■ 音声案内ハバーロメンツ ■

 ようこそ、ポーシタガーラへ。機械音声による案内をご希望のお客様は、1のボタンを押してください。
『1』
 ようこそ、ポーシタガーラへ。
 ここは、南側壁面以外のすべてがふくらんだ片硝子壁となっている12階建ての建造物です。建築デザインはクア・クニア。進水式の際に垂直に立つ船底をモチーフとして建てられました。
 1階はエントランスホール、総合案内所、トイレ、売店、カフェ。
 2階から9階までがハバーロメンツ図書館。
 10階から11階はイベントホール、会議室。
 12階はレストラン、展望室、管理室がございます。
 ハバーロメンツ図書館をご利用の方は、右奥にございますエスカレーターをご利用ください。10階以上をご利用の方は、左奥にございます10・11・12階用エレベータをご利用ください。
 各階のご利用案内をご希望のお客様は、該当階のボタンを押してください。
『2』
 ようこそ、ハバーロメンツ図書館へ。
 総合案内は1を、本の検索は2を、本の予約は3を、その他のご用件の方は4を押してください。
『1』
 ハバーロメンツは、整理書架のない図書館です。
 館内読書をご希望のお客様は、館内さまざまな場所で本との出会いをお楽しみいただけます。
 3階の円形ソファ裏の棚や、5階の窓際の棚、7階の開放テーブル前の棚など、あらゆる場所に本棚が設置されております。抜き取った本は、お客様のお好きな場所に腰かけてお読みください。
 読み終わった本は、その時お客様がいらっしゃる付近の棚にお戻し下さい。返却窓口はございません。特定の書架への返却は必要ございません。
 そうです。
 図書館内の棚は、或る時その本を棚に戻した……いつかのお客様方の心が雑多に納められております。その心をお手に取り眺めていただくのも、ハバーロメンツ図書館の楽しみ方の一つです。
 ハバーロメンツ図書館の蔵書は、電子識別管理されております。お客様がどこにお戻しになっても、次のお客様を検索機にてご案内きるようになっております。御安心ください。
 検索図書貸出をご希望のお客様は、先ほどの画面に戻り、2を押し、ご希望の図書を検索してください。案内レシートが出ます。レシートの指示にしたがい、本を探し、カウンターまでお持ちください。また、10冊以上の検索図書は、カウンターにて代理手配を受けることができます。番号札をお受け取りいただきましたら、しばらくお待ちください。各階のスタッフがご希望の資料を取りまとめ、お客様にお渡しいたします。
 なお、分類番号整理された書架をご希望のお客様は、ポーシタガーラより地下鉄で20分のネムノーゴフーバボ図書館をご利用くださいませ。
 よろしければ「戻る」ボタンを押してください。
 また、操作がない場合は、この画面は10秒後に総合案内画面へと戻ります。
 ―――。

■ おっぱいは世界を救う党・公約 ■

「まず、おっぱいは世界を救う党の基本理念から話さなければなりません」
「コーヒーどうぞ」
「どうも」
 フローリングが肌寒い。
 素敵なアトリさんの部屋は割に簡素で、白の座布団に座りながらぼくは、いつも、ここに誰かが来て何かを落としていけばいいのにと考えている。
 だから毎回、チョロQやミニ四駆やNゲージを落としていくのに、アトリさんときたら、それらを丁寧に紙袋へ入れて片付けてしまう。
 惜しがったらおしまいだ。
 あのトミカの消防車どうしてる? なんて聞いた日には、アトリさんは紙袋を取り出してきて「大事なもの、いちいち忘れないで」なんて、ぼくの胸におしつけるのがオチだ。
「えー、おっぱいというのは至福なんですよ。うずもると、世の中のギスギスした不条理なんか忘れちゃうくらいです。なので、おっぱいがたくさんあって皆がうずもれば、戦争はなくなると思うんですよね」
「チョコもどうぞ」
「どうも。と、いうわけで、今回の選挙に立候補しようかと。アトリさんも党員になりませんか?」
 彼女は目線をおとし、両手でコーヒーカップを持ちながら「公約は?」と聞いた。
「もちろんありますよ!」
「どうぞ」
「まず、ニート税を作ります。ニート1人につき年間60万円を国に支払ってもらいます」
「それってどういう……」
「月5万って計算です。自宅住まいのニート1人にかかるお金はこれくらいかな、って」
 なるほど、とアトリさんはつぶやいた。
「次に年金選択制度を作ります。国民年金の支払いが始まる前に、支払うか支払わないかを選んでもらいます。支払わない場合は65歳からの年金もナシで。それから、TPPは断固反対。ぼくの実家が農家だからっていうのもあるし、次の公約・国内自給率を更に10%アップ、にも繋がっています。それと」
「ちょっと待って」
 怪訝な顔をしたアトリさんと目が合った。
 スッキリのびた鼻、唇にあてられた細い指、黒く長い前髪の奥から、知性の塊のような目が、ぼくをじっくりと観察している。
 素敵だ。
「ここまでおっぱいに関する事、なにひとつ出てないわね」
「あ、」
「わたしの胸がまな板だからかしら?」
「えーっと……」
「巨乳好きを公言する君が、まさか、わたしに遠慮してる?」
「めっそうもございません!」
「顔がニヤけてるわよ!」
 鞄をあさられ、アトリさんの部屋に落とす予定だった巨乳変装グッズにコーヒーをぶっかけられた。
 怒ってるアトリさんも素敵だ。

■ 丘の上 ■

 なにもかもが、しょうがない。
 くちびるをなめながら、あきらめている。
 石葉が住んでいるマンションは高い丘の上にある。中心街からはかなり離れていて、最寄駅から歩いても小一時間はかかる。けれどもっぱら歩くのは、ここまでの道のりが石葉への追憶だという確信があるから。石葉はいっつも、同じ道しか通らないんだ。
 合い鍵もくくってある鍵束を右手に、アイスの入ったコンビニ袋を左手に、石葉の幻影を両目に、一歩一歩進んでいく。
 夕方も目の前というのに暑さは昼から全然下がらなくて。ツウツウと肌をなぞった汗は、ワイシャツの中にじわりと滲む。仕事がわったあと汗だくになりながら丘をのぼって、のぼりきって、いつも通り石葉に会いたいから、もうしょうがないんだ、こんな毎日は。
 大理石が恭しく出迎える玄関先で、電卓みたいなボタンを4つ押してキーを解除。色の違う大理石が敷き詰められたエントランスに入ると、エアコンの冷気で思わず身震いする。
 冷えきる、石。
 石葉はね、ここ、好きなんだって。わたしは嫌い。頭、痛くなっちゃうでしょ。今だってもう、ちょっぴりズキンとしてる。
 足早に通路を通ってエレベータ。
 石葉の部屋は502号室だから、5のボタンを押す。無意味に7とか13とかも押して、もしかしたら隠された暗号が出て来て、エレベーターがドカンと宇宙へ飛んで行ったりとか、そんな妄想の中にも石葉はひそんでいる。
 何事もなくエレベーターは5階について、合い鍵でドアを開ける。
 汗でべったりしている靴を脱いで、テーブルにビニール袋を置いて、はぁ……、と、ため息をついても石葉はまだ帰ってきていない。
 袋の中身は、カップアイスと棒つきアイス。
 カップのほうが、わたし。
 石葉はかならず棒なの。
 あいつ、舐めきったアイスの棒を噛む習性があるの。
 習性っていうと、動物みたいでしょ。でも習性。無意識なの。飲み終わったストローもそう。かみかみしすぎて、ひん曲がっちゃうくらいに噛むの。テレビとか見ながら。
 あの横顔、ため息出ちゃうよ。会いたい。
 石葉。
 まだかなぁ、って。
 もちろんまだ帰ってこなくて、そんなのは分かりきってる。石葉のタイムテーブルは狂ったコトがなくて、わたしのタイムテーブルもだいたい狂わないから、石葉の部屋なのに……出迎えるのはいつも、わたしのほう。
 抱きついて。
 お帰りって。
 動物みたいけれど石葉はわたしに抱きつくと肩を噛む習性があるの、甘噛み。そういえばココに来る前、立ち読みしていた本で『口淋しい人間は幼い頃親の愛情を受けなかったから』だとかなんとか……。
 まぁ、どうでもいい。アイスの棒も、歯型がついた肩も、好きってだけじゃん。どうでもいい。
 部屋の中が薄暗くて、エントランスと違って蒸し暑くて、嗅覚がとぎすまされていく。今朝の記憶に残っている石葉の匂いに抱かれて、わたしは右手をもちあげて、人差し指の関節を、甘噛みしながら待っている。

■ 怯えているMyシャドウ ■

 光る猫の爪が夜空に高く昇ったとき、俺の隣で、影が震えているのがわかった。俺は影とベランダで、焼酎と檸檬水と柿の種で一杯やっていて。
 震え方が尋常じゃないんで、とりあえず聞いてみた。
 ――おい、どうしたんだよ。そんなに怯えてると、俺まで気分が悪くなるだろ。
 影は、ひとつため息をつき、横目で俺を見た。リビングの光が俺を後ろから照らしあて、そこから影は、ぬっと伸びていた。
「怖いんだ」
 影は言った。
 怖い?
 一体何が怖いのか、俺には見当もつかなかった。
 さっきまで楽しく飲んでいた俺たちの空気が、次第に濃くなっていく。
 ――なぁ、どうしたんだよ。飲もうぜ。
 俺はやけに明るい声で言ってはみたものの、影はまだ震えを抑えられないようだった。俺はため息をついて、真面目に、影に向き直る。
 ――聞くよ。何が怖いんだ?
 俺とお前の仲じゃないか。
 心配事も、悩み事も、嬉しい事も、悲しい事も、いつだって共有してきたじゃないか。
 そう、俺は影に言った。
 影は、グイッと焼酎を飲んで、それから意を決したように言った。
「今までも、ずっと怖かったんだ。お前にはどうしても言えなかったんだけど……。打ち明けてもイイのか?」
 ――当たり前だよ。どんとこい。
 俺のその言葉に、影は少しホッとしたようだった。
 今日の月はまさに「猫の爪」と呼ぶに相応しく、金色のそれは、細く気高く、手を伸ばすと、指がサクッと切れてしまいそうで。
「もぉスグ新月だろ」
 ――そうだな。このぶんだと、三日もすれば新月だな。
「新月、すごく怖いんだ」
 ――……マジかよ…。
 俺は驚きを隠せなかった。
 新月というコトは、影は、俺に黙って毎月怯えていたのだ。
 ――何でもっと早く喋らなかったんだよ!
 俺は思わず大声で怒鳴ってしまい、それからハッと気づいて、すぐさま謝った。
 ――ごめんな。それにしても、もっと早く言ってくれれば俺だって……。
 影は切なそうな笑みを浮かべて、謝った。
「今まで、黙っててごめんな」
 それからしばらくして、影は語り始めた。
「新月が怖いんだ……。星は光っても、お前の後ろに影をつくるまで光ったコトなんてない。暗い闇が、俺の存在を消しそうになるんだ。新月が終わって、また月が光り出すと、ホッとするよ。まだ生きてるって」
 影は本当に怖そうだった。
「だから毎月毎月、新月なんて来なきゃイイって思ってた。でも、お前は新月、好きだから……言えなかった」
 影の言うとおり、俺は新月が好きだった。
 それは、俺が月より星のほうが好きっていうのもあったし、月がなくなる頃には、親父の仕事も一段落して、家族で外食する日は決まって新月の日だっていうのもあった。
 その頃……たぶん、小学四年ぐらい……から、すでに俺は影と会話をするすべを習得していて、ハンバーグセットについてくる不味い人参とか、夕食のピーマンなんかを、影にこっそり食べさせていた。
 ずっと。
 新月の日は、ずっと。
「ずっとだよ。お前と話をするようになってから、ずっと怖かった。ほら、お前と喧嘩して一ヶ月ぐらい口をきかなかった時、覚えてるか? あの時の新月が、一番怖かった。だから俺から謝ったんだ。お前と何か話をしてないと、自分が消えちゃうんじゃないかって不安になってさ……」
 影は、照れくさそうにそっぽを向いた。
 俺は影のコップに、新しく焼酎と檸檬水を注いだ。
 ――でも、今は夜でも街燈が灯ってるし、家に居れば光に困るコトはねぇだろ。
「うん……そぉなんだケドさ…」
 影はもう、震えてはいなかったが、まだ自信なさげにうつむいていて、俺はそんな影に何をしてあげられるか、考えなければいけなかった。
 思ってみれば、今までの新月の日、影はやけにハイテンションで、そうだ、外食の日なんかも、親に見つかるんじゃないかっていう位、ずぅっと話をしてた。
 ――ずっと怖かったのか?
「あぁ、ずっと怖かった。今も、怖い。あと何日かしたら、もしかして俺は消えてしまうんじゃないのか?? って、思うよ。時々、一瞬だけ、例えば停電した直後とかには、本当に消えてしまうけど、それは大丈夫なんだ。だって、そんなのほんの数分だろ。でも新月は違う」
 影はまた、焼酎を一気に喉に流し込んだ。
 影は俺と違って、酒が強い。正反対なのだ。なんてったって、俺の影なんだから。
「本当に光がなくなる新月は一晩ダケだけれど、実際は三晩ぐらい、月の不在が続くんだ。その間といったらなかった。昼が、ずっと続いて欲しいと思ってた。怖いんだ。怖いんだ……」
 俺は何も言い返せずに、影を見つめた。
 影は静かに泣いていた。
「今も、お前とこうやって話ができるだけで、どんなに救われてるか……。他の影たちよりは幸運なんだろうけど、俺は怖いよ。光が無ければ消えてしまう、こんな不安定な存在なんて、いっそのことー…」
 ――そんなコト言うなよ! 俺は今までお前と居れて、すごく楽しかったんだから。シカトされて、クラスの皆にハブられた時だって、お前が居てくれたから大丈夫だったんだよ。
「……サンキュー」
 影はまた、悲しそうに笑うだけだった。
 今まで、新月の日に肝試しとかで、本当に暗い所に行った時とか、こいつは、どんな思いだったんだろう。
 周りの環境ひとつで、自分が存在できなくなる怖さ。
 今まで一緒に居たのに、こいつのコトを何ひとつ解ってなかったんだと、正直、俺はかなりショックを受けていた。そんな想いを隠そうと、俺は焼酎をロックで飲んだ。
「あと三日か……」
 ――おもいっきり騒ごうぜ! カラオケとか行ってさ。オールナイトで!!
 俺が開き直って笑うと、影は、猫の爪にコップを捧げた。

■ 終りを告げる鐘が境界に響く ■

 フオール半島を巡回中、道沿いのとある一軒の家から老婆が走り出てきた。どこを探しても子供が見当たらないという。
 なるほど、老婆は賢いもので、巡回している俺達帝国の警備隊にかかれば、発見も早いし多額の謝礼を支払ってでも子供の命の価値ぶんはある、という計算らしい。
 副隊長のナバムに相談するまでもなく、俺はふたつ返事で請け負った。それが国の仕事だと思っているからだ。
 素早く指示を出し、手分けをして周辺を探すことにする。
 運が悪いことに、このフオール半島はジャックヤードとの境界だ。やはり女と言うのはどこまでも計算ずくめで、ジャックヤードから国内に侵入してくる魔獣や魔人、死神の使徒やらメキラ、魔王の使徒どもと互角に戦えるのは、特殊な訓練を積んで法力を授かった警備隊員のみなのである。
 周辺を探していた他の隊員たちと、インカムで情報を交換する。どうやら島のはずれにくたびれた教会があり、そこに居る可能性が高いとのこと。俺が一番近い距離だ。走っていた方向を変え、位置確認をしながら教会へと進んだ。
 最近、子供が行方不明になる事件が多発している。
 それも、ジャックヤードとの境界線で多い。
 丁度巡回の回数を増やしたときに当たって良かった。普段は二ヶ月に一回ほどしかまわらないのだ。
 子供は、もうすぐ成人の儀をむかえる少年だという。
 俺の脳が、瞬間的にファキリの事を思い出していた。
 少年の頃の思い出。たった一人の親友。昔、成人の儀をむかえ、やっと国の警備隊に志願できるという年の、暑い晩。
 彼はどこかへ消えてしまった。
 それはあまりにも突然なことで、誰も行き先を知らなかった。
 魔人にさらわれたのか、それともあいつが自分の意思で逃げたのか、どうしても確かめたかった。だから法力を得たとき、城の勤務ではなくジャックヤードとの境界巡回警備を望んだ。
 俺には確信があった。どんなに時間が経っても、俺はファキリを見分けることができるー……。
 ――ギッ、ギッ。
 扉はきしみ、上手く開かない。ちょうど良く子供が一人通れそうな隙間になってからは、もうまったく動かない。なるほど。これは子供たちの秘密の遊び場として十分魅力的なものである。ボソリと「帝国巡回隊遊端組隊長として」とつぶやいてから、法力を使い扉を開け放った。埃が盛大に舞い上がる。と、床に倒れている影が目についた。気を失っているのか、ピクリとも動かない。ビンゴだ。
「おい、大丈夫か!」
 足早に教会の中に入り、少年へと近づく。とたんに、見えない何かにぶつかり、俺は油断もあって盛大に尻もちをついた。
「ッて!」
 なんだ? これは、まさか? 魔法障壁ー…ッ?!
 突然。
 勢い良く扉が閉まった。
 教会の色彩が薄暗く沈み、強い魔力を持った気配が、ゆらりと漂いはじめる。無意識に、インカムに手をそえた。この障壁にあてられたのか、ノイズしか聞こえない。
 俺はゆっくりと立ち上がり、もう一度両手で障壁に触れた。ピリッと、手に魔波がはしる。視線を左右に泳がせる。どこからも攻撃の気配がない。しんと、まるで夜のように静まりかえっている。
 ゆらりと、少年の奥に小さな炎が現れた。それは次第に大きくなり、やがて、黒いフードをかぶった人の形をとった。手に大きな鎌を持っている。鎌……デスサイズ…死神の使徒か。厄介なものと出遭ってしまった。
 しかし一向に攻撃の気配が感じられない。それどころか死神の使徒は、こちらにむかって歩きはじめた。驚きのあまり身動きが取れない。鎌を投げ捨て、左手でフードを外し、て、
「久しぶりだね、ミノウル」
「――ファキリ!!」
 目の前の青年は、限界まで近づくと、障壁越しに広げている俺の両手とその手を重ね合わせた。
「ミノウル、何年ぶりだろう。七年……八年ぶりくらいかな…。元気にしてた? 背、伸びたね。昔は僕の方が高かったのに。あ、その服。……帝国の巡回警備隊だね。良かった。合格してたんだ。僕はねっ、ミノウルがどんなに大きくなっても、見分ける自信があったよ。すぐにわかった。ねえ、ガムおばさんまだ生きてる? 懐かしいなぁ、あの叱られたあとのフラッペの味とかさ。本当……。やっと逢えたね、嬉しいよ、ミノウル」
「…ファキリ……」
「やめて? その名前はもう棄てたんだ」
 昔の親友はニコニコと、事も無げに言った。手が、離れる。
「この子はもらっていくよ」
 鎌を拾い上げ、倒れている少年を抱きかかえると、親友は「ここから独り言、」上を見上げた。その背中はまるで、居もしない神に懺悔をしているようで、俺は、なにもできない。
「十年前にさらった四才の子供を飼い続けたら、今年で十五になる」
「この子はまだ成人の儀をしていないよね? それは十五才ってことだよね」「この子を入れて、目標の百八人まであと五人になった」
「これだけ集めて何を復活させようとしてるんだろうね『僕ら』は」
 ジャックヤードの七人の魔王のうち、復活していないのはー……!!
「ファ、」
「ねえ! ミノウル。今、僕を殺せないか考えているのなら、」
 死神の使徒は鎌を振りかざした。
 とたんに、轟音と、低い振動が教会をゆさぶる。
「もう××じゃ××ね。××××、××で僕を×××ね」
 ファキリが霧のように消え、鐘の音が余韻を残しながら薄れていく。
 ――もう親友じゃないね。ミノウル、全力で僕を殺してね。
 駆けつけた隊員たちに言われ、俺は自分が泣いていることに気づいた。
 子供を守れなかったこと。ファキリが生きていた喜び。ジャックヤードで今起きている動き。ファキリが死神の使徒の一人だったこと。名前を棄てたこと。そして。
 俺たちの間には一本の境界線が引かれてしまった。
 鐘が証人のように耳の中で鳴り続ける。もう親友じゃなくなったこと。次に逢ったら殺さなければならないこと。その覚悟が俺にはないことを。
 隊員たちの質問をあびながら、首からさげている小さな水晶柱を握り締めた。
 皮肉なことに、死神の使徒が唯一回想した、あの叱り上手なガムばあさんの形見だった。