身を投じた。濁った水の底、意識は遠のき、ただただ、まぶたを閉じて……。
 湖のほとりに、一人の男が立つ。
 男は、老人とは数十年来の親友であり、電話にて唯一連絡を受け、ことの顛末を知る魔術師だ。彼もまた不老不死に執心しており、老人とは頻繁に連絡をとりあっていた。この研究の失敗と老人の愛に心うたれ、こうして湖まで足を運んだのだ。
 一足遅かった水紋。
 魔術師はその沼を神格として祀り、巨大な石を積み上げて簡単な鳥居を作ることにした。老人と彼女の眠りを誰も妨げないように。
 せめてもの、親友へのはなむけであった。

     ☆

 時は流れ、人々は忘れ、沼は枯れ、その沼の跡地周辺で開拓工事が始まった。沼地の半分を覆うようにホテルを建設する予定が立ったのだ。
 何の力も持たない名ばかりの神官が榊を振り回し、石の鳥居は壊された。沼跡地を工事のシャベルで掘り起こしたとき、地中の中からミイラのような体と木箱が出てきた。工事現場の人間は、その死んだと思われる腕から木箱をもぎ取り、中を暴いた。
 入っていたのは、泥にまみれた子供のような屍骸。
 思わず投げ捨てる工事現場の人間が次に見たものは、呪いの言葉を口にしながら這いずり動く、死体のような骨と皮であった。濃い緑の泥が、異臭を放ちながらボタボタと地面を濡らす。
 その場にいた全員が悲鳴をあげて逃げ出した。
 すっかり老けた魔術師が数十年ぶりに沼地を訪れたとき、沼地を覆うように白い仕切りが建てられていた。工事現場の出入口に出ていた予定表には、完了時期未定と書かれている。責任者に電話をすると、バツが悪そうに責任者は答えた。
 沼はとっくの昔に枯れていたこと。
 鳥居を壊しその上に建物を建てようとしたこと。
 泥の中から出てきた木箱。
 呪いの言葉を口にし、現場の人間を死に追いやったゾンビ。
 そして。
 そいつは。
 身体をバラバラにしてなお。
 今なお。
 生きて。
 沼地でうごめいていること。
 魔術師は、自身の存在を説明して沼地へ立ち入る許可を願った。なんでもいいからなんとかしてほしかった責任者は、二つ返事で了承する。
 沼地に入った魔術師は、うごめいている部分をすべてかき集め、家へ持ち帰り、新しい肉で再構成した。
 昔、あの老人に世話になったことを思い出しながら。
 あの頃と比べ格段に神の領域へと近づいた、魔術師の腕の見せ所であった。

     ☆

 魔術師のもとで助手見習いとして働く若い男には、昔の記憶がない。
 しかしながら彼はよく働く。研究のサポートはもちろん、料理や掃除、洗濯もこなす。ときどき彼を見つめたまま暗い顔をする魔術師に、ホットミルクを淹れる気遣いもできる。
 温かな甘さを口にひろげながら、魔術師は静かに考える。
 老人が眠るきっかけとなった女性の死体は見つからなかった。おそらく工事現場で捨てられたか、砕かれたか、遺骨として無縁仏となったか……どれにせよ、老人は彼女を完全に失ってしまった。
 その事実は老人にとってあまりに辛すぎた。
 だから彼女の存在そのものを、記憶ごと心の奥底に封印してしまったのだろう、と。
 しかし、そうはいっても青年は、完全に忘れたわけではないらしかった。買い出しなどで街に出て若い女性を見ると、激しい頭痛に苛まれ、両手で頭を抱えながら蹲ってしまうのである。
 いつか。自分が一体なにを成したのか、誰をどんなに大切にしていたか、それを永遠に失ってしまったか、思い出す時が来るだろう。
 永遠を手にした時、永遠に失われた心を。
 魔術師は黒猫と戯れる青年を眺めながら、いつかその時には、必ず不老不死の数式を思い出してもらおうと考えている。