■ なぜあんなにも炊き込むのか? ■

■ 1 村田の苦悩 ■

(※下書き)
【クイイナ地区及びその周辺地域の日常における主食分類について】
 東南東大学 超域文化学科 人類文化学専攻 4年 村田大紀
T 序章
・目的
 東南東大学卒業論文として、ここに研究の全工程を記載する。
 マァナより北30km、マァナ・クイイナ地区を中心に、ダオレ・タラゥク・ムゥダメ地区周辺を調査した。
 クイイナ地区の食生活、主食について、その特殊な歴史的背景を掘り下げ研究することを目的とし
「あーッ!!」
 乱暴にペンを置き、書きかけのレポート用紙をクシャクシャに丸めた。
「ダメかも。俺、もうダメかも……」
 机につっぷして数秒。その体勢のまま顔だけ左へ向けてレポート用紙を放り投げたものの、竹を編み込んで作られたゴミ箱には入らず、むなしく絨毯に落ちた。
 ゴミ箱とはいっても、鮮やかな色彩と幾何学模様が描かれた民族的なものだ。
 この部屋は木を軸とし、竹を床に敷いている。その上から幾重にも絨毯を敷き、部屋の窓からは原色と見まごうような森が、圧倒的な薫りをもって鎮座している。
 村田は今。
 クイイナ地区のスァゲ家にお世話になっている。
 ひかえめなノックとともに、ドゥンさんが顔を出した。長い前髪はキッチリ中央で分けられ、後ろにゆるく結ばれている。
 日本人よりも頬の肉付きがいい。笑うと、クシャリと音がしそうだ。白のシャツは作業着で、袖から浅黒い肌がスルリとのび、手は胸の前で合わせられている。
「ムラータ、昼食ができましたよ」
「――ありがとう! すぐに行きます」
 さきほどまでの苦悩はどこへやら。
 村田は爽やかに笑顔をふりまいた。
 しかし、心の中では頭をかかえ、今にも崩れ落ちそうな自分がいる……。
 メモ用紙とデジカメを片手に居間へと足を運ぶ。
 村田の部屋よりは落ち着いた色の絨毯、少し仕切られた奥には台所が見え、居間の中央には、レースで飾られた低いテーブルがある。壁という壁の前に乱雑と置かれた道具たち。日本に比べると収納が少ないためずぶんと物が多い居間ではあるが、絨毯のせいだろうか。うざったさは不思議とない。
 並べられた料理の隣に座っている男が、家主であるスァゲさんだ。
 村田は両手を合わせ会釈した。
 スァゲさんも満足げに頷く。
 この夫婦は結婚してもう十年近く経っていたが、なかなか子供に恵まれなかった。
 そんなところへ村田がやってくる。背が低く童顔な村田は、すぐ二人に気に入られた。暑季の間、自由に使っていいと部屋まで用意してくれたのである。
 写真を撮った後、メモに日付と、今日のメニューを記していく。
 クイイナ地区は山の中腹に位置するため、海産物はほとんどない。木の実や山菜、野菜を使ったサラダ、鶏肉と油をふんだんに使ったカレー。野菜を発酵させたものが入っている小皿など……。
 一般的な家庭メニューだ。
 スァゲ家に世話になりはじめた当初は、奮発したであろう海産物のスープなども出てきたが、家庭の味を調べているんですと、研究の趣旨を根気よく説明したため、現在では海の幸はあまり出されていない。
 端に置いてあるサラダから順にメモを取る。
 分からない材料や料理が出てくるたびに、ドゥンさんに尋ねていく。冷めないうちに食べたほうが良いのだが、スァゲさんはニコニコと、そんな二人を眺めている。
 そうして最後に村田は「限界だ!」と叫びたくなる衝動をおさえ、中央の鍋に入った米を見た。
 ――やっぱり。
 今日も、炊き込みご飯だ。
 調査を初めて数週間、村田はそろそろ、自分がとんでもない研究をしている事に気づきはじめていた。
 あぁ。
 まっさらでアツアツの白飯に納豆、卵かけゴハン、海苔をちらした茶漬け、牛丼、天丼、ふりかけ、ちゃんと米が白いカレーライス……が、食べたい……。
 味のついた米で味の濃いおかずを食べるなんて、もうたくさんだ!
「いただきます」
 夫婦は村田の様子を眺めている。悟られないよう、レンゲで流し込むように、しかし、なるべく美味そうな顔で食べ切った。
 自分の部屋に戻った村田は、ベッドの上に倒れ込んだ。
 しばらくしてからスァゲさんが顔を出す。慣れない食事は大変か、研究はどの程度まで進んでいるのか、どこか行きたいところがあれば連れて行ってやろう、と語りかけたあと、しばらく村田の目をじっと見つめた。
 親の慈愛に満ちた目だった。
 村田は、そんな目で親に見られたことなど、一度もない。
「俺……もうダメかも知れないっす…」
 気づけば日本語で話していた。
 一人息子の進路に反対したのは母親で、そんな遠くの大学へ、しかも、名前からしてわけのわからない学科にやるものか、と息まいた。
 父親は、そんな母親をなだめもせず、ちらりと自分の息子を見てはそらし、外泊を続けた。部下との浮気である。村田は知っている。
 反対をおしきって大学へ入った。
 そして彼女と出会う。
 明るく、聡明な子だった。専攻は違ったが、よく二人で食事をし、討論したものだった。楽しかった。おそらくあれが村田の絶頂期だったと、今なら言えるだろう。
 研究のためにクイイナへ旅立つ、その前日に別れた。行きつけの店ガンダーラの、店主特製マトンカレーを食べながら切りだしたのは村田のほうだ。
 だが、なぜ別れたくなったのか、ここに来た今でも村田はわからない。
 自分の心すら分からないのに、どうして他の文化を、その文化背景を、住んでいる人々を理解する事ができよう。
 スァゲさんは、明日、民族学を研究している知り合いに会わせようと約束し、村田の頭を軽くポンポンと叩いた。

■ 2 彼女の文化 ■

 出会いは、かなりの収穫を村田にもたらした。
 研究の趣旨――クイイナ地区の人々は、なぜあんなにも炊き込むのか?――を説明すると、タキャッコ博士は白髭をなでつけながら、まずこう言った。
「笹には、抗菌作用があることで知られています」
 博士は二つの学説について語った。
 ひとつは、抗菌作用をもたらす香りの強い植物と米、という組み合わせには意義があり、そこから米と一緒に炊くという習慣へ繋がったというもの。
 そういえば作り置きをしておくために、カレーにも煮込み料理にも、油が大量に使われている。
 先人から伝えられた、保存の知恵。
 数日おいても腐ることはない。
 つぎに、山菜を効率的にとる手段として発展した、というもの。
 木の実を茹でるのには相応の時間が必要だが、だいたい米と一緒の手間だという。そこから徐々に定着し、米と山菜の炊き込み、という習慣になった。
 なるほど。
 確かにこれだと火の節約にもなる。
 村田は丹念にメモを取り、タキャッコ博士と深い握手を交わした。
 日本から来た少年の研究情熱は、近隣住民を巻き込むまでになった。
 というのも、村田は「日本から調査に来た」というふれこみで、既にクイイナでは有名になっており、特に呼びかけるまでもなく様々なデータが集まった。
 クイイナ地区の隣のダオレ・タラゥク・ムゥダメ地区からも、続々と情報が寄せられた。やはり炊き込みご飯率が高いのはクイイナ地区が断トツで、データ収集時点では100%だ。
 他の地区は95〜70%にとどまった。
 タキャッコ博士の人脈から、高名な学者たちと知り合いになれたことも、村田にとって素晴らしい経験となった。
 マァナ侵略戦争の歴史から洗っていき、クイイナ地区の炊き込みご飯が、それよりも前から存在していた事を、ついにつきとめたのだ。
 8月も終わり、日本へと戻る日が近づいてくる。
 お世話になったスァゲさんとドゥンさんに、村田は白いご飯を御馳走することにした。
 この地域に、実は「ヴェポ」と呼ばれる納豆があることを発見した村田は、白米のおかずとして納豆の他に、日本風チキンカレーと野菜炒めを作ることに決めた。
 料理はあまり得意ではない村田であったが、そこはそこ。
 朝から張りきってカレーを作り始めた。
 そういえば、彼女との別れの日に食べたのもカレーだったな……、とひとりごち、俺は別れの場面でカレー食うのが好きなのか? と少し笑いたくもなった。
 材料がまったく違うものの、なんとか日本風の味に近づけることが、できた。
 炊きあがった白米を型にはめ、ドーム型に盛り付ける。
「できましたー!」
 隣の部屋で心待ちにしていたドゥンさんは、行ったこともない日本という国の料理に感激して小さな拍手をし、スァゲさんは村田をしっかりと抱擁した。
 村田は嬉しくなり、日本ではこうするんです、と、盛り付けた白米のとなりにカレーをながしこんだ。
 二人にレンゲを渡す。
 すると。
 二人とも、盛られていた白米を崩して、全てカレーと混ぜ合わせてしまったのだ。
 村田は愕然とした。
 これではカレー味の炊き込みご飯と同じだ!
 と同時に、出国前のあの晩を思い出すー……。
『――わ、美味しそう!』
『だろ?』
 地下通路の奥にひっそりと佇むインドカレー店・ガンダーラ。
 赤や黄色の布で彩られた薄暗い店内は、インド特有のごちゃごちゃした狭さで、壁の上につけられた小さなブラウン管テレビからは、インドムービーと陽気な音楽が延々と流れる。
 カタコトのウェイターも、いつものこと。
 主食は、ナンとライスから選べる。
 村田はナンを頼んだ。おかわり自由なのだ。彼女はライスを。数分後、村田の前にはナン、彼女の前にはライスが置かれ、その隣にそれぞれ、深めの皿に入ったカレーが置かれた。
『いただきます』
 ナンをちぎり、カレーにつけようとした瞬間、ふと彼女を見る。
 と。
 彼女は、カレーを全てライスにかけていた。
 ドロッと。
 混ぜる。
 スプーンで。
 村田は目をそらせない。
 何も言えない。
 マナー、汚い、嫌悪感、ぐちゃぐちゃと、全て混ぜられ、カレー色に染まってしまった、汚い、みすぼらしい、茶黄色のライス。
 当然のように口に運ぶ。
 とても嬉しそうにー……。
「――なんて美味しいの!」
 ドゥンさんの声で我にかえった。
 皿の上に、もはや白という色はなくなっているが、ドゥンさんの笑顔は本物だった。スァゲさんも満足そうに、黄色い米を口に放り込んでいる。
 話をききつけたクイイナの人々が、残ったカレーを奪いにやってきた。みなレンゲをまわして味をみて、そうかこれが日本かと笑っている。
 文化なのだ。
 クイイナの文化なのだ。
 それが普通で、疑いもしないけれど、たしかに歴史を紡いでいる。
 それが、村田自身の文化、村田自身のマナー、村田自身の考えと違って当たり前なのだ。
 あの時の彼女が、美味しそうに食べるあの顔が、クッキリと浮かび上がってくる。だって、彼女は、美味しいと言ったのに、
「……はは、」
 村田は、バカな自分に涙が出そうで、念願のホカホカ白米を一口食べたあと、ぜんぶ崩してカレーと混ぜた。