■ エクストリームちりがみ交換 ■

■ 第23回QBOOKS1000字小説バトル チャンピオン作品 ■

 B〇〇Kオフで安く買いまくっていた古い漫画を、読み終わった順に積み重ね紐で束ねる。60冊ぶんの束を両手に玄関へ持って行くと、そこには既に200冊近くの束が山積みされていた。
 遠くから、じわじわとちりがみ交換の声がきこえる。毎度ぉ〜、お騒がせしておりますぅ〜、という拡声器のダミ声。近づいてくる。
 すかさず母さんが居間から顔を出した。
「あんたのマンガやら雑誌やら、とっとと交換に出しちゃいなさい!」
「はァーい……」
 ああいうのって、手を挙げてたら停まってくれるのかな。っていうか、時代も時代だからトイレットペーパー交換って言ってくれればいいのにな。サンダルをつっかけて家の外に出ると、今まさにちりがみ交換の看板をつけた軽トラックが「ぶぅん!」と通り過ぎ、向こうの角を曲がっていった。
 速っ……。
 家の中に戻り、母さんに「なんかもう向こうに走って行った」と言った直後、また遠くからちりがみ交換の声が聞こえて来た。今日はこの町内をグルグルまわっているのだろう。もしかしたらもう一回家の前を通るかもしれない。そう考え、道路のすぐ横で待ち構えていると、やはり来た。控えめに手を挙げると軽トラックは「ぶどぅるん!」と通り過ぎ、向こうの角を曲がっていった。
 いくらなんでも速すぎる。
 こっちは手だって挙げているのに。
「母さーん? なんか、速くてとめらんなかった。また今度でいーいぃ?」
 テレビを見ている横顔にそう伝えると、母さんはため息をついて立ち上がった。玄関に行き、本の束を両手に提げて外に出て行く。またちりがみ交換の声が通り過ぎたと思ったら玄関の戸が開き、母さんがトイレットペーパー1個を持って戻ってきた。
「次」
「えっ、」
 ポイとトイレットペーパーを投げてよこすと、母さんは次の束を両手に提げ、外に出て行った。そしてまたトイレットペーパーを1個。次の束。トレペ1個。また次。一体どうやって? 思わず外に出る。道を爆走する軽トラック。速度をゆるめない。母さんが最後の束を前後にゆらし、勢いとタイミングで軽トラの後ろにシュート! すかさず助手席の人がトレペを放ってくる!! 野球の内野手並みの動体視力でマザーグレートキャッチ!!! ザザザ、アスファルトにこすれサンダルがうねるッ!!!!
「や……、いやいやいや停まってもらおうよ?!?!」
 母さんはやり遂げた顔で親指をたてた。
 路駐禁止の道路標識がキラリと光った。

■ エルビーの裏庭 ■

 エルビーの、表の庭のハイブリッド・ティが咲いたんだって。
 え?
 どうして僕が知っているかって?
 決まっているじゃあないか。エルビーが毎日僕に声をかけてくれるからだよ。
 僕はいつも裏庭のカウチに腰をかけて、一日中オールドローズしか見ないから、エルビーが心配して近況報告しに来るのさ。
 ほら、遠くから聞こえてくる。耳をすまさなくてもコンコンと響く、エルビーの白い靴。ふわりと舞ったパニエ入りのスカートは、ここのところの彼女のお気に入りだ。
「――ごきげんよう! クラウディア」
 あはは、今日は機嫌が良いね、お嬢様。
 どうしたんだい?
 また何か咲いたのかい?
「ふふ、ねぇ、聞いてきいて」
 エルビーはいつも、聞いて欲しいことがあるときには僕の座っているカウチに両手をかけ、顔をひょいと近づける。
 あぁ。君は。
 ずいぶんと大きくなったというのに。
 まだキスのひとつも知らないんだね。エルビー。
「前の方の庭に、フロリバンダがあるじゃない? あそこ、ちょっと寂しいと思って、この間お父様に頼んだら、クライミングローズを買ってきてくださるって!」
 へぇ、賑やかになるねぇと僕が声をあげると、エルビーも高い声でフフ、と笑った。
 僕らの会話はいつも、薔薇の話でもちきりなんだ。
「それとね、ついでにこっちの方にもイングリッシュ系のを植えようかって、お父様が……言うのだけれど…」
 僕の顔色がかわったのを察知して、エルビーは小声になった。少しだけうつむき、でも瞳は僕を見たまま唇をとがらせる。
「ダメかしら……?」
 裏庭には白い薔薇しか植えていない。イングリッシュの薔薇なら、色が入るのは当たり前だ。
 エルビー。君のその口調だと、何色になるかは、まだ決まっていないみだいだね……うん、ダメじゃないよ、この庭の主人は、君一人なのだから。まぁ、僕個人としては、オールドローズたちの控えめな白と濃厚な緑葉が、とてもとても気に入っているのだけれど。
 そこまで言うと、静かに考え込んでいたエルビーは
「あなたや他の皆が居ての、私の庭だもの。やっぱり、こっちは質素にオールドの白系だけにするわ」
 晴れやかに笑った。
 どうやら、一時の気の迷いだったらしい。
 向こうの花にも声をかけようと、エルビーは立ち上がり、あらためて僕を見つめる。その瞳に焦がれて、毎日僕の胸がドキリとうなりをあげている事を、知らずに。
 エルビーの金色の髪には、今朝摘みとったばかりの薔薇が鮮やかにその存在を主張していた。それをゆっくりとなぞる、細い、指が。
「クラウディア、あなたの白くてふんわりした花も、早く見たいわ」
 ……僕もだよ、お嬢様。
 僕も早く、あなたの輝く髪のうえで、ゆっくりと愛でられたい。

■ Etude Op.10-04 ■

 音は途切れることなく続く。
 それが冬の合図だとも知らずに。
 弟がこの曲を弾くときは、決まって秋も終わろうとしている晴れやかな昼だった。
 決まって、といっても、私がそう決めつけているだけであって、もしかしたら別な場所で、私の知らぬ場所で、この連続した旋律を軽く弾いているのかもしれない。
 私は、ピアノから適度に離れた木製テーブルの上の楽譜をペラペラとめくりながら、同じく木製の椅子に腰掛けている。
 淹れたての紅茶は、ダージリンとアッサムのブレンドだ。私の弟が淹れたもので
「兄さんにはセイロンよりこっちの方が似合うよ」
 とひそやかに言った後、弟は、ヤマハのグランドピアノの、あの無闇に柔らかい椅子に腰掛けた。
 ここは。
 弟の指がよく見える位置だ。
 別な生き物のように細やかに蠢いているそれは、少しだけ黄色がかった鍵盤の色に、本当にささやかに映える。爪は短く切られ、少し骨ばっている様は、ある種ストイックな締め付けをもって私をとらえてはなさない。
 突然。
 高い音の粒が跳ねた。
 しかし余韻が残らぬうちに、連続した波のうねりに飲まれていく。
 その繰り返し。
 繰り返し。
 これが練習曲だというのだから、クラシックの大楽家−…リストやパガニーニ、モーツァルトにバッハ、ベートーベン、それにラフマニノフまでの様々な年代含めた諸兄…−たちは、タチが悪い。
 自分たちのように弾けるとでも思っているのだろうか。否、弾けなければ彼らは、あざ笑うかのような筆跡の指運指示とともに、突如として楽譜の上に現われるのだ。
 弟は、一呼吸ごとに肩を上下させて弾き切ろうとしている。けれど、焦りからかもう既に五音もミスしている。
 間の悪い演奏だ。
 スピードが速くなる。
「……ショパン、」
 もうやめろという意味の呼びかけだった。
 私の弟は、日本人離れした奇妙な名前を持っている。
 それは、幼い頃からピアニストとしての道を示し続けてきた光でもあり、一生の呪いでもあった。たとえ、仮に、幼い頃に外国へ行けたとしても、やはり同じように彼を蝕むだろう。
 それほど、この名前は引力をもって人々をひきつけてやまない。
「ショパン、もういい」
 演奏はやまない。
 痛々しいくらいだった。
 名前に縛られ、苦悩する日々を、私はどうして止めることができなかったのだろうか。血を分けた、ただ一人の肉親だというのに、そう、今もだ。
 攻撃的な音は、私に確信をもたらす。
 たぶん、先月ショパンが参加した大規模なコンクールの記事が書かれた、俗な雑誌を見てしまったのだろう。あの、赤の表紙が目をひく汚らしい音楽雑誌を。
『――名ばかりの門前小僧』
 そう、見出しがついていた。
 審査員特別賞など、ただの気休めと思わせるような手厳しい評論だ。確かに、課題曲についての取り組みは浅かったかも知れない……。
 大規模なだけに、序盤の選曲は簡単だった。
 一次や二次予選は、課題十曲の中から好きな曲を三曲選ぶものだった。一般をターゲットにして、艶やかなナイトコンサート風に連日の予選は行われた。
 前評判もあってか、ショパンの演奏時には客席が大半埋まった。
 しかし、予選を通過して本選に入ると、全てが、審査員たちの得意な分野のマイナー曲が課題となった。それも、曲を理解する期間はたったの三日しか与えられなかった。一日で一曲である。課題のうち二曲は、マイナーとはいえ既知の曲であったが、残りの一曲が難題だった。
 ……思いかえしてすこし苛立った私は、視線を戻す。
 瞬間。
 ショパンにしては投げやりな、叩きつけるような滝を流した演奏は 終わった。
 最後にふりおろした手と連動し、顔は上に向けられ、うっすらと開いた瞳には、なんの感情も浮かんでこない。ぼんやりと口をあけ、栗色の髪が額をすべる。
 しばらくそのまま時間が過ぎ、彼はまばたきをひとつ、そして、うめくような、声を、
「……兄さん、」
「ん?」
 私はつとめて冷静に聞く。
 下手に優しくしても、この、私のちいさな弟は、嘘を簡単に見抜いてしまうのだ。そうなるともう後が続かない。何を言っても拒絶の笑顔で沈黙するのが常だった。
 それこそ、手以外を鍵盤にたたきつけたら折れてしまいそうな笑みを。
「兄さんは、怜だから……レイチェルっていう名前にしたらどうだろう」
 消音穴が並ぶ天井を見上げたまま、弟は言った。
 かすれた声が、切実さを孕んで秋晴れの空に飛んでゆく。
 私の答えを聞く様子もなく、ショパンはうつむき、椅子をガタンと引きなおした。
 また曲が始まる。
 先刻と同じ、1830年のフレデリク・フランチシェク・ショパンが作曲した、練習曲の4番。
 部屋の窓は相変わらず開いたままで、時折、冷たい風や鳥の鳴き声、雲間の光がピアノの音にポトリとエッセンスをたらす。
 まるで弟の泣き声だ。
 小さく。
 それでいて高く。
 私はこの曲を聴くと、なぜだか冬の始まりを思い出す。それは、繊細な飴細工のような弟が、決まって秋晴れの昼にこの曲を演奏するからだ。
 冬の合図だとも知らずに、音は。
 途切れることなく続く。
 私はテーブルの上の紅茶に手をつけず、弟はきっと、今はもう何も考えたくないのだろうと察した。

■ 遠藤狩り ■

 ガンガンと、無骨に階段をのぼる足音。
 遠藤は、独身者が多いワンルームアパートの203号室に住む会社員だ。正社員で働いている男の一人暮らし。さぞかし独身貴族を満喫しているかと思いきや、彼の毎日は憂鬱そのものである。
 残業を終えて会社から帰ってきた遠藤の視線は、
「……またか」
 郵便受けに挟まったままの、厚めの封筒に向けられた。
 市販の茶色いものだが、宛名は書かれていない。異様なほどふくらんだそれを引き抜き、遠藤は、乱雑した自分の部屋に入っていった……。ここ最近、毎日送られてくるものだ。
 もう中身も見ないで捨ててしまおうとも思ったが、見ないわけにはいかない。遠藤の眉が憎々しげにゆがむ。
 好奇心か?
 いや、憎悪だ。
 ベッドに腰掛け、ゆっくりと封をはがす。中には写真がぎっしり詰まっていた。それは、様々なアングルから、様々な場所で、様々な人々と会話をしたり食事をしたり、または独りで空を見上げたりしている、遠藤自身の写真だった。しかし、視線はひとつたりともカメラに向けられていない。
 盗撮。
 そう。遠藤は、ストーカーに執拗につきまとわれている。
 そのストーカーの素性を、遠藤は知らないわけではなかった。なぜならそのストーカーは、遠藤の部屋の真下に住んでいるからだ。
 いやがらせも頻繁に起こる。遠藤が休日の日に限って一日中行われる騒音はもとより、毎日送られてくる写真の束、週に一度の頻度で郵便受けに入れられる腐った卵や納豆、出先でのあからさまな尾行、携帯電話への数百件以上の着信、番号を拒否設定にしても、今度は公衆電話からかかってくる無言電話……。しかし遠藤は、警察に行くことができないでいた。ストーカーは、男なのだ。
 103号室の住人、西村隆之。無職、35歳。
 いやがらせが始まった頃に送りつけられてきた、詳細なプロフィールの紙にそう書かれていた。それも何十枚とあり、好きな食べ物やら芸能人、応援している政党、実家の家族構成などなど、手書きの汚い字でずらずら書かれいた代物だ。読む前も読んでいるうちも「この紙はなんだか変な臭いがするな……臭い……」と思っていたら、最終ページには犬の糞がなすりつけられていた。
 今ならわかる。こうして自身の情報を詳細に、いやでも分からせておけば、耐えきれなくなった遠藤が警察に相談したところで「友人同士のトラブル、当事者同士で話し合いを」と処理されてしまうだろう。
 この用意周到ぶり、飽きることのない徹底した連日のいやがらせが、一層の不気味さをもって遠藤を圧迫していた。
 今はもう、帰ってきたのに気付いているはずだ。と、遠藤は思う。
 あと何分で床下の騒音が始まるのだろうか? それともピンポンダッシュか? 眠気がやってきたころに、何度もやられた事がある……。遠藤は、いてもたってもいられず冷蔵庫を開け、買い置きしていたビールを二本取り出すと一気に飲み干した。
 一方。
 下の階では、男が遠藤の盗撮写真を現像していた。
 部屋の中は暗幕が張られて夜にもまして暗く、小さなブラックライトだけが光を放っている。そこに照らされているのは、痩せた男の顔。べっとりとした黒の頭髪をなでつけ、無精ひげに彩られた唇を満足げに歪めている。
 西村が、洗濯ばさみで一枚づつ写真を吊るしていると、つけっぱなしにしていた古いラジオが、ザザザと音をたてた。流れていた歌謡曲が中断され、臨時ニュースが始まった。
『本日国会にて……遠藤という苗字を……から施行されま……』
 男は顔をラジオに向け、すぐさま音量をあげた。
『遠藤を見かけた方は警察までご一報をお願いいたします。一般の方が遠藤を捕まえますと、国から奨励金が進呈されます。くり返します。本日国会にて可決された、遠藤という苗字を廃止する条例は、異例の速さで明日、4月1日から施行されます。遠藤を見かけた方は警察までご一報を……』
 遠藤が目を覚ますともう朝で、遅刻だと立ち上がった瞬間、頭がガンガンと音をたてた。今日は休みで、昨日は飲みすぎたと思い当たる。
 チャイムが鳴り、一瞬身体が固まった。今日もいやがらせが始まったのか……と忍び足でドアの魚眼レンズを覗くと、短髪の女性の姿が見えた。隣の202号室に住む、アキという名の女性だ。
 ホッと警戒心を解き、遠藤はアキを招き入れた。
「相変わらず汚い部屋ねぇ……昨日飲んでたの?」
 馴れ馴れしいのも仕方がない。アキは過去に何度も遠藤の部屋に入ったことがあり、過去には掃除を代行したり、食事を作ってくれたこともあった。
 本人はダンスを勉強しており、そのうち本場のアメリカに行くと豪語するも、貧乏で金がない。そのためにアルバイトと称して遠藤の部屋にときたまやってくるのだ。
 また「アルバイト」の話かと遠藤がふざけて言うと、アキは笑って振り向いた。差し出した、彼女の手には果物ナイフ。事情がよくのみこめない遠藤に、アキは、ことさらニッコリと、
「お金はもういいのよ、遠藤くんを殺すから」
「………、え?」
「――逃げろ、遠藤!!」
 叫びながらドアを開けて入ってきたのは、下の階のストーカー男、西村だった。何がなんだかわからない遠藤をよそに、西村はアキにタックルをかまし、二人は転び、もつれあい、アキの手からナイフが落ちた。そのナイフを掴んだ西村は窓を開け、大きくふりかぶって凶器を投げた。
 今や203号室のドアは開け放たれ、見ず知らずの人々が室内に押し寄せ、細い廊下を通ろうともがいている。
 西村は、それを茫然と眺めている遠藤をドンと窓から突き落とし、自らも華麗に飛び降りた。アキもそれに続く。ストーカー男は遠藤の腕をつかみ、人気のない路地まで走ると、アキと一緒に「遠藤狩り」の経緯を説明した。今や遠藤は、全国民から狙われる存在となったのである。
「お前は俺のモノだ」
 男は、遠藤を守る決意を遠藤に伝えた。
「あたしも。なんだかんだでついてきちゃったし」
 アキも笑顔で言う。
 しかし、遠藤は納得できない。今までさんざん自分を苦しめた元凶と一緒に戦おうというのか? なぜストーカー行為を繰り返してきたのかきつく問い詰めると、ついに西村は重い口を開いた。その衝撃の言葉とは。
 そして。遠藤狩りは――、まだ始まったばかりダ。

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