■ イチゴと預言が許される日数 ■

 今夏最後のイチゴを採りきった。まだ白く、小さな実もあるが、もう大きくなっても食べる事はない、カラスの餌にする。今決めた。
 黄色のざるを手に、私は庭を横切って縁側へと向かう。風鈴が、残暑を運ぶかのようにひとつ、チリンと鳴った。
「――私の預言はもう期限切れのようですね、丁度、1260日ですか」
 書斎から顔を出したのは、預言者のマルク・E・ララアだ。日本語が流暢な、というか、日本人だ。数年前に帰化したから。本格的に日本に、というか、この家に骨を埋める予定の白人男性。
 そもそもなぜ彼がこの家に来たかというと、それがひとつの預言のせいで、私はその預言を、大学四年のゼミで受け取った。
『あなたの家では数年後、イチゴがたわわに実るだろう。庭には菜園ができ、子供たちの笑い声が響き渡るだろう。』
 ララアの預言は当たった。
 私は大学を卒業すると、地元であるこの町に帰ってきた。私の祖父と父は死に、祖母と母親だけのさびしい日本家屋。母の子は私ひとりだけ。帰る理由は十分だった。
 今時、家を継ぐという発想が古いと大学の友人達は言い、最後のゼミを盛り上げるために他の学科から男達を集めてきた。ゼミ・ラスト・パーティー。かっこ、合コン。かっことじ。
 そのうちのひとりがララアだった。ララアは自称預言者で、あの日の預言が成就されるかどうかを確かめに、私の家によく遊びに来た。最初は驚いた母も、怖がっていた祖母も、訪問回数が増えるごとにララアを好きになっていった。
 いつしかララアは私の家に住むこととなり、庭の土を手で耕し菜園にしていく。けれど、イチゴを植えても実りは少なく、改良に改良を重ね、ついに今年、大豊作となったのだ。
 もう夏は終わる。
 洗ったイチゴは酸味が強く、旬が過ぎたことを示していた。
 ララアが、その大柄な足でギシギシと床を鳴らしながら私の隣に座った。縁側からは菜園が見渡せる。
「預言が当たって良かったです」
「でも、イチゴだけね」
 私がそう言うと預言者は、口をとがらせてシュンと眉をさげた。仕草は可愛く、少しいじわるしたくなった私は、更にこう続けた。
「それに、イチゴだってあなたが植えたんじゃない。ちゃっかりここに住んで、あぁ、もしかして、あの預言はプロポーズだったのかしら?」
 思った以上に深刻そうな顔になったので、私はあわてて「冗談よ」と小声で付け加えた。
「期限なんて、なくていいのよ。どうせ一年後には預言が当たるんだし」
 えっ、と、ララアは私を見つめる。
 私はお腹をさすった。
 まだふくらんではいないけれど、ふたつの命が、ここに確かに宿っている。
 その意味がわかったララアはバッと立ち上がると母国語でなにやらシャウトし、菜園のある広い庭をひとしきり走り回ったあと、息をきらせて言った。
「私は預言します! 子供達を……、あなたを、あなたのお母さんもお婆さんも、ずっとずっと大事にします――無期限で!」
 キスは酸っぱい、イチゴの味。けれどこれは、私の気持ち。
「甘いわ」

■ 一世紀ちょっと行方不明 ■

「ほほう、これは珍妙な。平賀源内でも思いつくまい」
 そう言って彼は、電子レンジをまじまじと見つめている。
 僕は「百葉箱じゃないよ」と言い掛けてから、そういえば彼の時代には百葉箱もないな、と、思った。
 きっと百葉箱と言ったその日には、目安箱関係のなにかかと返されるのがオチだろう。危ないことは、しない。
 彼、高橋コーヘーが行方不明になった事件は、先のワイドショウでもかなり取り上げられ、新聞にも載っている。
 知らない人は居ないだろう。
 僕の家の裏庭をウロウロしていた彼が、その高橋とは思わなかったから、僕は最初、彼を、文字通り背後からゴミ袋をかぶせて袋叩きにした。
 袋を取ると、Tシャツとジーンズ姿の彼は涙目で気絶していて、なんだか弱っている風だし悪い人でもなさそうなので家に連れて帰った。
 それが今日の明け方、一ヶ月ぶりの外出の成果だ。
 玄関先で靴を脱がせるのも大変だったけれど、リビングに通してからも大変だった。
 しきりにあちこちをゆびさして「これはなんぞや?」と叫ぶ高橋。
 僕は最初、若いホームレスかなにかだと思い、
「かわいそうだな、」
 とひとりごちて一緒にテレビを見たら、あぁ、彼は行方不明の彼で、僕はまったく現在悩んでいる最中だ。
 要するに、ただの引きこもりの大学生が、裏庭で、名目上保護した行方不明人を、警察にひきわたそうか考えてるところ。
「佐伯殿、これはなんぞや?」
「それは井戸のかわりに開発された、水道というものですね」
 にこやかに答える僕。
 引きこもってから今まで、こんな笑顔、僕、作ってたっけ?
 自問自答。
 こたえは出ない。洗面台の鏡は、のぞきこみすぎて顔をくっつけている高橋しか映さない。
 ところで彼は、すこぶるおかしい。
 ワイドショウで見る限り、彼の写真は高校三年生のもので、それもかなり真面目な呉高の制服を着ている。呉高といえば、大学の進学率や合格率もかなりいい高校だ。
 それがどうだろう。
 なんか、話していくうちにわかったのだけれど、口調も知識もそう、江戸時代でストップしているのだ。
 タイムスリップ?
 江戸オタク?
「佐伯殿、佐伯殿! あれはー…」
「あー、はいはい、洗濯機ね」
 僕はマグカップを手に、高橋の猛追を適当にあしらうとココアの袋を探した。ここにもない。記憶をたぐりよせて、そうだ、戸棚の。
 賞味期限が切れてなきゃいいけど、と思った後、引きこもってから今まで、誰かのためにココア淹れた事、あったっけ?
 自問自答した。
 答えはでない。
 ヤカンをのぞきこむ高橋が近すぎてキモい。言っておくけれど僕は、アッチの趣味はない。
 そんなこんなでもう夜。
 僕の友達が久しぶりに遊びに来た、と、勘違いした母親は、腕をふるった晩御飯をテーブルに並べた。
 ありとあらゆるおかずが並ぶ。冷蔵庫はたぶん、からっぽだろう。
 高橋は礼儀正しく江戸語でお礼を言った。
 こんな時に動じない母を、正直、ちょっといいじゃんと思ったけれど、あれだな。緊張しすぎて高橋の言葉が耳に入らなかっただけ。家に来る友達なんて、中学に入る頃にはもう居なかったんだから。
 高橋はもりもり食べ、その間に電話がかかり、父が仕事で遅くなると母がため息をついた。最近いつもそうだ。
 部屋に戻るために階段をのぼると、廊下に高橋のぶんの布団が出してあった。
 それを見た瞬間、僕は諦めた。
 今日はもう無理だ。
 何も考えずにとにかく寝よう。
 もう高橋は、ちょっとやそっとじゃ驚かなくなっていた。僕の部屋の、つけっぱなしのパソコンも、デジタル時計も、ステンレスの椅子も。棚に置いてあるフィギュアも、暗幕のようなカーテンも。もう。
 少なからず、自分の状況を理解したのだろう。
 高橋にとっては、江戸時代に居た自分が、いきなり異国にとばされたようなもんだから。
 カチリと電気を消すと、高橋は
「布団を敷くのはおんなしだ」
 と、ぽつりと言った。
 江戸時代と。
 同じだ。
 ここも、日本だ。
「……佐伯殿? 顔色が悪いでござるよ」
 僕はいつからこんなになったんだろう。もっと醒めていて、東京を斜めに見下ろして、勉強なんかしなくたって他の奴等より進んでいると思ってて、もっと傲慢で、世界を拒絶していた自分は、どこに行ったんだ。高橋のことだって、最初は面白がっていたはずなのに、どうして。
 自問自答する。
 答えは出た。
 全部。
 高橋のせいだ。
「暗くて見えないくせに。お前もう寝ろよ」
 僕はもうちょっと高橋と暮らしてみたくなった。高橋となら、まがりなりにも外に出てるような気がしていた。
 けれど、明日には父が会社へ連れて行くだろう。
 だって警察官だから。
 そして高橋は、きっと生きていく。僕も。お、ん、な、し、だ。これだけはどの時代でも、同じなんだ。
「佐伯殿、有難う……」
 僕はまぶたの裏に、警察署の取調室で、あわてふためく高橋を思い描いて眠った。
 きっと周囲の人間は、高橋のことを憐れむのだろう。親でさえ。最終的には精神病院行きだ。
 僕だけは違うよ、高橋。
 来週からは、大学へ行こう。

■ 否春到来症候群 ■

 医者はひどく高圧的に、眼球の裏側から薄暗い幕をひきずり出す。
 患者はその手がのびてきたとき一瞬身構えたが、痛くはありませんからという医者の言葉を信じ、手をグッと握った。
 とうとうとあふれる涙とともに眼球から引き抜かれた、湯葉のようなそれを、医者は丹念に広げステンレスバットの上に置いた。
「良いですか、」
 医者は、万年筆でそれを指しながら言う。
「この幕はあなたの春です。症状は?」
 患者は、これが春だとはにわかに信じがたい、といった怪訝な表情で、それでも、ここ最近悩まされ続けてきた症状について語った。
 時刻は午後4時をまわっている。医者は患者の話をききながら窓のブラインドを指で押しあげた。医院の看板がすぐそこに。医院は一階にある。
 患者はついに話し終え、ステンレスバットの上の春にいつの間にか、うちひしがれたようなシワが刻まれていた。
 乾いている。
「なるほど。雪が融けるのは当たり前ですが悲しい、と」
 医者がカルテになにかを書き込む。おそらくドイツ語だろうと患者は検討をつけるが、くだけすぎて子供の落書きのようにも見えた。
 カルテの上をすべる万年筆から青いインクが滑り続け、やはり子供の遊びだと患者は決め付けた。急にトン、と医者が万年筆をはねあげる。落ちた青のインクが、紙の上に染み広がった。
「この春はさしあげます。鞄に、しまっておしまいなさい。クスリを処方します、悩みはもうすぐ消えるでしょう」
 はぁ、と気の無い返事をし、言葉を濁す患者に、医者はピシャリと「先へ進むものです」
 人生観を投げつけた。
 毎年この時期になると多くてね、と医者は言う。冬に留まりたい、春を広げたくないという人間は存外多いらしい。年間数万人という数をきいて、患者はさきほどの無骨な押し付けに納得した。
 医者は、食傷ぎみなのである。
 眼球から春を抜き――それが気休め程度であり、春は性懲りもなくまた眼球に広がる事は誰でも知っている――クスリで抵抗心を減らし、次に眼球に春が広がりきる頃には、大抵の人間は受け入れる。それを毎年くり返す。飽きない人間は何十年と。
「万年筆と同じです。または手入れをした、切れるナイフのようでもありますね。この春をコンタクトレンズにして、表側に貼り付けるのも可能ですが」
 それは春を、自分を騙すということだ。
 目に春が広がっているように見せかけ、その実、ずっと心は冬に留まっていられる最終手段でもある。
 患者はしばらく考え、それをお願いしますと言った。
 医者は驚き、この方法を選択する人は稀ですよ、一度これを覚えると見せかけの春に依存しきり、夏も秋も春に見えるうえ、もう取り外すことは不可能に近いですよ、それでもいいですかと聞いた。
 患者は即答でいいですと言い、治療を終え料金を払い外に出たあと春だと叫びはじめた。
「ハルダ! ヤッタ、ハルダ! ボクハ…ウ……ウ…ウレシイ!」
 騙しているのである。医者はブラインドの隙間から患者を覗き見る。手には万年筆が握られ、指の隙間で素早く回転している。