■ 料亭K ■

■ QBOOKS 第26回1000字小説バトル チャンピオン作品 ■

 私と少女は、A県S市にある深夜の山を歩いていた。
 一般公開されている山の遊歩道の駐車場から、看板が指し示す遊歩道ではなく駐車場の後方に続く道を歩くこと二時間半。時折弱音を吐く少女を叱咤激励し、細いけもの道をひたすらに進んでいくと、遠くにぼんやり灯りが見えた。
 ひっそりと建つ日本家屋。料亭Kにたどりついたのだ。
 玄関先で迎え出た女将に、可憐に育った少女を見せると
「まぁ、まぁ、」
 と女将は感嘆の声をあげ、大きく頷いた。
 女将の先導で座敷に落ち着くと、さっそくお通しが出る。お通し一つとっても、ここでしか食べられない逸品だ。物珍しそうに調度品を眺めている少女を尻目に、さっそく箸をつける。
 この料亭は、誰でも気軽に来れる場所ではない。料亭側が提示する代金の調達に苦心し、この私でさえ前回の食事から十数年ほど間が空いている。一生に何度も来れる場所ではない……そのような感慨も、きっと美味しさに含まれていることだろう。更にこの料亭にはお品書きが無い。しかし毎回、私がこれまで食べたものとは全く違った料理が出てくるため、こうして待っている間にも期待が膨らんでくる。
 しばらく経つと、お膳が来た。
 素焼きの質素な小鉢に盛られたれいご草のひだり醤油、漆塗りの椀に入った楓粟の凍み月とかし、白磁の小皿にはやまびこ杏のせん皮添え……。女将が口頭で丁寧に説明してくれる。もちろん、前回の記憶とは全く違う品々だ。お猪口を持ち上げると、女将が微笑みながら南蛮童子の星漬け酒を注いでくれた。一気にあおると、独特の匂いのあとスーッと鼻に抜ける。これもまた美味い酒だ。
 一方少女のぶんは、温泉街の旅館などで出てくるような、食事の価値がわからないお子様用の御膳だ。少女は疲れも相まってか、少し箸をつけてジュースを飲むと、ゴロンと横になり眠ってしまった。
 私は構わず箸を進める。
 食事のシメには、ふわり鳥の楼柑雑炊。最後の米の一粒までかき込み、私はすっかり満たされた。都会にいては決して味わえない、珠玉の品々。
 挨拶に来た料理人に礼を言い、少女を一瞥し立ち上がる。女将と共に玄関先へ向かいもう一度礼を言うと、
「今回は非常にお美しいお代金でしたので、私どもも頑張らせていただきました。お次の機会がございましたら、6才の男の子をお待ちしております」
 女将はうんと微笑んだ。
 料亭Kを背に、一人でくだる帰り道。私は、次の妻には男の子を産んでもらおうと遠い月を仰いだ。

■ リームクレンザー ■

「リーコさん、何してるの?」
「うわっ!」
 ゴトゴトと棚からビンが落ちてきて、僕はリコさんを守るため、棚に向かって
「トップ!」
 と大声でさけびました。とたんに、棚の揺れは収まり、振り向いたリコさんは、恨めしそうな顔でうなります。
「うー……」
「リコさん、どしたの? 痛かった?」
 僕は優しく言ったつもりだったのだけれど、リコさんは益々眉毛をくっつけようとします。学園一の美少女もこれでは台無しでしょうが、彼女はそんな事気にしていません。
「アンタ……何回言えばいいのよ」
「え?」
「もぉ! アタシの名前を略さないでって、言ってんの」
「まぁまぁリコさん、そんなに不機嫌になると、また棚が」
 ――カコンッ。
 あぁ、言ってる側から、棚のアルコールランプが音をたてます。
 僕はやれやれと、落ちたビンを拾い、まとめて机の上へ置きました。
 ふと見ると、机の上は、いくつもの書類とビーカーとメスシリンダーと、ゴム管やガラス管や試験管やその他色々が散乱中です。
「実験? よく飽きませんね」
「邪魔しないで」
 リコさんは指を美しく曲げて、そのまま唇の上へ持っていきました。
 それは、思考の空にのぼる合図。
 僕は仕方なく、背もたれのないイスに座って書類を読みます。
「……えぇと? う素のたて系列についての関連性レポート」
 瞬間、
「っはは!」
 隣りでリコさんがふきだします。
「ウソ、ウソって!」
 僕がふてくされた顔をすると、リコさんはまた大声で笑いました。
 化学室が吹き飛ぶんじゃないかという位、大声で。
「……まいったな」
「こっちがまいるわよ。それ取って」
 指をさされたのは僕。振り返ると、洗面台に洗剤が置いてありました。
「ねぇ、読んでみてよ」
 リコさんは、意地悪です。
「リームクレンザー」
 ひとしきり笑った後で、リコさんはいつも僕に魔法をかけます。
「アンタが居ないと、面白くないわ」
 頬が、熱くなる。負けじと魔法をかけようとしますが、僕の呪文はいつも一文字ぬけるので
「リコさん、き」
「は?」
「き!」
「は?」
「だから……きなんです!」
 彼女は、魔法にかかってくれません。 毎日毎日この調子。まるで、リームクレンザーの酸っぱいレモンのようです。

■ Wrist Cutの短い手紙 ■

 前略、お兄さんへ。

 ねぇお兄さん。
 僕は生きているんですか?
 ……いきなりこんなコト書いてごめんなさい。
 でも、もぉ貴方は死んでいるし、この手紙も、ポストに入れるかわりにゴミ箱へ捨ててしまうので、そのまま……聞いていてください。
 僕は、生きているんですか?
 お兄さん。僕、自分の脈をうまく測れないんです。
 それは知ってますよね。なにせ、子供の頃からそうでしたものね。
 昔なら、貴方が慌てて測ってくれていたのに、それももぉできないし。だから、生きているのか死んでいるのか、一番知りたいときに知ることができないんです。

 今もです。

 今も、どんなに親指の場所をかえてみても、グッと押してみても、息をとめ、耳や感覚を澄ましてみても、心臓が波打って、血液がカラダを巡る音が、一向に聞こえないんです。
 生きている気がしません。
 そんな時僕は、あぁまただと思いながらも、カッターで手首を切ります。
 毎回、きちんと新品の刃に取り替えてから切っているので、衛生面は大丈夫ですよ。大丈夫、だなんて、誰も心配しませんけれどね……。
 お兄さんが生きていたら「そんなコトするな」と僕を叱ってくれますよね。そして慌てて、僕の脈を測ってくれて「お前は生きてるよ、俺が保証する」と、言ってくれた。
 でも、もぉ貴方は居ないから、誰も、僕を見てくれないから、他に方法が思い浮かばないんです。
 僕は、僕の手首から赤い血が流れ出るたびに、生きているコトを実感できます。手首はじんと痛んで、僕の鼓動と混ざり合います。
 ねぇお兄さん、僕はどうして手首を切らなければいけないのでしょう。僕は、本当に、本当にまともな人間に、育ってきたと思っているのに。
 けれどお兄さん。
 手首を切らなければ実感できない「生」なんて、僕は要らないと、本気でそう思うんですよ。できるならこの命、お兄さんにあげたい気分です。
 なんだか、今の僕のカラダから心臓を取り出しても、そのまま普通に動けるんじゃないかって、思えるんです。

 あ、左の手首が痛い。
 さっきトイレに行ったとき、手を洗っていたら、気づかずに手首まで濡らしてしまった。
 僕ってばドジですね。相変わらず。
 お兄さんが死んでから、もっとしっかりしようと頑張っているのですが、時々、ポンと抜けてしまうんです。はは。

 どうして僕が「生きていること」をそんなに実感したがるのか、お兄さんは常々不思議がってましたよね。
 毎日毎日、僕が一番知りたいのは、僕が今、この瞬間に「生きているか」というコトだけでしたから。
 それは今もですよ、お兄さん。
 他の、受験勉強やら子供の義務やら友人、恋人、家族のコト、この先の知らない未来、そんなもの、どうだっていいんです。
 大切なのは「今」なんです。
 僕は今、生きているのか死んでいるのか。
 そう、密閉された箱に入れられた猫は「生きているのか? それとも死んでいるのか?」という問いと同じようなものです。その答えは「どちらでもない」のですが。
 人は、鏡を使わなければ、自分の顔や背中を見ることができません。
 そもそも「僕」という意識は、明確な白線を引けるほど強固ではないのです。時には風に乗って白昼夢の世界へと旅立ってしまう。
 そのまま戻らないのではないかと、僕は、いつもいつも、不安になるんですよ、お兄さん。
 この手首の痛みが、僕を現実世界へと引き戻してくれるのです。

 同じく手首を切っている友人は、僕とは全く違う理由でその行為に及んでます。
 友人は、痛みをあまり感じないそうです。
「カラダが死ぬコトを許してくれてるんだよ」
 そう言って、僕の目の前で何度手首を切ったことでしょう。正直言って、僕は、他人の血を見るのは好きではありません。
 僕が冷酷な殺人者になれるのは、自分自身を殺してしまいたい時に限るのです。
 あぁ、こういう言い方をすると、お兄さんは誤解なさるかも知れませんが、僕は、別に死にたいワケではありません。
 僕は、僕自身が生きているという証拠が欲しいのです。
 この手首の傷を見て、痛みを感じ、ゆっくりと治癒していく様を眺める。
これが自然の摂理に基づいた、僕自身の選択及び行為に対しての、僕のカラダの反応。

 あぁ、僕、今、生きているんだ。

 ……ねぇお兄さん。
 貴方が生きていてくれたのなら、きっと、もっとイイ方法を見つけてくれたような気がします。
 本当に、どうして貴方が死んだのか……。
 でも僕は死んでいない。
 生きている。
 手首の傷がその証拠。
 何日か後には消えてしまうから、僕はまた切ってしまうのでしょうか。
 お兄さん、僕を責めてくれますか?
 その行為は、どういう理由であれ「悪いコト」なのだと。
 貴方は生きている間、僕の手首の傷について一言も怒らなかったけれど、もし怒ってくれたのなら、あるいは、こんな手紙を書かなくて済んだのかも知れません。
 ……やっぱり、この手紙はすぐに捨てるコトにします。おやすみなさい、お兄さん。

 P.S.紙に血が滲んでますが気にしないで下さい。

■ リアリスト0−EYES ■

 そういう事を信じない心こそ、新しい生活への第一歩だと思っていた。
 だが、扉を開けるとそこには見知らぬ少女が一人。八津は、持っていたダンボールをボトボトと落とした。
「…なんで……」
 なんで居るんだよ……。
 ガックリと肩を落とした八津を見ても、少女はその場から動かない。
 どうして? ――その質問は愚問だろう。なぜなら少女は、地縛霊なのだから。
 八津ワタルは、今日、このアパートメント「コーポ0」に引越してきた。伯父の家を離れ、この春から待望の一人暮らしである。
 彼は自他共に認めるリアリスト(現実主義者)であり、そのおかげで今日まで生きてこれたといっても過言ではない。
 実際、彼の両親は既に死んでいたし、伯父の家では使用人のような扱いをされていた。夢見て生きてゆくには、この世はつらすぎる。
 それにしても……。
 八津はもう一度彼女を見た。
 小学生ほどの体格で、和服を着ている。髪はおかっぱで、しかし、げっそりした顔は「可愛い」には程遠い。ニコリともしなさそうだ。
「なんで……」
 八津はもう一度つぶやいた。
 何回も下見を重ねて慎重に選び、やっと何も視えない部屋を見つけ出した「ハズ」なのに。
「こちらのお部屋ですねェー?!」
 路肩に停めたトラックから、飛脚運送の人がさけんでいる。
 八津はとりあえず、この少女の件を後に回して、ダンボールを部屋に運んだ。

     ☆

 4時間後。
 一通り荷物を運び終わり、冷蔵庫や洗濯機の配置も終了した。
 八津は鞄から、買っておいた菓子とお茶を取り出して、部屋の南側に陣取った。
 例の少女は部屋の真ん中に立っている。
「はぁー…」
 ため息しか出ない。
 この手の幻覚が視えるたびに、八津はいつもため息をついていた。
 そうなのだ。この幻覚は今に始まったことではない。何年、いや、何十年もの間悩まされ続けてきた病気なのだ(と、思いこむことにしていた)。
 医者に相談した事もあったが、精神科への依頼状を書かれた。「疲れてるから」と決め付けられ、しまいにはどこかの宗教団体への地図を手渡された。確か、医者はそういう事をしてはいけないハズではなかったかな?
 八津の疑問はどこへやら。結局、未だにこの幻覚は治らない。
 少女をながめる。
 まるで、自分がこの子を監禁しているようだと、八津は思った。
 気をとりなおして、台所に足を運んでみる。
 この部屋は1Kだ。6帖の部屋(和室)がひとつに、3帖のキッチン(こちらはフローリング)とバスとトイレがついている。もちろん、バスとトイレは別である。そこだけはこだわった。
 ちなみにどうでもいい話だが、このアパートメントは木造建てで築22年、八津が借りたのは2階203号室。
 家賃は、管理費込みの敷金・礼金ゼロで24000円だ。
 安い。
 安い分だけ汚い。
 ガスコンロは前の住居者が置いていったらしいが、油が黒こびりついていて買い替えを要求しているように思えたし。
 風呂は昔の形の正方形で、そこは結構キレェだが、蛇口をひねると茶色いサビが出てきたし。
 青いタイルが寒そうだし。
 和室には少女が居るし。
 ……少女、はは、少女がね。
 あぁ、そういえば、荷物を運んでくれた飛脚運送の人(もう帰った)は、少女に気付いていなかったよな。
 八津はその人の顔をパパッと思い浮かべた。
 仕事ができそうだし、きっと給料は高い方だろう。と、見当をつけた。八津の中では「仕事ができる=高給どり」であって、愛想笑いした顔なぞ覚えているハズもなかったが。
 いや、そんな事はどうでも良い。
 問題は、この幻覚が誰にも見えないという事だ。
 八津は今まで、彼と同じものが視える人と出会ったためしがなかった。
 やはり、ただの自分の幻覚なのだろうか?
 それとも本物のゆー…。
 その時。
「?!!」
 少女が向きをかえてこちらを見た。
 硬直する八津。
「………」
 背中がヒヤリとした。
 少しの間。
 八津は思わず
「こっ……こんにちは…ぁ」
 あいさつしてしまった。
 バカか俺は!?
 一人ツッコミを入れてる間に、少女は元の向きに戻って、八津は心底ホッとした。
 な……なんだったんだ??
 怖がりながらも、首をかしげる。
 何年も幻覚を視ておきながら、実は小心者な八津であった。
 彼は、少女が彼の存在を許したというコトを知るよしもなく、お菓子をほおばる。
 とにかく、家の契約は2年だ。
 もう住宅保険にも入ってしまったし、来て1日目で「この部屋出ます」とか言ってもダメだろうな。
「……うん、」
 とにかく住むしかない。
 八津はさっそくダンボールのフタを開けて食器やら服やらを取り出し始めた。
 もちろん、少女にぶつからないように。

■ リポグラフ(は) ■

 困っている。ユカに相当手を焼かされているのだ。
 あの子が新宿駅に足を踏み下ろす、午前7時23分のプラットフォーム。通勤客でごった返している中、緑のラインが入った鉄の塊が到着するとこれまた人々の波がどっと押し寄せてきた。洪水だ。
 そのなかでも目立ってやまない、あの身長175cmの女が野之木ユカだ。淡いピンク色のスーツ、手に提げているブランドもののトート。ゆるくカールさせた茶の髪を、そつなく耳にかける仕草。キリリとした細い目。対照的にふっくらとした唇。
 ……根岸くんが落ちるワケだ。
「あれっ、サクラ?」
「ユカ! おー…」
 プシウー、という金属音にかき消され、朝の挨拶が滑るように逃げていった。正直、一秒一瞬たりとも一緒にいたくない。けど、断れなかった自分の責任だ。
「ごめんユカ、時間ある?」
「ええっ、ムリムリ。サクラだってツーキントチューじゃん」
 改札を出た後、歩調をユカに合わせた。
「だったら会社終わった後。ねっ、お願い! 相談したいの」
「んー……」
 ほっぺに指をあてて可愛らしく唇をとがらせる彼女に、ベストのタイミングで「今見つけました」とばかりに声をあげる。
「あっ、ねえそれもしかして――新色?」
 大丈夫、絶対喰いついてくる。
「わかった? これラムクェールの新色ピンク。さっすがサクラ! うん、いいよ。5時ー…半に銀の鈴でいい?」
「OK。じゃ、私キオスク寄るから」
「うん、あとでねー!」
 ブンブンと手を大きく振り人込みに消えたユカに向かって、思いっきり舌を出した。キョウコの頼みじゃなきゃ、誰が!
 ユカの「今月の恋人」が根岸くんだと分かったとき、同じ課のキョウコが私を化粧室に連れて行った。薄いすり硝子の扉が閉まったと同時に泣きだすキョウコ。
 ……根岸くんとの秘密の社内恋愛があいつにブチ壊されそう……先輩、ユカ先輩と同窓生なんでしょ? ……なんとかして今月の恋人をやめさせて下さい……お願いします……。
 根岸くん、3日ともたずアッサリとユカの手に落ちてしまって、今じゃあ奴隷のようにユカにベッタベタ。根性ナシ! けど、根性だけじゃどうにもならない。ユカのテクニック、私が一番よく知っているもの。
 5時のチャイムが鳴ると同時に、急いで書類をトントン揃え、ファイリングして席を立った。っと、バッグバッグ、忘れてた。
 ユカが狙う男って、確実に彼女持ち。
 大学の飲み会で彼女が言ってた事、今でも鮮明に覚えている。細く光る金のブレスレットをゆらして、青いグラスのふちにツウっと指をすべらせながらこう言ったのだ。
 ――だってぇ、カノジョ持ちだとなびかないしぃー、安心ジャン?
「ウソつきぃ!」
 立ち上がったユカがいきなり叫ぶから、銀の鈴でうろうろしていた誰もが驚いてこちらを見た。焦りながらユカに近づく。
「もっ……もう、ユカぁ、キツいって」
「キツくないっ! こんな待たしてぇー…、今日サクラのおごりだかんね!」
 結局廊下で課長の雑用を押しつけられて、今もう6時。ユカを待たせて機嫌損ねるなんて幸先悪い……心の中で盛大に舌打ちした私の腕を、ユカがふわっと持ち上げた。
「行こ? 有楽町でしょ? それとも目黒にする?」
 歩きだす、彼女の顔にもう怒りなんてない。ニッコニコして楽しそう……良かった……、って、違う! 騙されないで私。これもユカのテクニックのひとつなんだから。自由気ままな小悪魔を、演出しているだけなんだから!
 目黒通りの、ちょっと坂をのぼった所にある店SAMAに腰を落ち着ける。ドリンクがきたあとで切り出してみると、ユカったら案の定、根岸くんとキョウコの関係を知っていた。
「ヒミツの社内レンアイって! ウケるわー。皆知ってるって」
「あのねえ……。知ってるなら自重しなさい、してください」
「やだサクラ、マジになんないでよぉ。いつも通り今月で終わるって。あ、エビのアヒージョと具だくさんオムレツ来たよぉ」
 何であと25日も待たなきゃいけないの。と、言いかけた口に、アツアツのエビが飛び込んできた。
「ん、あっふ! ふぁっ!」
「くふふっ、サクラちょーウケるぅ!」
「ユハぁ!」
「オムレツ分けるね。小皿取って。あ、ちょっと崩れちゃった。まーいいよね。ねーエビ美味しい?」
「………」
「あれ、サクラ怒った……? ちがうの、待たせた罰なんだもん……」
「………、美味しい……」
「ホント?」
「なにこれめっちゃくちゃウマいんだけど! 熱いけどユカも食べなよ。すいませーん、えーっと、あ、ジントニック」
「あっ、レッドアイもお願い。あとさ、これ頼んでみない?」
 どれもこれも美味しくて、ユカと料理を褒めまくった。食事が一段落するまで、当初の目的をすっかり忘れていた位に。
「遊んでるよねー私。そう見えるよね……」
 背もたれに、気だるく身体を預けるユカ。カラン、と氷が鳴る。
 朝、あれほど毛嫌いしておきながら、こうしてユカと居るとすっかり彼女のペースで、男の子たちがどんどんユカになびいていくのを、見下しつつも羨ましくて……。でも、もよくわかる。ユカと居ると、世界が急にキラキラしてきて、息苦しいよ、クラクラ、酔ってるのかな、私。
「ユカ、やめなよ。もう……」
「なんで? 今月終わったらどうせモトサヤだよ。それにさ、ネギシーって……、うーん。じゃあ、サクラがそこまで言うなら、」
 根岸くん、ユカの恋人指名が終わってもキョウコとモトサヤにならなかった。元々、キョウコ以外にも遊んでいる子が何人もいたみたい。化粧室で泣きだしたキョウコの肩を叩きながら、また、脳内に、大学時代のユカが浮かんでくる。ブレスレットが、音をたてる。
 ――安心ジャン? それに私、サクラのヤキモキした顔大好きだしぃ。
「先輩、私……私っ、ユカ先輩にヒトコト言ってやりたい……! ついてきてくれますよね?!」
 ユカに手を焼かされているというか、ユカのせいにしたいだけで、私こそ問題なんだと最近よく思う。たぶん、私、これも断りきれない。