■ 飲食禁止飲食店街 ■

■ 1 少女と飲食禁止の店 ■

『ココは飲食禁止です』
 そう看板に書いてあって、僕と藤崎と鶴田は入り口上部のアーチを見上げた。半天町飲食店街という赤文字がデカデカと書かれている。もちろん、飲食店街といえば食事をする場所に他ならない……ハズ。
「どうなってんだ?」
 鶴田が顔をしかめる。
「バッカじゃねぇの?」
 藤崎が鼻で笑う。
「でも……」
 僕は、飲食店が立ち並ぶ通りを見渡した。
 どこにも『営業中』という立て札がない。それに、明かりだって灯っていない。道には人ひとり居ないし、どこの戸にも南京錠が掛けられている。
「気味悪いよ。早く違うトコ行こう?」
「そうだな」
「そうするか」
 僕たちは素直に回れ右をして、引き返す事にした。
 そもそも何故ここに居るかというと、三人でどこか遠くへ行こうと計画し、道に迷った結果だ。引き返すといっても、来た道を戻るだけだ。
 アーチの真横に佇んでいる巨大パンダの人形を通り過ぎ、車へー…。
「――いらっしゃい」
「え?!」
「あ??」
「はぁ?!!」
 紺のワゴン車の前には、小さな女の子。小学生? 親はどこに? 気配がなかったのは、僕の気のせい??
 うっすらと積もった雪の上には、女の子の長靴と僕たちのスニーカーの足あとがあった。
「お客さん見るの、久しぶりなの〜!」
 可愛らしい声で、女の子は僕の袖を引っぱった。飲食店街の一番奥、半天酒家という名の中国料理屋までくると、女の子は南京錠を外した。
「どうぞぅ!」
 その少女が言うには、今日は定休日なのだそうだが、この辺には他に飲食店などないし、特別に店をあけるとのことだった。
 ケラケラと高い声で笑う女の子。しかしその背景には、埃をかぶった赤い回転テーブルが佇んでいる。僕は純粋に「怖い」と、思った。
 しかし、鶴田や藤崎はそうでもなさそうで、楽しそうにウィンドウの中をのぞき込んだり、テーブルの上に置かれていたメニューを見たりしている。
「……豚の角煮…八宝菜…チンジャオロース…麻婆豆腐……」
 藤崎の呟きが聞こえ、僕は肩をすくめた。やれやれ、なんで二人とも怖くないのかな。早くここから逃げ出したいのに……。腰をかけた椅子は、僕を縛り付けるかのようにギッと鳴いた。
 女の子は、奥で何かをやっているらしい。しきりに物音が聞こえてくる……まさか、料理?
 いや、違うだろう。何てったって『飲食禁止』なんだから……。
「ハイ! どうぞ」
 コト。コト。コト。水の入ったコップが三つ……マジで、料理?
 僕はお礼を言い、水を一口、飲みこんだ。なんだか変な味がする。
 この雰囲気も、どうにも馴染めそうにない。数分後に、女の子は料理を運んできた。美味しそうな湯気と、いい匂いが漂う。
 女の子は笑顔で
「どうぞ、食べて」
 と言ったけれど、僕はそんな気分にはなれず、藤崎と鶴田の食べっぷりを見ていた。二人ともお腹が空いていたのか、すごい勢いで料理を口に運んでいる。そして女の子もどんどん料理を運んでくる。
 ……何か、おかしい。
 僕は変な違和感にとらわれた。この料理。何だ? 美味しそうなのに、それはわかるのに、何がー……変なんだ?
「――食べないの?」
「えっ」
 女の子は、いつの間にか僕の膝に手を置いていて、潤んだ瞳で僕を見ていて。僕はなんとか理由を見つけ出そうと、普段使わない頭をフル回転させた。
「あ……ぼ、僕は、その、お……お腹が空いてないんだ」
「……ふーん?」
 少女は納得いかない様子で、奥へと走っていった。ホッと一息つくと、また僕の目の前に、少女は立っていて。あれ? 足音は?
「これなら、どう?」
「……それ…は」
 何かを抱えていた女の子は、笑顔で僕に
「ハイ! 食べて」
 ソレを
「………」
 渡してー…?!
「お願い、食べて」
 僕はガタっと席を立ち、はずみでソレは音を立てて床の上を転がった。二つの穴が僕をとらえる。歯、陥没した鼻。ヒビの入った頭蓋骨ー…!
「フジ! ツル! 帰る……ぞ…?」
 二人はテーブルの上に伏せたまま、ピクリとも動かない。
 まさか。
「フジ! おい……藤崎!!」
 揺さぶっても、反応が、ない。僕はゾッとして、鶴田の肩を叩いた。
「おい!! 起きろよ! 鶴田!!」
「ムダだよ」
 女の子は床の上のソレを、拾った。笑いながら、近づいてくる。
 カラダの力が抜けてしまい、僕はその場にヘナヘナと座り込んだ。
「食べてよ……ほら…」
 女の子は無理やり僕の口を大きく開ける。大きく。大きく。
 ゴリゴリと僕の歯が、骨を拒否し続ける。朦朧とした意識の奥で、僕はテーブルの上を見た。皿の上に、山積みになっている、骨。骨。骨。
 この子は……何だ? 死神? あぁ……ダメだ…。

     ★

 気がつくと、ベッドの上だった。
 囲むように、僕の両親。鶴田の両親。藤崎の両親。看護婦。そして医者が居た。親たちは泣き、藤崎と鶴田は死んだと聞かされた。
 原因は、食中毒。
 あの女の子は何者だったんだろう。
 彼女の「食べて」という声だけが、僕の頭蓋骨に、ガンガンと響く。

■ 2 骨と飲食可能な悪夢 ■

 質素な葬儀は、僕をオカシクさせたのか?
 鶴田の遺骨が冷たい墓の中に沈んだ日から、いや、違う。病院で目が覚めた日から僕は、毎晩ずっと、同じユメを見る。
 ユメ。
 ユメの中で僕は、あの回転テーブルを前にして座っている。テーブルの上には、大皿に山盛りになった骨がある。
 細い骨。太い骨。平たい骨。少しだけ曲がっている骨。蝶のような形をした骨。丸くて小さな骨。骨。骨。
 僕は、ぼんやりと口をあけ、何かを待っている。
 もう何十分もこのままのような気がする。
 ふっと、逃げようか、と誰かが言う。それは僕の心の声だ。ここから、この埃っぽい、不気味な空間から逃げようと。けれど、手は痺れ、どんなに力を入れても動かない。疲労感が徐々に背中を丸くする。
 疲れて瞳を閉じると……例の女の子が僕の隣に立つ気配がする。足音もなく。
 ツキリ、頭が痛む。
 僕が視線をあげると同時に、少女の腕もゆっくりとあげられ、そうしてテーブルを指差すと彼女は、
「食べて?」
 と、笑った。
 早く逃げればいいものを、僕は、恐る恐る、骨を手に取る。
 まるで正しく決められていた事のように――藤崎や鶴田がそうしていたように――少しだけ口に、含む。
 ――…コリ。
 噛む。何とも言えない感覚に捕われる。
 とろける。
 極上の味、だ。
 グニャリと、世界がゆがむような恍惚感。舌じゃない。脳がそう感じている。カラダの芯がアツくなって、僕はため息をもらす。
 ひとつ、またひとつ、骨を手にとっては口に入れていく。食べるのには苦労しなかった。どの骨も、容易に砕け、口の中でサラサラと粉になっていく。
 いけないことだと解っているのに、やめることができない。段々、食べるペースが早くなっていき、ついに皿の上の骨は、きれいさっぱりなくなってしまった。
 もっと……。
 もっと欲しい。
 渇望する。息が、荒くなる。こんな素晴らしいものを置いて逃げるだなんて……僕はさっきまで何を考えていたんだ。
 欲しい。
 骨が欲しい……!
「そんなにほしいの? ほら、食べて……」
 女の子はアレを持っている。
 あの日、僕の口に入れようとした、窪んだ穴の、頭蓋骨を。
「あ……ぁ……」
 手をのばした瞬間、ガタンと椅子が傾いて、くずれおちた僕はそのまま、少女の前に跪いた。
 汚い下僕にナリサガル。女の子は、高い声で笑う。
 恐怖にすら鈍感になった僕は、口をあけた。ちいさなふたつの手は、ゆっくりと僕の口にソレをあてがうー……。
 ……目眩が襲った。コレを食べて死んだ、僕の二人の親友たちの顔が頭の奥を横切る。そうだ……ダメだ…食べちゃダメなんだ……。
 限界の理性とは裏腹に、僕は大きく口をあけた。
 大きく、大きく。
 骨、が。
「キャハハハハハ!!」
 ダメだ――――――ッ!!!!!!

     ★

「……ユメ…」
 肌寒い季節だというのに、僕の背中は汗で濡れていた。ぐっしょりと。
 今日は藤崎の葬儀だ。近所の葬儀屋の都合で日時がずらされたため、僕はどちらの葬式の列にも並ばなければいけない。生き残ったから。
 鶴田の時のように、僕は、平静に、冷たい視線に耐えることができるのだろうか。
 鶴田の母親はヒドかったな。
「息子を返して!!」
 五十回ぐらい言っていた。今更かえってくるわけでもないのに。
「……ハハ」
 声は虚しく響いた。
 朝日をあびるためにカーテンを開けると、道路に、警察の車が見えた。ウンザリする。病み上がりの人間を丸二日拘束しておいて、そのうえまだ何かあるのだろうか。
 あの日、僕たちが発見されたのは山の中腹にある山小屋だった。僕らはその中に倒れていて、乗ってきたワゴン車は、丁度川に降りることができる道の、ギリギリのあたりに置かれていたという。
 凍死ならまだしも、原因が食中毒ということだったので、警察は検死という名目で僕の友人たちの腹を裂いた。出てきた毒が一体何だったのかは、知らされていない。
 ただ、僕の言う飲食店街は、発見されなかった。
 それだけはわかった。
 僕も、正直に話したところで、信じてもらえるとは思わなかったし、一人だけ生き残った時点でまず怪しい。僕も警察なら、怪しいと思う。
 今、僕は二人を殺した容疑者として、良い言い方をすれば重要参考人として、警察から事情を聞かれている。
 おとといの昼まで、噂に聞くカツ丼……ではなく、好きな出前を少しだけもらい、刑事たちの普段の愚痴を聞いたり、僕のいつもの生活の様子などを事細かく話したりしていた。
 そして昨日は鶴田の葬式。さらにはあのユメ。
 いっそのこと叫んで狂いたくなる衝動を深呼吸でおさえ、僕は真新しい礼服に着替えて警察の訪問を待った。もしまた署までの同行と言われたときのためだ。いくらなんでも、親友の葬式ぐらいは出てやりたい。
 ――チャイムが鳴る。やっぱりか。
 ドアを開けると目の前には、青白い顔をした男が立っていた。心なしか、鶴田に少し似ている気がする。男は口だけ笑って言った。
「幸之助くんだね?」
「……違いますが」
「ワタシは黒石という者だが、この間の現場に同行してくれないかな」
 名前の間違いを謝りもせず、黒石は警察手帳を片手で開いた。

■ 3 骨と飲食禁止の幻夢 ■

 車には僕とその黒石という刑事しか乗らなかった。通常であれば一人か二人、新米の刑事か相棒が乗っているものだと思っていたけど、そうではないらしい。ただのドラマの見すぎか。
 彼は花粉も出ない時期にマスクをした。風邪だろうか。
「同じ場所に行って、その時と同じ事をしてみてくれないか」
 黒石はそう言った。けれど、できるはずもない。第一、何回もやってみたのにあの飲食店街は、出てこなかったかじゃないか。
 ボツリと言ったはずの愚痴は聞こえたらしく、彼は、その細身の体を窮屈そうにカクカクと曲げ、
「ワタシはそういう事件専門の刑事なんだ、大丈夫。君ならできる」
 と微笑んだ。マスクで口元は見えないけれど、細められた目でわかる。わけのわからない自信。
 なにが「できる」だ。
 もしできたところでー…もう一度少女に会ったところで、何になる。
 死体がひとつ、増えるだけ。
 僕、という死体が。
 僕は……たぶん、食べるだろう。
 骨を。
 自ら脳をとろけさせ、思考をとめて、口を、おおきくあけるだろう。

     ★

 雪の色が濃くなってきた。
 山道に入る。飲食禁止という看板を通り過ぎた。
 そう、あの時と同じだ。
「ここで、僕は一旦戻ろうかと藤崎に言ったんです。目的地は山じゃないだろ。どうせ行き止まるぞ、道間違えたんじゃないか、って」
 一応説明する。もう何度も言っていることだった。
「けれどそれには、藤崎じゃなくて鶴田が答えて、もしかしたら秘境があるかも知れないじゃないか。ほら、湯けむりなんとかってさぁー、ってはしゃいで……」
 唇を噛む。
 葬儀を思い出してしまった。少し、つらい。それにしても、間に合うのだろうか。藤崎を見送ることは、僕にとって大事な苦痛のように思える。
 その時、ガクンと車がゆれた。
 僕らが来たときには藤崎のワゴン車だったけれど、警察が使っているのは普通の乗用車だ。スピードは出せても山道はつらい。
 大丈夫ですかと黒石に声をかける前に、車はガタガタとおかしく揺れ、ついには停まってしまった。
 どうやらタイヤが、雪で固まった穴に入り込んでしまったようだ。
 何度もアクセルを踏み込む黒石に向け、軽蔑のため息をつく。こういう時は人の手で動かしたほうが楽に抜けられるのだ。
 コートの襟を合わせて座席から降りる。
 見事にハマっているタイヤ。どう動かそうか考えていると、ふと、見覚えのある、足跡、が。
 小さな。
 長靴、の。
「いらっしゃい」
 ッキ、と心臓がうなる。
 女の子は笑顔でバンザイをしながら、うーんいい天気だねぇ、と言うと、クルリと向きを変えて走っていってしまった。
「え、ま……あ、待って!」
 一歩、雪の中に踏み出すと、奇妙な空気に吸い込まれるような感覚。
 霞む、視界の向こうにあの飲食店街が見える。
 あぁ。
 やっぱりあったんじゃないかッ!
 とっても幸せな気持ちになる。奇妙な浮遊感。僕は行ける。あそこに行ける。こんなに早くに、そう、逝けるんだ。
 息を切らして半天酒家にたどりつくと、もう鍵は開いていて、僕は、肩を上下させながらせせら笑っていた。
「ハ、」
 狂気。
「ハ、ハ、」
 いや、狂喜っていうのは、こういうことを言うんだ。
 スグ目の前には皿。料理……いや、もう、骨にしか見えない。
「は、は、」
 僕は笑いながら、少女を見た。食べてもいいんだろ。
 食べてもいいんだろ!
 飲食禁止とか、もう、どうでもいい。同じように、鶴田や藤崎と同じようにいつまでも食べ続けたい。そして死ぬんだ。あぁ、食べたい、骨を、食べたい……!。
「アハハ、キャハハハッ」
 僕につられたように女の子はニッコリと笑う。目が合う、口が、開かれる。
「ねェ、食べて?」
 ぐにゃぐにゃと世界がゆれる、眩暈。脳が、ダメだ、とろける。夢の味がよみがえる。
 僕は、皿に手をのばしてー……。
「――幸之助ッ!!」
 その時、細身の刑事は僕の腕を掴んだ。瞬間、鈍い音とともに天と地が逆転する。
 目を見開くと、丸太の天井。
 ここはー……?

     ★

「幻覚作用のある草花の自生地だったのですよ」
 マスクをしたまま黒石は言った。
 僕はまた病院で、今度は食中毒ではなく、黒石が土壇場で無理やり捻り倒した、僕の右腕のヒビの治療に専念している。
 友人たちの腹から検出されたのは、大量の草花と、川に流れ着き折れた、小さな流木たちだった。
 対策用にマスクをしていた黒石には、僕は、見えない何かと話をしているように見えたという。そして、小屋の中にあった草を、むしり採って口に入れようとしていた、と。
 じゃああの子は何だ。笑い声は。靴跡は。僕の見た、ただの幻想だったのだろうか。
 ……違うように思える。
 ズキズキと痛む頭の奥で、あの笑い声がなりやまない。病室の窓からは、遠くあの山が見える。
 もし。誰かが今度、あの山で死体を見つけたのだとしたら、それは。
 きっと、僕なのかも知れない。