■ エクストリーム探偵 平塚クリオネ(連載中) ■

■ 1 ■

 最近子供にキラキラネームを付けるのが、世間の流行りらしい。
 音の響きだけを重視した、読めそうもない当て字。外国人というより宇宙人といった方がしっくりくる前衛的な名前の数々は、新時代の到来を予感させる。
 ――しかし。
 それは時代が俺に追いついただけの事だ。と平塚は思い、酸素ボンベの残量を確認した。
 北海道の北東。
 オホーツク海上。
 自分の名前と同じ呼び名の生物「クリオネ」を観察しようと思い立ったのは、午前5時の夜明け前であった。
 東京のマンションから羽田の国内線へ飛び乗り、稚内空港からレンタカーで走り続ける。その間に、買ったばかりの携帯電話を駆使して船とダイビング用品と宿の手配をする。日が暮れる頃には紋別の港に降り立っていた。チェックイン直後、倒れるように眠り込んだ。
 翌日の涼しい夜明け前、海へと出立。
 1回目のダイブでは惜しくもクリオネは見つけられず、船長のカンを頼りに現在は別なポイントへと向かっている。
 手慣れているのは当然だ。
 平塚の趣味は気ままな旅である。
 と。
 携帯電話がビピリと鳴る。初期設定の大音量。画面には登録していない電話番号が表示されている。平塚はBCジャケットについた水滴を払い、通話ボタンをタップした。
「はい。もしもし」
『もしもしクリオネか?! 頼む、知恵を貸してくれ!!』
「あー、どちら様でしょ……」
『吾妻だよ! 警視庁目白署イッカ、窓際から3番目の机の吾妻荘介!!』
「……てか、手短に話してくれる? 俺いま海の上で、これから2回目のダイブで」
『はぁ?!!』
 いちいち声のうるさい奴である。
 吾妻荘介は高校時代の同級生だ。スポーツバカで柔道部主将だった吾妻が交番勤務から叩きあげの刑事になったかと思えば、図書室でミステリばかり読んでいた総代の平塚が旅好きのフリーターになるとは、世の中わからないものである。
 だが、さすがは魔都市・ネオ東京。
 起こる事件は吾妻にとって複雑怪奇。捜査が煮詰まると相談電話を寄越してくるのだ。
 それも、平塚がこうして北海道でダイビングしたり、雪山を登山していたり、高原で乗馬中だったりそうめんのばし体験中だったり離島でサイクリングしている最中に……!
「吾妻くん、」
『あ?』
「俺が楽しんでる時に限って電話してくるよね。俺いいかげん怒ってんだけど、わかる?」
『……いや、つーかオレが電話する時に限ってお前、色んなトコに居んのな。今度はどこよ?』
「北海道」
『カニかッ!!』
 現金な奴である。
 直後、大声でポイントに着いたぞと急かす船長の声。身振りで待機の合図を送った平塚は、携帯電話を持ち直した。エンジンを切られた船は、海のうねりに合わせて激しく上下する。
 平塚は「で?」と続けた。
「どんな煮詰まり方なの。今日は」
『――あぁ、実はこのヤマがさ、わけわっかーんねーんだ……』
 アパートの一室で、若い女性が自殺に見せかけ殺された。
 部屋は密室。
 物理的な争いの跡は無く、パッと見て自殺に思われるが自殺では在り得ない事を鑑識が突き止めた。
 怪しい周辺人物は、以下5人。
 ・第一発見者の彼氏
 ・金銭トラブルがあった女性の女友達
 ・騒音で苦情を申し立てていたアパートの隣人男性
 ・女性に関係を迫っていた塾の男講師
 ・保険金の受取人で借金まみれの母親
 吾妻の説明が終わると、平塚はいくつか質問し、しばらく快晴の空を眺めた。
「……塾の講師だな、」
『あ?!』
「犯人」
『マジかよ!! オレも怪しいと思ってたんだよなーアイツ。でもな、アリバイが完璧なんだよ。塾の生徒の証言も、複数取れてる』
「あー、そこ崩せるから。塾にかかってる時計は、全部アナログ時計なんだろ? だからこうすれば……、そんで、塾の生徒にはこう聞いてみ? 「あなたはいつも塾からまっすぐ家に帰りますか」「まっすぐ帰るならあなたのSuicaの使用履歴を見させてください」ってな。うまくいけば、事件当日だけ駅の入場時間が――10分くらい早いハズだから」
『おお! サンキュー、クリオネ!! お礼の土産はカニでいいぞ!』
「吾妻くん、それ、立場違う」
 2回目のダイブでクリオネの大群を見た平塚は、宿の天然温泉を堪能し、ウニとホッケの海産物づくしにも満足し、翌日東京へと戻った。
 東京にある自宅マンションへ着くと、平塚は一旦荷物を自室に置き、玄関まで引き返した。エントランスホールにある郵便ボックスの中でもひときわ目立つ、雑然と紙が詰まりまくっているのが平塚のものだ。ダイヤルを合わせ、勢いよくガパッと開ける。
 ――バサバサバサッ!
 依頼書が、音をたてて床に散らばった。葉書もあれば封筒もある。チラシの裏に書かれたものや、様式をコピーしたものもある。
 しゃがみこんでガサゴソ。
 クール宅急便の黄色い不在連絡票を見つけ、品目を確認する。
 発送先は北海道。
 品目は、タラバガニ詰め合わせパック。
「………」
 部屋に入り依頼書を整理してスケジュールを組み立てたあと、平塚は、俺もなんだかなと思いつつも吾妻に電話した。
「……あ、吾妻くん? 今度時間ある?」
『あるぞ!!』

■ 2 ■

 ところで。
 平塚に九里尾根という名前をつけたのは、敬虔なクリスチャンである彼の曽祖父であった。
 候補は三つ。
 ・世羽音(ヨハネ)
 ・九里尾根(クリオネ)
 ・慈降里得(ジブリエル)
 だったらしい。
 せめてヨハネが良かった……と小学生時代は思っていたが、今では「一度聞いたら忘れられない衝撃的な名前」という意味で大いに助かっている。
 仕事の依頼人は、近所のおばちゃんから以前バイトしていた運送屋まで幅広い。また、何か手伝える事あったらココに送ってと渡した依頼書の原本が独り歩きし、今ではまったく知らない所からも依頼が来る。
 旅行中の留守番、イベントの裏方、臨時のレジ係、公園の花壇整備、引っ越しの手伝い、などなど。
 毎日の変化には事欠かない。
 もちろん、白い粉や黒光りする劇物を運ぶなどという物騒な仕事には手を出さない。依頼書をシュレッダーにかければ、それ以上の事は起こり得ない。この辺も、吾妻の存在が助かっている。友人が警察官という安心材料に少しだけ感謝してもいい――。
 住所を聞き出し吾妻にカニを送ってから数週間後。
 土曜から骨董市のスタッフとして働いていた平塚の携帯に、着信があった。
 出てみると吾妻で、珍しくちゃんとした休みになりそうだから、食事に行かないかという誘いであった。カニの礼もしたいしな、と上機嫌で大声。
 指定された待合い場所は、シャンサイン70の69Fにある天空レストラン『マライカ』であった。
「おーぅい、こっちこっち! 久しぶりだな!!」
「ごめん吾妻くん、声でかい」
 言うほど久しぶりだったかと記憶をたどると、こうして直に会うのは1年半ぶりだという事実に平塚は驚いた。
 いつも電話で声を聞いているためだ。
 時間感覚は薄い。
 レストランは、日曜日だというのに存外空いていた。最近できたばかりの商業施設に人を取られているのだと吾妻はグラスを傾けた。中身はオレンジジュースである。いつなんどき緊急連絡が入るか分からない吾妻は酒類を一切嗜まない。
「クリオネ。俺に遠慮しねーで飲めよ」
「いや。ウーロン茶でいい。ここで……」
 ――ここで事件が起きたら、お前のかわりに考えなきゃいけないからな。
 平塚は言いかけてやめた。
 まさか。何度も事件が起きるわけはない。
 とはいえ、平塚の経験上、用心にこしたことはなかった。こういった、普段の生活とはかけ離れた特異な場所にいて楽しみはじめると、必ずと言っていいほど吾妻専用の着信音が鳴り響く。その、自分にとっての疫病神が、いまや音声だけではなく生身の人間として目の前にいるのだ。
 平塚はちらちらと辺りを見回した。
 平塚と吾妻の席は、所謂「つきあたり」と呼ばれるトイレ前の席である。先ほどから何度もテーブルの横を人が通るなと思ったら、平塚の席のすぐ後ろがトイレへの入り口通路であることに気づいたのだ。
 お高めのレストランにおいてはじめての客……所謂「一見さん」は、大抵ここに座らされる。逆にいうと十分に店内を見渡せる位置である。
 店内はおおよそ真四角。
 中央には巨大な生け花と、それを取り囲む円形テーブルがある。円形テーブルには女性三人組が座っている。斜めに視線をずらすと、入り口付近のテーブル席に男女のペアが一組。平塚たちより数席離れた窓際の席には若い男性が一人。と、平塚の背後から老齢の女性がスッと通り過ぎて若い男の合席に着いた。
 レストラン内の人数と立ち位置を一通り頭に入れてから、
「そういえば、この前の電話の件だけどー…」
 と平塚は話を振った。
 吾妻は右手をヒラヒラさせ、
「それより食うモンは決まったか? Aコース2つにするか?」
 話題を逸らした。
「悪い、野暮だったか」
「いや? 万事オッケー円満解決で助かった。ただ最近はなぁ……、障子に目あり、壁にもメアリー、ってヤツでな。外ではオフレコなんだよ」
「壁には「耳あり」だろ。……俺はBコースで」
「いやいや、カメラだよ。監視カ・メ・ラ。エレベーターにもメアリー、街灯にもメアリー、塾の教室にもメアリー、ってな」
 吾妻の言葉で、平塚は逮捕の決定打を知った。
「なんだ、映ってたのか。時計に細工するとこ」
「あぁ。オレはやっぱりAコースだな」
 天空レストランと銘打つだけあって、窓から見下ろす東京の夜景は美しくコース料理も値段相応。ひとしきり食べ終わり、ふたりは満足して椅子にもたれた。
 あとは平塚のデザートと吾妻のコーヒーを待つのみである。
 と。
 平塚の耳に粗雑な声がきこえた。
 店のレジを見やると、なにやら店員と客がモメている。客は、入口付近に座っていた男女のペアだったなと平塚は思った。
「……ん? どうした?」
 吾妻も巨体をひねってレジを見やる。
 女性のほうは「もうやめようよぉ……」と男のジャケットの裾を引っ張っている。男性の方は「どうなんだよ、弁償してくれるのかよ!」と店員に詰め寄っている。店員は「そうはいわれましても……」と言葉を濁し、バックルームから出てきた壮齢の男が「お客様、落ち着いていただいて……」と男性をなだめはじめた。
 不快感に眉をひそめる吾妻が、腰を浮かせる。
 すかさずクリオネは
「吾妻くん、」
 静止の声をかけた。
「やめときなよ。俺、手伝わないからね」
「だがなァ……、見過ごすわけにも――」
 その時。
 ――ガチャン! ガタン、ガシャーン!!
 立て続けに大きな音が店内に響き渡った。

■ 3 Coming Soon... ■