■ レベル醒め ■

 俺が異世界に召喚された時、まずはじめに思ったのは「チート能力」で無双して早々に魔王を倒してハーレムを築いておっぱいがでかい異世界美女ハーレムを完成させて人生勝ち組超ラッキー、って事だった。
 鑑定の結果、レベルは1だけど称号は「召喚勇者」で、全部のステータスが上限突破できるユニークスキル「アルティメット∞」と「基礎経験値3倍」、さらに太陽神の加護と月女神の加護を持っていた。
 けれど。
 喜んだのもつかの間。1ヵ月経った今も、俺は魔法軍の訓練施設で魔力循環の修行ばかりさせられている。
 講師はというと、最初のうちは忍者みたいな恰好をした人型のブラックスライムだった。……今では羊羹みたいに、四角い容器の中に入ってプルプルと声だけ出している。
『――じゃ、ハルト。今日も基礎訓練だな。目を閉じて体に巡る魔素を感じるのだ』
「イヤです」
 俺は即答した。
 魔素を感じるまでに1週間。体内で動かせるまでに1週間。巡らす量を増やすまでに1週間。そして、飽きてからが本番だなんだと言われて1週間だ。
「そろそろ戦い方を教えてください! これじゃ何のために召喚されたのかわかりません」
『まだだ』
「どうしてですか!! こうしてる間にも魔王軍は侵攻してるんだろ、俺が戦わないでどうするんだよ! 困ってるから呼んだんだろ、レベルもすぐ上げてみせるし」
『お前はまだ10代だ。レベル醒めしてしまう』
「レ?! ……レ、え?」
 聞きなれない言葉が羊羹から飛び出した。
『レベルざめ、だ』
「レベルザメ? こっちの海にもサメいるんですか?」
『そっちじゃない。酔いから醒めるほうのサメだ』
「レベル醒め……」
 羊羹はプルプルと震えながら立ち上がり、忍者の姿をとった。
『この地では子供でも知っている話だから失念していた。最初にこの話をしてから修行を始めた方が良かったな。すまなかった』
 忍者は頭を下げ、俺に椅子をすすめた。
 俺が椅子に座ると忍者も自分の身体で椅子を作って腰かけた。
『レベル醒めとは、不相応なレベル上げをしてしまい、精神とのバランスが取れなくなってしまうことを指す。そう、元・勇者のように……』

     ☆

 この国では20年ごとに勇者の召喚が行われる。
 魔王を倒してもまた新たな魔王が誕生し、そいつが力をつけるまでの周期がほぼ20年だからだ。
 魔王が力をつけるたびに召喚されてきた勇者たちは、魔王を倒したあとでも基本的にはここに腰を落ち着けるらしい。
 ある元・勇者も、魔王討伐後にこちらの世界で結婚し、人里離れた山の谷間でのんびり暮らしていた。
 娘が産まれ、妻を病気で亡くし、しかし娘を単身で育て、美しい女性となった。
 だが、そこへ、新たな魔王となったドラゴンが現れたのだ。ドラゴンは娘を攫い、新たな魔王城の方角へと飛び去った。
 元・勇者はもう一般人。
 年齢は、魔王討伐時の19才から39才に。レベルは魔王討伐時のLv.83から、一般男性相応のLv.17にまで下がっていた。
 平和に慣れて体も鈍り、壁にかけられたかつての大剣も重く、片手では持てない。新たな勇者が召喚された話も山奥までは届いていない。娘が魔力増強の生贄にされる前になんとかしなければならない――!
 元・勇者は体を鍛えてドラゴンを自力で倒すことを決意する。
 時間がない中で、彼は外道ともとれる様々な方法で、レベルを短時間で極限にまで引き上げることに成功した。
 その結果、Lv.は99に達し、単身で魔王を討伐できた。
 娘も無事に戻ってきた。
 しかし……。
 あまりに無茶なレベル上げのせいで元・勇者は「レベル醒め」を起こしてしまったのだ。もはや、娘と二人で平和に暮らしていた頃の一般的な父親ではなくなってしまった。彼の心をゆさぶるものは、娘の語り掛けや美しい草花、平和な日常ではない。
 日中カウチに腰かけ大剣をさすりながら、ぼんやりと虚空を見つめ続ける彼が心から笑うのは――。
 毎晩。
 月明かりの下で。
 自らの大剣を素振りする時だけだ。
 ドラゴンの首を切り落とした時の感触だけが、何度も彼に幸福を与え続ける……。

     ☆

『もはや廃人と化してしまった彼は、共に戦った俺の姿すら分からなくなってしまった』
 忍者は立ち上がり、窓の外を眺める。
『彼もまた、ハルトと同じように経験値倍増のユニークスキルを持っていたのだ。だからレベル醒めを起こさないように、レベル上げは慎重に行わなければならない。肉体的な鍛錬だけではなく、精神的な鍛練も同時に行い、バランスよくレベルを上げるのが理想的だ。……あいつが廃人になる前に分かっていれば……』
「………」
 しばらく無言の時が流れたが、俺は意を決して声をだした。
「……でも、魔王軍は来てるんですよね? レベル醒めを起こさない程度に俺も早くレベルを上げないと」
『心配ない』
「え?」
『そのためにお前を早く召喚したのだ。試算では、今の魔王が力をつけるまでに、あと5年はかかる』
「ええっ?!」
『ゆっくり鍛錬するんだぞ、ハルト。まずは魔素循環だ!』
「ええええええ!!?!!」
 ハーレムの夢がガラガラ崩れ落ちていく中、忍者から戻った四角い羊羹が、プルプルと笑った。

■ 連立セイトウ ■

■ QBOOKS 第65回 1000字バトル チャンピオン作品 ■

 最近の政界は極端にちいさな野党が集まりすぎて、もはや政党のごった煮状態にある。
 そこで、解散総選挙の前に連立を組み、与党と対抗しうる巨大勢力を構築しようと「初心の日本党」が呼びかけをはじめた。
 まず賛同したのは「かがやく明日党」である。「初心の日本党」とは原発についての意見が分かれており、連立など夢かと思われていたが、まさかの成立。
 次に野党の中でも最も小さな、鉄オタ議員のみで構成されている「えきした党はやぶさ」が加わった。先日の奨励会金券事件でおなじみの鈴木議員を抱えての参加。おそらく、下がった党の評判を盛り返すことができず、この連立によって選挙を有利に進めようという算段であろう。
 また、オリンピック経験のある議員等、いわゆるタレント政治家のみが入ることを許される「武道芸能の党」も参加を表明予定だ。
 この連立が明日にでも成立すれば、野党の中でも一大勢力となることは間違いない。

     ☆

 ケーキ屋という仕事は朝が早い。ドーナツ屋やパン屋の朝が早いのと同じだ。
 志賀が、夜明け前の店舗裏にバイクを停めて店入りすると、店長はすでに、焼きあがったスポンジを丁寧に切りそろえている最中であった。
「お早うございます、店長」
「おっ、……なんだもう5時か。お早う。手は?」
「洗いました」
「じゃあ、果物切って」
「ウィっす!」
 業務用のステンレス製冷蔵庫を開けるために屈むと、志賀の目線にはCDコンポ。
「店長、なんか音楽かけていいッスか?」
「ラジオにして」
「ウィっす」
「音量5な」
「えーっ……、もうちょっと上げましょうよ」
「ダメ。気が散る」
 ザリザリ、ボソボソ、ラジオ特有のノイズに、聞きとれるかとれないかという声が混じる。毎日のバイク通勤中、イヤホンから大音量で音楽をたれ流している志賀にとっては雑音でしかない。聞くのをあきらめ果物を切っていると、スポンジを切り終えた店長がクックッと笑いはじめた。
「どうしたんスか?」
「あれっ、志賀くん、聞いてない? このラジオっ……ぷっ! なんか、ずっとブドウ糖とか果糖とか液糖とかさ……、なんなの? これっハハハハ! ショ糖まで出してきて……! あはは、連呼しすぎ!」
『速報です! たった今、武道党の連立参加が決定しました! か党、えき党が既に参加を表明しておりましたが、これで初党の呼びかけにより4党の連立が――…』
「……店長、ちょっと休みましょうか」
「え、何で?」
「いいから!」

■ レッスン ■

「ショパンを弾く前にはね、私はー…数学の論文をよく読む」
「どうしてですか、」
「官能的だからだよ……」
 鍵盤から目をそらさずに凍り付く、私の耳に息がかけられた。少し、つめたい。
 イヤ。
 イヤだ。もう、この椅子を蹴り上げて逃げてしまいたい。
 けれど私は、また同じ質問を繰り返した。
「どうしてですか、」
「そうだね……」
 唇のはしをよせた、先生の気配。ポーンと、シのフラットが指先でつぶされる。まるで戦っているかのように、私は頑なに視線を黒鍵から逸らさない。
 ピアノ教室なんて、ここではなくとも他にいくらでもあった。そして私は、とくにピアノなど習わなくても、人間は生きていけるという事を知っている。
 なのに。
 どうして。
 先生は、貝野部先生はそうだねともう一度言い、私から離れた。コツコツと部屋の中を歩きはじめる。
 防音設備が整った個室の壁には穴が無数に空いていて、ここにいると私は、結城ハルカと貝野部先生は、虫かごに閉じ込められた哀れな昆虫だという想像を、いつもしてしまう。
「正確さというのは妖艶なストイックなんだよ。例えばいまの世の中には、安易に性的想像をさせる文句が飛び交っているだろう? 純粋であるはずの小学生でさえ、セックスの仕方をインターネットから学ぶ」
 私がどんな顔をしたのかわかったらしく、先生は軽く「失礼」と謝り、続けた。
「そういうモノから遠く離れた場合、つまり、より健全で、より正確な事実だけを選んだとき――、逆に考えるんだ」
 先生は私の背面に立ち右腕をのばして、立てかけられた楽譜をなぞった。爪が短い。骨ばった、細い指。
「ごらん、結城君。これはなんだい?」
「楽譜です」
「もっと具体的にいうと?」
「ショパンの楽譜」
「そうじゃない。ここに書かれているものは?」
「音符」
「いいね。ここに数字が書かれているのも見えるかい? この指を正確に運ばなければ、望まれた音は出ない。数式の証明は、正しい順序で進めなければいけない。余計な数字、余計な指の動き、極限まで削ぎおとしていく。どんどん落とし込んで、一定のラインを超えると――突然、美しくなる。弾いてごらん、シンプルを頭に置いて。三小節から」
 先生は私の手を取り、そっと鍵盤の上にのせた。
「はい」
 ようやくレッスンは再開したけれど、思うように弾けなかった。
 私の中にシンプルなものなんてひとつもない。私は哀れで汚い昆虫。どこをどうすれば削ぎ落とせるのか、先生の事がこんなにも嫌いなのにその声、もっと聞いていたくて、なにをしたいのか。辞めて逃げたいのに毎日通って、先生に美しいと讃えられる、ショパンに。
 呆れるくらい嫉妬している。飛び立てない。