■ ケーキ島の午後ティー ■
最初にこの島を発見した冒険者は「海の上にカットされたケーキが見える」と言い出して、仲間の船乗りから脱水症状による幻覚を疑われたらしい。
そんなエピソードひとつでこの島はケーキアイランドと命名され、現在にいたるまで数十名の移住者が仲良く暮らしている。
私も小学生のときに移住者して、今日も今日とて釣りしてる。
海に浮かぶカットされたケーキというのは、つまるところ三角形の断崖絶壁だ。釣り糸は長く、釣果はほとんどない。
でも島はいつでも気持ちいい空で、やっぱり釣りしたくなる。
特に三角形の頂点に腰かけて、身体を傾ければいつでも死ねるという妄想にひたりながらの釣りは最高。
まぁ、実は、落ちても足から入水すれば生きれる。
夏の肝試しに丁度いいらしくて、年に一回みんな飛んでるし。ちなみに掛け声は「いっちゃってー!」だ。縁起悪すぎる掛け声だけど、逝く人は今のところ皆無。
と。
海の向こうに白い船が見えた。
物資を詰め込んだ連絡船。
十日ぶりの物資に心躍らせ、私は釣り糸を回収して立ち上がった。
小さな集落まで走り、まずは島唯一の商店に駆け込んだ。
「おばちゃん! 船きた、船!!」
私の興奮ぶりとは対称に、おばちゃんはのんびり「あらぁ〜」とクッキー作りを再開した。
「おばちゃん、よっしーは?! 船きたって言いたい!」
「真理夫のとこかしらぁねぇ」
「あんがと!」
私は走った。
メロスと違って激怒はしてない。むしろ喜ばしいことだ。
真理夫の家にいた吉良に言うと吉良も喜んだ。一緒にいろんな家に言いに回ったから、一時間もたつと断崖のはじに殆どの住人が集まった。
みんな、それぞれ段ボールを持ち寄っている。
最初に見た時の千倍くらいにふくれあがった白い船は、ケーキの横に接岸し、設置してある昇降機に段ボールを置いた。
昇ってきた物資のかわりに、こちらからもいっぱいに詰めた段ボールと次回の希望品の紙を置いて降ろす。
私の家からもお父さんが段ボールを持ってきた。
一応、念のため開けて確認する。
乾燥させた葉っぱ。
どの段ボールも中身はこれ。
移住者全員でお世話している、この島にしか生えていない貴重な葉っぱらしい。稀少価値が高くて、粉にした葉っぱは、ほんのひとつまみだけで何万円もするらしい。
お父さんと家に帰って、荷物をさっそく開けた。
お目当てはもちろん、私がリクエストした午後の紅茶ミルクティー。
また釣竿を持って家を出る。
やっぱりいい天気。
断崖のはじに腰かけて釣竿をたらしてから、竿をちょっと太ももの下にはさんでペットボトルのフタを開けた。
香りをかいで一口。
日本はけっこうかなり遠いけど、私はわりと満足してる。
■ 決して見ては ■
私はあれから大人になった。
出来事は、記憶のアルバムにシワをつなけいよう丁寧に仕舞われた。
あの日の色。
あの眼の影。
あの錆びた廃屋はどこかに消えてしまい、今では光あふれる公園となっていた。
工事の最中に高校受験したことは今でも覚えている。受験の日、雪が降っていた……その寒さ。それらもやはり、記憶のアルバムにシワがつかないよう丁寧に仕舞われている。
公園は広く、中央には小高い丘があり、その周囲を遊具とベンチが囲むように座している。
★
私がそれに気づいたのは、もう、何週間もまえのことだった。
近道として裏路地を抜け、公園の入り口を通り過ぎようとする時。遊具の横のベンチに、必ず、黒い服を着たおんなのひとが座っているのだ。
そして見るたびいつも、何かをしきりに口へと運んでいる……。
……ペシャリ……ペシャリ……ペシャリと……。
今日もそうで、私は意を決し、初めて公園へと足を踏み入れた。
昼休みはもう終りに近づいているというのに。
青白い、手、が、み、え、……頭が痛くなってきた。
足を踏み入れたはずなのに、私は公園の境界線でうずくまっていた。
なぜだろう。
入れない。
あの日の記憶が邪魔をする。
怖い。
もっと近くへ行きたいのに。
もっと。
額ぐっとを押さえたとき、ベンチに座っていた黒い彼女がこちらを向いた。
――そうだ、彼女は彼だ。
そんな事を云ってはいけないと、誰かが警告している。
誰かが、アルバムの奥、から。
黒い服を着た青年はコツコツと靴を叩かせて、私の目の前で止まった。黒い革靴が視界を覆う。
私は、顔をあげられなかった。
ひどく頭が痛んでどうしようもなかったし、彼の靴の脇に押されていた文字はいくら考えても現代のブランド名ではなかった。
私は、靴の会社に勤めているのだ。
こんなブランド……、文字がおかしい。この文字は英語じゃない。フランス語でもない。わからない。けれど、どうして知っているの。
と。
すっと視界の中に、彼の、手が。開かれたそこには、銀の。
「………?」
銀の、錆びたゼンマイだった。
私が震える手でそれを受け取ると、上から声が降ってきた。
「――食べたくないんだ、君にあげるよ」
彼はいつの間にか消え、記憶のアルバムを開いてもわからず、それ以降、公園の前を通ってもベンチは無人のままだった。
■ 言語の森にて ■
見上げるとこの先の空から『想』が重なり合って降ってきているので、何事かと思って獣道を急ぎました。
ガサリ、葉をくぐると木漏れ日のちいさなくぼみ。
大量の『想』に埋もれていたのは少年で、ちょうどササカの大木の横でしたので『裂』とささやいて樹液をすこしだけ拝借します。ササカの樹液は気付けに良い薬です。その液体を少年の口にふくませゆすり、やがて「…う……」とうめくと同時に『う』がココンと草の間に落ちて静かに消えました。
「誰……? 僕は…」
ふわんと浮かんだ『誰』と『僕』をつかまえ、パキリと割ります。人間を指し示す言語は、言霊食いのあの凶暴な鳥たちにとって、格好のエサとなってしまうからです。
少年をかついで、ひきかえしはじめると『雫』が頭にぶつかり、それはやがて大粒の『雨』が落ちてくる合図となります。
急がなければ、頭がコブだらけになってしまいます。
ここは、言語の森。
もう何日も声など出していませんでした。
この森では音が、ひどくカタチをもって現れるからです。
そして想いが強ければなにも。
声に出さなくとも。
連れ帰ったのは私の小屋。粗末な石の、ドーム型の小屋です。
ランプを灯し、座らせます。言葉を発したくはないので、キレの葉を乾燥させ平たい石で圧した紙に質問事項を書き見せましたが、どうやら文字を読めない様子です。仕方がないので、数少ない貴重品であるコバタハ煙草に火を付け、言葉を発しても外に漏れないように厳重に扉を閉めました。
これで少しは安心です。
聞くところによると、重病の母親のため、良い薬を探してこの森にたどりついたと、少年は言いました。
「あなたは言語の森の番人とお見受けします。どうか、薬になる木まで案内してください!」
「いや、私は番人などではー…、」
そこまで言ったところで、この少年が引き下がるとも思えません。
森の中では一切言葉を発しないことを条件に、その病状に合った薬となる樹を、いくつか連れてまわる事になりました。
そこかしこに『雨』が落ちている中を進みます。『雨』はパキパキ踏むたびに、元の液体に戻り土に吸い込まれていきます。
セゾピの茂み、マギャカの群生、若いササカに絡まるアルゼジャクヤの蔦、ギャアッギャアと言霊食いの鳥たちが上空を飛びまわります。鳴き声の残滓が、鋭利な刃物となって落ちてくる。森の葉を裂き、地面を割る。
少年はそのたびに、ヒッと出そうになる息を、両手で必死に押し殺し私が切った葉や花や蔦を、持たせたカゴに入れていきました。
真剣に、食い入るように私を見つめ、置いていかれまいと必死に歩く。
幼少の頃の自分を思い出し、私はうっかり「フフッ」と漏らしてしまいました。
とたん。
落ちた『フ』を爪で掴み、土の中から出てきたのはー…。
「危ない!」
少年をかばいひるがえった私のマントを切り裂いたのは、言霊食いの巨大な土トカゲです。浮かんだ『な』や『危』をも巨大な爪で薙ぎ払い、砕けたそれをガツガツと貪ります。
あちらに走りなさいと手で促すも、少年はガタガタと、腰がぬけたように座り込み立ちません。両手はずっと口の前に、汗がふきだし、目は見開かれ、眉は恐怖に歪んでいます。
土トカゲは食べ足りないとでも言わんばかりに舌をベロリと出し、私と少年に向き直りました。今にも襲い掛かりそうな、鋭い眼光が。
いけない。
このままでは――!
私の脳裏に、昔の、あの時の光景がよみがえります。
ナイフで脅され、服を裂かれ、ガタガタと座り込んでいたのは婚約者のエルダ。暗い、寒い夜のことで。仕事が立て込んでいて帰るのが遅くなった。
旦那、今日は冷えますがアッチのほうはおアツいねぇと笑ったのは花屋のビジェットで、こいつのことはそんなに好きじゃあなかったけれど、ウレリアを一輪買った。
赤い小さなこの花の花言葉は『いつも想っています』で、エルダはこの花がことのほか好きなのだった。俺はすこし早足で、息をはずませ家に着いた。
けれど。
いつも閉まっているハズの、表扉の鍵が開いていた。
『エルダ?』
暗い部屋で。男が俺を見た。
視線をずらす。光るナイフ、震えているエルダ、倒れたミルク瓶。床に広がったミルクの、むせかえる臭い。
ウレリアが落ちた。
いや。落としたのだ。
勢いをつけて蹴り上げ、ナイフは天井に飛んだ。俺は男の腹も蹴り、ふっとんで倒れた男の顔を踏みつけた。ガンッ、足裏に、鼻骨が折れる振動。殴った。殴って殴って、エルダが止めるのもきかずに、気が済むまで殴り続けた。男の顔が、赤から紫色に染まる。殺してやる、殺してやる、殺してやる! 殺してやる!!
――コッ。
落ちたのは、『殺』でした。
コッ、コッ、カカッ、降り注ぐ。
拳を握ったままたちのぼる、私の意志が、とめどない雨のように『殺』を生み出し続け、辺り一面が埋もれてゆく。当たった花はしおれ、草は茶色に枯れ、木々がメキメキザザハと死の悲鳴をあげ。
土トカゲが一歩、下がった。
直後、敏捷にきびすを返すと森の奥へ逃げていきました。私は急いで少年を立たせ、『殺』を踏みつけ小屋へと戻ります。
あの程度なら大丈夫です。当分あの場所に立ち入らなければ、来年には元通り草木が生えるでしょう。
採ってきたものを煎じて丸め、すり潰し、粉状にして混ぜます。できあがるまで少年は、もう一言も発しませんでした。
森の出口まで案内すると、少年は深々と礼をしてニッコリ微笑みました。ありがとうと言いたいのでしょう。私は頷き、少年は背を向けて森を出て行きました。
ゆっくり一息つくと私は、少年がポトリと落としていった『怖』を拾い、鳥が来ないようパキリと割りました。
■ 激昂と破裂ののちの静寂 ■
草木が茂る、世界の庭。彼は真夜中に、月をふくらます。
(月が星よりも悪いのは、手入れをしないとしぼんでしまうという一点につきる)
ぱすんぱすんぱすん。
(ちがう、それじゃない、黙れ黙れ黙れ)
ぱすんぱすんぱすん。
(なにがおかしい、幽霊め、音をおとおとおとを)
午前3時になると、彼はオルドビスでできた土の戸棚から“ふいご”をしずかに取り出す。彼は“ふいご”を大切にしているわけではなかった。大切にしているのは土の戸棚のほうだ。
ほうら。
ほうら。
土が粉になって粉が床におちてその他おおぜいの今と、混じって見えなくなってしまう。オルドビスが埋もれる。彼はもうみえなくなった古代にむけてしばらく沈黙する。もちろん、白い部分を閉じるのを忘れずに。
ぱすんぱすんぱすん。
(あぁ、もうたくさんだ、黙れ黙れ黙れ)
ぱすんぱすんぱす。
(………、幽霊め)
“ふいご”をおろし、ふくらんだ月をしばらくながめ、彼はゆっくりと平静を取り戻していった。月をふくらましている時、いつだって彼の心はかきみだされる。それが終わると、スノードームのように感情がパラパラと闇の中に沈む。
(ちがう、そうじゃない、土の戸棚と同じように、月だって大切に……、ふくらましている)
月は、数日経つとしぼみはじめるのが常だった。彼はそのたびに“ふいご”を動かすけれど、それを仕事だと思っていない。とだれかが言っていた。彼は思う。誰かがそう言っていたような気がする。これは仕事のはずだった。彼以外に“ふいご”を持てる人間がいなかっただけであって、仕事だと思っていると……思って……いるのは彼だけは、彼、だけなのだろうか、月は? 鏡、だった。けれど鏡は、声を反射してはくれない。
ぱすんぱすんぱすん。
(あぁ、もうたくさんだ)
「ネジを巻くのと、首を絞めるのは同じ動作で行われる――なんと軽い罪悪感だ! あぁ、鳥の首がもっと太けりゃあなぁ、あぁ、ネジを反対に回しても壊れはしないが、鳥はどちらにも傾いちまってどうしようもないなぁ。どちらを選んでも、ギチ、ギチ、ギチ、コキッ。は、は、は、」
(ちがう、そうじゃない、黙れ黙れ黙れ)
声を反射するのはいつでも鳥だった。
よるのとり、ひるのとり、あさのとり、はるのとり、なつの、あきの、ふゆの、どの鳥を選んでも面白おかしく笑うのだった。
昼でさえポプラの葉に隠れ見えないというのに、夜ときたらまるで声だけなので彼は今では、その声が本当に鳥なのか幽霊なのかすらわからなくなっている。
ぱすんぱすんぱすん。
(なにがおかしい、幽霊め、音をおとおとおとを)
ぱすんぱすんぱすん。
(あぁ、もうたくさんだ、黙れ黙れ黙れ)
彼のベッドの下には、巨大な三日月の死体がころがっている。それは見ようによっては大きな白い骨であり、土の戸棚のつぎに彼が大切にしているものであった。よく晴れた夜には――当然月はふくらみきって丸い――彼は自室の窓を開け、三日月を取りだして月光浴をさせた。
こんな時には、彼の心は穏やかで、何事もなく過ぎていけばきっと彼も平凡な人生を平凡に歩み平凡に終わるだろうに、鳥は!
「黙れっ! 黙れだまれ黙れ!」
ギャッギャと鳥たちが、笑いながら、ねぐらのポプラから飛び立ったように見えた。だが実際には、ポプラ特有のハート型の葉が、いくつか舞い落ちただけだった。
彼はがくんと膝をつき、彼を抱くように横たわっている巨大な三日月の骨の上に頭を置いた。
彼はしばらくそのままで、それから目をこすり、大事な大事な戸棚から“ふいご”をバッと取りだした。まだ月は、どこも欠けていないというのに、彼は叫びながら激しく“ふいご”を動かした。
ぱすんぱすんぱすん。
「なにがおかしい! 幽霊め!」
ぱすんぱすんぱすん。
「もうたくさんだ! 黙れ! 黙れだまれ黙れ!」
ぱすんぱすんぱす。
その時、月は悲鳴をあげて破裂した。
ひと呼吸おいて猛烈な風が吹き、晴れ渡った夜空に、ごうごうと月の破片が流れては光り、落ちては消えていった。まったく一瞬のことのように彼には見えたが、月が破裂してから随分と時間が過ぎていた。
朝になったのだ。
顔をだしたのは太陽だった。
彼の隣に住んでいる、少年が庭に出てきた。少年の仕事は、太陽を適度に燃やすことであった。金色の“らっぱ”を手に持ち、少年は懸命に息を吹くが、あまり上手くいかないようで、今日も太陽はパッとしない光をぼんやりと放ち続けている。
鳥かもしくは幽霊たちが、ポプラの陰でギャアギャアと笑いはじめた。
「おいあの少年は飛べない鳥だぞ、声も出ないし息も満足に出せやしない。おまけに、あれを自分の仕事じゃないと思っていやがる。趣味なんだとさ、自己満足の、ただの趣味なんだとさ!」
月では、なかった。
鏡、は。彼の鏡は、少年そのものであった。へたくそな“らっぱ”の声に彼は深く傷つき、オルドビスでできた戸棚のふちを指で静かになぞった。細かい、古い時代が、床の砂と混じってもうどこにも見当たらなくなるまで。静かに。
夜になると彼は、ベッドの下から巨大な三日月の死体を取りだした。
星だけがちいさく主張する暗闇にはしごをかけ、登り、彼は骨を夜空にかけた。そして白い三日月の、下の先端に“ふいご”をあて、動かし始める。鳥の声もここまでは届かない。彼は昨夜の悲鳴を思い出し、すると心臓がきゅうと鳴り、いつのまにか、搾るように泣いていた。
ぱすんぱすんぱすん。
(だれもが黙り、なにもおかしくはない。これで……もう、じゅうぶんだ、)
ぱすんぱすんぱすん。
全てを終えると彼は、月光がふり注ぐ世界の庭に降り立ち、足元に落ちていた月の破片をふたつ拾った。家に入ると一つを戸棚に仕舞い、もう一つをベッドの下に投げ入れた。夜が満ちている。