■ 人形少年 ■

■ 1 少年と娼婦 ■

 僕は人形で、金で時間を買われる。
 お客様は、触らないまま人形を愛でる。
 人形娼館、通常人形屋と呼ばれる店には、人間の娼婦と混じって人形もいくつか働いている。比率は人間の方が多いけれど、人形も働いている所なんてここしかないから、その呼び名が定着した。
 僕は、その数少ない人形のひとつで、毎日、性欲を持ちながらも生身の普通の人間を嫌っている異常な人々の相手をしている。ともあれ、そういった人々は娼婦を買う男よりも極めて礼儀正しく、目の前で何かを出した後、また来るよと言って部屋から出ていく。たまに女性のお客様も来る。軽くお茶して、愚痴をきいてあげる。
 少年を愛する人たち。
 僕はいつまでも少年のままの人形だった。
 時々、医家の先生がやってきて身長をはかる。無駄もいいところなので今度おかみさんに言ってやめさせようと思う。
 人形屋の中で働く女たちは、なぜだか僕を嫌っていてまともに話すことはない。
 なぜ?
 それは愚問だった。
 なぜかを知っていてそれを言葉に変換できないだけだった。
 他の人形の中でも、少女の人形や青年の人形はうまく立ち回っている。
 一線を引かれている気分だ。
 疎外感。
 それを改善しようとはしない僕。
 おかみさんから
「不器用すぎる、愚直すぎる、バカ、アホ、いっぺん死ね」
 とのお言葉を、もう何回もいただいているのもそれのせいだった。

     ★

 夕方。
 営業開始から数時間後。
 その日は人手が足りず――足りないのはいつものことだったけれども――珍しく予約がなく勝手に休日と決め込んで自室でくつろいでいる所を、おかみさんに見つかり早々。
 今日は裏方で働けとのご命令とあいなった。
 人形の中で一番指名をもらっているのは僕で、普段こういうことはしないので色々と手間取った。いつも、指名が少ない他の人形たちや新人娼婦がやってくれていたのだ。
 裏方用の衣装など、持ち合わせてはいない。
 青年の人形に頼み込んで、ちょっとブカブカのワイシャツを借り、手首のあたりまで袖をまくる。同じく老人の人形にも頼みこんで、彼のギンガムチェックの七分丈を借りた。七分だというのに、普通に踝にかかって笑いたくなった。
 今夜手伝う、指名ナンバーワンの、美しい人形屋のトップは、嫌悪を理性でおさえる数少ない一人だった。
 だからこそ僕が用意した着物をそのまま着てくれるし、うわべの会話だけでも話しかけてくれる。他の娼婦よりは好意を持って接することができた。
 仕草も優雅で勉強になる。
 たとえ、裏で何を言っていようとも。
 予約よりもかなり早い時間にお客様が来た。
 少し小太りのオジサンだ。仕方がないので、空いている別室で待たせることにする。
 中華風の朱と茶が混じる空間に植物を茂らせた「龍の部屋」が丁度空いていた。ここは僕の気に入りの部屋のひとつで、わりと高い場所でもあるが、他の部屋が埋まっているので気にしない。
 この部屋より更に奥にある最上の部屋で、彼女はまだ前のお客様の相手をしている。もう少しで終わるはずだけれど、なにせ、こちらのお客様が早すぎたのだ。
 一杯千円のアイスティーを提供する。もちろんこの人の代金につけておくのも忘れない。
 唐突に「君、いくつ?」と聞かれた。
「君も買えるのかい?」
「……えぇ」
 しばしの沈黙。言葉が少し足りないかも知れない。
「あの、買えなくはありませんが、ボクに一切手を触れないのが条件となっております。それに、」
 僕は自分の考えうる最高の笑みをうかべた。
「ボクは人形です。この姿で何十年経ったか、もう覚えていません」
 それから、もう何も喋らなかった。
 僕は部屋の隅に立ったまま手帳に何かを書き留めているフリをし、氷が解ける音が部屋の中を満たした。けれど居心地は悪くない。
 それは僕が人形だからだ。人間同士だとこうはいかない。
 チリン、チリン、廊下に立っていた裏方が、鈴を鳴らした。
 二回か。
 どうやら前のお客様は終わって、次の準備もOKらしい。
 裏方が廊下から消えるのを待って硝子戸を開け、右の一番奥へどうぞと促しても、オジサンは立つ様子がない。不審に思いもう一度
「どうぞ」
 と言う。
 彼は名残惜しそうな視線を僕にからませ、フラフラと部屋を出ていった。
 あ。
 正直、まずいと思った。
 僕はどうしてこうも愚鈍なのだろう。
 もし次回あの男が店に来たとき、いや、もっと早く、今この瞬間に彼女の指名を奪ってしまうかも知れないと思うと、胃が痛くなる気分だった。
 娼婦たちが許せないのは、人間よりも更に身分の低い、人間になりそこねた人形が、自分たちよりも指名を多く持っているという事実なのだ。
 人形と娼婦、その指名される意味合いは肉体的にまったく違う。
 けれど、結局のところ数だけで言えば、一位は不動のトップの彼女、そして、二位が僕だから。
 それが許せないのだ。
 彼女はどう思うだろう。ますます僕を嫌うだろうか、それとも気にしないだろうか、笑って許してくれるのだろうか……。
 色々考えると眠くなってきた。
 今夜の僕は彼女に付きっきりだ。今の男が終わるまで、時間に余裕がある。少し、寝ていよう。

■ 2 少年とおかみ ■

 ガン、とテーブルに何かがぶつかる音で目が覚めた。
 見るとあのオジサンが膝を痛がっていて、出口はここじゃあないのに、ここに居るという違和感に胸がうなった。
 目が合う。ニヤリと笑われた。
 深呼吸。
 落ち着け。
 何でもないような顔をして立ち上がり、
「お客様、出口はここではありません。あちらの廊下から左にー…」
「君、本当に人形なの?」
「………、は、」
 じり、間をつめられる。
「そんな綺麗な顔して、男なの? オジサン、確かめたくなっちゃってさぁ」
 マズい。これは非常にマズい事態だ。
 付近の裏方は彼女の部屋を掃除しているだろうし、おかみは受付で新人指導中、人形たちは今日に限って予約で手いっぱいだし、他の娼婦たちはむしろ、助けるより僕の不幸を喜ぶだろう。高みの見物と決め込むに違いない。易々と想像できる自分がいやだ。
 逃げよう。
 反動をつけて一気に回転。隣の部屋へ走ー…!
 ぬっと男の手がのびる。後ろから抱き締められた。
「やめてください……誰か!」
 身をよじろうとしたけれど、皮膚同士が接触しそうで怖い。少年時代で成長がとまった細胞は、異常に敏感な触覚を生んだ。きっと、肌に触れられただけで気絶してしまうだろう。
 男の手が胸と下に当てられ、まさぐられる。
 服の上からでも過敏に反応しすぎて痛い。首に息がかけられる。痛い。まるで大根おろしで首をなでられているようだ。
「お、やっぱり『ボク』なんだぁ、残念」
「や……痛ぅ…」
 早く放せと言おうと思ったけれど、痛さで頭がパンクしそうだ。声が出せない。けれど、さっき叫んだおかげか、遠くからバタバタと足音がきこえてきた。
 これで放してもらえるとホッとした瞬間。
 首筋に男の唇があてられた。
 縦に。
 電気が走る。
「――ああッ!!」
 パンッ!
 ほとんど同時に硝子戸が開けられた。
 けれど見ることができない。
 痛い。
 グラリと歪む。
 視界がかすむ。
 カラダの力が抜ける。
 立っていられない。
 くずれ落ちる。
 誰かに抱きとめられた。彼女の香水の匂い。
 意識が暗闇に沈む前、耳元でささやかれた。
 けれど。
「……ごめ…なさ……のせいで…」
 もう意味すら分からない。

     ★

 次に気がついたとき、僕は広く浅い浴槽に服のまま浸かっていた。
 体温より少し低めの水が、まだ胸や首をひりひりさせている。頭にのせられたタオルはぐっしょり濡れていて、水が涙のように僕の顔を伝った。
 誰かが運んでくれたのだろう。
 僕の部屋の僕の浴室だ。
 曇りガラスの向こうに、揚羽蝶のようなおかみの帯飾りが見え、同時に耳も回復した。
 なにか話している。
「アンタのせいじゃねえよ。アイツがバカだから、誰かれ構わず愛想ふりまいたんだろ」
「でも! 明日も予約が入ってるのに、アタシのせいでー…」
「大丈夫だ。死にはしねえよ。何年か前にもあったんだ。予約も、お前と違って体力勝負じゃねえしな」
 いいから行きな、次の客待たせてんだろ、と怒鳴り、向こうの扉が閉まる音。それから浴室のドアもガチンと開いたので、僕は今目が覚めましたといった風情で、ゆっくりおかみを見上げた。
「すみませんでした」
 言ったところでいつも通りバカ、アホ、いっぺん死ねが返ってくるかと思いきや、予想に反して無言で、僕の頭のタオルを取り、絞って、ポンポンと叩くように顔をふいてくれた。
「……人形が」
 吐きだすように。やさしく蔑む。
「ハイ。ボクは人形です」
「恋なんてするんじゃねえぞ」
「まさか、」
 僕を何歳だと思ってるんですか、あなたと同い年ですよ。と幼馴染の人形屋のおかみに言うと、彼女は、二人きりの時にしか見せない素の顔で、やってらんねえとボヤいた。
「奇遇ですね、ボクもです。まさかあんな位で気絶するなんて思いませんでした。思ってたけど」
「そっちじゃねえよ。お前、あの子が駆け落ちしようとか言いだしても、耳貸すんじゃねえぞ」
「妬きもちですか、ハハハ」
 と。
 おかみの頬にさっと赤みがさした。
 あぁ、昔から好きだった顔だ。
 一緒に遊んでいた幼いころも、人形になって親に忌み捨てられる前も、偶然人形屋で再会した時もトップに上りつめた時もおかみに転向したときにもみせてくれた顔。
 僕、本当のこと言うと、娼婦たちに嫌われても、あなたが老いていくのをそばで見ているだけで幸せなんですよね、と言うと、彼女はシワが目立つ額をゆがめて
「不器用すぎる。アホか、マゾが。いっぺん死ね」
 タオルを壁に投げつけた。