■ 修羅場風情 ■
■ 1 彼女の修羅場 ■
飛んでったA定食のかわりのように、わたしの目の前にイケメンが滑り込んできた。
広がるざわめき。昼下がりの学食。白いテーブルに横たわるローマの彫刻みたいな長身。目が合う。数秒、細められ、睫毛に夏の光が反射し、ちいさな、まるい虹をつくった。
「――ホンットーに最低!」
激情の声にハッと見渡すと、テーブルの前に座っているのはわたしだけ。テーブルの上にはイケメンだけ。テーブルの向こう側には、顔を、真っ赤にした女性。ざっくり数メートル離れてからの、アラウンド・ザ・人だかり。
……あれ? わたし、もしかしなくても逃げ遅れた?
「初めてだったのに! あんなの……っ、私の「初めて」かえして!!」
衝撃的な告白にどよめく、灰色ジャージの駅伝部員たち。の、中に、さっちを見つける。
ねぇ、ねぇ、ちょっと何でそっちにいるの? 一緒にゴハン、食べてたよね? えっ? 逃げ足、はやくない?
わたしの気持ちが通じたのか、親友は両手でメガホンをつくり、なにやら口をパクパクさせた。
ふぇ、は、い、を、ふぇ、せ、……どういうこと?
とりあえず、持ったままだった箸をテーブルに置く。机の上のイケメンは諦めたように目を閉じていて、なんだか本当、彫刻のよう。
ふっさふさの金の髪。細やかな生え際から、なだらかに光る額をくだり、高く、まっすぐのびた鼻のてっぺんに登頂する。長い睫毛は亜麻色だ。頬にペタリと貼りつく髪は、すこし汗ばんでいる。唇は、瑞々しいというよりは硬そう。あぁ、そうか。唇なんだ。閉じられスッキリと弧を描く唇が、このひとを彫刻然とさせているんだ。
と。ガタン! と向こうのイスが倒れた。
顔をあげるとすぐそこに、怒りのオーラをまとった女性が、えっ?
なにこれ? えっ、わたし??
彼女は口をゆがめ「アダム、」と低い声をしぼりだした。
「アダム、驚かないから正直に言ってよ」
――あっ!
そうか、これ、傍から見たら三角関係だッ?! イケメンのアダムさんを、わたしと女性が取り合ってる感じに見えてるの? やだやだ違うよ、誤解だってば! もう気配を消すしかー…って、あ!
わたし、頭悪すぎ!
さっちの「ふぇはいをふぇせ」って「気配を消せ」か!
かたく貼り付けた薄笑いのまま、わたしは腰を浮かせた。そろそろとイスを引いて静かにしゃがみこむ。女性は何も言ってこない。野次馬たちの三角関係誤解も(もし誤解してたら)とけたハズ。
助かった……と思いきや、床には過去系A定食。味噌汁の湖にブロッコリーフォレスト。和風ハンバーグの小さなコテージの前で、浅漬けたちがのん気に観光してる。うええ、においが酷過ぎる。
ギギ、と首をかたむけさっちを見ると、彼女は「よくぞやり遂げた隆美三等兵!」と言わんばかりにビッと親指を立てた。うん、教えてくれてありがとう親友! わたし、本当、さっきの瞬間SHI・NO・BIだった。気配、消せてた絶対に。ここはもう、このままやり過ごして
「ホモなんでしょう?!」
――ガンッ!
頭、ぶつけた。テーブルの角、痛いのなんの。ってかホモって! ホモじゃもうダメだよっ! ココでいくら修羅場っても、関係修復無理だよそれは!
「男に釣られて……っ! どっか行っちゃえばいいのよ!」
ええーっ?!? このイケメンは見かけによらずホイホイついて行っちゃうタイプなんだ?! てか「どっか行っちゃえば」って、あなたもうヤケっぱちでホモ行為承認してるじゃない!? ちょっと落ち着こうよ!
女性を応援するかわりに、地味に、そうっと頭だけテーブルから出してみた。目の前にはイケメンの頭。さらさら広がる髪から甘い匂いが漂ってきて、わたしの鼻を、すんとさせた。
「アダム!」
ほとんど真上といっていい立ち位置から女性は、
「好き―…じゃなかったの? 縁がないっていうの? 騙してたの?! ……ねえったら!!」
ぽろぽろこぼれる涙にも、イケメンは答えない。最初にすべり込んできた体勢のまま、微動だにしな……、ん? 寝てる? いや、まさか。
そんな彼にしびれを切らしたのか、女性はバン! とテーブルを叩き
「モーナさん辺りに言いつけてやるんだから!」
印籠を叩きつけるように吐き捨てた。ぐるりと踵を返し、学食をあとにする彼女。カツカツ歩く、通路の先だけザザザと割れる人だかり。
モーナというより……うーん、モーセっぽいかも。
わたしはようやくテーブルの陰から這い出て、これからあの人の告げ口と愚痴と涙の対応に追われるはずのモーナさん(たぶんどこかの学年の、何かの学部のどっかの学科に居る牛っぽい女のひと。モー〜な感じのモーナさん)に心の中で合掌した。
――ちーっすモーナさん。修羅場消火お疲れさまでーっす。
さっちが隣にやってきた。「災難だったね」と肩を叩いてくれた親友に3限目の席取りをお願いして、わたしは飛散しているA定食の小皿を探しはじめた。もちろん、さっちのぶんも忘れない。彼女が食べてた親子丼のどんぶりはスグに見つかった。中身は米粒ひとつない。あ、食べきってたんだ。早い。
講義前で閑散としている学食内。探しやすいことこの上ないけど、誰も手伝ってはくれない。順調に回収して残すところ床のA定食・観光スポットだけになった。再度見下ろす、この、味噌汁湖の完璧な形状。
なんだか拭きとるの惜しいかも、と思った次には、視界の横からぬっと雑巾が伸びて、さあっとすべてを拭きとった。
誰だろう? 視線を上げる――、それだけで。言おう。恋に落ちた。
アダム。
わたしはイヴではないというのに、うすい、影が、亜麻色からのびて優しくわたしの頬に、触った。微笑む目じりにまた、ささやかな虹がうまれて「大丈夫?」とかしげた首からすんと、香る。甘さがとける。どこまでも反響していく声。耳が、痺れて戻れない。どうしよう。戻り方、忘れちゃったみたい。
三日後には既に、わたしとアダムは付き合っていた……付き合っていた? ううん、違うかもしれない。何かが。何かが違う……。
思いきり外国人という顔立ちの口から淀みなく流れ出る日本語。美術館に寄贈していいレベルの美しすぎる容姿。
ちがう。
その程度の違和感だったらまだ良かったけれど、もっと、なにか、根本的なところ――わたしの本能とでも呼ぶべき場所――が、彼と歩くたびに警鐘を鳴らし続ける。この人は違う、絶対に違う、と。