■ マリーさん ■

■ 1 マシロちゃんの気になること ■

 午前の授業が終了し、生徒たちは昼食の準備へと入った。
 ざわめく教室内。黒江残花(クロエ・ザンカ)は自分の鞄から弁当の包みを取り出し、垂れた前髪をかきあげ立ちあがった。目指すは一番後ろの真白日差子(マシロ・ヒサコ)の席。彼女の前の席から椅子を拝借し、ひとつの机で向かい合って食べるのが最近の習慣となっていた。
 と、黒江は足をとめる。
 真白はぼんやりと、教壇の近くに座っている背中を見つめている――。
 うすうす気づいていた事だ。
 真白日差子は、同じクラスの佐野が好きらしい。
「マシロちゃん、一緒に食べましょ」
「ひょわッ!? はにゃわわわ、クロエちゃん。えっと、うん! いいよぉー」
 奇声を発して取り出されたのは真白の弁当箱……ではなく、数学の教科書。
「マシロちゃん、数学を食べるの?」
「ほへ? ――あッ、……あははは」
 ようやく取り出された弁当箱。二人は向かい合って昼食を食べはじめた。しかし、食べている間にも、真白の視線はちらちら教壇へと移る。
 黒江はため息をついた。
「好きな人がいるなら、教えてくれてもいいんじゃない?」
「……ふえ?」
「例えばほら、佐野くんー…」
 黒江が言いかけたとたん、真白は激しく咳き込んだ。胸を叩き、水筒の水を一気飲みする。
 その様子だとド本命……と黒江は思ったが、真白は首をふって否定した。
「違うのクロエちゃん! そんなんじゃないの……ホント、違うから」
「私、マシロちゃんのこと親友って思ってたけど」
「いや、だから、隠してるとかじゃなくてぇー、そのぉー、えーっとぉ」
「佐野くんのこと、見てたでしょ?」
「う……」
「前から」
「うぅ……」
「席替えがあってからはもう毎日毎日」
「ふわああーっ!! だから違うのっ、それはマリーさんが、っ!!」
 真白はハッと気付き右手を口にあてた。
「……マリーさん?」
 聞きなれない名前に戸惑った黒江は、箸を置いてしばらく考えた。校内で黒江が把握している外人は、ALTのジェイク。そして、4組にいるクォーター・シモンとアンヌの兄妹くらいだが……。
 考え込んでいる黒江の前に、真白はスマートフォンを差し出した。
「これのね? えーっと、クロエちゃんはガラケーだもんね。今ねぇ、セントークっていうアプリが流行ってて……」
 スマートフォンの画面には、黄色のスタート画面が表示されている。「セントーク」という丸文字の横で、肉まんのような白いキャラクターがプカプカ浮いていた。
「登録して、いろんな人とトートモになって、メール感覚でお話しするっていうアプリなんだけど……あ、トートモっていうのは、その友達になった人たちね。トーク友達ってこと。で、簡単にお話しできるの。でね? このマリーさんっていうのがね」
 真白はしばらく画面を操作し、黒江に見せた。
 画面はその「マリーさん」とやらのプロフィール欄のようだが、ほとんどの部分が空白であった。性別も年齢も不明となっている。だが、拡大されたプロフィール画像の建物は、黒江もよく見慣れたものだった。
「これ……ウチの高校……?」
「そうそう。で、この自己紹介のトコ読んでみて」
「……呉高のことなら何でも聞いて、こたえてあげる……?」
 真白はマリーさんについて説明した。
 マリーさんは、今この学校内で話題になっているトートモで、8時から16時までなら、どんな質問にも答えてくれるという。ただし、質問内容は呉高に関する事柄のみ。例えば3年2組の時間割り、今日休んでいる先生はいるか、生徒会のメンバーは誰、体育祭の日程はいつか……などなど。特筆すべきはその返信の速さで、たとえ授業中でも5分以内に返信がくるという。
「それでね? マリーさんって、学校以外の事は答えてくれないの。だから、マリーさんは誰だろう……って、思うよね? 実は……、見ちゃったんだ。佐野くんのスマフォの画面……」
 ここまで聞いて黒江は了解した。
 真白は、佐野がその「マリーさん」ではないかと疑っているのだ。いや、疑っているのではない。画面というのなら、ほぼ確定だろう。
 黒江は一気に興味を失くした。
「で、正体をバラそうか悩んでるわけね……、くだらないわ。せっかくマシロちゃんのコイバナが聞けると思ったのに」
 弁当のウィンナーをつまむ黒江に対して、真白はまた「違うの」と言った。
「何が違うの? そういうの、興味ないわよ」
「いいから! ちょっと見ててよぉー」
 マリーさんのトートモ画面に質問を打ちこむ真白。黒江もそれとなく佐野を観察する。彼は今、食べかけのパンを片手に黒崎と談笑している。
「いい? 見ててね、」
 送信ボタンを押す。
 だが、佐野に変化はみられない。
 二人はそのまま佐野を見ていたが、突如、真白のスマートフォンが音をたてた。
「ほらっ、返信きたよ」
 真白は画面を差し出す。
 そこには、真白からの「2年1組の5時間目は何?」という質問に対する返答「物理」が打ちこまれていた。
 佐野は相変わらず談笑しており、スマートフォンを取り出す仕草すら見せていない。
「……どういう事、」
「ねっ? おかしいでしょ? もう気になって気になって仕方なくてぇー」
 黒江はしばらく考え、ついでに弁当も完食した。
 完食の証に手を合わせると、前髪がまた、はらんと垂れた。
「それは本当にマリーさんの画面だったのかしら?」
「クロエちゃんは知ってるでしょ、今「見ても」同じだよぉー。やっぱりマリーさんの画面」
 真白日差子には特殊能力がある。

■ 2 マシロちゃんのわるいこと ■

 一度見たもは全て、写真のように脳内アルバムに収め、好きな時に閲覧する事ができるのだ。その能力がどれほど信用に値するかは、校内の定期テスト順位を見れば一目瞭然である。入学からここまで、ただの一度も一位を譲ったことのない偽りの秀才、それが真白日差子であった。
「………、マシロちゃんが佐野くんの画面を見たのはいつ?」
「え? えーっとぉ、席替えした次の日……かな?」
 黒江の観察からも間違いないようだ。彼女は席替えしてからこちら、毎日佐野に熱い視線をおくっている……。
 この話が出た翌日からしばらく、黒江残花は佐野を観察し続けた。佐野は授業開始直前の5分程度、定期的にスマートフォン画面を眺めているようだ。だがそれは他の生徒も同じことであり、授業が本格的に始まってからは机の中に仕舞い込んだままである。試しに真白に、授業中もマリーさん宛てにいくつか質問してもらったが、どれもほぼ即答であり、佐野は真面目に授業を受け続けた。
 黒江がマリーさんの件をさっくり諦めた数日後の昼休み、彼女はいつものように真白の席へと向かったが、真白は昼食の誘いを断わった。
 珍しいことである。
 少なくとも、黒江が真白と親しくなってからは無かった事だ。
 真白は両手をあわせて申し訳なさそうに肩をすくめた。
「ごめん、クロエちゃん。今日は委員会のメンバーとお昼なんだ。次の時間はほらっ、総会の準備でしょ? だからついでにって話になって。ウチの委員会、女の子ばっかりだからさぁー。えーとね、2組の迫さんと、3組の鷺沢さん、あと4組の三上さん。あっ、三年生も一緒だよ? あと一年も。1組の米地さんに、2組の一之瀬さん、3組のえーっと、真宮さん……だっけかな、で、4組の野之木さん。三年はねぇー」
「マシロちゃん!」
「ひょへっ?! どどどどーしたの!? クロエちゃんも一緒に来る?!」
「それ、もう一回言って」
「ほえ? それ? えーっとぉ、2組の迫さんと3組のー…」
「その前!」
「えっ? 委員会のメンバーと……お昼?」
「それよ!!」
「えっ……、えっ??」
 処理しきれずに固まる真白を見つめ、黒江残花は自信をもって笑った。
「この解答の証明は、なくても私が――正しいとみなすものよ」
「クロエちゃん……、ごめん。何のはなし?」
「もちろん、マリーさんの正体のはなしよ」
 黒江はキッパリと言い切った。
 真白はあわててクラス内を見渡したが、昼食前のざわめきに包まれ、今の声を認識した人間はいないようである。
「うぅ……それ聞きたいけど…でも委員会……、うぅーん……」
 彼女はしばらく悩み、結局、黒江を委員会の昼食会に招待することにした。
 校内を歩き、中庭のある棟へと渡る。木々が生い茂る中庭で待っていた委員会のメンバーたちは、突然の増員に少し驚いたものの黒江残花を歓迎した。昼食が終わり、皆で持ち寄ったお菓子を食べている最中、真白は委員会メンバー達に言った。
「ねぇ! マリーさんて知ってる?」
 委員会の女子は、全員マリーさんの存在を知っていた。
 真白は黒江に話を渡す。
「クロエちゃん、お願いします」
「いいわよ。ただし、これは私の推測であって、本当にそうとは限らないからそのつもりでね。マリーさんの正体は、報道委員会メンバーよ。おそらく総会で発表されると思うけど」
 ぽかんと黒江を見る数人。
 黒江は、自分の言葉が短すぎたことを恥じて咳払いをした。
「んん! えー…、私は、マシロちゃんからマリーさんについて聞きました。マシロちゃんが、同じクラスの佐……えー、男子のスマフォ画面が、マリーさんのアカウントなのを見たみたいで。でも、彼がスマフォを持っていない時でも、マリーさんに質問すると返答がきたわ。彼は、毎回授業直前の5分間ほどしかスマフォを見ていなかったの。この時点で、私は複数人がマリーさんのアカウントにアクセスできると確信していたのだけれど、誰が何人いるまではわからなかったわ。さっき、マシロちゃんから委員会のことを聞いてハッキリわかったの」
 真白が黒江に声をかける。
「誰が、何人……ってトコ?」
「ええ。呉校は3学年4クラスあるわね。全員どこかの委員会に所属することになっているし、余った人間は必ず生徒会所属になるから、基本的に各委員会の人間は3×4、12人になるわ。彼が5分程度しかスマートフォンを見なくても、マリーさんは「まわる」のよ。――1時間のうち、ひとり5分を割り当てればね」
「あッ!」
 真白が声をあげる。
「授業前の5分や、その前の授業終了から休み時間半ばまでの5分は、席が一番前になった人間に割り当てられる時間なのよ。前々からマリーさんが話題になっていたなら、マシロちゃんはもっと早くに「見た」ハズじゃない? 席替えの前、マシロちゃんはどこにいたかしら?」
 真白は記憶を「見る」。
「……佐野くんは後ろから2番目の廊下側のほうだぁ……。あたし、いちばん前の窓際だったから……」
「佐野くんは報道委員会でしょう? だから、私は報道委員会の実験かなにかだと思うわ。そのセントークっていうのは、質問の記録が残るんでしょう?」
 そこまで言い、黒江はお菓子をつまんだ。

     ☆

 数日後の総会では、各委員会が校内環境の向上へむけた取り組を発表したが、黒江の話の通りであった。
 報道委員会は、授業中のスマートフォン使用についての問題を挙げ、真白日差子は、非常にバツの悪い思いをしたのである。
「……ちがう…違うのおっ! 授業中のは、クロエちゃんから言われてやっただけだもん! 授業だってちゃんと「見て」るし、次の中間だって1位とるもん!!」
 腕を組んで彼女の言い訳をきいている佐野に、黒江残花はよくわからないフォローをした。
「ごめんなさい佐野くん。許してあげて。 聴いてる、じゃなくて、見てる、って正直に言う所が、彼女の可愛いところなの」

■ イラスト ■

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